水に魅せられた少女
涼蘭
二人の人魚
ただ、好きなだけだった。それはほかの人と何ら変わりがない感覚。でも、それだけなのに私は、“異常”らしい。
「ねぇきいた?人魚の話!!!!」
「聞いた聞いた!!昨日も出たんだってね!」
学校で流れるこの街の噂。「人魚」の噂。その人魚とやらは、肌がものすごく白く、髪は金髪だったという。ばかばかしい。
噂をしてる女子たちを横目に私は、そそくさと教室を出る。向かう先は屋上。そこにはある少女がいる。私の大切な友達が。
少し重たいドアを開けると目に入るのは、長い髪の毛。その髪の毛は、海水や潮風で痛んで茶色くなっている。その少女はこちらを見ると、にっこりとほほ笑んだ。まるで、おとぎ話に出てきそうなほどの美貌で、少女は私に笑いかける。
「ごめん、待たせたね」
「ううん、大丈夫よ」
私は少女の隣に座って、お弁当を広げる。私と少女はいつもここで一緒に昼食をとる。いつしかそれが普通のことになっていた。同じクラスになったこともない、話したこともなかった少女と、あんな形で仲良くなるなんて、だれが想像できただろうか。
「昨日、告白されたんだってね?」
「そうね。でも断ったわ」
「なんでよ、結構イケメンじゃなかった?」
「だって彼、泳げないんだもの」
「そうだったね。泳げないとあなたを助けられないもんね」
私は、彼女と初めて会った日、彼女を助けたのだ。海で溺れていた彼女を。私はあの日の彼女の言葉を、表情を、忘れられない。彼女は私が助けたとき、うっとりとした表情をしていたのだ。そしてこういった。
「なんでこんなに早く助けてしまったの?」
と。そのとき私は悟った、彼女は自ら海に入っていったのだ、と。でも、当時の私は一つ大きな誤解をしていた。彼女は、自殺するために、海に入ったのだと思っていたのだ。
「学校にいるとつまらないわ」
「そうね、ここでは溺れることができないからね」
「そうなのよ、なんで私プールのある学校に入らなかったのかしら?」
「そんなの、私にはわからないよ」
彼女は、自殺なんてする気は微塵もないのだ。ただただ、溺れるという行為が好きなのだ。いわゆる異常性癖“アクアフィリア”というものらしい。そして、彼女が私と一緒にいる理由は、私の特技が泳ぐことであるということだ。もう二度と泳ぐものかと思っていたのに。私には、初め彼女が理解できなかった。
だって、彼女は、私が泳ぐことが嫌いになってしまったきっかけを好きなのだから。
「学校はつまらないわ、でも、あなたといるのはつまらなくないわよ」
そうやって、笑う彼女は普通の女の子でしかない。むしろ誰が〝異常“なんて言葉を使いだしたのか問いただしたくなるぐらいだ。
「私も、あなたといるとつまらなくないよ。いつ水に入って行ってしまうかわからないからね。」
「ふふふ、あなたがいるから私は水に入っていけるのよ。」
あぁ、この光景を、この会話を、聞いた“普通”の人は、どう思うのだろう?
“異常”だと思うのだろうか。それならそれでいい。私たちにとっては、これが“普通”であるのだから。
きっかけは、小さい時に行った海水浴だった。少し沖に行ったところで、流されてしまったのだ。そこで感じた息苦しさ。それが心地よいと感じた。幸い浜からそう離れたところではなかったので、近くにいた人に助けてもらうことができたけれど、私はあの時の感覚が忘れられなかった。それどころか、またあの感覚を味わいたいとまで思った。気づいた時には、お風呂で自分から溺れようとしていた。
その後幾度か溺れて死にかけたけれど、運よくだれか通りかかった。あの時もそうだった。
あの時助けてくれた女の子はひどく焦っていて、それでも水にぬれた彼女は美しいと思った。水の中からうっすらと見えた彼女は泳ぎがとても綺麗で人魚のようだった。彼女に、学校で会えたとき、私がどれほど感動したか、彼女は知る由もないだろう。
「ねぇあなた、私をまた、助けてくれない?」
「嫌。私もう泳ぎたくないの」
「あら、私のこと覚えていてくれたのね」
「あんなことあったんだもの、忘れられないよ」
「それなら好都合だわ、今日も海に行くの」
「…そう」
それだけ言うと彼女は短い髪を少しだけ揺らして去って行ってしまった。けれど、なぜだか私にはわかった。彼女は、今日、海に来るのだろう、と。
学校から海はそう離れていなかった。さらに今は春だ、海に人なんてそうそう来ない。ベストタイミングじゃないか。少し鼻歌を歌いながら私は海へと向かった。
浜辺につくと、私はゆっくりと歩いていつもの場所へ向かったみることにした。おもむろに私は服を脱いだ。服の下に来ているのは下着ではなく、水着。制服を濡らすと面倒なので普段から服の下に水着を着るようにしたのだ。
あぁ、早くあの感覚を味わいたい。海に勢いよく飛び込む。ばしゃっという、音とともに、水の冷たさが肌に伝わる。徐々に息が苦しくなる。ごぼっ、と音を立てて、水泡が光のさすほうへ上がっていく。綺麗だな…。私は手に伸ばす。しかし、酸素の行き届いてない体は思ったようには動いてくれなかった。あぁ、今日こそ死んでしまうのかな。そんなことを思い始めたとき、揺れる髪と、光の間に人魚のような少女の姿が見えた。
一瞬、戸惑った。人の命がかかっているというのに。水の中は暗い。黒くて、何かに手を引っ張られるような気がする。このまま、海の底に引きずり込まれてしまうのではないか。でも、そんな不安は、すぐになくなった。
水の中で揺れる長い髪。こっちを見つめる、瞳。その目は若干虚ろで、でも、確かに私を見ている。髪の隙間から、にっこりと口角の上がった口元が見える。
あぁ、だめだ。この子は私が助けなければ。彼女は、地上に上がって代わりに泳げなくなってしまった人魚のように見えた。足が勢い良く動く。吸い込まれていくようだった。海底などではなく、彼女に。私は、彼女のもとに行くと、抱き上げるようにして、水上まで浮上した。そして、そのまま浜へと向かう。
「…っ、はぁ、はぁ…。」
「…馬鹿じゃないの?死にたいの?」
浜に上がると、彼女は、まだうまく体が動かないのかふらふらしながら、近くの岩場へ行った。ついていくと、そこにあったのは、タオルと、水。それはまるで自分が助かることを想定して持ってきたようだった。いや、実際そうなのだろう。死ぬつもりなら、こんな物は必要ないのだから。
「あなた、死ぬ気はないのね?」
「ええ」
学校で会った時とは違う雰囲気。どこか儚げで、どこか恍惚で、学校で会った明るい雰囲気とは全然違う。
「じゃあ、なんでこんなこと」
「…好きだから」
「す、き…?」
「好きだから」
私は思わず固まってしまった。訳が分からなかったから。なぜ、彼女は、私が一番恐れているものが好きなのか。わかるはずがなかった。
「そっか…。」
でも、何故か私は落ち着いていて。何故か、それを受け入れていた。それは、きっと彼女の姿を見てしまったから。水に入ることによって、より一層美しくに見えた彼女。それを見たら、本当にそれが好きなのだなと思うほかなかった。
「あなたは、私を気味悪がらないのね」
「ええ、なぜだかね。驚きはしたけど」
「そう…。ありがとう…」
彼女が瞬きをした時、まつ毛についていた、水滴がポツリと落ちる。
その後何度同じ行為を繰り返したかわからない。私と彼女はその行為を繰り返すたびに絆が深くなっていくような気がした。
「…え?」
突然の話だった。何の心構えもしていなかった私の体はあの時以上に固まった。彼女が死んだ。突然すぎた、昨日会ったばかりなのだ。いつもと同じ行為を繰り返していただけなのだ。しかも、今は夏。彼女が風邪をひくとも考えにくいし、それで死んでしまうとも考えにくい。私は、電話から聞こえる、葬儀の日などをメモした後、何も言葉を発することなく、電話を切った。
もう、何が何だかわからなかった。頭の整理がつかなかった。むしろ、自分がだれかわからなかった。
何も考えれないまま、葬式の日を迎えた。静かに、そしてゆっくりと時間が過ぎていく。
どれほど、待っても彼女が入った箱の小さな扉は開かない。あぁ、そうだ言っていたな。彼女は“海でおぼれて”死んだのだと。きっと顔が見れたものではなかったのだろう。水でふやけてしまって。もう、見れない。彼女の美しさを。なぜ…。なぜこんなことに…。私はふと、彼女の家族のほうに目をやった。彼女に似た美しい人が家族の中にいるかもしれない。そう思った。でも、私の目に映ったのは、悲しんだ様子もない、むしろうっすらと笑みを浮かべた女性。
気づいた時には、つかみかかっていた。
「あの子を殺したのはあんただな?」
ひどく低い声だった。一瞬自分の声ではないように聞こえた。
「ええ、そうよ。だって、あんな“異常”な子いらないもの」
小さな、私にしか聞こえないような声だった。しかも、その女性は私を見て笑っていた。私は一瞬あっけにとられた。だって、彼女は美しい“普通”の女の子なのだから。“異常”なんてない。
「好きなことで死んだのだからあの子は満足なんじゃない?」
ひどく嘲笑した声。虫唾が走る。ナイフでもあったら、刺し殺してやるのに。しかし、ナイフを持っていたとしても、それはできなかっただろう。私は、警備員に押さえつけられて、その後葬儀場の外に出されてしまったのだから。
空を見上げる。視界がにじむ。そこに少し涼しげな風が吹く。
「あぁ、あなたはここにはいないんだね。」
海へと走っていき、そのまま飛び込んだ。海がひどく暗く感じた。でも、その中に一つだけ、温かい光を見た気がした。
「あぁ、そこにいるんだね?」
私はその光にそっと手を伸ばした。
ある町があった。その町には一つの都市伝説があった。水に魅せられた二人の人魚がいた、という、そんな都市伝説が――
水に魅せられた少女 涼蘭 @rinkarin0225
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