弘樹の入院3
俺が腱盤断裂で入院してから一週間が経過した。
経過としては良好であと一週間程度で退院できるとのことだった。
整形外科の病棟は開放的で、病棟の看護師さんに行先さえ告げておけば自由である。
「雨宮さん、面会の方が来てますけど、お通しして大丈夫ですか?」
「あ、出ますね」
テストも近いので、持ってきてもらった数学の教科書を開いて勉強していると、部屋入口から若い看護師さんが顔を出した。
「弘樹君、腕大丈夫?」
「あ、田畑!……と松宮先輩……」
第二土曜日で学校が休みだったこともあり、クラスメイトの田畑と、テニス部の美人マネージャーの松宮が面会に来ていた。
田畑は最近の授業で進んだ範囲を伝えることと、一週間分のノートを「弘樹ファンの有志が書いてくれた」と笑いながらそのノートをくれた。
「このノート。持っていきたい女の子が多すぎて参ったよ。お前が入院している場所伝えたら毎日誰か来るだろう?絶対雪ちゃんブチ切れるだろう?」
「助かる……本当助かるわその配慮……」
担任と、田畑以外入院している病院・病室については一切伝えていない。
テストも近いし、出来るだけしっかり治したいので、誰か来られると困る。と言って面会禁止にしてもらっていた。
そんなのは方便で、実際に女性の面会が来たら、雪音がどういう態度をとるかわからないからだ。
2日前も、新人の若い看護師さんが、俺の腕の可動域を見る為に上半身裸にして、肩や腕を触っているのを見た雪音は、今にも倒れそうな顔をして大声を出した。
処置中でカーテンも閉めていたのに、それを堂々と開けた雪音がまず悪いのだが……
そして入院2日目も看護学生さんと俺が可動域確認していた姿を見て不貞腐れて大声上げて、おまけに風呂介助までし始めた。
あの時は股間が大変なことに…いやいや、そんなのはもうどうでもい。過去の失敗は忘れるんだ。
そんな事件が続いた所為で、雪音は病棟の師長から『午前中は患者さんの処置があるので、出来るだけ面会に来ないで欲しい』と思い切り釘を刺される結果となった。
同じ年齢の妹を持つ田畑はある意味盟友に近い。
妹の温度差は正反対であるが、雪音のことをよくわかってくれているから本当に助かる。
そして、田畑の後ろからずっと黙ってこちらを見ている松宮先輩と目が会い、どきどきしてしまった。
松宮先輩は、学園のアイドル的存在で、学校祭で行われている美人コンテストで2年連続人気投票1位を集めている。
もう3年生なので、今年の途中でマネージャーを2年生に引き継ぎ、受験勉強の忙しい時期だ。
どうして面会に来てくれたのかは分からないが、田畑はニヤニヤしながら俺に耳打ちをしてきた。
「松宮先輩な、お前のこと好きなんだよ『雨宮君のお見舞いに行くなら一緒に連れて行って欲しい』って言われた時、俺、嬉しすぎて自分が死ぬかと思ったもん」
「そんなわけねーだろ。大体学校の人気No、1だって先輩は」
松宮先輩は、雪音のような長いストレートの黒髪に、二重で長い睫毛。手のひらで覆えそうな小顔。
スタイル抜群で、頭もいいしスポーツ万能。非の打ちどころが全くない。
その眸に見つめられると、吸い込まれそうでどきどきしてしまう。
いつか、こんな素敵な彼女が出来たらなぁ…なんて思ってしまう。無理だけど。
妄想するくらいは怒られないよな?と思い、田畑が配慮してくれた間に、デイルームのソファーで松宮先輩の隣をゲットする。
悪いな、学校の先輩達……今の俺は最高に幸せだ。
肩はすっげえ痛いけど、松宮先輩とこんなに近くで居られるなんて、テニス部のレギュラーにでもならない限り無理だったし。
「先輩は、どうして俺の面会来てくれたんですか?マネージャーだって三浦先輩に変わったっていうし」
「心配だったのよ。暫く安静にしなきゃいけないものね。でも元気そうで良かった」
俺の腫れている右腕を優しくさすってくれる先輩の手が、暖かくて気持ちいい。
憧れの先輩が、こんなにも近くに居て心配してくれるなんて男冥利に尽きる。
「だって肩ですよ?内臓えぐられたわけじゃないですから。勿論元気っすよ。それに俺は左利きだから飯以外不自由ないし」
「安心したわ。そうそう、雨宮君。みんなからの色紙と、こっちの箱にはマフィンが入ってるから良かったら食べてね」
「はい、ありがとうございます。すいません先輩忙しいのにわざわざ……」
ゆっくり休んでね?と笑顔で言いながら田畑と去っていく先輩を見送り、俺は幸せな気分になりながら先輩手作りのマフィンの入った箱と色紙を見る。
軽い足取りで部屋に戻ると、自分のベッドの周りのカーテンが閉められていた。
父さんが面会に来たのかと思い、ゆっくりカーテンを開けると布団の中で誰かが眠っている。
そこには泣きながら眠っている雪音の姿があった。
師長から厳重に午前中の面会禁止と言われていたが、多分、田畑と先輩が来ていたのをどこかで見ていたのだろう。
声をかけたくてもかけられなくて、勝手に俺のベッドでふて寝したというわけだ。
「雪音。お前そこで寝たら制服が皺になるぞ」
「うぅ…ひろちゃんが浮気した……」
聞き捨てならない言葉に少し呆れてしまう。
一体何をもってその解答に行きつくのか、雪音は本当に見ていて面白い。
「浮気って何だよ?ってか、俺は彼女すら居ないってのに何だよそれ……」
「ひろちゃんは、頭がよくて美人の年上が好きなんだよね。ユキ頑張っても勝てないじゃない。いくら頑張っても3歳は縮まらないんだもん!」
中学に入ってから雪音は大人っぽくなろうと努力をしていた。
少し大人びた服装の雑誌を読んだり、一生懸命伸ばした長い黒髪も、おっぱいを大きくしたいと願う姿も、料理も頑張る姿も、全部俺の為だった。
それは分かっているが――
分かっていても、俺と雪は所詮兄妹だ。例え血が繋がっていなくてもそれは変わらない。
いっそのこと、俺が一人暮らしをして、雪音から離れた方が彼女の為になるのだろうか。
この入院生活で、少しでも雪音がブラコンを卒業して、別の男に気が向いたらそれでいいと思っていた。
しかし、それは俺の勝手なエゴだったらしい。
静かに泣いている雪音の頭を撫でながら、ごめんな、と小さく呟く。
ベッドサイドにある小さなテーブルの上には、雪音お手製のチーズケーキが一切れ置いてあった。
その隣にマフィンと色紙を置いて、雪の身体を左手だけで引き寄せる。
「雪音を一人にさせてごめんな」
「ひろちゃん……」
寂しがりで、独占欲が強くて、泣き虫で……俺のことを一番大好きだと言ってくれる雪音。
雪音のことをブラコンだと思っていたのに、俺も相当なシスコンに近い気がする……今更ながら悲しい現実に直面した。
田畑の妹に、雪音の半分くらい「兄貴に対する愛情」というものを分けてやりたいと切実に願う。
俺の腕の中で嬉しそうにする雪音を片腕で抱きしめると、先ほどまで松宮先輩にどきどきしていたのが嘘のように消えていく。
雪音と一緒に居るのが一番安心できる。
それって、やっぱり俺もシスコンなのだろうか……
身の振り方について考える時間は、入院期限あと残り1週間に迫っていた。
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