弘樹の入院2
腱板断裂で入院して2日が経過した。
整形外科病棟というものは、開放的な造りとなっており、高齢者の骨折は多いものの、基本的に元気な人が多い。
そしてすれ違う看護師さんは若くて綺麗な人が多かった。
俺も通常では雪音と母さんとしか関わることしかないので、こうした白衣の天使に介護されると少しだけ心がほっこりする。
最近は看護学生さんが来ているらしく、俺と同じ部屋のおじさんに俺より少しだけ年上の看護学生が付き添いしていた。
「雨宮さんって、初回入浴の説明聞きました?」
そういえば、この三角巾で固定している手だが、やり方さえ聞いて問題なければ一人で風呂にも入っていいって言われたっけ?
手術でパタパタと忙しそうな看護師さんに聞くのは申し訳なかったので、俺はその学生さんに方法を聞いた。
もはや何度も同じ手術をしている同室者のおっちゃんに浴室まで一緒に連れていかれる。
実際に裸にならなくても、その腕の固定方法や、身体を洗う時の腕の動かし方は大体説明だけで理解できる。
俺は親切に教えてくれた学生さんと、おじさんに感謝をして、今日雪音が面会に来たら風呂に入ろうと心に決めた。
入浴時間は大体決められているので、俺が使えるのは夕方くらいだ。
あまり遅い時間だと夕食の時間とブッキングしてしまうので、看護師さんに嫌な顔をされてしまうとのことだ。
「可動域見せてもらえますかぁ?」
「別にいいけど…」
俺は看護学生さんの一人に部屋を仕切っているカーテンをシャッと閉められ、いきなりの密室にドキドキしてしまった。
その子は小さい割に胸が大きい。白衣とエプロンからはち切れそうな胸のラインが強調されているのが分かる。
な、なに見てるんだ俺は……っ!
思わず彼女から顔を背けながら、俺は着ている病衣から右袖を抜いた。
「わぁ~。雨宮さんって、何かスポーツされてるんですか?」
「えっと、テニス?幽霊部員だけど」
「珍しいですね。腱板断裂って肩を酷使したり、重い荷物を持つ人が多いんですよっ」
その説明は、確か主治医から訊いたような気がする。
俺はテニス部〈しかも幽霊部員〉なのに、どうして腱板断裂なんてしたのか?と。
まぁ、この有り難い束の間の休息で、雪音がブラコン離れしてくれたらそれでいい。
俺も彼女欲しいなぁ。雪音と一緒に居たら本当に女の子に興味が無くなりそうで怖い。
ふと、俺の可動域を調べている看護学生の女の子を見つめた。
年上女子だが、見た目はあどけなくて幼く見える。
白衣の天使とか、いいなあ……
「あの、さ。俺――」
「ひろちゃんっ!!」
俺が彼女に言いかけた言葉を雪音の大声が遮った。容赦なく仕切っていたはずのカーテンが開かれる。
半裸状態の俺と、右腕を触っている看護学生の女の子と目があった雪音は、俺の左腕にしがみついてきた。
「ひろちゃんを取らないでっ!!」
「いだだだだっ!!ゆ、雪音、違うぞ、彼女は看護学生さんなんだからっ!」
彼女も、あまりの剣幕の雪に驚いて俺の右腕の可動域を調べていた手をそっと放した。
それでも雪音の怒りは全く収まらないようで、俺の左腕に小さな胸を押し付けて彼女を牽制している。
「そんなの関係ないもんっ!ユキの知らないところで勝手に浮気しないでよおっ!」
「何だよそれ…大体お前は彼女じゃねーだろっ!」
「ユキはひろちゃんのこと大好きなのにぃぃぃ!!」
「あ~面倒くせぇ……もう、何だってんだよ」
俺は右腕をあまり動かせないので、左腕が雪音に奪われてしまったら何も出来ない。
今も顔をくしゃくしゃにして泣いている雪音の頭を撫でてやることすら出来ない。
「なぁ、雪音。俺、風呂入りたいからバスタオル頂戴?」
俺はふと雪音が持って来た包みを見て風呂に入ることを思い出した。
先ほど同室者のおじさんと看護学生さんに色々レクチャーしてもらったので、今だったら一人でも入れる。
提案にすぐ乗った雪音は包みの中からグリーンのバスタオルと同じ種類のハンドタオルやボディソープを取り出した。
「ユキも一緒に行く」
「結構です。俺一人で入れるっつの」
「だって、初回入浴は誰か付き添いするんだよね?」
看護学生さんにわざわざ同意を求める雪音の眸が若干マジで怖い。
それを否定すると矛先が自分に向くと感じた彼女は、コクコクと頷いて引きつった笑みを浮かべていた。
やべぇ、これは最悪の展開な予感しかない。
流石に病院なので、雪音は自分まで脱いで俺と風呂に入るとは言わないだろう。
雪音がやりたいのは『介護入浴』だ。
そんなもん、どこか身体に不自由のある人がやってもらうことで、俺は右手だけが制限される以外元気だ。
甘える雪音を振り切って俺は浴室に鍵をかけて入浴することにした。
これでこの時間は俺の自由――。そう思っていたのだが、恐ろしいことに外の鍵がカチャリと開けられる。
「ひろちゃーん」
「な、何で雪音が!?」
「えへっ。看護師さんにね、付き添い入浴したいですって言ったら鍵開けてもらえちゃった」
語尾にハートマークでもついてるような言い方だ。
誰だよ、そんなの許可した奴…つか、普通家族だからっていい歳した妹を兄ちゃんが風呂入ってるとこに入れるか普通?
それとも、雪音が看護師さんを懐柔したのか、どっちか分からないが……。
「はぁ……仕方がない。じゃあ雪音に頭洗ってもらう」
「はぁい!ユキが全部ご奉仕するねっ」
ご、ご奉仕……
そういうなんかやらしい言葉を何処で覚えて来たんだろう……。
俺は眸をぎゅっと閉じながら優しい雪音の指先で頭を洗われる。頭皮マッサージのような手つきまで。
その後はスポンジにたっぷりつけた泡で背中と右手が使えないので左腕や脇を洗われる。
くすぐったくて時々笑ってしまったが、雪音は俺の身体のあちこちを丁寧に洗っていく。
背中を流された時は気持ちいいと思っていたが、スポンジが下半身に伸びてきた時は流石に慌てて静止した。
「ま、待て!それ以上は自分で出来るからっ!!」
「え?だってひろちゃん、腕を動かしていい範囲が決まってるんでしょう?じゃあこっちもユキが洗うよぉ」
「そういう問題じゃねえっ!俺の、兄としての威厳がっ……」
きょとんとしている雪音は本気で分かっていないのか、俺の股間まで丁寧に洗おうとしている。
か、勘弁してくれっ!!
俺は妹の手で感じてしまいそうで怖いっ!
ってか、もう触ってるし!!少しは躊躇しろよっ!
半泣きになっている俺の反応なんて、この無邪気な雪音は全く気付いていないのだろう。
天使のような天然にも、本当に困る。
雪音の所為で中途半端に熱を孕ませられた俺は、風呂から上がって着替えた後に、配膳をしている看護師さん達に見つからないようにトイレへと向かった。
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