弘樹の入院
体育の授業終了後に右肩の激痛を感じて保健室へ行くと、保険医に病院受診を勧められた。
丁度仕事が休みであった父さんに連絡をして学校まで迎えに来てもらい、タクシーでそのまま病院に連れて行ってもらった。
診断結果は右肩腱盤断裂とのことだ。
主に中年世代の人によく起こりやすいとのことらしいが、慣れないテニスを変な姿勢でやっていたことや、先ほどの体育では左手を突き指したせいで、久しぶりに右肩を使ってソフトボールを投げていた。
部活で重いものを持って、知らない間に肩へ負担をかけていたのも、腱断裂した原因の一つかもしれない。
「雨宮君は野球部かい?」
「いえ、テニス部にいます。あ、でも今日のソフトボールは右でやってました」
「野球とか、肩を酷使するスポーツではなることもあるけど、それ以外で若い子で起きるのは結構珍しいんだよ。肩の骨折はよくあるけどね。レントゲンも、関節自体は悪くないし、切れてるのも1本だから……三角巾つけて安静にしようか。2週間経っても腕が上がらないとか、痛くてどうしようも無かったら手術することも考えておいて」
「はい……」
三角巾をつけての自宅生活を想像すると何が困るかって、まず雪音に何と言われるかだ。
俺は左利きなので、右肩が上がらなくても書字的な面では一切困らない。
しかし幼少時代に食事は右で食べるように強制されたせいで、今更左手で箸を持てと言われてもなかなか難しい。
俺の診察をした若い医者は、電子カルテを入力しながら隣に付き添っている看護師に、カルテと書類を渡している。
「んじゃ、入院ね」
「えっ、帰れないんですか?」
驚いて医者の方を見ると、安静でも断裂してしまった腱は治療できないと言われる。
経過を見るため約1~2週間入院した方がよいとのことだった。
同伴していた父さんも納得して説明を聞くと、入院して治療をお願いしますと言った。
「弘樹、学校の先生には伝えておくからしっかり治してもらいなさい。手続きが終わったらお前の荷物一回取りに帰るからな」
「うわぁ。やだな、注射」
関節の動きをよくする為の注射を打たれ、父さんと一緒に病室まで案内される。
足や腕を骨折している元気そうなおじさんが3人いる4人部屋だった。
父さんは荷物を取ってからまた来ると言い、すぐさま病室から出て行った。
その間に病棟の看護師から簡単に中と保存治療についての説明を受けるが、脇を締めないように。と三角巾で腕を吊り上げられ、脇の間には何かクッションのようなものを入れられた。
風呂は明日改めて入る時の注意点を聞いて、自分で問題なければ一人で入っても良いとのことだったので安心した。
「よろしくお願いしまーっす」
「あんちゃんも肩やっちまったのかい?俺はもう2回目だよ。慎吾先生は若いけど、海外で偉い先生について修行してきたらしくて腕はいいから安心しな」
「あ、俺は手術じゃないみたいです。もし手術だとそうなるんですか?」
隣のベッドにいたおじさんの手術した腕は左腕の倍くらいに腫れており、肩には何かを刺した痕まで残っている。マジックテープで細かい位置が調整できる見た目のごつい肘あてをつけて歩いていた。
あまり痛そうな顔はしていないが、腕の角度も決められているらしい。
三角巾で落ち着いてくれれば、学校もそんなに休まなくて済むし、左手は動くからノートも書けるから授業自体は多分困らない。
もしかしたら、体育だけは単位落とすかもしれないけど、そこは先生と相談するしかないだろう。
「雨宮さん、入院の経過について簡単にお話し伺いたいのでこちらにお願いします」
病室をノックして入って来たのは多分新人らしい若い看護師だった。美人だなあと思って思わずじっと見てしまう。
個人情報の保護とかって理由で、わざわざ病室から診察室に連れていかれる。俺は看護師に住所と家族構成、電話、今まで病気にかかったとか。確かそんな内容を聞かれた。
「入院生活で困っていることはないですか?」
「……これから困ることがありそうな……」
時計を見ると入院してから1時間経過している。そろそろ荷物を取りに帰った父さんと台風が帰っている頃だ。
悪い予感は的中する。パタパタと走るスリッパの音がどんどん近づいてきた。
診察室のドアをバンッと思い切り開けて中に入って来た雪音は、驚く看護師を無視して俺に思い切り抱き着いて来た。
「ひろちゃんっ!」
「いたたたたたたた!」
雪音が全力でぶつかってきた刺激で、固定していた右肩に激痛が走った。
「ゆ、雪音。悪いけどもうちょっとソフトに」
「ひろちゃああぁん……ユキも入院するう。ひろちゃんと離れるなんてやだよぉ~」
「別に手術するわけじゃねーし、長くても二週間だろ。俺は左利きだから困らないから大丈夫だって。な?」
可愛い顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、俺の膝の上で雪音に泣きだされどうしていいか対応に困る。
その様子が微笑ましく見えたのか、基本情報の聴取をしていた看護師が楽しそうに笑っていた。
「彼女さん、心配しなくて大丈夫ですよ、雨宮さん若いですし負荷をかけなければ――」
「妹ですっ!!!」
そこは、そこだけは!しっかり訂正して欲しい。
折角ブラコンの治療中だってのに、変に誤解されるとまた雪音がおかしくなってしまう。
彼女、という言葉に反応した雪音はピタリと泣き止んだ。
「彼女だなんてぇ……」
と顔を赤らめて、物凄く嬉しそうにもじもじしている。
「す、すいません。もう話終わりで大丈夫ですかね?荷物整理するんで雪連れていきます!」
俺はこれ以上ここに居たら雪音が彼女という言葉で一人盛り上がりそうだったので、慌てて椅子から立ち上がる。
目の前にいた看護師は状況がわからず困惑した顔をしていたが、情報収集は終わったようだったので、失礼しますと言って診察室を出た。
災難というものは一度で終わらないらしい。
病室に戻ると同室のおじさん達が、可愛い雪音と俺を見てニヤニヤしている。
「おーおー、あんちゃん随分可愛い彼女連れてきたなぁ。手なんて握っちゃって青春じゃないか」
「羨ましいなぁ。若いのにやることしっかりやってんじゃないかぁ」
「雪音は妹なんですっ!!!!」
診察室から雪音を連れ出す為に握っていた手はものすごく熱かった。
確かに、俺達は血が繋がっている訳でもないし、傍から見たらカップルに見えてしまうのも無理はない。
隣の雪音はおじさんの「彼女」という言葉に、雪音はまた嬉しそうに過剰反応して喜んでいる。
この貴重な入院期間中に、雪音の『ブラコン治療』が出来ると思ったのに、更なる火種になりそうな予感しかしなかった。
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