バレンタイン


 2月14日。


 それは、恋する女子の静かな戦場である。




 ────────


「雨宮さん、これ……受け取ってくださいっ」

「え?」

「きゃー!」

「きゃああああ! わ、渡しちゃった!」

「??」


 パタパタと去っていく3人の女子ら。そして取り残された俺の右手にはピンク色の紙袋と、中に入っているのはずっしりと重いなにか。


 ……これで何度目だろう? 俺は一度も会話した事のない女子から、今日に限って何度も呼び出しを受け続けている。


「確か、隣のクラスの子だったと思うけど……」


 体育館の裏まで呼び出しを受けた俺は呆然とするしかない。しかも渡すだけ渡され、何もお礼を言う間もなく。


「はぁ……どうしよう」

「すげえな弘樹」

「うわっ、た、田畑……いつからそこに?!」


 ニヤニヤと俺を見下ろす田畑忍は中学からの友人の1人である。


「なぁ弘樹。ちなみにそれ、何個目?」

「え? わかんない……ってか、あの子と喋ったこともねえよ」

「マジお前、自覚無いからやべえよ。サウスポーのイケメンテニスの王子様! 同学年タメから3年まで……有名人なってんだぞ」

「そうかなあ。俺のテニスって、補欠部員の部活動と授業でしかやってねえじゃん」


 スポーツ万能、容姿端麗、学業優秀。

 田畑は指折りしてそう言い、ちっと憎々し気に舌打ちをした。

 そんなこと1つも俺は思っていないのに。


「実際お前のファンクラブだってあるんだぜ? ……まぁ、そう言ってもあんなに可愛い雪ちゃんと常に一緒に生活してたら彼女なんて出来ねえよな」

「は、はは……」


 確かに、それは一理ある。

 無意識なのだが、雪音と他の女子とつい比較してしまう。それに、別に急いで彼女が欲しいと思ったことも無いので、彼女いない歴=年齢で今に至るというわけだ。


 俺は高校に入り、あちこち部活動の勧誘攻めにあったが、最終的には面白かったテニス部に入った。

 勿論、昔からやっていた訳ではないので選手として大会に出ることはまずない。

 しかし、不本意ながら、仲間と楽しそうに遊んでいる姿が、偶然通った女生徒達をきゅんとさせたらしい。


 さらに『モテるためにラケットを握っているつもりが無い』という点が、更なる高評価に繋がったのだろう。


「弘樹、今日が何の日かまさか忘れてたのか?」

「あぁ……そういうことか」


 中学の時はこんなチョコレート攻めに合わなかったので、正直驚きを隠せないでいる。

 これでもかというくらい机の中や靴箱、あちこちに置かれていたチョコレートの山を見てため息をついた。

 俺は甘党では無いので、これはある意味拷問に近い。


「……しかしそれどーするよ? 本命チョコも混じってない?」

「うーん……捨てるわけにもいかないし、持って帰るよ。父さんが甘いの大好きだから食べると思う」

「そういう問題かねぇ? 帰ったら雪ちゃんが怖くなってそう」


 いつも心配してくれる田畑に、思い切って同じ疑問をぶつけてみる。


「田畑んとこは妹さんからもらってるの?」

「はぁ!? ないない。うちは妹に相変わらずキモイとかウザイとか言われてんの。可哀想でしょ!?」

「はいはい……」


 泣いたフリをして俺にしがみつく田畑を宥め、俺は両手に大量のチョコレートを持ち、帰路を辿ることとなった。




 ────────


「ただいま」

 

 家は静かで、雪音の靴もない。どうやら、まだ雪音は帰ってきていないようだった。

 俺はほっとしながら二階にある自分の部屋に駆け上る。すぐさま押し入れを開け、その中に大量のチョコレートたちを収納する。


 頂いた物をすぐに食べないのは申し訳ないのだが、俺は甘党ではない。

 今日の夜中にでも、父さんが仕事から帰ってきたら食べれるように後で下に置いておこう。


 手紙やチョコレートの分別という地味な作業を続けていると、雪音の声が聞こえる。


 向かいの部屋に戻って来た雪音は、2度ノックした後、俺の部屋のドアを笑顔で開ける。

 満面の笑みで彼女は「ただいま」ともう一度言った。


「お、お帰り、雪音」


 床の上に並ぶ大量のプレゼントの山を見た雪音は一瞬だけ顔色をなくした。

 しかし、その表情はすぐにぱっと明るくなった。さらににっこりと微笑み、両手を胸の前で合わせている。


「ユキね、ひろちゃんの為にチーズケーキ作ったの」

「マジ? それは嬉しい」


 このチョコレートの山をどうしようか鬱鬱していた気持ちが一瞬で吹き飛んだ。

 雪音の作るチーズケーキは、俺好みの甘さ控えめで絶品なのだ。正直甘いものは好きではないが、あれだったら1ホールくらい余裕で食べれると思う。


「作りたてだから美味しいと思うの。食べて?」


 1階へ降りると、雪音お手製のチーズケーキが可愛いお皿に盛り付けられていた。

 

「マジで雪音のチーズケーキ美味い。ありがとな」

「えへっ」


 ケーキを美味そうに食べる俺を、雪音が真向いで幸せそうに見つめている。

 何かお礼出来ないかなと思い、先ほどのチョコレートが頭に浮かんだ。


「そうだ、雪音。あのチョコレート全部食べていいから」

「いいの? パパが帰ってきたら一緒に食べようかな。ありがとう、ひろちゃん」


 田畑が言っていた程、雪音の機嫌は悪くないと思う。いや、そもそも俺が彼女の機嫌を悪くさせるようなことは何もしていないのだから、そんなのは当たり前か?


 貰った経緯はともかく、甘いものが大好きな父さんと雪音が喜んでくれるならそれでいい。

 俺はそう思いながら、雪音が作ったチーズケーキを残さず食べた。


 その様子をにこにこ見つめている雪音の本心など、俺が知る由もない。



(ユキがひろちゃんのこと、一番知ってるんだから。

 例え何万人がひろちゃんにチョコレートをあげたって、絶対に負けないんだからねっ)



 俺の部屋に置いてあったチョコレートの山は、父さんと雪音の胃袋でたった2日間で全て処理されたらしい。


 甘党の雪音は、俺のお陰で大好きなチョコレートを沢山食べれて嬉しいと喜んでいたので、まぁいいか。

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