【弘樹、高校生。雪音、中学生】

大きくなりたい!


 小学校を卒業した雪音は、セント・マリア女学校へ進学した。

 俺も高校に進学してからは、行事や勉強、部活に追われることとなり、家の中で雪音と顔を合わせる機会が減った。


 それのお陰なのか、雪音のブラコンは以前に比べると治ったような気がする。


「ただいまー」


 時刻は夕方4時半。テスト期間でもないのに、俺がこの時間に帰宅するのは珍しいかも知れない。

 リビングに足を向けると、ソファーに猫のように背中を丸めて眠る雪音の姿が。起こすのを躊躇うくらい、すぅすぅと気持ちよさそうに眠っている。


「……雪音、こんなトコで寝てたら風邪引くぞ?」


 トントンと肩を叩いてみるが、眠れるお姫様は全く起きる気配を見せない。

 俺はため息をついて母さん達の寝室に足を向ける。押し入れの中にあるブラウンのブランケットを取り出し、雪音の背にそっとかけた。


 ──そういえば、こうして雪音の寝顔を見るのは久しぶりだ。

 腰まで伸びた自慢の黒髪はさらさら。長い睫毛に、母親譲りの綺麗な顔立ち。

 眠っている雪音は、絵本の中のお姫様みたいに見えた。


 セント・マリアへ行き始めてから、雪音は以前のような舌ったらずな喋り方や、あどけなさは無くなった。丁度そんな年頃なのか、「少女」から「一人の女性」になったような気がする。

 そういう成長は兄貴としては半分嬉しく、半分寂しい。


 それに一緒にお風呂に入ろうとは言わなくなった。まあ、これ以上一緒に風呂に入られると、妹相手だというのに俺の下半身が反応しそうで困っていたからいいんだけど。

 ひとつだけ心配事が無くなった事にほっとする。


 優しく髪を梳いていると、眠っていた雪音がゆっくりと目を開いた。


「ん……あ、ひろちゃんお帰り。ご飯準備するね……」

「あぁ、いいよ寝てな。たまには俺がやるよ。えっと、パスタでも茹でるか」


 俺はまだ寝ぼけている雪音の頭をそっと撫でてからゆっくりと立ち上がる。そのままキッチンへ足を向け、棚にしまっているパスタとソースの袋を取り出す。

 

「えへへ。ひろちゃんが、キッチンに立つ姿って新鮮」

「……何だよ、エプロンなんてつけねーぞ」

「ひろちゃんがエプロンつけてたら可愛くてがおーってしたくなっちゃう」

「普通、逆じゃないかそういうのって……」


 パスタを菜箸で回していると、俺の背中に雪音がぴったりとくっつく。

 そして、女性の象徴が誇らしげに当たっている。これはわざとなのか?


「……あのな、背中に当たってるんだけど?」

「え? 本当!?」


 何故か俺のコメントに過剰反応した雪音は目をキラキラ輝かせていた。


「今日ね、彩ちゃんに『ユキはおっぱいちっちゃいね』って言われてすごくショックでショックで、それでさっきふて寝してたの」


 俺は地雷を踏んだのか? 雪音はさらに嬉しそうに胸を押し付けてきた。

 待て待て! 俺はそういう行為を望んだんじゃないっ!!


「ひろちゃんに分かってもらえて嬉しい」

 

 雪音が身体を動かす度に胸が何度も背中に押しあたる。もはや俺の頭はパスタどころじゃない……。


 後ろにいるのは彼女じゃないんだよ! 妹なんだっ!!

 頼む、頼むから、無邪気に俺の理性を試すのはやめてくれ……。昔みたいな無邪気な子供じゃないのだから。


「雪音! 俺は──」

「……ひろちゃん。ユキは、ひろちゃんが大好きだよ」


 これはヤバイ。真面目な顔で俺を真っ直ぐに見つめてくる雪音の瞳は、兄貴に対する家族としての「好き」じゃない。


 ……確かに俺達は血の繋がりはないんだから、考え方によってはありかも知れない。

 だからって、身近な相手で済まそうとかダメだろ。雪音も俺も、もっと色々……!


 俺は振り返り、雪音の肩をがしっと掴む。


「雪音、俺とお前は兄妹なんだ。分かるだろうそれくらい。だから」

「分かるよ! だからね、ひろちゃんがお兄ちゃんだから、お願いがあるの……」


 お願い? 一体何だそれは。

 嫌な予感しかしない……。


「何だよ」



「ユキのおっぱいを大きくして!」



「……ハイ?」


 小さな唇から発せられた言葉は、聞き間違いかと思った。俺もついに耳まで逝ってしまったかと。

 念のためにもう一度聞くと、雪音は真剣な顔で俺の腕を掴むと当然のように自分の胸へと誘導してきた。


「彩ちゃんが、おっぱい大きくて羨ましいの。どうやったら大きくなるの?って聞いたら、男の人に揉んでもらうといいんだって!」


 何、だと……!?


 そんなウソ情報で雪音をたぶらかさないでくれ! こいつは恐ろしく人の話を疑わないのだから。

 雪音は今でもサンタクロースを信じているような純粋な心を持っている。


 本当に困った。さてどこで訂正するべきか。


 むにゅっとした柔らかい感触に、俺ははっと我に返った。


「……って、何してんだ!」

「ひろちゃんに揉まれたいの! だって他の人に頼めないじゃない」

「当たり前だろっ! 何だよ『他の人』って……そういうのは”好きな人”に揉んでもらわないと!」


 あ、しまった。今のは間違いなく禁止言葉だ。


 当たり前だが、言ってしまった言葉は訂正できない。目の前の雪音の顔が今にも泣きそうなくらい歪んでいくのがわかる。


「ひろちゃんは、ユキのこと嫌い? 嫌いなの?!」

「違う! そうじゃないけど……あぁぁ……もう……」


 こうなったら堂々巡りは止まらない。きっと正論をぶつけても、雪音は絶対に納得しないだろう。


「俺が揉んでも大きくなんてならねーぞ?」

「どうして?」


 今更だが、きちんと保険体育の授業を聞いていればよかったと思う。

 大学受験に関係無さそうなことは覚えていない。どう返そうか悩む俺に、白い動物が降臨した。


「そうだ! 牛乳だよ、牛乳!」


 給食のメニューにくっついていたあの神の産物! 思い出した俺、マジでグッジョブ!!

 しかし雪音は訝し気にこちらを見ており、納得する気配を見せない。


「ええー。絶対嘘だ……」

「いや、俺が揉むよりも絶対効果あるって!何たって牛さんの力だからな? な?!」

「じゃあ、頑張って牛乳毎日飲む。嫌いだけど……」


 雪音はかなり不貞腐れていたが、これで俺の首の皮一枚が繋がった。

 やれやれ、これで妹に欲情しなくて済んだ……全身から噴き出ていた冷や汗がすっと引けていくのがわかる。


「ひろちゃん、牛乳一ヶ月で効果なかったらユキのおっぱい大きくしてね? 約束だよ?」

「いや、牛さんだって一ヶ月じゃ成長しないだろ!」

「じゃあ嘘なんだ。やっぱりひろちゃんに揉んで……」

「何とかなるだろ! とりあえず頑張って飲め!」


 顔がヒクつくのを誤魔化すことが出来ない。無邪気に他の男に身体を差し出されても困るし、学校の教師とかに言っても問題になるだろう。


 何かマトモな言い訳を考えながら、俺はなかなか茹で上がらないパスタを菜箸で回していた。

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