ウィンタースポーツ


「北海道スキー教室、1泊2日……」

「なにそれ、ユキ行きたい! 行きたいっ!」


 変な虫はいない、魚介類は美味しい、そして何よりも空気も水も美味い。

 盆休みで帰省する北海道はバカンスのようだ。しかし──。


「冬は寒いんだよなあ……」


 東京の冬休みは非常に短い。母さんも纏まった連休を取るのが難しいので、俺達が祖父母に会いにいくのは夏が多い。

 俺が寒いの嫌いだからという秘密の理由は知られていないからそっとそのままにしておこう……。


 因みに、このスキー教室の話は父さんの常連客として乗ってくれる叔母様がくれた割引のチラシらしい。


 通常であれば宿泊・講義料混みで子供料金15000円かかるところが、何と半額で行けるとか。


「せっかくだし、弘樹。雪音と一緒に行って来るか?」

「えっ……2人で~??」


 せめて両親どちらか同行してくれるのならば安なのだが。

 この自由奔放の雪音と2人で旅行なんて──不安しかない。


 しかし雪音の心は、既にゲレンデへと旅立っているようだ。キラキラと輝いた目でこちらを見つめている。

 

「ひろちゃん! ユキ、行きたいっ!!」

「……はぃはぃ……父さん、手配お願いします……」


 ────────


「結構人いるんだなあ。はぐれるなよ?」

「はぁ~い!」


 俺は値段しか見ていなかったので、受講人数がどれくらいなのか全く把握していなかった。何と言っても流石、雪の国北海道。


 上級者コースの方に目を向けると、プロ級の人達が、黄色い歓声を浴びて滑っている。


「うお〜。カッコイイな。俺もあんなのやりたい」

「……ひろちゃん、鼻の下伸びてる」

「伸びてないよ」


 受講者にはそれぞれインストラクターがつき、ほぼマンツーマンに近い形で教えてくれる。

 俺達についたインストラクターは、茶髪にぱっちり二重の綺麗なお姉さんだった。


「今日から2日間よろしくね。私は楠 まりです」

「よろしくお願いします。俺は雨宮 弘樹。こっちは桜田 雪音」

「……お願いします」


 インストラクターが北の美人、しかも女性という理由から雪音の機嫌は悪かった。

 だからって、そんなくだらない理由でインストラクターを変えてください──なんて言えるわけがない。


「雪音ちゃん、身長が足りないわねえ……」

「えええ! そんなあ!」


 雪音は平均身長よりも20センチ程低く、小学校高学年に上がっても時々低学年と間違われる。

 スキーに厳密な身長制限は無いのだが、コースによっては上級者やスピードのある人もいるので、安全に配慮して今回は身長制限も加えているのだという。


「ミニスキーでいいだろ」

「やだやだ! ひろちゃんと一緒がいい!」

「俺は普通のスキーがいいよ。だって、教えて貰える機会なんて滅多にないし」

「ひろちゃんのバカ!」


 ──結局、雪音はご機嫌斜めとなったが仕方ない。


「じゃ、まずはボーゲンやってみましょう。こうやってハの字にするのね……」

「……ハの字、ですか?」

「うん、先端こぶし2個分くらい開けて、内股にしてみて?」

「わ、わ!?」


 俺は不器用なんだろうか……。スキーの先端同士がくっついてしまい、後ろに転びそうになっていた。


「これが基本で、減速をして自分の怖くない速度を保てる滑走方法なの。見た目はちょいダサイと思うかも知れないけど、格好つけて大怪我したってしょうがないでしょ?」

「はい」


 違うチームの人達が、初心者コースの緩い傾斜を滑っていく姿を見て、俺もいよいよ実践に移ることになった。


「スピード調整は少しでも怖いと思ったら、かかとを広げて減速すること。拳2個分は忘れちゃダメよ」


 坂は当たり前だが速度がつく。平地とは全く違うようだ。


「わっわっ!?」

「弘樹君、ボーゲン忘れてるよ! ハの字ハの字」

「そ、そんな!?」


 冷静な判断が出来なくなっていた俺は、転ぶ寸前でまり先生に助けられた。

 まだ傾斜は緩やかなので、少しずつ体制を立て直す。


「弘樹君、大分いい感じよ」

「ありがとうございます。俺、ちょっと雪音の方見てきていいですか?」

「ふふっ。いってらっしゃい。いいお兄ちゃんね」


 少し離れた場所にあるミニスキーの方は、幼稚園児から小学生まで親子連れが殆どだ。

 専属のインストラクターがつくし、雪にあまり触れていない子からしてみたら、相当楽しいイベントだろう。


 雪音を探すものの、はぐれないように目印にしていた赤いボンボンのついた少し大きめのニット帽が見えない。


「あれ? 先生……雪音は」

「雪音ちゃんはさっきトイレに行くって居なくなったけど、随分戻ってこないわねえ……」


 流石に女性トイレに入るわけにはいかないので、俺はトイレの外で待つことにした。

 数分後に先生と一緒に出て来た雪音は、何故か目を真っ赤にして泣いていた。


「ど、どうした雪音……どこか怪我でもしたのか?」

「違う」

「お腹空いたのか? 確かもうすぐお昼……」

「違うの」


 ポロポロと雪音の瞳から大粒の涙が零れおちる。顔をくしゃくしゃにしながら泣く雪音の気持ちが分からない。


「なんだよ、どうして泣いてるんだ」

「うぅっ……ひろちゃんと一緒に遊びたいぃ」


 鼻水を垂らして泣く雪を抱きしめ、よしよしと宥める。

 それから俺は結局ミニスキーに行きますとまり先生に告げた。


 スキー板の長さは違うくらいで、どちらかと言えば複雑さが無い分楽だった。


「わぷ」

「スピード出し過ぎだって。ほら、口に雪ついてる」


 勢いよく転んでもケラケラと楽しそうに笑う雪を見ていると、来て良かったな。としみじみ思う。


 周りは家族連れが多いのに、俺は雪音を泣かせてしまったことと1人ぼっちにさせたことを反省した。


「ひろちゃん~早く~!」

「はぃはぃ。今行きますって──っと」


 俺は雪音のところにたどり着く前に、バランスを崩して転んでしまった。

 そんな雪まみれになっている俺の姿を見て、雪音が白い歯を見せて楽しそうに笑う。


「雪音だってさっき転んだろ。よし、時間的に次でラストだから……リフトまで競争だ」

「あ! ずるいよひろちゃんっ! 待って」


 俺を追いかける雪音がぼふっと転ぶ。


「何やってんだか」

「えへへ。ひろちゃんのおてて、あったかいね」

「グローブつけてんのに? しっかり手握ってろよ」


 雪音は嬉しそうに微笑みながら俺の手を掴んでいた。


 ──久しぶりに握った雪音の手は、ほんの少し大きくなった気がする。




 楽しかった1泊2日の北海道旅行だが、俺は自分の部屋で激痛に悩まされていた。

 普段使っていない筋肉を使ったせいで、俺の身体は悲鳴をあげていた。


「ひろちゃん、これ貼ったら?」

「うぉ!? つ、つめて!」


 湿布を俺の身体あちこちに楽しそうに貼る雪音は、筋肉痛など無縁のようだ。


「うう……イテェ」

「痛いの、痛いの、飛んでけ〜」


 背中をさすってくれる雪音の手が暖かい。


 触れられた部分がじんわりと熱を持ち、痛みが消えていく。

 ずっと小さいと思っていた妹の手と優しさが、この時は大きく感じた。

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