花火大会
夏の風物詩、花火大会。
アパートに住んでいた頃はとても行ける距離では無かったし、わざわざ人混みの中を父さんに車を出してもらうのも忍びなかったのでテレビや音だけ聞いて毎年楽しんでいた。
今年はと言うと──。新しい家から花火大会の会場まで徒歩30分程。見に行けるかも知れないという期待に胸が膨らむ。
「ママ、これお腹苦しいよ」
「雪音、浴衣はしっかり帯締めないと。緩ませて着崩れしたら直せないでしょう?」
「うぅ〜」
「別に着なくてもいいのよ?」
「やだやだ! ひろちゃんに見せるの!」
珍しく早く帰宅した母さんが雪音の浴衣を着つけしてくれていた。
金魚の刺繍が入った白い浴衣に赤い帯。頭には母さんのものか金色の高級そうな簪を刺している。
一方の俺は濃紺の甚平。夏らしくて麻は肌触りも最高。
「ひろちゃん! どお?」
少し薄化粧をした雪音が微笑むと、いつもと違う雰囲気で、俺は不覚にもドキッとしてしまった。
────────
「ひろちゃん、人が多いね」
予想通り花火大会の会場は賑わいを見せていた。俺ははぐれないように雪音の小さな手をしっかり握りしめる。すると隣の手が嬉しそうに指を絡めて頰を赤く染めていた。何だろう──やっぱり浴衣って暑いのかな。
「7時30分から花火だって。それまで屋台でも見て回るか?」
「うんっ!」
まだ時刻は6時。十分時間に余裕はあるので屋台を回る。
花火大会といえば、もっと小さい頃に父さんに連れてきてもらったくらいしか記憶がない。
勿論覚えてないけど、間近で聞こえた打ち上がる花火の轟音にびっくりして泣いてたって後から聞いた。
好奇心旺盛な雪音は、大きな花火を見て目を丸くするだろう。
雪音も、驚いて泣くだろうか?
今からその反応が楽しみだとひっそり心の中で呟きながら、雪音が金魚すくいで格闘している姿を背後からそっと見つめる。
「ひろちゃん、これ難しいよ……」
浴衣の袖を捲り、店員のおじさんからレクチャーを受けているにも関わらず、出来ないと嘆く雪音。そんなふて腐れた顔もどことなく可愛らしい。
「こういうのはコツがあるんだよ。水の中に網を出来るだけ入れないようにして……ほい」
「うわーすごい!」
網の上で一度跳ねた金魚はそのままボールの中に入り込んだ。踊るようなその動きに雪音は目を輝かせている。
「お嬢ちゃんも頑張ったから、もう1匹おまけだよ」
「いいの? ありがとうおっちゃん!」
雪音は嬉しそうに俺の腕にしがみついてきた。
「えへへ。2匹になってよかったぁ。ひろちゃんとユキみたいだね」
「……これ、どっちも雌らしいぞ?」
「そういうのはいいの! これで寂しくないよ」
確かに1匹だけ飼うよりも2匹の方が見た目もいいし、金魚も寂しくないだろう。
帰ったら水槽を掃除して金魚をどうするか考えなきゃな──。
そんなことを考えていると、隣のお姫様がくいくいと甚平の袖を引っ張ってきた。
「次はどこ行くの?」
「そうだなぁ……」
早めに家を出てきたから少しお腹が空いてきたような気がする。鼻腔を擽るご飯の香り。
「雪音、ちょっと待ってろ。焼きそば買ってくるから」
「うんっ!」
5分程して雪音のところに戻るとそこに雪音の姿がない。まさか、この人混みではぐれたかと血の気が引く。
「雪音ー!」
返事はなく、俺の声もすぐに人混みで搔き消える。路地の方に行ってみると、浴衣の裾が汚れるのも気にせずに、しゃがんで泣いている雪音の姿があった。
「よかった……ここにいたのか」
顔をくしゃくしゃにして泣いていたその姿に胸が痛む。一体何があったのだろう──。
くるりと振り返った雪音は眉をハの字にして、そのまま俺の胸に飛び込んでくる。
「ひろちゃあああん! ごめんね、ごめんね、金魚さん……死んじゃった」
「え?」
人にぶつかって、金魚の入った袋を落としてしまったらしい。
心ない人がそれに気づかずに踏んでしまった為、水がはじけてそのまま──というわけだ。
目の前で苦しそうに生き絶えた金魚を見つめ、そのまま立ち直れなくてここで泣いていたのだろう。
こんな人混みだというのに、数分とは言え、雪音を独りぼっちにさせた自分にも責任がある。
「ごめんな、1人にさせて」
ぽんぽん、と頭を撫でると泣いていた雪音が顔を上げた。
「こんなに雪音が泣いてくれたんだもん。金魚さんも報われたよ」
「……ひろちゃんに貰ったのに……」
「仕方ないだろう、これは。ほら焼きそば買ってきたから、あっちの人少ない方いこう」
まだ項垂れている雪音の手を引きながら、屋台の裏通りにある段ボールに座る。そこで俺達は遅い夕飯となる焼きそばを食べていた。
「焼きそば、おいちいね」
「泣くか、笑うかどっちかにしろよ」
雪音は口の周りにソースをつけ、焼きそばをもくもくと口の中に含みながら泣き笑いしていた。
鼻水を垂らしながら、焼きそばを美味しそうに食べる雪音の涙を指の腹で拭ってやる。
──そろそろ花火の時間が近いのか、人の波が移動を始める。各々が花火のよく見えるポジションを知っているのだろう。
「雪音、移動するか?」
「……花火はいいよ」
「じゃあ、もう少し屋台回ろうか。さっきより人減るはず」
「あ! パパとママにお土産買って帰ろう」
買いたいものを見つけたらしい。分かりやすい雪音はりんご飴の屋台前で目を輝かせている。
「ひろちゃん、これにしよっ」
「はいはい」
両親と、雪音の分のりんご飴を買って袋に入れてもらう。
突然腹の底に響くような音に、雪音は思わず後ろを振り返った。周囲の建物に阻まれて、何も見えないが轟音は続いている。
花火が始まったのだろう。歓喜の声が響く。俺は無言で雪音の手を引き、少し遠いけど花火が見える場所まで移動する。
ドォーン──。
ひと際大きな音と共に巨大な花が咲く。
雪音は泣くどころか、初めて見た光景に目を輝かせていた。
「ひろちゃん、あれなに?」
「うーん菊? 牡丹……だっけ」
花火大会に3万人以上の人が観に来ているだろう。数分の間に、自分らの後ろまで人波が続いている。
これから帰ることを考えると、早めに移動した方がよさそうだ。
「雪音、悪いけど次あがったら帰ろう」
「うんっ! ──いたっ」
階段で躓いた雪音に発生したトラブル。よくみると、下駄の鼻緒がぷつりと切れていた。
「この階段あがったらおぶるから、りんご飴とその下駄は持ってな」
「……うん」
俺に迷惑をかけるのは申し訳ないと思っていたのだろうか、いつもより歯切れの悪い雪音の返答に少しだけ驚く。
いつもであればおんぶ、おんぶとあちらからせがんでくるのに妙にしおらしい。
「ひろちゃん、ごめんね」
「何が?」
鼻緒が切れて歩けないのだから兄ちゃんが妹を助けるのは当たり前のことだ。ましてこんな人込みでタクシーなんて使えないし。
それに、父さんも今日は仕事中だから電話で呼ぶのも申し訳ない。
「ひろちゃん、花火綺麗だったね」
「……そうだな」
「……ねえ、ひろちゃん」
「何だよ……」
遠くの方から打ち上がる花火の音だけが聞こえる。
3秒の沈黙のあと。
「ありがと」
ぎゅっとしがみついてきた雪音を落とさないように、俺はおぶっていた手を組み直す。
「どういたしまして」
雪音の顔は見えないが、背中から感じる体温はかなり上がっている。
もしかしたら浴衣姿なのにお兄ちゃんにおんぶしてもらっている自分の姿が恥ずかしいのかもしれない。
──来年は下駄じゃなくていいや。
もう一回、雪音に金魚すくいのリベンジをさせよう。
今度は2匹仲良く金魚を飼おう。
それから──もう少しだけ、雪音と一緒に花火を見よう。
心臓に響く心地よい轟音を聞きながら、来年への想いを馳せて。
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