絵日記
8月30日。天気──晴れ。
今日は、ユキと、ひろちゃんと、パパと、はじめて海に行きました。
────────
「ひろちゃーん! 早くー!」
2時間車内で変な歌を歌っていたにも関わらず、雪音は元気だ。
父さんが駐車場に車を止めた瞬間、雪音はまだ膨らませてもいない浮き輪を持ち、浜辺へと駆けだしていった。
青い海に、白い砂浜──とまでは行かないが、この季節はそれなりに整備が整っている。
海の家やピーチパラソルに感動しながら雪音は1人で喜んでいるようだ。
「父さん、雪音って泳げるのかな?」
「さあ……母さんの話だと、海は初めてらしいからなあ」
「ひろちゃん、これぺちゃんこだよ」
「だから、待てっての……」
俺のパーカーをくいくい引っ張る雪音は早く海に入りたいのか、しぼんだままの浮き輪を胴体に巻きつけている。
「あのさ……膨らませにくいから、いったん外して?」
「はーい!」
スイカ柄の浮き輪を膨らませ終えた俺は、夜勤明けの父さんが休めるようにパラソルを立てる。
ほんの一瞬、目を離した隙に雪音はポテポテ走りながら既に海に入っていた。
「雪音! 待てって……!」
「きゃはは! ざぱーん! ざぱーん!」
くそ、こんな時に砂浜の貝殻やゴミが足に刺さる。なんでこんなにみんなマナーが悪いんだ……せっかくみんなで楽しめる海なのに。
よろよろと雪音を追いかけて浅い場所まで近づくと、捕まったと何故か嬉しそうに笑う雪音。
「ひろちゃん、あれなあに?」
「ああ、サーフィンって言って、波にうまくこう……ボードで」
ジェスチャーも交えてサーファーの説明するものの、理解できないのか雪音は浮き輪でぷかぷか浮いたまま小首を傾げている。
「ひろちゃんもやって?」
「無理だよ、あんな難しいことそんな簡単に出来ない」
「ちぇ〜」
「残念がっても無理なものは無理」
「ひろちゃん、波に乗りたい!」
「はぁ!?」
突拍子も無い事を言う雪音に思わず俺も素っ頓狂な声をあげてしまった。今、波乗りは無理だって説明したばかりなのに……。
とはいえ、低い波に打たれるくらいなら何とかなるか?
俺は雪音の浮き輪を掴み、ギリギリ足がつく所まで泳いだ。
後は波が来るのを待って、攫われないようにロープに掴まって……。
「ひろちゃん! あれ波? 波?」
「おお、きたきた。目、瞑ってろよ」
丁度近くにいた同年代くらいの子供達もきゃあきゃあ叫びながら波に打たれる。
雪音は人生初めての波を頭から被り、口をぽかんと開けていた。
「雪音?」
「……」
「お、おい?」
「……」
呆然としている雪音の様子がおかしい。まさか、何か病気か? ええっと、海でよくある病気ってなんだっけ……と、とにかく父さんの所に──。
「……ひろちゃん」
「なんだ? 雪音、どっか具合悪いか?」
「楽しい!!!」
瞳を輝かせて満面の笑みを向ける雪音に、俺は海面だというのにズッコケそうになった。
「そうか……よかったな……」
「もう一回波乗りしたい!」
「これは波乗りじゃないんだけどなあ……」
はしゃぐ雪音の絵日記の足しになれば、と俺達はもう一度波が来るのをひたすら待つ。
「ねぇねぇひろちゃん、ぷかぷかいないかな?」
「クラゲか?刺されたらなんか痒いらしいから居ない方がいいんじゃないか?」
全てのクラゲが毒を持つ訳では無いのだが──。どうせなら何事もないに尽きる。
結局その後3回波を頭から被り、俺達は休憩中の父さんの所へと戻る。すると──。
「いってええ!!」
クラゲかと思いきや、小さなザリガニらしきものがさっと駆けていった。
一瞬の痛みだけで、傷はなかった。それに安心した俺は父さんの所へと戻る。
「スナガニかも知れないなあ」
「スナガニ?」
「綺麗な砂浜にはいるらしいぞ。でもな、昼間は警戒心が強いから人前に出て来ることはないって聞くけどなあ」
「ひろちゃんはカニさんに食べられたの?」
「うーん……ちょっと違うけど、そういうことなのかな?」
「えへへ。これでユキの絵日記書けそう」
夏休みの課題である雪音の絵日記。
最後の1ページは、俺がカニに足を挟まれたイラストで締めくくられていた。
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