一緒に入りたいの


 俺が住んでいるアパートは築50年以上の都営住宅。

 何度か増改築をしてきたらしいが、耐久性の難があるとかで、来年解体されるらしい。


 生まれてから11年住んだオンボロアパートとは言え、思い出の家が無くなるのはやはり寂しいものだ。

 その間両親は、どこか借家に入るか、いっそ家を買うかということで悩んでいた。


 俺は今年中学に上がるので転校しても困らないが、雪音は小学校の微妙な時期だ。

 折角できた女友達とも離れることになってしまう。


「弘樹、雪音。転校して新しい部屋を持つのと、今の学校のまま借家で待つのとどっちがいいか?」

「俺は何処でもいいよ。新しい環境の方が友達も出来るだろうし」

「雪音は?」


 残るは雪音の気持ち。小学4年生という微妙な時期。ふわっとした雪音は第一次反抗期とか見られないが、環境が変わるとそれもどうなるか──。


「ユキはひろちゃんと一緒ならどこでもいいよ?」

「いや……俺は中学校だから雪音と一緒に登校は出来ないぞ?」

「えええ? じゃあ嫌だ」


 クッションを胸に抱き即答で否定する雪音。今まで通り学校は一緒だと勘違いしているらしい。


「あのな、雪音……アパートが完成するまでここで待っていても、俺と雪音は中学校と小学校だから行き先は違うんだぞ?」

「ひろちゃん、卒業しちゃうの?」

「そうそう。卒業式で6年生を見送ってきただろ。あれだよ」


 3歳離れているという実感があまり無くて忘れていたのか。

 それとも、俺が学校の生徒会に入ってから、以前より雪音との関わりが減っていたのも理由の1つかも知れない。


「……じゃあユキ、新しいお家がいい……」

「決まりだな」


 両親は長年貯めたお金で、老後も住めるような一軒家を建てるらしい。


 一軒家……つまり、念願のお風呂が家につく。

 お風呂がつくということは、もう雪音を罪悪感にかられながら男湯に連れ出す必要がなくなるのだ。


 9歳になる雪音は未だに男湯ののれんをくぐっていた。

 流石に番台がいつものおばちゃんではなく、娘さんの時は慌てて止めてくれるのだが、3回に1回の割合で男湯に紛れ込んでいる。

 そしてお決まりのように「ひろちゃんと一緒に入る!」と泣き喚き、女湯に連行された時は本当に風呂に入ったのか疑いたくなるくらい早く上がる。


 家が完成するまでの数ヶ月──。


 これで、雪音の日々成長していく裸を見なくて済む!

 流石に兄ちゃんだって辛いんだよ……ちょっとずつ、女として成長していく雪音を側で見るのは……。


 ────────


 真っ白なタイルに同じく白い壁。淡い光を放つ丸みのあるライト。そして、新築という独特の香り。

 ここに入浴剤を入れて、さらにゆっくりと肩まで浸かる。


「はぁ〜……家の風呂って最高」


 銭湯は嫌いでは無かったが、やはり人の目というものが気になる。

 しかし自宅の風呂であれば好きなタイミング、誰に邪魔されることもない。


「最高……このまま眠れそう」

「ひろちゃ〜ん!」


 ガラリと浴室のドアを開け、至福のひと時を邪魔する突然の来訪者。


「はい!?」

「ひろちゃん、何で隠してるの?」


 身体を洗おうと浴槽から出た瞬間、同じく裸の雪音と目があった。

 俺は慌てて股間を隠したが、羞恥心ゼロの雪音はそんな俺を見て小首を傾げている。


 普通逆だろ、逆!

 頼むから恥じらいを持ってくれ。お前は女の子なんだからっ!


「何で雪音まで来るんだっ! もう、銭湯じゃないんだぞ」

「パパが一緒にお風呂入ってくれないの。ユキとはもうお風呂入れないって」


 顔は寂しそうにくしゃりと歪み、今にも泣き出しそうになっている。そんな悲しそうな雪音を見ると心が痛む。

 とはいえ、娘一筋の父さんが風呂を嫌がるということは……何か嫌な予感しかしない。


 俺は仕方ないとため息をつき、突っ立ってる雪音を浴室へ誘導した。


「……先に風呂入りな。俺身体洗ってるから。風邪引くだろ」

「やった! ひろちゃんありがとう」


 俺が髪を洗っている間、風呂で遊ぶ雪音。謎のクラゲと100まで数える歌を歌い、50を数えたところでぴたりと止める。


「ねぇねぇ、ひろちゃんも入りなよ」

「お前がいるから入れないだろ……狭いし」

「大丈夫だよ、ほら」


 雪音は湯船の中で体育座りをしていた。隣に同じ格好で座れるよう、浴槽の空きスペースを作っているのだろう。


 好意を無碍にするのも気が引ける……狭いとは分かっているのだが、仕方なくそこに足を入れる。

 入浴剤で白い湯船の中で、一瞬だけ赤い何かが蠢いた。


「ん……? 雪音、何かいる……」


 まさか新手の虫かと思い、動く何かを掴む。すると、俺の手は鋭いはさみに肉を抉るように摘まれた。


「いってえええええ!!!」


 慌ててそれを持ち上げると、なにやら赤い物体が。


 どこから忍び込んだのか。意外とでかいザリガニが、しっかりと俺の手を挟んでいた。


 何故か雪は嬉しそうにこちらを見つめている。──まさか、確信犯なのか?


「……雪音、これは一体何かな?」

「理科の授業で育てたザリザリちゃんだよ? ユキがずっとお世話してたの。えへへ、可愛いでしょ?」

「ザリザリちゃんだよ? じゃなくて! 何で風呂の中にこんなもの……」


 まさか、雪音と風呂に入れないと嘆いた父はもしかして……。

 ──浮かんだ恐ろしい想像を俺は頭を振って打ち消した。


「雪音、身体洗いな。あと、ザリザリちゃんも風呂から出して」

「はーい」


 素直な雪音が身体を洗っている間に、俺はザリガニを野生へ返す。可哀想だが、これ以上俺と父さんに被害を及ぼされては困る。


「みてみて、ひろちゃん! 水鉄砲できるね!」

「目に向けるなよ? 入浴剤入れてるんだから。こら、やめろって」


 新しい風呂でもマイペースに遊ぶ雪音は、年を重ねても無邪気で何一つ変わらない。


 ただ、俺と風呂に入りたがるのはどうなのだろう──。

 それからも雪音は俺が風呂に入っているタイミングを見計らうかのようにやってくる。


 俺が夢みていた1人でゆっくりと風呂に入るという時間は、僅か数日で無くなったのである。

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