8話

「待っててくれるんじゃなかったの?」

 飛び降りようとした腕がつかまれた。いつもの鼓膜をなでるような優しい声。ヒナツは振り向いた。


「あ、りかわ……?」

 足元に落ちているノートは、いつも彼が顔を隠すために使っているものだ。


「そうだよ。今まで言えなくてごめん」

 有川は、ヒナツが彼の自殺を止めたあの日のように、ヒナツの頬を撫でて涙をぬぐう。

「俺のこと、置いてかないでよ」


「だって、有川がさっさと来ないのが悪いんじゃん。もう十月だよ……」


 ごめん、そう言って有川は微笑む。けれど、ヒナツはもう彼に笑い返せない。



 もうどうすればいいのかわからない。ありかわぁ、そう呟きながら子供がぐずるように泣くだけだった。傍から見たら、きっと恐ろしく情けないに違いない。少し前までのヒナツであればだれにも見せなかったであろう涙だ。

 

「榊さんは泣いた顔もかわいいけどさ、やっぱり笑ったほうがいいよ」


 その言葉でヒナツはまた泣き出す。


「も、うう、笑えっ、ないのぉ」

 しゃくりあげながら、ヒナツは悪態をつくように言った。足の力が抜けて膝から崩れ落ちる。有川は饒舌なくせに、ひきこもりらしく対人能力は低いらしい。膝をついて座り込むヒナツをおろおろと見ていた。


「わたしっ、ほんとは……」

 ヒナツ有川にすべてを話した。もう、何もかもどうでもよく思えて。今までの猫をかぶって積み上げてきたイメージを有川に持っていてほしくなかった。本当の自分はこんなにも情けない。

 嫌いになってほしかった。もう優しくなんてしてほしくなかった。

 彼と一緒だと生きる理由ができてしまう。


 笑いたくても笑えないこと。好意を言葉にすると暴言になってしまうこと。今までキャラを作っていたこと。一人ぼっちが怖くてたまらないこと。本当は無理して笑うのが辛かったこと。将来が不安で、死んでしまいたいこと。小学校の時友達ができずいじめられていたことまで全て話した。

 何度も何度もしゃくりあげて、めちゃくちゃに話した。そうとう聞き取りづらかっただろう。それでも有川はうなずきながら黙って聞いていてくれた。


「榊さん、死んじゃおっか」

 有川は笑顔で言った。ヒナツは黙ってうなずいた.

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