4話

 悪夢から、とうとう二週間。

 ヒナツにとって会話らしい会話といえば、昼休みの彼との密会だけとなった。ヒナツを心配して話しかける者などもういない。

 それでも、その間中、彼は毎日会いに来た。


「なんで私なんか見てたの?」


 なんとなくヒナツは聞いてみる。 


「俺、きっと変態なんだよ」

 顔を隠す手がノートに変わってガードは固くなってしまったが、ヒナツにはその言葉とともに彼が自嘲的に笑ったように見えた。


「知ってる」

 ヒナツは、言葉が形を変えてしまわないよう慎重に話す。


「それでも、いいの」

 

「変わってる」

 笑いの混じった声で彼が言う。


「変わってるよ。おかしくなってなければ、あんなふうになってない」

 ヒナツはそう言おうと思ったけれど、なんとなくやめて冗談めかして笑った。

あんなふうに周りから隔絶されることもなかった。居場所、友達、信頼。たくさんを失うことも。


 「あなたも、十分変わってるよ」

 __こんな私といっしょにいるなんて。


 正直でいられる人。居心地の良さ。

 屋上は、なによりも素敵な場所だった。

 だからこそ、ヒナツはそれを失うのが怖いと、自身にも、信頼するその人に対しても臆病になる。

 名前も教えてもらってない。顔もわからない。それでも、今までのどんな友達より幸せな気持ちにさせてくれたから。この、最悪な神からの罰も、この人と出会うために必要なことだったのだと思えたから。


 大事だからこそ、彼女は少しずつ嘘を重ねて、本心を隠した。

 



 そして、彼女は今日も屋上に赴く。いつだって先に屋上へ来ては待っていてくれている彼に、今日もヒナツは元気に声をかけようとする。しかし、ドアを開けた瞬間、仰天してしまってそれどころではなくなった。

「は、」


 いつもは搭屋に背を預けて、座っている彼が今日はその場所にいない。その先、フェンスを乗り越えた屋上のへりに彼の姿はあった。

「早まるな! ばかああ!!」

 脱兎のごとく駆けだして、フェンスの隙間からそのYシャツの袖をつかんだ。


「死んだりしないよ」

 やっぱり、顔の前のノートは健在で、そののんきな姿になんとなく笑ってしまった。


「だから、泣かないで」


「泣いてない……」


 笑っていたはずなのに、ふと触った頬は濡れていた。誰のせいだ、と強く目元を拭う。


「もうやらないで」


「榊さんは泣いた顔もかわいいよね」

 フェンスを乗り越えて屋上に戻り、ヒナツの濡れた頬をそっと撫でた彼は、慰めの言葉をかけながらも、もうしない、そのたった一言を頑なに口にしようとはしなかった。





 





 

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