3話

 ありがとうが罵りに、ごめんねが舌打ちに変わる。大好きが拒絶に変わる。彼女が、他者に振りまく幸福は呪いに変わる。

 親や教師は勝手な病名を下して、彼女を更生させようと努めた。遅れて来た反抗期。反抗したい年頃。そうやって既存の子供たちの型にはめようとする。

「私は、そのどれとも違うのに」

 暴言も拒絶も、彼女の意志ではない。まるで神が彼女を孤立させようと企んでいるようだ。


 悪夢を見たあの日からもう一週間が経過した。最初のうちは、親や先生は何も言ってはこなかった。ヒナツが話す言葉がノイズのように聞こえていたらしい。それが、三日が経過したころ、ヒナツは教師に激しく叱咤された。

「その口の利き方はなんだ!!」

 怒らなかったら、むしろおかしいくらいだ。

「だらだら話してんじゃねーよ。うぜーんだよ、ハゲ」

 今まで優等生を気取っていたこともあって、教師はしつこくヒナツの変化の真相を探ろうとした。ヒナツはにっこり笑って大丈夫、心配いらないと伝えたが、教師にはどう伝わったやら。もう二度と聞いてくることはなかった。

 ヒナツが暴言を吐く数は減った。そのころには、心配して声をかける生徒もいなくなっていたからだ。


 そして、今日もヒナツは屋上に続く階段に腰をかけ、一人で昼食をとるのだ。

「あ、榊さん……」

 ふいに、屋上の扉が開いて誰か出てきたようだ。声からして男子生徒。名前を呼ばれてヒナツが振り向くと、出てきた彼は驚きの俊敏さを見せてさっと顔を覆った。

「誰?」

 もじもじと、はっきりしない態度にヒナツは少しだけ苛立った。にっこり。他人ひとには悪魔に見えるであろう笑顔を向けてやった。

 しかし、返ってきたのは予想外の答えだった。

「大丈夫ですか? 榊さん」

 毒気を抜かれたヒナツは素っ頓狂に声を漏らす。

「なに、が?」

 顔が見えず、何を考えているか見当もつかない部分に恐怖を覚えた。ほんとうは何もかも見透かされてるのではないか。かつて優等生ぶっていた心の内も、数日前起きた変化の真相も。質問に質問を返されるのは確かに不快だ。それでも、今のヒナツにとっては、彼が何をもって大丈夫かと問うたのか、そのことのほうがよほど重大だった。

「今日までの間、ずっと見てました。なんだか声を出すのを怖がっているような感じがして……。あれは本心じゃなかったんですよね……?」


__見てた? なんなの?

 覚えたのはストーカーに対する軽蔑。それに混ざってほんのわずかな、理解者の現れによる安心。変質者への恐怖からか、重荷を降ろされたような安堵の弱みからか。ヒナツはそれを強く否定することはできなかった。


「……一人のお弁当っておいしくないよね。あのね、よかったら、ごはん、一緒に食べてくれる?」

 ヒナツが彼の問いかけに答えることはなかった。しかし、それはお互い様だろう。彼は、その手で顔を覆ったまま、ゆっくりとうなずいた。 

 

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