第三十六幕:太陽を想う虹と
夜遅く突然風水に来た天美さん。七夏ちゃんの姿を見るなり大きな声で泣き出した。七夏ちゃんは、天美さんを優しく抱きしめている。俺はただその場で何も出来ないままでいた。
凪咲「どうしたの? 心桜さん!?」
心桜「うう・・・」
凪咲「・・・・・」
天美さんの泣き声で凪咲さんも姿を見せるが、七夏ちゃんと天美さんの様子を見て、そのまま居間へと姿を消した。それを見て俺も凪咲さんの後を追うように居間へと移動する。七夏ちゃんや天美さんに声を掛けると思っていた凪咲さんが、二人を見てすぐに移動した理由に何か意味があるはずだ。
凪咲さんに小声で訊いてみる。
時崎「凪咲さん」
凪咲「今は、七夏に任せておけばいいわ」
時崎「何があったのかは分からないけど、心桜さんが落ちつくまでは、大人は黙ってる方がいいと思うの」
結果的に俺も凪咲さんも、天美さんには何も行ってはいないけど、どうしてよいか分からない俺とは全然意味が異なった。
時崎「・・・・・すみません」
凪咲「え!?」
時崎「俺、何も出来なくて・・・」
凪咲「いいのよ」
凪咲さんは、冷静だ。過去にもこのような事があったのかも知れないな。
七夏「お母さん・・・」
しばらくして、七夏ちゃん・・・その後から天美さんも姿を見せる。
凪咲さんは、飲み物を用意してくれた。
天美さんの事が気になり、つい見てしまう。手に何か持っているみたいだけど、あれは何だろう?
心桜「・・・・・」
七夏「柚樹さん・・・」
時崎「え!?」
七夏ちゃんは、天美さんが手にしていた物に手を添えて、俺の方に見せてくれた。
時崎「それは・・・」
小さな木箱・・・宝石箱だろうか? 木箱の角は何かで衝撃を加えたような凹みがあった。
七夏「えっと・・・オルゴール」
時崎「オルゴール?」
七夏「鳴らなくなっちゃったみたいで・・・」
心桜「うぅ・・・」
ようやく、内容が見えてきた。天美さんの泣いていた理由は、このオルゴールだ。だけど、天美さんの様子からすると、よほど大切な物なのだろう。七夏ちゃんが俺に話したい事は分かる。このオルゴールを何とか直せないかという事だろう。
時崎「ちょっと、見せてもらってもいいかな?」
七夏「ここちゃー?」
心桜「・・・うん・・・」
七夏ちゃんから、オルゴールを受け取る。オルゴールは受け取った時点でカラカラと異音がしたので、中の部品が外れてしまったのだと思った。
凪咲「心桜さん。ここに来る事はお家の人に話しているのかしら?」
心桜「・・・・・」
七夏「ここちゃー、今日はもう遅いから、泊まってって☆ お母さん・・・」
凪咲「そうね」
心桜「・・・でも・・・」
天美さんが家に連絡したがっていない様子を、凪咲さんはすぐに察したようだ。
凪咲「心桜さんの家には、私から連絡しておきますから」
心桜「・・・ありがとう・・・ございます・・・つっちゃーも・・・」
七夏「くすっ☆」
家出か・・・壊れたオルゴールと何か関係があるはずだけど、はっきりとした理由もそのうち見えてくるだろう・・・いや、別に見えてこなくてもいい。俺は、いつもの天美さんに戻ってもらいたいだけで、それは七夏ちゃんや凪咲さんも同じ気持ちだと思う。
時崎「オルゴールの事は俺に任せて!」
七夏「え!? 柚樹さん、直せるの?」
心桜「・・・・・」
時崎「なんとかしてみせるよ!」
心桜「でも・・・」
天美さんは元気が無いままだ。
時崎「じゃあ、天美さん。ひとつ条件・・・というか約束、いいかな?」
心桜「・・・約束?」
時崎「明日からは『今まで通り、いつもの天美さんになる事!』」
七夏「・・・・・柚樹さん・・・・・」
時崎「いいかな?」
心桜「・・・・・うん。分かった・・・」
時崎「じゃ、後は俺に任せて、今日は早く寝る事!」
七夏「・・・はい☆ おやすみなさい☆ ここちゃー!」
心桜「・・・おやすみなさい」
時崎「ああ。おやすみ!」
七夏ちゃんに寄り添いながら、二人が七夏ちゃんのお部屋に入ってゆくのを見送る。
心桜「お兄さん・・・」
時崎「え!?」
心桜「・・・ありがと」
時崎「ああ!」
二人は部屋へと姿を消した。
凪咲「柚樹君、色々ありがとうございます」
時崎「いえ、天美さんの家には---」
凪咲「今日も家で泊まりますって、連絡しておいたわ」
時崎「すみません」
凪咲「柚樹君が謝る事はないわ」
時崎「俺、さっき玄関で天美さんを見て、何も出来なくて・・・七夏ちゃんは凄いなって思って・・・」
凪咲「七夏にしか出来ない事、柚樹君にしか出来ない事があると思うわ♪」
時崎「・・・・・」
凪咲「それとも、柚樹君が七夏と同じ事を天美さんにするのかしら?」
時崎「え!? あ・・・いや・・・それは・・・」
凪咲「ごめんなさい。ちょっと困らせてしまったわね」
時崎「凪咲さん・・・」
凪咲さんなりの気遣いだろう。俺が落ち込んでても何も良い事はないはずだ。
凪咲「オルゴールの事、私からもよろしくお願いいたします」
時崎「はい! では、部屋に戻って詳しく見てみます」
凪咲「はい!」
自分の部屋に戻り、オルゴールを分解してみる。直方体の小さな木箱のオルゴール。蓋を開けると左半分にオルゴールのメカが入っていると思われるが、外からその様子は見えない。右半分は小物入れになっており、蓋の内側はキャラクターのイラストが描かれているが、これは写真立てのように自分好みのイラストや写真と交換できるようになっていて、なかなか良いオルゴールだと思う。
壊れたオルゴールは、中のメカの部品が脱落しているだけだと思っていたけど、分解してみると、絶望的な光景だった。風切り羽は外れ、櫛のような部品がバラバラに破損していて、単純な部品の組み直しだけでは直らない事がすぐに分かった。
時崎「これは、結構厄介かも・・・」
MyPadでオルゴールの部品や構造について調べてみる。破損した櫛のような部品は「振動弁」と呼ばれているようで、これが音色を生み出す部品のようだ。いくつかのギヤも脱落している。とりあえず、構造が分かったので組める範囲で組みなおしてみる。
時崎「今、出来る事はここまでか・・・」
オルゴールのぜんまいハンドルを回して演奏させてみる。シリンダーや各ギヤは動作しているようだが、振動弁が破損しているため、本来の演奏は出来ておらず、何の曲かすら分からない。とにかく、破損した振動弁を入手しなければ、この先どうにもならないので、この近くにオルゴール取り扱い店が無いかをMyPadで探してみる。天美さんの為に、なんとかしなければ! 天美さんを喜ばせる事は、七夏ちゃんを喜ばせる事と同じなのだから!
MyPadで調べていると、隣街に手作りオルゴールを販売してるお店がある事が分かった。このお店ならオルゴールの部品も扱っているはず。ただ、このオルゴールの振動弁と同じ部品があるかどうかだ。とにかく、明日はこのお店に急ごう。
オルゴールの蓋を閉める。工具類を片付けていると、トントンと扉が鳴った。扉へ近づき開けると、七夏ちゃんが居た。
時崎「七夏ちゃん?」
七夏「柚樹さん、まだ起きてるの?」
時崎「ああ。どうして?」
七夏「えっと、お部屋の灯りが点いてましたから、まだ起きてるのかなって」
時崎「これから、おやすみするよ。天美さんは?」
七夏「えっと、ここちゃーは、私のお部屋でおやすみしてます☆」
時崎「そうなんだ。七夏ちゃんは、天美さんが眠るまで起きてたの?」
七夏「えっと、ここちゃーと一緒におやすみしてたのですけど、その・・・」
時崎「?」
七夏「くすっ☆」
時崎「七夏ちゃん?」
七夏「ここちゃー、少しお寝相が悪い所があって、私、ベットから落ちそうになって起きちゃいました」
時崎「はは・・・大変だね」
七夏「でも、ぐっすり眠れてるみたいですから☆」
時崎「それで、七夏ちゃんは別のお部屋でお休みするの?」
七夏「いえ、起こさないように、ここちゃーの所に戻ります☆」
時崎「その方がいいと思う」
七夏「え!?」
時崎「起きた時に七夏ちゃんが一緒に居る方が良いと思って!」
七夏「くすっ☆ それじゃ、柚樹さんもお早めにおやすみくださいね☆」
時崎「ああ。おやすみ、七夏ちゃん!」
七夏「おやすみなさいです☆」
俺の部屋の灯りが点いていたからだろう・・・いや、天美さんに起こされたからか、まあ、どっちでもいいか。
時崎「おやすみ。天美さん」
聞こえないと分かっているけど、想いは届くと信じ、明日に備えてお休みすることにした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
時崎「ん・・・今何時だろう?」
時計を手探り確認する。
時崎「四時半過ぎ・・・」
起きるにはまだ早いけど、布団の中に入っていると昨日の出来事を考えてしまう。七夏ちゃんの姿を見るなり、大声で泣き崩れた天美さんが強烈な記憶となっている。それまで、夜店や花火の事で楽しそうに話していた天美さんとは対象的だったから。
目の前で泣いている人を見て、何も出来なかった・・・全く見ず知らずの他人ではないのに!
昨日も思った事だか、一晩休んだくらいでは、このもやもやとした想いは解消しないだろう。やはり、自ら解決に動かなければならない。どんな顔で天美さんと話しをすればいいのだろうか?
今までと同じように普段どおりに話しが出来るだろうか?
時崎「普段どおり・・・」
ここでの「俺の普段どおり」は、アルバム作りを行う事。布団から出て、アルバム制作の続きを始める。今日は七夏ちゃんへのアルバム作りから再開しよう。七夏ちゃんが喜んでくれる事は、絶対天美さんも喜んでくれるはずだ。
しばらくアルバム制作に没頭する。静かな早朝に作業すると集中できる事を実感したけど、これは寝起きで疲れていないからかも知れない。
コンコンと扉が鳴った。こんな朝早くに誰だろう? 扉を開けると---
心桜「おはよー! お兄さんっ!」
時崎「え!? あ、天美さん!?」
そこには、普段どおりの天美さんが居た・・・昨日の事が気になっていただけに呆気に取られていると---
心桜「ん? どしたの? お兄さん?」
時崎「え!? あ、おはよう! 天美さん!」
心桜「いやー、部屋の灯り点いてたから、お兄さん起きてるのかなーと思って」
昨日の七夏ちゃんと同じような事を話している。俺も今までどおりの対応に努める。
時崎「天美さんも、早いね!」
心桜「んー、もう少し寝ときたかったんだけどさ・・・つっちゃーが」
時崎「七夏ちゃんに起こされたの?」
心桜「どうだろ? つっちゃーは、まだ寝てるから」
時崎「どういう事?」
心桜「つっちゃーさ、ちょっと寝相・・・っていうのかな・・・お布団を体に巻き付ける事があって、それで起きちゃった」
時崎「・・・・・」
ここでも、昨日の七夏ちゃんと同じような事を話している。
心桜「あ、今の、つっちゃーには内緒で!」
時崎「了解!」
布団を体に巻きつける七夏ちゃん・・・和室でうたた寝している七夏ちゃんで、俺も見た事があるな。
心桜「危うく、『みのちゃー』に巻き込まれるところだった」
時崎「くく・・・」
心桜「あ、お兄さん笑った!?」
時崎「あ、今の、七夏ちゃんには内緒で!」
心桜「了解~!」
時崎「良かった・・・」
いつもの天美さんを見て、ほっとして出てしまった俺の小声に---
心桜「約束したからね!」
時崎「え!?」
心桜「なんでもないっ!」
天美さんは答えてくれたように思えた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その後、七夏ちゃんも起きてきて、天美さんと一緒に朝食を頂き、普段どおりの一日が始まるのかと思ったのだが・・・
心桜「あたしは、ゆーが壊した事を怒ってるんじゃなくて、それを黙って隠してた事に対して怒ってるの!」
時崎「な、なるほど」
心桜「でも、あたしのお母さんは『お姉ちゃんなんだから許してあげなさい』って。いっつもそう! お姉ちゃんお姉ちゃんって! 別に好きでお姉ちゃんになった訳じゃないのに何さっ! あたしが許すよりも先に話さなければならない事ってあるでしょ!?」
七夏「ここちゃー、ゆーちゃんも、わざとじゃないんだから」
心桜「つっちゃー甘いよ! 壊したのはわざとじゃ無かったとしても、黙って隠したのはわざとでしょ!?」
時崎「あ、天美さん・・・」
心桜「今回だけは・・・許せなかった! お母さんがゆーの味方したから、もうあたし居場所無いって思って・・・」
それで家を飛び出してきたという事か・・・。天美さんの気持ちも分からなくはない。
七夏「でも、ゆーちゃん、ここちゃーに話しにくかったんじゃないかな。私も昔、同じような事があったから・・・」
時崎「同じようなこと?」
七夏「えっと、お父さんの・・・」
時崎「鉄道模型・・・か」
七夏「はい」
心桜「でも、つっちゃーはすぐに話して謝ったんでしょ? それならあたしもここまで怒らないよ!」
天美さんが怒るのはもっともだと思う。
七夏「柚樹さん」
時崎「!?」
七夏ちゃんが俺に小声で話しかけてきた。
七夏「(ここちゃーは、本当はゆーちゃんの事、とっても大切に思ってます☆)」
時崎「(ゆーちゃん?)」
七夏「(あ、えっと、ここちゃーの弟さんです☆)」
時崎「・・・なるほど・・・」
七夏「!? どしたの?」
時崎「いや、一瞬、俺の事かと思って」
七夏「えっ!? あっ! ご、ごめんなさいっ!」
時崎「いや、別に構わないよ」
心桜「こっちの『ゆーちゃん』は優しくていいね~!」
小声で話していたつもりが、七夏ちゃんも俺もいつの間にか普通の声の大きさになっていたようだ。
七夏「こ、ここちゃー! 柚樹さん! ごめんなさいっ!」
心桜「だって、あっちの『ゆーちゃん』はオルゴール壊して、こっちの『ゆーちゃん』はオルゴール直してくれるんだよ!?」
時崎「つまり相殺!?」
心桜「あははっ! 素晴らしい相殺システム! またみんなで『ぴよぴよ』対戦しますか?」
時崎「機会があればね」
七夏「くすっ☆」
話し・・・というよりも天美さんの愚痴に付き合っていると、結構な時間が経過していた。でも、愚痴を聞いてあげるというのも支えてあげるという意味では大切な事だと思う。それで天美さんの気が晴れるなら・・・だけど、俺も行うべき事がある。後の事は七夏ちゃんに任せよう。
時崎「ごめん。俺、ちょっと用事があるから、出かけてくるよ!」
七夏「はい☆ 柚樹さん、お昼はどうなさいますか?」
時崎「ちょっと午前中には戻れそうにないから、外で頂くよ」
七夏「はい☆」
心桜「お兄さんは、お出掛けか・・・普段もそうなの?」
時崎「まあ、色々かな。今日はアルバムの素材や風景写真を集める予定になってるから」
心桜「そうなんだ」
時崎「というわけで、これで失礼するよ」
心桜「うん」
七夏「柚樹さん、お気をつけてです☆」
時崎「ありがとう!」
心桜「つっちゃー、これからどうする?」
七夏「ここちゃーと一緒に宿題です☆」
心桜「えぇ~!」
天美さんには「アルバムの素材や風景写真を集める」と話したけど、それは今でなくても構わないから、先に隣街のオルゴール店に向かうことにする。
急いで駅へと向かい、タイミングよく到着した列車に乗る。列車の車窓からの風景を何枚か撮影してみたけど、ぼかして背景の素材に使う分には十分だと思う。
隣街の駅前に到着した。以前、高月さんがここで待ってくれていた事、三人で浴衣を買いに来た事を思い出しながら、その風景を撮影する。風景を撮影する場合は一人の方が相手を待たせる事を気にしなくていいから、背景素材集めは今のうちに行っておこう。
時崎「えーっと、オルゴール店は・・・」
駅前から携帯端末の地図情報を頼りに少し歩くと、モダンな建物が見えた。
時崎「オルゴール館・・・ここか。うわ! 高級なオルゴールが沢山!」
店員「いらっしゃいませ!」
時崎「あ、えっと・・・」
店員「どうぞ、ご覧になってくださいませ!」
時崎「すみません。オルゴールの部品ってありますか?」
店員「はい。こちらの手作りオルゴール用の部品でしたら、取り揃えてございます!」
時崎「このオルゴールの部品と同じのがあればと思いまして」
店員「どのような部品でしょうか?」
時崎「これになるのですけど」
店員「お借りしてもよろしいでしょうか?」
時崎「はい」
店員「では、こちらでお待ちくださいませ」
時崎「ありがとうございます」
オルゴール館に入り、辺りを見回す。高級なオルゴールや、円盤のような見た事の無いオルゴールが並んでいた。オルゴールの駆動部・・・メカと言うのだろうか・・・昨日俺が見た部品と同じような部品もたくさんあるので、なんとかなりそうだ。
店員「おまたせいたしました。お客様のオルゴールのメカは23弁になりますので、こちらのメカと交換すればよろしいかと思われます」
時崎「交換・・・ですか」
店員「同じ楽曲も在庫がございます」
以前に七夏ちゃんから、蒸気機関車の鉄道模型の思い出話しを聞いていた事を思い出す。
<<直弥「修理しようかと考えたんだが、これは、七夏の直そうとしてくれた想いが詰まっているから、交換されてしまうのはちょっと・・・って、思ったんだよ」>>
---修理ではなく交換になってしまう事---
天美さんにとって大切なオルゴール・・・できる限り、今使える部品をそのまま残したいと思った。天美さんにとっては、俺が手にしている「これ」でなければならないと思う。
時崎「今使える部品はそのまま使って、この破損した部品だけを交換する事って出来ませんか?」
店員「可能ですけど、お客様のオルゴールは、失礼ながら落下衝撃によって回転羽が外れて、シリンダーが一気に回転し、その勢いで振動弁を破損してしまったように見受けられます。この場合、他の箇所も損傷している可能性がございますため、振動弁のみ交換しても他の箇所が不具合を起こす可能性がございます」
時崎「なるほど、不具合を起こさない可能性も?」
店員「もちろん、ございます。ただ、振動弁のみの交換でも、取り付け調整技術料が必要になりますので、メカユニットの交換に近いくらいの費用が掛かってしまいますけど・・・よろしいでしょうか?」
どうしようか・・・ここで考えられる最善の方法は、新しいメカユニットを買って、そのメカユニットの振動弁を外し、天美さんのオルゴールに付ける事。もし、それで不都合が出れば、振動弁を戻して、メカユニット全体を交換するという二段構えの方法でどうだろうか?
時崎「では、こちらのメカユニットを購入します。それで、この振動弁を外して、このオルゴールに付けてみます」
店員「お客様ご自身でご交換なさるのですね。かしこまりました。こちらの手作りコーナーへどうぞ」
時崎「ありがとうございます!」
店員「振動弁の交換自体は、2本のネジで簡単に行えますが、最終的な位置決めの調整は慣れていませんと結構難しいですので、出来ましたら一度、お声をお掛けくださいませ」
時崎「はい!」
店員「最初は私が交換と調整おこなわさせて頂いても・・・と思いましたが、僭越ながらお客様はこちらのオルゴールにとても思い入れがあるご様子が伝わってまいりましたので」
時崎「ま、まあ一応・・・」
店員「では、ごゆっくりどうぞ」
時崎「はい。ありがとうございます」
店員さんのお話しどおり確かに振動弁の交換自体は簡単だが、仮止めでの演奏を行うと、微調整によって結構音色が異なってくるようだ。シリンダーと振動弁の距離が重要な要素になっており、距離を詰めると音色は大きく硬くなり、距離を開けると小さく柔らかい音色になる。元々、どのくらいの音色だったのか分からないので、楽曲と俺の感覚で位置決めを行うが、仮止めで良い音になったと思って本締めを行うと、振動弁が微妙に動いてしまい、仮止めの時の音色と異なってしまう。
時崎「なかなか難しいな」
仮止めで、良い音を探りながら、少しずつ2個のネジを交互に締めてゆくと、最終的に仮止めの時の音色のまま本締めへと辿り着く事が出来た。
時崎「すみません」
店員「交換できましたでしょうか?」
時崎「これでどうでしょうか?」
店員「拝見いたします」
時崎「お願いいたします」
店員さんは、オルゴールのメカユニットを眺め、音色を確認した。
店員「お客様、とても上手くご調整なされてます!」
時崎「そうですか!?」
店員「ネジをしっかりと締める時に振動弁が傾いてしまう事がありますけど、お客様のオルゴールではシリンダーと振動弁が綺麗な等間隔になっていて演奏も安定しております!」
時崎「良かったです。ひとつ、質問してもいいですか?」
店員「はい。どうぞ」
時崎「今回のような破損を防ぐ方法ってありますか?」
店員「衝撃を加えない事ですけど、保管する時は演奏が自然に止まった状態・・・動力源のばねがリラックスした状態ですと、振動弁の破損は免れたかも知れません」
時崎「なるほど。ありがとうございます!」
俺は、店員さんへのお礼と、お会計を済ませた。
時計を見るとお昼を過ぎていた。隣街の駅前の喫茶店で昼食を頂き、急いで風水へ戻る。戻る時も風景素材として使えそうな写真を撮影する。少しでも時間を有効に使いたい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
時崎「ただいま!」
凪咲「おかえりなさい。柚樹君」
時崎「オルゴール、なんとか直せました」
凪咲「ありがとう。また柚樹君に助けてもらったわ♪」
時崎「いえ。七夏ちゃんと天美さんは?」
凪咲「七夏は心桜さんをお家まで送るって」
時崎「そうですか。では俺、今からオルゴールを天美さんの家に届けてきます!」
凪咲「心桜さんの家、分かるかしら?」
時崎「はい! 大丈夫です! 早い方がいいと思うので!」
凪咲「ありがとうございます♪」
風水に帰って来たばかりだけど、そのまますぐに出掛ける。
時崎「それじゃ!」
凪咲「柚樹君!」
時崎「え!?」
凪咲さんは冷茶を持って来てくれた。
凪咲「玄関先でごめんなさい」
時崎「ありがとうございます! いただきます!」
冷茶を一気に頂くと、喉が渇いていた事を再認識させられた。
時崎「では!」
凪咲「はい♪ お気をつけて♪」
天美さんの家に急ぐ、まだ七夏ちゃんが一緒にいるはず。少し小走り気味に歩いていると・・・ん!? あれは?
道の先から自転車に乗って・・・いるのかよく分からないけど、ひとりの少女がこちらに近づいて来る。あれは、七夏ちゃんだ!
時崎「七夏ちゃん!」
七夏「あっ! 柚樹さん☆」
時崎「自転車!?」
七夏「はい☆ この後、おつかいあります☆」
時崎「そうなんだ。あっ! オルゴール、直せたから、天美さんの所に持ってゆこうと思って」
七夏「わぁ☆ 良かったです☆ ここちゃーも喜びます☆」
時崎「なるべく早い方が良いと思って!」
七夏「くすっ☆ ありがとうです☆」
時崎「ところで、七夏ちゃん?」
七夏「はい?」
時崎「変わった乗り方だね?」
七夏「え!?」
時崎「自転車」
七夏「えっと、この乗り方だと見えませ・・・あっ! か、風が心地よくて☆」
時崎「???」
七夏「柚樹さん、早くここちゃーに!」
時崎「あ、ああ」
七夏「また後で☆」
七夏ちゃんは、急ぐように商店街の方へ・・・さっき話しかけてた「見えない」って何の事だろう? まあ、いいか。俺も天美さんの家に急いだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
天美さんの家の前に着く。呼び鈴を鳴らそうと思ったら、扉から天美さんが出て来た。
時崎「あ! 天美さん!?」
心桜「え!? お兄さん!?」
時崎「どうして分かったの?」
心桜「何が?」
時崎「???」
心桜「つっちゃー見なかった?」
時崎「七夏ちゃん? さっき会ったけど、どうしたの?」
心桜「これ! つっちゃー楽しみにしてたのに忘れてるからさ。今ならまだ間に合うかなと思って」
時崎「七夏ちゃん、自転車に乗ってたけど?」
心桜「あ、そっか! つっちゃー今日は帰り急ぐからって話してたんだった」
時崎「俺で良ければ、七夏ちゃんに届けておくよ」
心桜「ホント!? ありがとー!」
天美さんから、七夏ちゃんの忘れ物を受け取る。これは、七夏ちゃんが好きな小説だ。
時崎「ま、同じ家だからね」
心桜「同じ家・・・くぅ~残念!」
時崎「え!?」
心桜「今の言葉、つっちゃーが居たら面白い事になりそうだったのにぃ~」
時崎「お、面白い事って・・・」
心桜「あはは! ところで、お兄さんはどうしてあたしの家に?」
時崎「これ!」
心桜「あっ!」
オルゴールを見るなり、急にしんみりとする天美さん。
心桜「やっぱり、お兄さんでも無理だった?」
時崎「え!? 一応、音は鳴るようになったけど」
心桜「え!? 本当に!?」
時崎「ああ。だから、早い方がいいかなと思って」
心桜「・・・・・」
時崎「天美さん?」
天美さんは黙ったまま深く頭を下げた。
時崎「ちょっ! 天美さん!」
心桜「ありがとう・・・ございます!」
時崎「そんな、改まらなくても・・・」
心桜「こんなに早く直してくれるなんて、思ってなかったから・・・」
俺は、オルゴールのネジを少し回して、蓋をそっと開けた。オルゴールがゆっくりと音楽を奏で始める。
心桜「うぅ・・・」
時崎「天美さん! 俺との約束! 忘れてないよね!?」
心桜「忘れてないよ・・・けど、ごめん・・・やっぱり、今すぐは無理だよ・・・」
時崎「・・・まあ、俺も偉そうな事は言えない・・・か」
心桜「え!?」
時崎「オルゴール、完全には直せなかったから・・・」
心桜「ちゃんと鳴ってるよ?」
時崎「この、衝撃でできた凹みだけは、直せなかった」
心桜「いいよ全然・・・」
時崎「天美さん!」
俺は、オルゴールの蓋を閉じて天美さんに差し出す。天美さんは、オルゴールを両手で受け取り---
時崎「あっ、天美さん!?」
天美さんは、オルゴールだけではなく、俺の手も包むように受け取り、そのままオルゴールを抱きしめた。天美さんの心の音と温もり・・・この上ない感謝の気持ちが俺の手に伝わってきた。
心桜「ありがとう。お兄さん」
時崎「あ、ああ・・・」
そのまま、どのくらいの時間が経過しただろうか。
心桜「こんなとこ、つっちゃーに見られたら大変だよ!」
時崎「え!?」
心桜「よし!」
時崎「!?」
突然、天美さんが大きな声を上げた。
心桜「約束だからねっ!」
時崎「あ、ああ」
心桜「お兄さん、凄く速かったから、てっきり無理だったんだと思って・・・ごめんなさい!」
時崎「いや、完全には直せなかったけど」
心桜「いやいや、音が鳴るようになっただけで十分だよ! ホントありがとう! 一生大切にするよ!」
時崎「そんな大袈裟な」
心桜「もうつっちゃーだけのオルゴールじゃないからね!」
時崎「え!?」
心桜「お兄さんの・・・なんでもないっ!」
時崎「???」
心桜「あはは!」
時崎「そうそう、オルゴールを保管する時は、完全に鳴らし終えた状態の方が良いそうだよ」
心桜「そうなんだ。あたし、いつでも鳴らせるように、ネジをいっぱいまで回してたよ」
時崎「それだと、オルゴールに負荷がかかった状態になるからね」
心桜「なるほどねー。これからは、オルゴールにも優しくするよ」
時崎「今までもそうだったんじゃないの?」
心桜「あはは! そだねー! ありがと!」
もう一度、オルゴールを抱きしめる天美さん。その様子を見て、さっきの事を思い出し、再びこそばゆくなってくると同時に、天美さんのとても良い表情を写真として残したくなった。
時崎「天美さん!」
心桜「!?」
写真機を構えると、天美さんはこっちを見てすぐにさっきと同じようにオルゴールを抱きしめて目を閉じてくれた。俺が残したいと思った表情。その機会をもう一度くれた事に感謝しつつ、撮影する。
時崎「ありがとう! 天美さん!」
心桜「こっちこそ! でも、お兄さん、オルゴールにも詳しいんだね。正直、まだ驚いてるよ」
時崎「実は、オルゴール館の人に教えてもらったんだ」
心桜「オルゴール館って、隣街の?」
時崎「そう」
心桜「あのお店、高級品ばかりじゃなかった?」
時崎「そうみたいだけど、手作りオルゴールもあったよ!」
心桜「手作り!? 前は無かったけど」
時崎「そうなの? 店員さんがとても丁寧に教えてくれたよ『お客様はとてもこのオルゴールに思い入れがあるんですね』って言われた」
心桜「あはは・・・キャラクター入りのオルゴール。お兄さん、ちょっと恥ずかしくなかった?」
時崎「直す事に必死で、そんな事考える余裕は無かったよ」
心桜「そっか。このオルゴール、つっちゃーがあたしの誕生日にくれたんだ」
時崎「そうだったのか・・・それで・・・」
七夏ちゃんからの誕生日プレゼント。それが、どれだけ大切な物なのか俺にも分かる。
心桜「つっちゃーが、ちょっと前から好きな本を買うのを我慢してたりしてた理由も分かって、あたし、とっても嬉しかったんだけど、なんか素直に嬉しいって言えなくて・・・でも、つっちゃーは、それも分かってくれてて」
時崎「・・・・・」
心桜「壊れたオルゴールを見て、色んな事を思い出しちゃってさ」
時崎「なるほど」
心桜「今まで、当然のようにあった物が無くなりかけるとどうなるのか、よく分かったよ」
時崎「天美さん・・・」
心桜「本当は、分かってたはずなんだけどね」
時崎「!」
心桜「昨日、つっちゃーと一緒に寝ててさ、オルゴールが壊れても、あたしとの関係は壊れないよって・・・そう言われてなんか、あたし自分が凄く恥ずかしくなったよ」
時崎「天美さんが怒ってたのも、七夏ちゃんの事を大切に想ってるから、現れ方の違いだと思うよ」
心桜「ありがと。つっちゃーに送ってもらって家に帰って、あたし、まだまだ子供だったなって・・・」
時崎「え!?」
心桜「な、なんでもない!」
時崎「???」
心桜「お兄さん・・・ごめん。あたし、なんでこんな事、話してるんだろ?」
時崎「さあ。でも、天美さんと七夏ちゃんの事がまたひとつ分かって嬉しいよ」
心桜「お兄さんの昔の思い出も話してよね!」
時崎「え!? また機会があればね! じゃあ、俺はこれで!」
心桜「あれ!? 急によそよそしくなった!」
時崎「いや、そろそろアルバムの作業に戻らないと・・・それに、俺の思い出話しは七夏ちゃんや高月さんと一緒の時の方がいいかなと思って」
心桜「そう言われると、納得しか出てこないよ」
時崎「じゃ、そう言う事で!」
心桜「お兄さん!」
時崎「ん?」
心桜「ありがとう!」
時崎「お礼は十分受け取ってるから!」
心桜「あたしの為に、予定を変更してくれた事!」
天美さんは気付いていた。本来今日はアルバム制作に集中する予定だったけど、良い思い出も出来たから、本来の予定よりも充実感に満ちている。
時崎「七夏ちゃんとの良い思い出話しが聞けたからおあいこ!」
心桜「うん!」
天美さんに軽く手を振り、俺は、風水へと急いだ。角を曲がる時に振り返ると、天美さんはまだ俺を見送ってくれていて手を振ってくれた。
風水へ帰る前に、七夏ちゃんへのアルバム作りに必要な材料を買う為、商店街へ寄る。七夏ちゃんへのアルバム作りは、七夏ちゃんが居ない時に進めたいので、今のうちに足りないものは揃えておく方が良いだろう・・・まだ試行錯誤の必要はあるので、急がねばならない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
時崎「ただいま!」
七夏「あ、柚樹さん☆ お帰りなさいです☆」
時崎「七夏ちゃん、これ!」
七夏「あっ! 小説!?」
時崎「天美さんが、忘れてるよって」
七夏「柚樹さん、ありがとです☆ 帰る途中で気付いてましたけど、今度でいいかなって」
時崎「どうして? 天美さんがこの小説、七夏ちゃん楽しみにしてるって話してたよ?」
七夏「えっと、すぐ戻ると柚樹さんが居るって分かってたから・・・」
時崎「え!? どういう事?」
七夏「ここちゃーって、素直じゃない所ありますから☆」
<<心桜「こんなとこ、つっちゃーに見られたら大変だよ!」>>
今更だけど七夏ちゃんは、天美さんの事をよく分かっていると思う。
七夏「ここちゃー、元気になりました?」
時崎「え!? あ、ああ。どうして?」
七夏「えっと、今日、ここちゃーお家になかなか帰りたがらなくて・・・」
時崎「そうなの?」
七夏「はい。だから私、ここちゃーをお家まで送ったの」
天美さん、俺の前では無理して空元気だったという事なのか・・・今回は単にオルゴールを壊された事だけではなかったみたいだから、もちろん、大切にしている物を失いかけると、心は不安定になるのは自然な事だ。強いイメージの天美さん。ひとつくらいの悲しい出来事には耐えれても、複数の悲しい事が重なると今回のような事になってしまうのだと。椅子の足を2本同時に失うと、その椅子は倒れてしまうか、持ちこたえたとしても、とても不安定な状態になる。そんな時に倒れないように支えてあげられる存在が大切なんだなと、改めて思う。
時崎「天美さん、大丈夫だったの?」
七夏「はい。でも、ここちゃーのお家から、ゆーちゃんの泣き声が聞こえてきて」
時崎「泣き声?」
七夏「はい」
七夏ちゃんのお話によると、天美さんのお母さんは、天美さんが居ない時に弟さんの事を叱っていたという事。誰でも叱られている所を他の人に見られたくないはずだから。
<<心桜「ありがと。つっちゃーに送ってもらって家に帰って、あたし、まだまだ子供だったなって・・・」>>
<<時崎「え!?」>>
<<心桜「な、なんでもない!」>>
時崎「・・・なるほど」
あの時の天美さんの言葉。俺は七夏ちゃんに送ってもらった事に対してかと思ったけど、本当の意味を、七夏ちゃんが教えてくれたような気がした。
七夏「柚樹さん☆ ありがとうです☆」
時崎「え!?」
七夏「くすっ☆ ありがとうです☆」
時崎「あ、ああ!」
七夏「今日のお夕飯、肉じゃがをお母さんと一緒に作ります♪」
時崎「おお! それは楽しみだ!」
七夏「はい☆ お母さんに教えてもらいながらですけど、頑張ります☆」
時崎「楽しみにしてるよ! 俺も、アルバム作り、頑張るよ!」
七夏「はい☆」
自分の部屋に戻って、早速、アルバム作りを再開する。今日撮影した背景素材や、オルゴール館、そしてなんと言っても天美さんのとても優しい表情。良い素材が集まったと思う。後は俺がしっかりとアルバムのレイアウトを行えば、きっと七夏ちゃんも驚いて喜んでくれるはずだ。今、七夏ちゃんですら知らない天美さんの心を知っている事に少し申し訳なさを覚えながらも、早くこの事を知ってもらえるように、アルバム制作を進めるのだった。
第三十六幕 完
----------
次回予告
虹がいつ現れるのか、分かればいいのにと思っていた。
次回、翠碧色の虹、第三十七幕
「未来を写す虹?」
いつ現れるか分からない事が、その出逢いをより印象付けるのだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます