第三十五幕:太陽よりも輝く虹
蝉の声で目が覚める。いつもよりも良く寝ている事になる。七夏ちゃんが蝉よりも早く起こしてくれる事もあるからだけど、今日は七夏ちゃんもゆっくりとしているのだろうか。そういえば、天美さんや高月さんがお泊まりに来ている時は、七夏ちゃんもお客様のように楽しく過ごしてほしいと、凪咲さんも話していたな。俺は布団から出て、1階の居間へ移動する。
凪咲「おはようございます」
時崎「凪咲さん、おはようございます!」
玄関先から凪咲さんが姿を見せる。
凪咲「柚樹君、どうかなさいましたか?」
時崎「え!? 凪咲さんが家の外から入って来たので」
凪咲「ナオ・・・主人が忘れ物してて」
時崎「え!? 大丈夫ですか?」
凪咲「ええ。すぐに気付いて届けましたから。あ、朝食は七夏達が準備してくれてますので」
時崎「ありがとうございます! 顔を洗って来ます!」
凪咲「はい」
洗面所で顔を洗って、居間へと戻る。
心桜「おはよー! お兄さん!」
時崎「おはよう! 天美さん!」
天美さんが、食器を並べながら挨拶をしてくれた。民宿風水の浴衣姿と相まってなかなか様になっている。
心桜「ん? どうかした?」
時崎「いや、なかなか様になってるなーと思って」
心桜「あはは! あたし、つっちゃーほど家庭的ではないからね」
時崎「そんな事はないと思うけど」
笹夜「心桜さん、あ、おはようございます♪ 時崎さん」
時崎「おはよう! 高月さん!」
高月さんも天美さんと同じく、朝食の準備のお手伝いを行なっているみたいで、少し申し訳なくなった。
笹夜「時崎さん、どうぞこちらへ♪」
時崎「ありがとう。なんか、ごめん」
笹夜「え!?」
心桜「お兄さん、なんで謝るの?」
時崎「本当なら、俺が行わなければならない事なのにと思って」
心桜「なんだ、そんな事で謝ってたら、この先謝り三昧になるよ!」
笹夜「謝り三昧って何かしら?」
心桜「そんなに深く追求されても、イメージ以外は何もないよ」
笹夜「でも確かに、最初は『すみません』って話すところから始まりますから」
心桜「そういえばそうだね。なんでだろ?」
笹夜「おそらく、相手のお時間を頂く事への申し訳なさからかしら?」
心桜「なるほどねー」
七夏「ここちゃー、あ、柚樹さん☆ おはようです☆」
時崎「七夏ちゃん、おはよう!」
心桜「なんか、さっきも同じような事が・・・」
七夏「え!?」
心桜「笹夜先輩も、つっちゃーも、あたしに何か話しかけて、キャンセルしてたから」
笹夜「あ、すみません! これは、こちらでいいのかしら?」
七夏「はい☆」
心桜「適当に並べておけばいいと思います!」
笹夜「では、こちらに♪」
七夏「私もお料理、持ってきますね☆」
時崎「みんなで朝食の準備をしてくれてありがとう!」
俺は「すまない」を「感謝の言葉」に改めた。
七夏「くすっ☆」
三人と一緒に頂く食事。食事自体は普段とそれほど変わらないけど、賑やかさが後押しして、特別なひとときに思える。
七夏「えっと、お食事の後で、柚樹さんのお手伝い☆」
笹夜「ええ♪」
心桜「了解ー!!」
時崎「みんなありがとう!」
七夏「柚樹さん、あまり夜更かしさんにならないようにです☆」
時崎「え!?」
七夏「昨夜も、夜遅くまでお部屋の灯りが付いてたみたいですから」
時崎「七夏ちゃんも遅くまで起きてたの?」
七夏「いえ、おやすみしましたけど、喉が渇いちゃったから、お水を飲みに1階へ降りる時に・・・」
時崎「なるほど、ごめん。気をつけるよ」
心桜「あたしは、ぐっすりだったよ! 笹夜先輩は?」
笹夜「ええ♪ 心桜さんと同じかしら?」
朝食を終え足早に自部屋へ移動する。この前のように、MyPadで制作中のデジタルアルバムを開いて準備を行っておく。
昨日撮影した浴衣姿の七夏ちゃんたちがアルバムに加わった事により、より一層華やかになって、俺自身も手ごたえを実感している。ここ、民宿風水で凪咲さんのお世話になっているからには、それに見合うだけの、いや、それ以上のアルバムに仕上げなければならない。
もうひとつ、七夏ちゃんへのアルバムも進めなければならないけど、場合によっては、天美さんと高月さんに相談してみるのもありだろうか?
しかし、天美さんや高月さんだけと会う機会がそんなにないと思うから、基本的には俺1人で制作を進める事になりそうだ。
七夏ちゃんへのアルバムは、俺が考えている事を実現させる為にまだ足りない材料も揃えなければ・・・。
心桜「お兄さん!」
扉の向こうから声がした。天美さんだ。
時崎「天美さん! どうぞ!」
笹夜「し、失礼いたしますっ!」
天美さんかと思ったら、高月さんだった。
時崎「え!? 高月さん!?」
心桜「中の人はあたし!」
高月さんの背後から天美さんが、ひょっこりと姿を見せた。
時崎「な、中の人!?」
心桜「声優さんの事だよ!」
時崎「そ、そうなの?」
笹夜「すみません、時崎さん。私はやめましょうと話したのですけど」
時崎「少し驚いたけど、構わないよ。楽しい事は歓迎するよ!」
心桜「ほらね! お兄さんなら---」
笹夜「心桜さん!」
心桜「あはは!」
時崎「七夏ちゃんは!?」
心桜「もうすぐ来るよ!」
時崎「そう・・・」
今のタイミングなら、天美さんと高月さんの2人しか居ない。七夏ちゃんへのアルバムの事を話しておくべきだろうか・・・2人なら秘密を守ってくれるはずだ。
笹夜「? 時崎さん?」
時崎「え?」
笹夜「どうかなさいました?」
時崎「いや、アルバムの事で---」
七夏「あれ? どしたの?」
心桜「つっちゃー、お疲れ!」
七夏「はい☆ もうみんな柚樹さんのお部屋に居るのかなと思ってました☆」
時崎「あ、ごめん。どうぞ!」
心桜「お邪魔します!」
時崎「高月さんも!」
笹夜「はい♪ 失礼いたします♪」
七夏「私、筆記具持ってきます☆」
時崎「ありがとう!」
心桜「お兄さん! これだよね!」
天美さんは、机の上にある俺のMyPadを手に取り操作を---
時崎「ちょっ! 天美さん!」
笹夜「心桜さん! 勝手に操作したら・・・」
心桜「おやおや? その焦りようは、なんか見られては困る物でもあるのかなぁ?」
時崎「いや、そうじゃないんだけど、七夏ちゃんの写真を表示させたままだと思うから」
笹夜「まあ♪」
心桜「それって、何か問題なの?」
時崎「いや、なんと言うか、少し恥ずかしいかな・・・」
心桜「あはは! でも安心してください!」
時崎「え!?」
心桜「MyPadは、ロックがかかってました!」
天美さんはMyPadの画面を俺の方に見せてくれる。自動ロックがかかって解除キーを求める画面が表示されていた。
心桜「あって良かったオートロック!」
笹夜「心桜さん!」
時崎「まあ、いいか」
俺は天美さんからMyPadを受け取り、ロックを解除すると、画面いっぱいに七夏ちゃんの写真が表示された。
笹夜「まあ♪ 七夏ちゃん可愛い♪」
隣に居た高月さんが、MyPadに映った七夏ちゃんを見て微笑む。
心桜「どれどれー? おっ! 可愛い! けど、これ前に見た写真だね」
時崎「ちょっと編集中で・・・」
心桜「編集中か・・・壁紙だったら確かにって感じだけど」
時崎「何が『確かに』なんだ!?」
笹夜「心桜さん! すみません、時崎さん」
時崎「いや、構わないよ」
心桜「あはは!」
七夏「お待たせです☆」
心桜「おっ! つっちゃー これ見てよ!」
七夏「え!?」
時崎「ちょっ! 天美さん!」
七夏「あっ!」
「MyPadに大きく表示された七夏ちゃん」を見た七夏ちゃんは、少し恥ずかしそうに頬を染めた。
時崎「・・・・・」
笹夜「えっと、時崎さん!」
時崎「え!?」
笹夜「私たち、お手伝い、何を行えば良いかしら?」
時崎「あ、ありがとう!」
高月さんの心遣いに感謝する。この三人は、誰かが言葉に躓いた時、お互いに助け合っている。俺もそうでありたい。
笹夜「七夏ちゃんも♪」
七夏「は、はい☆」
時崎「この前みたいに、写真にコメントをもらいたいのだけど、今回は写真のレイアウトも考えて貰えると助かるよ。なんせ昨日撮影した写真は、まだ適当にしか配置できてないから」
心桜「よし! んじゃ、まずは撮影した写真を全部見てみよう!」
笹夜「ええ♪」
三人は俺のMyPadを囲んで、写真を見ながら楽しんでいる。
心桜「お兄さん!」
時崎「え!?」
心桜「アルバム内の写真、並び替えていいんだよね!?」
時崎「ああ。でも、既に完成してるページはそのままにしておいてくれるかな?」
心桜「どれが完成してるの?」
時崎「みんなからの吹き出しコメントが入っているページが完成していてページもロックしてるから」
心桜「あっ! この鍵のマークかな?」
主 「そう! そのロックしたページを変更したい時は声をかけて」
心桜「了解!」
七夏「ここちゃー、これ☆」
笹夜「コメントは七夏ちゃんの持ってる付箋に♪」
しばらく三人の様子を眺めながら考える。いくつか気になる事があるままだ。七夏ちゃんの瞳の色の変化と本人の認識、虹の色の見え方の違い、高月さんが話していた七夏ちゃんの影の表情、俺が七夏ちゃんの事を可愛いと話した時の反応・・・これらの事を何一つ解決できていない。まあ、七夏ちゃんの瞳の色の変化に関しては、俺の関心事に過ぎないから、それはいいとして七夏ちゃんの心事には力になってあげたい。
天美さんと高月さんは、俺の知っている限り、七夏ちゃんの「ふたつの虹」について殆ど触れていない。そして、七夏ちゃんと天美さんは、高月さんの髪に映る虹について話してはいない。俺にとってはどちらも魅力的で不思議な虹なのだが、三人にとっては不思議事ではなく、自然な事、普通の事という認識なのかも知れないな。
高月さんは、自分の髪に映る虹についてどのように思っているのだろうか? 多くの人の場合、白く輝く髪のハイライト、天使の輪とも呼ばれている光だけど、高月さんのそれは、虹色に光って見える。
笹夜「? 時崎さん?」
時崎「あっ!」
笹夜「どうかなさいました?」
なんとなく高月さんの事を考えてたら、自然と高月さん本人を見つめているかたちになってしまっていた。
時崎「いや、ごめん!」
笹夜「いえ♪」
心桜「まあ、無理もないよね!」
時崎「え!?」
「え!?」と答えたけど、天美さんの次の言葉は予想できる。
心桜「笹夜先輩を見つめたくなるのは、お兄さんだけじゃないから!」
笹夜「こ、心桜さん!」
時崎「確かに、天美さんに同意するよ」
笹夜「と、時崎さんまで・・・」
心桜「あはは!」
時崎「ごめん、高月さん」
笹夜「いえ・・・」
心桜「おっ! 昨日の浴衣!」
七夏「はい☆ ここちゃーも笹夜先輩も、とっても素敵です!」
心桜「つっちゃーもねっ!」
笹夜「ふたりとも可愛い♪」
七夏「笹夜先輩、髪飾りも素敵です☆」
心桜「そだねー、あたしのと違って優雅独尊!」
笹夜「心桜さん、唯我独尊かしら?」
心桜「そうですけど、気持ち的には間違ってないかも!?」
七夏「これは、こっちの方がいいな☆」
心桜「こんな感じ?」
七夏「はい☆」
三人は、再びアルバムを眺めながら、コメントを考えてくれている。高月さんの虹は写真としてしっかり記録できているけど、天美さんも七夏ちゃんも、その事には触れていない。高月さんの髪飾りの話しをしているくらいだから、虹の事に気づいていないはずはないと思う。もっと三人と一緒に居ればその辺りが見えてくるのかも知れないけど、三人にとって既に過ぎ去った事だとしたら、待ってても答えは見つからない。
携帯端末で、今後の予定を考える・・・この街で過ごせる日に関しては、まだ七夏ちゃんや凪咲さんに話していない。はっきり決めている訳ではないけど、七夏ちゃんたちの夏休み期間の一週間前あたりに設定しておかないと、後が厳しくなりそうだな。
そもそも、民宿風水にお世話になりっぱなしなので、早くお返しをしなければという思いもある。写真機を手に取り、今まで撮影した写真を眺める。
「虹」を追いかけて、今ここに居る。不思議な虹は手を伸ばせば届きそうなのに・・・。この街に来て最初に撮影した「ブロッケンの虹」は、まだ写真機のメモリーカード内に残っている。七夏ちゃんと初めて出逢った時の写真も一緒だ。MyPadにも転送しているが、移動はさせていない。この写真のブロッケンの虹のように簡単に触れる事が出来ない不思議な虹だからこそ、今、このひと時を大切に想う。
心桜「よし! こんなとこかな?」
七夏「はい☆」
笹夜「心桜さん、もう一度最初の方から見せてもらってもいいかしら?」
心桜「はい! どうぞです!」
天美さんは、俺のMyPadを高月さんに手渡す。
七夏「私も最初から見たいです☆」
笹夜「ええ♪ では一緒に♪」
七夏「はい☆」
高月さんと七夏ちゃんは、一緒にMyPadを眺めながら操作を行っている。
天美さんは、周囲を見渡して---
心桜「おっ!? 飛び出す絵本!?」
時崎「あ、それ、なかなか凄い飛び出し方なんだよ」
心桜「どれどれー わぁ!」
飛び出す絵本の飛び出した箇所が天美さんの顔に触れそうになり、天美さんは反射的に回避する。
時崎「天美さん、大丈夫!?」
心桜「あーびっくりした!」
笹夜「心桜さん、勝手に触っては---」
時崎「全然構わないよ。高月さん、ありがとう」
笹夜「いえ・・・」
心桜「これ、びっくり箱ならぬ、びっくり本!」
七夏「くすっ☆ 大きなリボン☆」
心桜「え!?」
笹夜「まあ♪」
心桜「天然か!」
・・・やはり、天美さんは虹の話題については触れない。そう思った理由は、飛び出す絵本のすぐ側に虹に関する写真をいくつか置いていたからだ。写真の話題も以前は全く触れてなかったのだと思う。それは、天美さんと初めて出逢った時の表情・・・写真機を持つ俺を警戒しているようだったから。七夏ちゃんの事を想う天美さんの気持ちは分かる。俺も以前、七夏ちゃんを撮影しまくるお泊り客に大声で話してしまい、凪咲さんにご迷惑をかけてしまったから・・・。写真のように虹についても普通に話しが出来る時が来てほしいと思う。
笹夜「時崎さん」
時崎「え!?」
笹夜「これでいいかしら?」
七夏「一通り、出来たと思います☆」
時崎「ありがとう!」
心桜「では、ぱぱっと着替えて帰りますか!」
時崎「え!? もう帰るの?」
心桜「なになにー、お兄さん、もっとあたしにいてほしいのぉー?」
時崎「そうだな。高月さんには居てほしいかな?」
笹夜「と、時崎さん!」
心桜「あはは! それは分かる!」
時崎「まあ、三人と一緒がいいけどね!」
心桜「ありがと。でも午後から用事あるから残念!」
笹夜「すみません。私も所用がありますので」
時崎「また、会える事を楽しみにしてるよ!」
笹夜「ええ♪」
七夏「・・・・・」
心桜「どした? つっちゃー?」
七夏「え!? えっと、なんでもないです!」
笹夜「七夏ちゃん・・・」
時崎「?」
七夏「そ、それじゃ柚樹さん、また後で☆」
心桜「お兄さん、またね!」
笹夜「では、失礼いたします」
時崎「あ、ああ」
三人が部屋を出てゆくと、急に静かになると同時に寂しい感覚も覚えた。それだけ三人一緒の時が楽しく心地良かったという事なのだろう。MyPadと付箋のメモを手に取り、再びアルバム制作を再開した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
しばらくアルバム制作作業を行なっていると、扉の向こうから話し声が聞こえ、続いて扉が鳴った。扉を、開けると私服姿の三人が居た。
心桜「それじゃ、お兄さん! あたしたちはこれで帰るから!」
時崎「わざわざ、ありがとう! 送るよ!」
心桜「え!? いいよいいよ!」
時崎「玄関まで・・・」
心桜「なっ!」
笹夜「まあ♪」
七夏「くすっ☆」
心桜「お兄さん、腕を上げましたなぁ~」
時崎「そう!?」
玄関まで三人を見送る。
笹夜「では、失礼いたします♪」
凪咲「高月さん、またいらしてくださいませ!」
笹夜「はい♪ 是非♪ お世話になりました♪」
心桜「凪咲さん、またお世話になります!」
凪咲「はい♪」
七夏「くすっ☆」
心桜「つっちゃー、お兄さん! またね!」
七夏「はい☆」
時崎「ああ!」
高月さんと目が合う。俺は軽く頭を下げると、高月さんも会釈を返してくれた。
笹夜「と、時崎さん!」
時崎「え!?」
笹夜「あっ! ・・・失礼・・・いたします」
時崎「あ、ああ」
高月さんは、もう一度深く頭を下げて、扉をそっと閉めた。
七夏「柚樹さん☆」
時崎「え!?」
七夏「お昼、おむすびでいいですか?」
時崎「おむすび! 楽しみだよ! 前みたいに手伝おうか?」
七夏「ありがとうです☆ でも、柚樹さんはアルバム作りをお願いできますか?」
時崎「ありがとう! じゃ、おむすび、楽しみにしてるよ!」
七夏「はい☆」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
自分の部屋に戻ってアルバム制作作業を再開する。天美さん達が写真を並び替えてくれているけど、特に時系列順ではないようだ。並び順に何か意味があるのかも知れないけど、その法則は分からない。付箋のコメント内容をアルバムに追加してゆくと、写真の並び順に多少の意味がある事に気付いた。
心桜「これから、こんな感じで浴衣を選ぶよ!」
七夏「え!?」
笹夜「まあ♪ 少し未来の私たちかしら?」
心桜「っそ!」
なるほど。少し漫画のようなレイアウトになっている。単に写真を並べてコメントを付けるよりも、見ていて楽しい。さすが天美さんだと感心してしまう。
トントンと扉が鳴る。七夏ちゃんだ。
時崎「七夏ちゃん! どうぞ!」
七夏「えっと、柚樹さん・・・」
時崎「?」
俺は移動して扉を開ける。
七夏「ありがとうです☆」
七夏ちゃんは、おむすびとお茶をのせた御盆を、両手で持っていた。
七夏「お昼、どうぞです☆」
時崎「わざわざ、持って来てくれたんだ。ありがとう!」
七夏「はい☆」
時崎「早速、頂くよ! 七夏ちゃんも一緒に!」
七夏「え!?」
時崎「お昼、まだだよね?」
七夏「あ、はい☆ えっと・・・」
時崎「俺、七夏ちゃんのお昼、持ってくるから待ってて!」
七夏「柚樹さん! 私が持ってきますので」
時崎「手も洗わないとならないから!」
七夏「くすっ☆」
時崎「じゃ、そういう事で!」
七夏「ありがとうです☆」
1階へ降り、洗面所で手を洗ってから台所へ向かう。
凪咲「七夏、後で・・・って、柚樹君!?」
時崎「凪咲さん!?」
凪咲「ごめんなさい。七夏かと思って」
時崎「いえ、七夏ちゃん、呼んできましょうか?」
凪咲「いえ、後で構いませんので」
時崎「では、七夏ちゃんに伝えておきます」
凪咲「ありがとう」
時崎「七夏ちゃんのお昼はこれですか?」
凪咲「ええ♪ お部屋で頂くのかしら?」
時崎「はい」
凪咲「ちょっと待ってて」
凪咲さんは、御盆を用意して七夏ちゃんのお昼を運びやすいように準備してくれた。
時崎「ありがとうございます!」
凪咲「いえいえ♪」
七夏ちゃんのお昼を持って、自分の部屋へ戻る。七夏ちゃんが待っててくれていると思うと、嬉しくなってくる。七夏ちゃん、俺のお昼もこんな気持ちで運んできてくれたのだろうか?
自分の部屋の扉の前まで来て、片手で扉を鳴らす。
七夏「柚樹さん☆ ありがとうです☆」
すぐに扉が開いて七夏ちゃんが迎えてくれた。
時崎「お待たせ!」
七夏「くすっ☆」
七夏ちゃんと一緒にお昼を頂く。
時崎「そういえば、凪咲さんが七夏ちゃんに頼みたい事があるみたいだったよ」
七夏「お母さんが? お使いかな?」
時崎「用件は聞いてないから分からないけど」
七夏「ありがとうです☆ 後でお母さんに訊いてみます☆」
七夏ちゃんの手作りおむすびは、美味しいだけでなく、以前の出来事も呼び戻してくれた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
昼食を頂き、七夏ちゃんと一緒に1階へ移動する。
時崎「凪咲さん、お昼、ご馳走さまです!」
七夏「ごちそうさまです☆」
凪咲「はい♪」
時崎「凪咲さん、七夏ちゃん、何か手伝える事ってない?」
凪咲「ありがとう、柚樹君」
七夏「えっと、柚樹さんはアルバム作り、頑張ってです☆」
凪咲「そうね。私も楽しみにしてます♪」
時崎「ありがとうございます! 分かりました」
再び一人でアルバム制作を行う。七夏ちゃんは凪咲さんのお手伝いみたいだ。お互いに頑張ろう・・・と思ったけど、七夏ちゃんは十分に頑張っているな。改めて気合いを入れる。
暫く作業に集中していると、トントンと扉が鳴る。
時崎「七夏ちゃん! どうぞ!」
七夏「失礼します。柚樹さん☆」
七夏ちゃんは民宿風水の浴衣から私服姿に着替えており、これからお出かけするような印象を受けた。
時崎「七夏ちゃん、お出かけ?」
七夏「はい☆ 柚樹さん、何かお使いありますか?」
時崎「いや、特には・・・お使いなら、荷物持ちするよ!」
七夏「えっと、今日は私ひとりで大丈夫ですからっ!」
時崎「そ、そう?」
七夏「柚樹さんと一緒がダメって事ではないのですけど・・・お使い、この前の喫茶店だから・・・」
「この前の喫茶店」・・・この前、七夏ちゃんと一緒にココアを飲んだ喫茶店? あっ! もっと前の喫茶店の事か! 確かお店の人が七夏ちゃんと親しくて、俺が一緒だとからかって来る可能性が高いと言う事だろう。七夏ちゃんは、からかわれるのは苦手だろうから、俺はこのままアルバム制作作業を続ける方がよさそうだな。
時崎「俺は、このままアルバム制作を行うから!」
七夏「はい☆」
時崎「ありがとう!」
七夏「え!?」
時崎「わざわざ、声をかけてくれて」
七夏「くすっ☆ それでは、失礼します☆」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2階の窓から、お出かけする七夏ちゃんを見送る。七夏ちゃんが居ないこの間に「七夏ちゃんへのアルバム」の制作に集中する。以前から少しずつ準備をしていた素材と、写真のトリミング。こっちは「凪咲さんへのアルバム」とはまた違った作業となり、試行錯誤も必要だ。頭の中でイメージした事が本当に実現出来るかどうかは、実際に行なってみないと分からない所もある。
時崎「・・・ダメか・・・」
誰が話したか「思った事の半分でも実現出来たら大した物である」という言葉が頭の中を駆けてゆく。別の方法を考えては試してみる。なんとしてでも、形にしなければ!
現物合わせの検討は材料を消費してしまうので、基本的にMyPadで検討を行うが、これは寸法や見た目の検討のみになる為、実際に部品を作ってみると、摩擦や耐久力の問題が発生する。最初は上手く出来たと思っても、何度か動作を行うと、紙で出来た部品は疲労して期待した動作が行えなくなる。
時崎「紙よりも、もっと強度のある素材を使う必要がありそうだな」
イベントの時だけの一時的な物ではなく、末永く機能を維持できなければならない・・・アルバムなのだから。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
どのくらい時間が経過しただろうか・・・作業に集中すると時間経過の感覚が分からなくなる。扉から音がした。
時崎「七夏ちゃん?」
俺は扉を開ける。凪咲さんが居た。
時崎「凪咲さん!」
凪咲「柚樹君、七夏、何か柚樹君に話してなかったかしら?」
時崎「え!?」
凪咲「少し、帰りが遅いみたいですので・・・」
時崎「え!?」
凪咲さんからそう言われて時計を見る。いつも七夏ちゃんが夕食の準備を行っている時間を過ぎているようだ。
凪咲「今日は少し遅くなるって話してたけど・・・」
時崎「七夏ちゃんから連絡は---」
その時、電話が鳴る。
凪咲「! ごめんなさい!」
時崎「はい」
凪咲さんは、急ぎ気味で電話に出る。
凪咲「七夏! ・・・よかった。今どこに居るの? ・・・そう、分かったわ。慌てなくていいから、気をつけて帰るのよ」
凪咲さんは電話をおろす。凪咲さんのすぐ側に居た俺も、状況が分かったので安心する。
時崎「七夏ちゃん、これから帰って来るみたいでよかった」
凪咲「はい。すみません」
時崎「いえ」
凪咲「もう少し早めに連絡をくれれば・・・」
時崎「七夏ちゃんは、携帯電話を持ってないみたいですから」
凪咲「そうね・・・」
部屋に戻り、アルバム制作作業に戻った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
凪咲「柚樹君、お夕飯、お先にどうぞ」
時崎「ありがとうございます」
俺は、七夏ちゃんが帰ってくるまで夕食を頂くのを待っていた。
凪咲「ありがとうございます。柚樹君♪」
時崎「え!?」
凪咲さんは微笑み、台所へと移動した。目の前に並べられたお料理を眺め、いつもは七夏ちゃんが色々と準備を行ってくれている事に気付く。今日は、俺が七夏ちゃんの分の準備をしておこうと、凪咲さんの所へ移動する。
凪咲「あら? 柚樹君?」
時崎「凪咲さん、七夏ちゃん、そろそろ帰って来ると思いますので---」
凪咲「ありがとう。では、これをお願いできるかしら?」
時崎「はい!」
七夏ちゃんの分のお料理を運び、机に並べる。ご飯とお味噌汁は、七夏ちゃんが帰ってきてからの方がいいだろう。ひと通り準備が終わり、再びただ待つだけになりかけた時---
七夏「ただいまです!」
凪咲「お帰り、七夏」
七夏「ごめんなさい、遅くなっちゃって」
凪咲「いいのよ。連絡してくれてたから」
時崎「七夏ちゃん、お帰り!」
七夏「あ☆ 柚樹さん、ただいまです☆」
凪咲「お夕食、出来てるから♪」
七夏「はい☆ 手を洗ってきます☆」
俺は、七夏ちゃんの分のご飯をよそい、お味噌汁も運ぶ。いつも七夏ちゃんが行なってくれている事に感謝をする。
七夏「あ、柚樹さん? お夕食、まだだったの?」
時崎「ああ」
七夏「ごめんなさい、あっ、えっと、ありがとうです☆」
俺の意図を読み取り、すぐに言い直してきた。
時崎「七夏ちゃん、どうぞ!」
七夏「ありがとうです☆」
時崎「いただきます!」
七夏「いただきます♪」
時崎「おっ! これはなかなか!」
七夏「好きですか?」
時崎「え!?」
七夏「えっと、お魚のあら煮」
時崎「ああ! もちろん!」
七夏「あまり、頂ける所は多くないですから、お皿は大きいですけど、小鉢感覚です☆」
時崎「なるほど、少し味付けが濃い目なのも何か理由があるの?」
七夏「お味、強かったですか?」
時崎「いや、美味しいよ!」
七夏「良かったです☆ えっと、ご飯と一緒に合わせて頂くと丁度良くなるようにお味を強めに合わせてます☆」
時崎「確かに、ご飯が進むね!」
七夏「くすっ☆ ご飯のお供は、少しお味を強めに意識してます☆」
時崎「普段は意識してなかったけど、言われてみれば・・・」
七夏「お味の加減は、なかなか難しいです」
時崎「そうなの?」
七夏「はい。私もお母さんみたいに、お料理が上手になれるといいな☆」
時崎「なれると思うよ!」
七夏「くすっ☆ ありがとです☆」
七夏ちゃんと一緒に夕食を頂きながら考える。「可愛い」という言葉を無理に使わなくても、今みたいに七夏ちゃんを喜ばせる事ができるはずだ。可愛いと話して喜んで貰えるのが一番だが、可愛いという言葉に対する七夏ちゃんの困惑するような反応の理由がはっきりと分かるまでは、他の方法で喜んでもらえるように努めたい。
時崎「ん!?」
七夏「? どしたの? 柚樹さん?」
時崎「今、玄関から物音がしなかった?」
七夏「え!? 私、分からなかったです」
時崎「気のせいかな?」
七夏「お父さんなら、声を掛けてくれますから」
時崎「そうだよね」
食事の途中だけど、俺は気になったので、玄関の様子を見てくる事にした。
七夏「柚樹さん?」
時崎「やっぱり、ちょっと気になるから玄関を見てくるよ」
七夏「は、はい」
暗くなった玄関に移動すると、玄関の扉のこちら側にもたれ掛かった人影が見えた。お客さんという雰囲気ではない。俺は玄関の灯りを付ける。
時崎「!? 天美さん!?」
心桜「・・・・・あ、お兄・・・さん」
ただならぬ予感がしたので、俺は大きな声で七夏ちゃんを呼んだ。
時崎「な、七夏ちゃんっ!」
俺の大きな声で七夏ちゃんがすぐに姿を見せた。
七夏「ど、どしたの? 柚樹さ・・・こ、ここちゃー!?」
心桜「つっちゃー・・・うぅ・・・うわ~!!!」
七夏「ひゃっ! ここちゃー!」
七夏ちゃんの姿を見るなり、天美さんは突然大きな声で泣き始めた。俺はどうしてよいか分からず、体が全く動かない。七夏ちゃんは天美さんに駆け寄り、そのままぎゅっと抱きしめた。
今朝の元気だった天美さんとは全然違う、今までに見た事の無い天美さん。何があったのか分からないが、今、俺が問う事ではない。七夏ちゃんもその事を分かっているようで、ただ、泣きじゃくる天美さんを抱きしめているだけだった。
第三十五幕 完
----------
次回予告
太陽の光が虹を生み、その虹が太陽を優しく包むのだが・・・
次回、翠碧色の虹、第三十六幕
「太陽を想う虹と」
虹は太陽から生まれるので、太陽以上には輝けない。大切な物事が消えかけていたとすると、俺の取るべき行動はただひとつだ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます