第二十一幕:ふたつの虹のふたつの夢
買い物を済ませて民宿風水に戻る。お庭で洗濯物を干している凪咲さんが目に留まる。
時崎「凪咲さん、ただいま!」
凪咲「あら、柚樹君。お帰りなさいませ。お昼は頂いたのかしら?」
時崎「はい。喫茶店で軽く頂きました」
凪咲「そうなの・・・七夏がおむすびを作っていますので、お腹が空きましたらどうぞ」
時崎「ありがとうございます!」
俺は、風水の台所へと移動する。七夏ちゃんの姿は見えない。とりあえず、買ってきた「ブルーベリーのタルト」を冷蔵庫の中へ入れておく。
そう言えば、今日、七夏ちゃんは用事があるって話していた。もし、まだその用事が片付いていないのなら、俺も手伝おうと思う。手伝える事ならだけど。
七夏ちゃんの部屋の前に来て、この前の出来事を思い出してしまう。七夏ちゃんが水着姿で出てきた事。今回はそんな事は無いと思うけど・・・。
七夏「柚樹さん!?」
時崎「え? うわぁ!」
七夏「ひゃっ☆」
隣の部屋から突然現れた七夏ちゃんに驚いてしまった。
時崎「な、七夏ちゃん!? ごめん!」
七夏「いえ、柚樹さん! 私の方こそ驚かせてしまって、すみません」
時崎「七夏ちゃん、用事は済んだの?」
七夏「えっと、まだ少し残ってます」
時崎「俺に出来る事があれば手伝うよ!」
七夏「え!? いいのですか?」
時崎「もちろん!」
七夏「わぁ☆ ありがとうです!
時崎「何を手伝えば?」
七夏「えっと、こちらへ・・・」
時崎「了解!」
俺は、七夏ちゃんに付いてゆく・・・その場所は、七夏ちゃんのお父さんの部屋だ。
時崎「ここは、七夏ちゃんのお父さんの部屋?」
七夏「はい☆ お父さん、今夜、帰ってくる予定ですので、お部屋のお掃除は、もう済ませたのですけど・・・あ、どうぞです!」
七夏ちゃんに案内されて、部屋に入る。前にも入った事がある部屋だ。この部屋には畳一畳ほどの場所に鉄道模型の線路が敷かれてあった。以前に七夏ちゃんが模型機関車のお掃除を行っていた事と、思い出話を聞かせてくれた。
七夏「えっと、これです」
時崎「これは、踏切?」
七夏「はい。お父さんから、この踏切をここに置いてほしいって頼まれていたのですけど、私にはちょっと難しくて・・・」
時崎「難しい?」
七夏「電気の配線が必要みたいで・・・柚樹さんは、この前、テレビゲームを直してくれましたから、そういうの詳しいかなって思って・・・」
時崎「なるほど。でも、どおして七夏ちゃんが?」
俺は、七夏ちゃんに訊いてみた。踏切とかは七夏ちゃんのお父さんが設置すれば良いと思うし、普通は列車好きの七夏ちゃんのお父さんが率先して行うだろうと思ったけど・・・その時、俺は、ある事を思い出した。
七夏「えっと・・・」
時崎「七夏ちゃんに『鉄道模型の事を知ってもらう為』だったね!」
七夏「あっ! はい☆ 本当は、お父さん、とても楽しみにしていたのですけど、私にお願いしたからって・・・」
時崎「七夏ちゃんも大変だね。色々と」
七夏「でも、いい事もあります!」
時崎「いい事!?」
七夏「はい☆ この踏切さんを設置できたら、ご褒美あります!」
そう言うと、七夏ちゃんは、お父さんの机の上に置かれていた、封筒を見せてくれた。その封筒には「七夏へ 踏切達成お礼 図書券」と書かれていた。
時崎「な、なるほど! さすが、七夏ちゃんのお父さん!」
小説好きの七夏ちゃんにとって「図書券」は魅力的な報酬だ。ここは、七夏ちゃんが喜んでくれるように俺も頑張ってみようと思う。
七夏「くすっ☆」
時崎「じゃ、早速、その踏切を設置してみようか!」
七夏「はい☆ よろしくお願いします☆」
時崎「えーっと、どこに設置するのかな?」
七夏「この辺りです☆」
七夏ちゃんが指差したところには既に線路が敷かれているので、先ずはこの線路を撤去しなければならないのかな。とりあえず、踏切セットの説明書を読んでみる。
時崎「なるほど・・・これは、なかなか本格的だな。しかも部品が細かい・・・」
七夏「柚樹さん、分かりますか? まず、ここの線路を外さないと・・・」
時崎「七夏ちゃん、この踏切は線路を外す必要がないみたいだよ」
七夏「え!? でも踏切さんには、線路があると思うのですけど・・・」
時崎「踏切本体には線路は無くて、既に敷かれている線路を使うみたいだよ」
七夏「では、この線路は・・・」
時崎「それは、センサーの役割をする線路みたいだね」
七夏「せんさー?」
時崎「恐らく、列車の踏切内への進入と脱出を検出する為の線路だと思う」
七夏「そうだったのですね☆」
時崎「そのセンサーの線路の方を、既に敷いてある線路と交換になるみたいだね」
俺は、踏切セットの説明書を見ながら、線路の工事を行った。七夏ちゃんはその様子を見ていたけど、複線のうちの一本を実際に七夏ちゃんに実施してもらった。後は説明書に書かれてあるとおり電気的な配線を行う。この作業を行ってみて、確かにある程度慣れていないと大変かなと思った。七夏ちゃんが実施を後回しにしていた理由が分かった気がする。
七夏「柚樹さん! ありがとうです! ようやく出来ました☆」
時崎「なんか、手伝いというよりも、遊んでいたみたいで申し訳ない」
七夏「そんな事はないです☆ 柚樹さんと一緒に出来てよかったです☆」
時崎「早速、動作確認してみたら?」
七夏「はい☆」
七夏ちゃんは、ヘラのような物を使って、機関車を線路に乗せる。以前にも見た光景だ。そして七夏ちゃんがコントローラーのつまみを少し回すと、機関車のヘッドライトが点灯した。
七夏「柚樹さん☆ どうぞです♪」
時崎「え!?」
七夏「機関車・・・動かしてみてください☆」
時崎「あ、ああ!」
俺がコントローラーのつまみをゆっくりと回すと、七夏ちゃんも手を添えてきた。
時崎「な、七夏ちゃん!?」
七夏「くすっ☆」
七夏ちゃんと二人でコントローラーのつまみを回す・・・小さな機関車が力強く動き出した。
時崎「おっ! 動いた!」
七夏「はい☆」
七夏ちゃんの手の温もりが伝わってくる・・・とても心地が良い。
機関車がセンサーのレールの上を通過すると、踏切の警報機と遮断機が実物同様に作動し始める。
時崎「おおっ! これは本格的だ!」
七夏「本物みたいです☆」
機関車はそのまま踏切を通過し、その先のセンサーの線路の上を通過する。踏切の警報音が解除され、遮断機が上がった。
時崎「問題ないみたいだね」
七夏「はい☆ 良かったです♪」
時崎「七夏ちゃん・・・」
七夏「はい♪」
時崎「その・・・手・・・」
七夏「え!? あっ! えっと、ごめんなさい!」
時崎「いや、嬉しいんだけど・・・その・・・」
七夏「・・・・・柚樹さん、ありがとうです・・・」
時崎「これで、七夏ちゃんは図書券が貰えるね!」
七夏「はい☆ でも、殆ど柚樹さんが行ってくれましたから、この図書券は柚樹さんが・・・」
時崎「俺は十分楽しかったよ・・・だから、図書券は七夏ちゃんにプレゼントするよ!」
七夏「いいの?」
時崎「手も繋いでくれたし♪」
七夏「あっ!」
時崎「ん? どうかしたの?」
七夏「いえ・・・その・・・ありがとうです・・・」
時崎「じゃ、そういう事で!」
俺は、踏切セットの箱を片付けようとして、箱の裏に貼り付けられていた値札を見て驚いた。
時崎「た、高っ!!!」
七夏「ひゃっ☆」
時崎「あ、ごめん!」
七夏「びっくりしました。どおしたのですか?」
時崎「この踏切、細かくてよく出来ているなーと思ったけど、とっても高価な商品だったんだね」
七夏「・・・はい。ですから、私はなかなか手が出せませんでした。壊しちゃったら大変だなって思うと・・・」
時崎「ほんと、知らない方が良い事もあるよね」
七夏「くすっ☆ 幸せ・・・です☆」
時崎「え!?」
七夏「ありがとうございます☆」
七夏ちゃんがどういう意味で「幸せ」と話したのか・・・多分俺の話した事の指摘なのだろうけど、七夏ちゃんが幸せに思える事を、これからも考えたいと思う。
七夏「柚樹さん、もう少し繋いでみますか?」
時崎「え!?」
七夏ちゃんの言葉に心拍数が上がる。七夏ちゃんと手を繋げる事は素直に嬉しい・・・嬉しいのだけど・・・なんて考えていると---
七夏「??? 柚樹さん?」
時崎「な、なに?」
七夏「こうして、列車をもっと繋いでみますね☆」
時崎「え!? 列車!?」
七夏ちゃんはヘラのような物を線路に置き、機関車の後ろに列車を繋げてゆく。「繋ぐ」って「手」ではなく「列車」の事だったのか・・・。まだまだ七夏ちゃんの言動が読めていない・・・というよりも俺が誤解していただけか・・・。冷静に考えると「ヒント」はあった。七夏ちゃんは「倒置法」で話していた。それに気付けるようになる事が、七夏ちゃんを知る事に繋がると思う。
七夏「~♪」
時崎「それは、客車かな?」
七夏「はい☆ これは、お父さんが乗ってます!」
七夏ちゃんはそう話すと、客車の一番後ろに、とても小さな車両を繋げた。
<<時崎「臨時とか出発って、七夏ちゃんのお父さんって、何のお仕事なの?」>>
<<七夏「えっと、車掌さん・・・です☆」>>
<<時崎「車掌さん・・・」>>
<<七夏「列車の一番後ろに居る人です」>>
<<時崎「なるほど」>>
以前、七夏ちゃんが話していた記憶が甦る。
時崎「その小さい車両は、車掌車かな?」
七夏「はい☆」
時崎「七夏ちゃんのお父さんの仕事場なんだね」
七夏「くすっ☆」
七夏ちゃんは列車を動かすコントローラーのつまみを再び回す。小さな車掌車から、ふたつの赤い光が灯る・・・。
七夏「柚樹さん♪ どうぞです♪」
先ほどと同じように、七夏ちゃんと一緒に列車を動かす。長くなった列車は先程よりも「らしく」なり、車掌車の赤い光に懐かしさを覚えた。今、七夏ちゃんが手を添えてくれているのだが、先程よりは落ち着いていて、七夏ちゃんの温もりがよりはっきりと伝わってくる事が分かって嬉しかった。俺は再び童心に帰ったかのように走る列車を眺めていた。
時崎「・・・・・」
七夏「・・・・・」
時崎「・・・・・」
七夏「・・・・・柚樹さん♪」
時崎「え!?」
七夏「私、飲み物を持ってきますね☆」
時崎「あ、ああ。ありがとう!」
七夏ちゃんは、飲み物を取りに台所へ向かったようだ。さっきまで七夏ちゃんが手を添えてくれていた感覚が残っている・・・この感覚と鉄道模型とが紐付いてしまいそうだ。俺は、走っている列車を止めて、写真撮影を行う。しかし、距離が近いのか、なかなか綺麗に列車全体を撮影する事が出来ない。
時崎「これは意外と難しいな・・・」
一箇所に焦点が合うと、他がぼやけてしまう。現実の列車撮影では起こらない現象だ。写真撮影をそれなりに行ってきたが、こんな壁があったとは・・・。俺が目の前の列車の撮影に苦戦していると---
七夏「ゆっ! 柚樹さんっ!! 柚樹さんっ!!!」
時崎「え!? わぁ!」
七夏ちゃんが凄い勢いで話しかけてきた! とても慌てた様子で一体どうしたのだろう!? 見たところ、飲み物は持っていないようだ。
時崎「な、七夏ちゃん!? どうしたの!?」
七夏「えっと、れ、冷蔵庫の中にっ!!」
時崎「冷蔵庫の中!?」
思い出した・・・七夏ちゃんが目がないというあれだ。こんなに慌てて、まさかここまでとは・・・。俺はちょっと知らないふりをして様子を見る事にした。
七夏「は、はい! ちょっと一緒に来てくれませんか?」
時崎「あ、ああ」
七夏ちゃんと一緒に台所の冷蔵庫の前に来た。七夏ちゃんは冷蔵庫をそっと開けて・・・中を覗いて・・・そして勢いよく閉めた。
時崎「な、七夏ちゃん!?」
七夏「ゆ、柚樹さん! やっぱり中にあります!!!」
時崎「中に!?」
俺は、冷蔵庫を開けて「ブルーベリーのタルト」を取り出した。
七夏「ゆ、柚樹さん! そ、それ!!!」
時崎「これ? 七夏ちゃん喜ぶかなって思って!」
七夏「ど、どおして!?」
時崎「街で見かけて、美味しそうだったから!」
七夏「・・・・・そ、それ・・・と、とっても美味しいです!!!」
時崎「そう! じゃ! はい! 七夏ちゃん!」
七夏「え!? えー!? い、いいの?」
時崎「もちろん! その為に買ってきたから!」
七夏「わぁ☆ ありがとうです!!!」
時崎「喜んでくれて良かったよ!」
七夏「はい☆ あ、ごめんなさいっ! 今、お茶を用意・・・あっ、紅茶の方がいいかな?」
時崎「七夏ちゃん! ちょっと落ち着いて!」
七夏「はい☆ すみませんっ!」
まさか「ブルーベリーのタルト」で、七夏ちゃんがここまで取り乱すとは思っていなかったけど、とても可愛い一面を知る事が出来た。これは天美さんに感謝だな。
七夏「柚樹さん♪ 本当にありがとうです☆」
時崎「いや、こっちこそ、いつもありがとう!」
七夏「これ、とっても高価ですから、ほしくても、お小遣いではなかなか買えなくて・・・」
時崎「そうなんだ」
確かにこの「ブルーベリーのタルト」は、七夏ちゃんくらいの歳の女の子のお小遣いからすると、高価な食べ物だと思う。俺もひとつしか買わなかったからなぁ。
七夏「柚樹さんと半分ずつです♪」
時崎「え!? 俺はいいよ。七夏ちゃん、好きなら全部食べていいよ」
七夏「七夏ね♪ 柚樹さんと一緒に半分ずつがいいな♪」
時崎「そ、そう・・・」
・・・七夏ちゃんの希望に従う事にする。その表情から遠慮しているようには見えなかったから・・・。ん? 今、七夏ちゃん自分の事を「ななつ」と話したな。これは、どういう事なのだろう? 初対面の時以来の事なので、どこか懐かしさを覚えた。
七夏「はい♪ 柚樹さん♪」
時崎「あ、ありがとう!」
七夏ちゃんは、ブルーベリーのタルトを半分、俺の方に取り分けてくれた。
七夏「いただきまーす♪」
時崎「いただきます!」
七夏「ん♪ おいしい♪」
時崎「おっ!」
七夏ちゃんがブルーベリーのタルトに目がない理由を、俺の舌が教えてくれた。
七夏「~♪」
時崎「これは、美味しい!」
あまりスイーツを食べる方ではなかったが、これは別格の美味しさだった。
七夏ちゃんの好きなものだから・・・という理由ではなく、七夏ちゃんが好きなものを、純粋に同じように好きになれた事が嬉しい。
俺と七夏ちゃんは、ゆっくりと「ブルーベリーのタルト」を楽しんだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
??「ただいま」
玄関から声がした。聞いた事のある声・・・七夏ちゃんのお父さんの声だ。
七夏「あ、お父さん! お帰りなさい!」
凪咲「おかえりなさい。あなた」
直弥「ただいま。七夏、凪咲」
自然と挨拶をする二人に対して、俺は少し出遅れた。
時崎「えっと、お邪魔しております」
直弥「いらっしゃい。時崎君だね。凪咲から話は聞いてるよ。色々とお世話になってるそうで」
時崎「いえ、こちらこそ、お世話になっております!」
直弥「ごゆっくりどうぞ!」
時崎「すみません。ありがとうございます!」
七夏ちゃんのお父さんとの会話は緊張してしまう。まだ、ほぼ初対面に近いからなのかも知れないが、自然に話せるように努めたい。
凪咲「あなた、お疲れ様。研修は終わったのかしら?」
直弥「ああ。その事なんだけど、後で少し話しておきたい事があるから!」
凪咲「はい」
七夏「お父さん!」
直弥「七夏、どおした?」
七夏「えっと、踏切さん、完成してます☆」
直弥「お! 本当か?」
そう言うと、七夏ちゃんのお父さん、直弥さんは、真っ直ぐ自分の部屋へ向かってゆく・・・七夏ちゃんもその後を付いてゆく。
凪咲「あらあら、挨拶もなしに・・・ごめんなさいね。柚樹君」
時崎「いえ、お気持ちはとっても分かりますので!」
凪咲「ありがとうございます」
七夏ちゃんのお父さん、直弥さんは車掌のお仕事をしていて、鉄道模型が趣味という事はなかなかの鉄道好きという事だ。この辺りの事を切り口にすれば、会話も弾むかも知れないと思った。
時崎「七夏ちゃんのお父さんは、結構な鉄道好きみたいですね」
凪咲「そうね。でも、その事には感謝しています」
時崎「感謝・・・ですか?」
凪咲「はい。よろしければ、こちらへどうぞ」
時崎「え!? あ、ありがとうございます」
凪咲さんに案内されて居間へ移動した。
凪咲「ナオ・・・主人との出逢いは、私が今の七夏と同じ歳くらいの頃・・・」
凪咲さんは直弥さんとの出逢った時の事を話してくれた。
凪咲さんと直弥さんの出逢いは、通学中の列車の中、お互いに存在は知っていたけど、凪咲さんは車内で本を読んでいる事が多かったので、二人が話す機会は無かった。そんな列車の線路のように、等間隔状態のままの二人を引き寄せる出来事が起こる。
凪咲さんは、いつも降りている駅で降りようと列車の扉付近に居た。扉が開きかけた時、戸袋内に鞄が挟まり、扉が少ししか開かない。周りの人は、助ける事無く、ささっと他の扉へ向かってしまう。凪咲さんが立ち往生している間に扉は閉まり始め、鞄が戸袋から外れるが、そのまま扉は閉まりそうになる。その時、一人の男の人・・・直弥さんが閉まりかけた扉の間に腕を入れ、押さえる。しばらくすると、扉が再び開く。
直弥さんの「降りて! 早く!」という言葉に、凪咲さんは慌てて降りたが、咄嗟の事でお礼が言えなかった。凪咲さんは翌日、直弥さんにお礼を言う。通学中、何度か見かける事があった二人・・・凪咲さんから話しかけたのは、この時が初めてだった。直弥さんは、列車の事に詳しく、将来は列車の運転士になりたいらしい。それゆえ、列車の扉の仕組みも詳しく知っていたようだ。
-----当時の回想1-----
凪咲「昨日は、ありがとうございました」
直弥「え!? あ、昨日戸袋の・・・」
凪咲「手・・・大丈夫でしょうか?」
直弥「手?」
凪咲「はい。扉に挟まれてましたので・・・その・・・すみません」
直弥「あ、扉はそんなに強く閉まらないから大丈夫!」
凪咲「そうなのですか?」
直弥「列車の扉は、空気の力で閉まるからね」
凪咲「え? 空気?」
直弥「扉が開く時に、空気が抜ける音がすると思うんだけど」
凪咲「そう言われれば・・・お詳しいのですね」
直弥「まあ、一応、将来は列車の運転士志望だから!」
凪咲「まあ!」
直弥「あ、僕は
凪咲「私は、
----------------
凪咲「ナオが鉄道の事に詳しかったから助けてもらえた。そうでなかったら、ナオとの出逢いはなかったと思うし、七夏とも・・・・・ですから、ナオの鉄道好きには感謝しています!」
時崎「そうだったのですね」
凪咲「ナオは運転士には、なれなかったのですけど・・・」
時崎「え!?」
そう言えば、さっきのお話で、直弥さんは「列車の運転士になりたい」と話してくれたけど・・・。
凪咲「色覚特性が合わなかったの・・・」
時崎「それって・・・」
色覚特性・・・色の見え方の特性の事だが、直弥さんは色が多くの人と異なって見える特性の持ち主なのだと理解した。「色盲」という事になるのだが、あまり好きな言葉ではない。確か、男の人で20人に一人、女の人で500人に一人くらいの割合だったと思う。
凪咲「ナオの色の見え方は、私とは違うみたいで、特に赤色が見えにくいみたい・・・でも、それは個性だと思っているの」
時崎「個性・・・ですか?」
凪咲「ええ。得て不得手とか、好き嫌いみたいなこと・・・かしら?」
時崎「なるほど」
凪咲「だけど、色覚特性が合わないと運転士のお仕事は難しいみたいで・・・」
時崎「確かに、赤色が見えにくいと辛いですね」
凪咲「ええ。特に遠くの小さな信号の光の色が、すぐに判断できない場合は・・・」
-----当時の回想2-----
直弥「なんでだよ! なんでダメなんだよ・・・なんで分からないんだよ!」
凪咲「ナオ・・・」
直弥「なんで赤が分らないんだよ!」
<<上司「列車の運転士は沢山の人の命を預かる仕事だ。信号の見間違いがあってはならんのだよ」>>
直弥「運転士になって、凪咲を乗せてあげるからって約束したのに・・・この視力じゃ、車掌までだなんて・・・・・」
凪咲「車掌さん・・・素敵だと思うわ!」
直弥「気休めならいいよ!」
凪咲「気休めじゃないわ!」
直弥「・・・・・」
凪咲「もし、ナオが運転士さんだったら乗車中は会えないけど、車掌さんなら会えるから!」
直弥「・・・会えるって?」
凪咲「ほら! 切符の拝見で♪」
直弥「!」
凪咲「車掌さんの方が、お客様との接点が多いと思うの♪」
直弥「・・・凪咲・・・」
凪咲「だからね、車掌さん・・・とっても素敵なお仕事だと思うの♪」
直弥「・・・・・」
凪咲「私、乗車中に寂しくなったら、ナオの事、呼ぶからね!」
直弥「・・・え!?」
凪咲「車内で困ってるお客様を助けるのは、車掌さんのお仕事だから・・・くすっ☆」
直弥「・・・・・ありがとう・・・凪咲・・・・・」
----------------
凪咲「・・・それで、ナオは車掌さんになる事を決意してくれたの・・・」
時崎「車掌さん、格好いいお仕事だと思います!」
凪咲「ありがとうございます!」
時崎「こちらこそ、素敵なお話、ありがとうございます!」
凪咲「・・・でも、七夏は今でもナオが運転士になれたらいいなって思っているみたい」
時崎「七夏ちゃんらしいですね」
凪咲「そんな事もあってか、七夏はナオに少し甘え過ぎな所もあるのが・・・ね」
凪咲さんは苦笑する・・・これは、少し「やきもち」が入っているのかも知れない。
時崎「それは、構わないと思いますけど」
凪咲「最近は、柚樹君にも甘え過ぎているみたいだから・・・」
時崎「え!?」
凪咲「七夏がご迷惑かけてるのではないかしら・・・って」
時崎「七夏ちゃんが甘えてくれるのは、とても嬉しいです!」
凪咲「ありがとう・・・・・良かったわね! 七夏!」
七夏「ひゃっ☆」
時崎「え!?」
居間の入口に七夏ちゃんが居たみたいだ・・・今の話、聞かれていたのかな。俺は七夏ちゃんの居る所に移動する。
時崎「な、七夏ちゃん!?」
七夏「ご、ごめんなさい・・・えっと・・・その・・・私の事とか、お話してたみたいだから、入りづらくて・・・」
時崎「いいよ、別に! 聞かれて困る事でもないし」
七夏「ありがとう・・・です」
時崎「まあ、ちょっと恥ずかしいけど」
七夏「くすっ☆ でも・・・私、知らなかったなぁ☆ お父さんとお母さんの出逢い♪」
時崎「え!? そうなの!?」
七夏「だって、私が訊いても、お母さんもお父さんも答えてくれなくて・・・」
時崎「なるほど。まあ、それは恥ずかしさもあるからかな?」
七夏「くすっ☆ 柚樹さんのおかげで、素敵なお話、聞けました♪」
凪咲「七夏!」
七夏「ひゃっ☆」
凪咲「あまり、隠れてお話を聞くのはダメよ!」
七夏「ご、ごめんなさいっ!」
凪咲さんは、少し苦笑いしながら、七夏ちゃんに軽く注意をするが、直弥さんとの思い出話を聞かれたことの恥ずかしさも入っているのだと思う。
七夏「お母さんは、どおしてお父さんの事が好きになったの?」
凪咲「そうね・・・直感・・・かしら?」
七夏「くすっ☆」
凪咲さんの答えは、はぐらかすかのような一言だけだった。
凪咲「ナオは?」
七夏「えっと、まだお部屋に居ます☆ お母さんにお話があるって」
凪咲「そう言えば、さっきそんな事を話してたわね。ちょっと失礼しますね」
時崎「え!? あ、はい」
凪咲さんは、七夏ちゃんのお父さんの部屋へ向かった。
七夏「柚樹さん! ありがとうです!」
時崎「え!?」
七夏「お父さん、とっても喜んでました☆」
時崎「喜んで!? あ、踏切の事?」
七夏「はい☆」
時崎「ところで、七夏ちゃんは、お父さんのお話し聞かなくていいの?」
七夏「大切なお話しみたいだったから、お母さんと二人っきりでお話がいいかなって☆」
時崎「そうなんだ」
七夏ちゃんは、ご両親にも気を遣っているようだけど、今更、驚く事でもない・・・か。子供が「親の顔色を伺っている負の気遣い」とは明らかに違うので、こういう気遣いは微笑ましい。七夏ちゃんと居間でのんびり過ごす。七夏ちゃんは、お父さんの事を少し話して聞かせてくれた。
七夏「・・・お父さんね、本当は運転士さんになりたかったみたい・・・」
時崎「そうみたいだね」
七夏「でも、車掌さんのお仕事も、とっても充実してるって♪」
時崎「素敵で誇れるお仕事だと思うよ!」
七夏「ありがとうです☆」
時崎「それで、列車の運転するゲームがあったんだね!」
七夏「はい☆ でも、ゲームはここちゃーの方がお父さんより上手いみたいです☆」
時崎「あ、天美さん・・・将来は運転士さん!?」
七夏「くすっ☆」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
直弥「七夏!」
七夏「あ、お父さん! お母さんとのお話はすんだの?」
凪咲「ナオね! 運転士さんになれるんだって!」
七夏「え!?」
直弥「今度の日曜日に、蒸気機関車を運転できる事になったんだ!」
凪咲「列車の展示イベントで、ナオが運転するのよ♪」
七夏「本当・・・なの!?」
直弥「もちろん! だから、七夏も見に来てほしい!」
七夏「わぁ☆」
時崎「よかったね! 七夏ちゃん!」
七夏「はい♪」
直弥さんの視力の適性問題で、運転士になる事は難しいというお話を聞いたばかりなので疑問が残るが、ここでその理由を訊くのは無粋だ。皆が幸せそうにしているのなら・・・。
七夏ちゃんと凪咲さんは展示イベント当日は、民宿をお休みにするらしい。俺もその展示イベントに興味を持ったので、参加させてもらえないかお願いをしてみた。
凪咲「まあ! 柚樹君も来てくださるの?」
時崎「ええ! とても面白そうですので是非! それに、七夏ちゃんの写真の件もありますから!」
凪咲「ありがとうございます!」
直弥「時崎くん!」
時崎「はっ! はいっ!」
直弥「踏切の設置、七夏を手伝ってくれたみたいでありがとう!」
時崎「いえ、俺も楽しめましたので」
直弥「よろしければイベント当日、凪咲と七夏の事、よろしくお願いします!」
時崎「こ、こちらこそ!」
直弥「では、失礼いたします!」
時崎「はい!」
その場を立ち去る直弥さん・・・が、こちらに振り返る。
直弥「凪咲!」
凪咲「え!?」
直弥「僕はまだ諦めてないよ! 運転士として、凪咲と列車旅!」
凪咲「まあ!」
そう言い残して直弥さんは自分の部屋へ向かった。
凪咲「・・・ナオ、運転士になりたいっていう夢・・・諦めてなかったのね・・・」
時崎「七夏ちゃんのお父さん、芯が強い人なんですね!」
凪咲「・・・うぅ・・・ご、ごめんなさい・・・」
七夏「お、お母さん!?」
・・・凪咲さんは、よほど嬉しかったのだろう・・・。
<<凪咲「・・・でも、七夏は今でもナオが運転士になれたらいいなって思っているみたい」>>
さっき凪咲さんが話していた言葉・・・凪咲さんも七夏ちゃんと同じく、直弥さんの夢を誰よりも応援している事が伝わってきた。
俺は、凪咲さんが自分の部屋へ向かうよりも先に、一礼をして、そのまま自分の部屋へと移動した。
夢を追いかけ続けている事・・・それが人として最も輝いていると言える。夢を達成してしまったら、その先には、一体どんな事が待っているのだろうか・・・。
「ふたつの虹」を追いかけて・・・追いかけている今が、最も充実しているのかも知れないと思うのだった。
第二十一幕 完
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次回予告
虹はいつから七色になったのだろう・・・ふたつの虹を持つ少女が想う七色とは!?
次回、翠碧色の虹、第二十二幕
「ふたつの虹を宿した少女」
俺は七色と虹色の違いに気付かされる事になる。
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