第一幕:ふたつの虹に魅せられて
流石に希少な存在である虹・・・それも、ブロッケンの虹にそう簡単に出逢えるはずもなく、疲労感だけが残る・・・こんな事は、虹の撮影を始めてから然程珍しい訳ではないが、期待感だけまだ残っているのが、なんとも言えない。虹は撮影できなかったが、都会より少し離れた、懐かしさを感じるこの街の風景や、空を撮影する事はできたから、空振りではない。
今日泊まる宿の事を考えながら駅前へ向かう。特に事前に宿を予約している訳ではなく、飛び込みだ。しかし、宿が全くないと困るので、予めいくつか宿の場所は確認している。道中、少し古びれたバス停と長椅子が目に留まる。疲れた足が意思を持つかのように、その椅子まで誘導され拝借する。その場所は、ちょうど木陰になっており、思っていた以上に涼しく、心地よかった。バスに乗るつもりはなかったのだが、とりあえず時刻表を確認してみる・・・次のバスの到着時刻まで一時間以上はあるようだ。バスが来るまでに、ここを離れるつもりではいるが、もし早くバスが着たら、それに乗ってみるのもありだろうか・・・そのまま目を閉じる・・・遠くから蝉の声が耳に届いてきた・・・。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・どのくらいの時が経過したのだろう・・・・・。再び目を開けると、そこには先ほどと然程変わらない風景・・・当然である。いくらなんでも、そこに虹が存在した・・・というような好都合な事は、考えもしないし、そうそう起きるはずもない。ただ、さっきと違うのは隣(と言っても、少し離れている)に、一人の少女が座っていた。紺色と白のセーラー服姿で、髪は椅子に届くくらい長い・・・。中学生か、高校生くらいだろうか。その少女は、本を読んでいるのに夢中なのか、こちらには気付いていない様子で・・・と、少女が此方の動きに気付き、視線を送ってきた。俺は、少女の目を見る事が出来ず、反射的に視線を逸らしそうになる。しかし、ここで完全に視線をそらしては失礼だ・・・何せ俺の方が先に少女を見ていたから・・・そう思い、逸らしかけた視線のまま少女に軽く会釈をする・・・。多分、引かれるだろうな・・・と思いつつ、再び視線を少女に戻すと、会釈を返してくれたようだ。少女の顔は長い髪の奥にある為、よく見えないままだが、少しホッとする・・・が、何か気まずい・・・。更に話しかけるべきかどうか躊躇している間に、その少女は椅子から離れる。何か悪い事をした気になってしまう・・・。恐らく、少女も気まずくなったのだろうと、考えたりしていると---
少女「しばらく・・・来ない・・・です」
主 「!?」
少女「えっと・・・バス・・・待っています?」
主 「あ、バス!」
少女「・・・さっき、バスが・・・ごめんなさい」
主 「!? どうして謝るの?」
少女「そのバスに乗るはずで・・・だから・・・」
少女は、バス停の時刻表を見つめている為、後姿でその表情は分からない。言葉を詰まらせている様子から、申し訳ないと思う気持ちだけは伝わってくる。どうやら、バスが来たのに、眠っていた俺を、起こせなかった事を、気にしているらしい。
主 「なるほど、ありがとう。気にしなくていいよ」
少女「・・・・・」
主 「ここで、少し休んでいただけだから」
少女「え!? 休んでいた・・・」
主 「少し椅子を借りただけで・・・」
少女「椅子を・・・私と同じ・・・」
少女は、俺の言葉にホッとしたのか、少し言葉が柔らかくなる。そして、少女が此方に振り返った時-----
主 「虹!?」
見間違いか、まだ寝ぼけているのかとも思ったが、その少女の瞳は、虹のように七色に変化した。瞳の事を「虹彩」と言うが、彼女こそ、本当の意味での虹彩の持ち主かも知れない。七色に変化するその瞳に我を忘れかけた時、
少女「えっと・・・ご旅行・・・ですか!?」
少女の問いかけに、我を取り戻す。
主 「あ、ごめん。旅行・・・というよりも、写真撮影・・・かな」
少女「写真・・・」
主 「そう! 虹の写真を撮影できればと思ってね」
少女「・・・いい写真、撮れました?」
主 「まあ、虹は撮れなかったけど・・・」
ここで、思い出す。そうだ!! 虹!!! 今までに出逢った事のない不思議な虹が、ここにあるではないか! しかし、その虹は初対面の少女である。いきなり写真撮影をお願いするのは、あまりにも勇気が必要だ。どうする? どうするっ!? そんな葛藤の中、
少女「虹・・・」
少女が呟く。
慌てて、少女の呟きに歯車を合わせる。
主 「そ、そう、虹! この街は、ブロッケンの虹がよく現れると聞いてね」
少女「ぶろっけん?」
少女は、ブロッケンの虹の事を知らないようである。確かに、一般的な虹ほど有名とは言えない。
そこで、携帯端末(MyPad)を取り出し、ブロッケンの虹が、どのような虹なのかを、少女に見せてみる。少女は少し近付き、携帯端末に視線を送る。
少女「・・・・・綺麗な景色です」
写真を見て綺麗とは言ってくれたが、肝心の虹に関しては、いまいちな反応である。まあ、興味の対象は、人それぞれなので、ここで虹の事を押し付けるべきではないだろう。初対面の相手に対しては、反応があった内容に話を合わせる方が無難だと思う。それよりも、大切な事を忘れていた・・・まだ自己紹介をしていない。
主 「そう言えば、自己紹介がまだだった。俺は、
少女「えっと、私は、
最初に「ななつ」と苗字ではなく名前を答えたこと。「申します」と随分丁寧な言い方といい、少し不思議な印象を受けたが、自己紹介なので、改まった言い方になったのかなと、俺は思った。
時崎「水風さん・・・で、いいのかな。ありがとう」
水風「はい。よろしく・・・です」
水風さんは、初対面の人に対して冷たい感じはしない。しかし、なんとなく、ぎこちない感がする。初対面なのだから距離をとっているのは当然なのだが、それが少し切ない。
時崎「この街には、しばらくいるつもりなので、また会えたらよろしく」
水風「はい」
水風さんは「はい」と言ってはくれたが、これは、所謂社交辞令だろう。ここで別れると、次に会えるかどうかは分からない・・・むしろ、会えない確率の方が遥かに高いだろう。そう思うと、ここで写真撮影のお願いをしなければ、後で激しく後悔するという未来が待っている。「勇気は一瞬、後悔は一生」という言葉がある。元々、人物の撮影は色々あって避けていたけど、今回だけは・・・今回だけはっ!!
時崎「み、水風さんっ!!」
水風「は、はい!?」
時崎「写真・・・お願いしてもいいかな!?」
回りくどい言い方は、逆効果だと思ったので、頭を下げてストレートにお願いする・・・断られたら、潔く諦める覚悟でいた。何だろこれ、まるで告白でもしたかのように、心拍数が上がっている。そして、返事を待つこの間、早まる鼓動とは反比例のごとく、時間経過は遅くなっている感覚だ。
水風「えっと、写真・・・いいですよ」
なんと、許可が貰えた。写真撮影のお願いで、こんなにドキドキするなんて・・・「写真撮影は命がけだっ!」なんて聞いて、大袈裟だなと思った事があるが、今回は、その言葉が骨身にしみるようだ。
時崎「ありがとう。水風さん!!」
水風七夏さん・・・思いがけず出逢えた「不思議なふたつの虹」をファインダーが優しく包み込む。バス停の前で佇むような水風七夏さんが印象的で、のどかな(静かな)風景の中、聞き慣れたはずの機械的なシャッター音が、不思議な音色であるかのように、耳へ届いてきた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
宿にて、今日撮影した写真を確認する。水風七夏さんの写真だ。しかし、撮影した写真に、虹は存在しなかった。水風さんの瞳は、見る角度によって色が変化していたのに、撮影した写真5枚とも翠碧色(緑青色)の瞳である(正確には7枚撮影しているが、2枚は目を閉じた表情なので、虹は彼女の中に隠れている)。撮影した時、偶然翠碧色だったのか・・・。撮影した直後に、確認すれば良かったのかも知れないが、本人を目の前にして小さな液晶画面の中の水風さんを、まじまじと拡大して確認なんて、できなかった。やはり、虹はそう簡単に撮影できないようで、その事が水風さんの虹への魅力と関心をより強くしてくれた。あと、撮影した写真の表情が、少し硬いのも気になった・・・緊張していたのかも知れないが、できれば笑顔の水風さんが撮りたかった。
もう一度、水風さんに会う事ができるかどうか・・・気が付くと隣にいたあのバス停・・・明日も、そこにいるかどうかは分からない。しかし、水風さんの「ふたつの虹」の撮影が満足にできなかった事が、水風さんにもう一度会いたいという想いとなって、俺の記憶に、より深く刻み込まれてゆくのであった。
第一幕 完
------------------------------------
次回予告
虹は、幻とは違う・・・俺が見た「ふたつの虹」・・・幻ではないと信じたい。
次回、翠碧色の虹、第二幕
「ふたつの虹に逢いたくて」
今は、ふたつの虹を追いかけたい・・・。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます