第4話

 子供ができてからは遊びを控えるようになりました。時間が経つと、あれだけ気色悪いと思っていたものがだんだんと可愛く見えてくるのが不思議です。娘が愛おしくて仕方なくって、なんでも買い与えたものです。


 でもね田上さん。一度味わった蜜の味ってのは中々忘れられないものなんですよ。付き合いで何度か飲んでいるうちに、私のはらわたからカーッと熱い欲望が湧き上がってくるのが分かりました。酒と女が欲しくなってきたんです。それでも我慢はしたんです。娘が小学校に入るくらいまで、八時くらいに家に帰って一緒に飯を食って、その日にあった事を聞いて幸せだと思っていました。でも駄目ですね。そんな生活が、慎ましやかな幸せが、私には退屈でつまらないもののように感じるようになりました。夜な夜な体験したあの刹那的な快楽が恋しくて堪らなくなったんです。


 そうしてまた家に帰らない日が続くようになりました。嫁も娘も何も言わなかったのが意地悪く思え、それが返って私を意固地にさせたのですがあれは批判ではなく諦観だったのでしょう。それまで娘には真っ当な父親を演じていたつもりでしたが、子供というのは見破るものですね。短い付き合いの中で、すっかりと私の悪癖を看破していたようです。それを悟った時には、私は別の女の人の部屋に転がり込んでいました。スナックでママをしていた人で、波乱万丈な人生を送ってきた女丈夫でした。その女の人の竹を割ったような性格がまた気持ち良くってね。つい惚れ込んでしまったんですよ。

 気っ風のいい女てのは田上さん。希ですよ。顔が良いとか仕草がいいとか人は言いますけれど、違います。人徳です。人は人に惹かれるんです。そう意味では彼女は実に理想的な人でした。もっと早くに会っていれば……と、思わない事もないんですがね。これも宿命ですね。考えてもしょうもないことです。

 彼女にはちいさな子供が一人いました。こっちは男だったんですけど、居座るうちに私のことをお父さんと呼ぶようになりまして、私もつい情が移ってしまい、こちらもその気になって父親として振る舞ったんです。すると、もう離れられなくなりました。頭に嫁と娘が浮かぶ事も勿論ありました。だけれど、「あんな陰気臭い女共よりこちらの方が遥かに俺らしい」なんて都合のいい、いわば自己弁護的な声が聞こえてきたんです。馬鹿なもんですよ。でも結局、籍は変えなかったんです。未練があったのか、それとも単に面倒だったのか……理由は忘れてしまいましたが、ともかく、私は半端な状態で過ごすようになりました。随分と金がかかりましたよ。それでも当時はなんとかなっていた。元の家に月五十万くらい入れて、三十万くらいをもう一方の家に入れていましたけれど、私の懐は多少の重さをもっていまして、軽く遊ぶ分には苦労しませんでした。もっとも、その頃になるともっぱら新しくできた息子に夢中で、夜遊びなんてのはしなくなりましたけどね。


 それで私はもう嫁さんの方にはちっとも帰らなくなりました。盆も正月も、息子達と一緒に暮らすようになったんです。二十年です。私は二十年、新しくできた家族と共に過ごし、本来いるべきはずの場所にいなかったんです。それだけの時間ぎ過ぎるとね、やはり湧くんです。罪悪感が。捨てた家庭と騙している息子に……勝手なものでしょう? 情けない話ですよ。好き勝手に生きた結果だというのに、まるで悲劇のように思ってしまったんですから。それに加え、外資系企業に対する規制緩和やバブルの崩壊なんてのもありましてね。どんどんと仕事の業績も悪化していって、従業員にも暇を出さなきゃならない状況になってしまったんです。そん中で私は新しい家族の為にと家を建ててやったもんだからこりゃあいかんと、金を得る為に色々とやりました。田上さん、マルチまがい商法って知ってますか? こいつは違法ではないんですがね、極めて危うい、グレーな商売なんです。私はそれに手を出しました。知り合いに誘われて、自己啓発セミナーへ行ったんです。そこで不覚にも感銘を受けてしまいまして、紹介された商品を売れば、心も懐も潤っていくと勘違いしてしまったんです。それから私は今まで築いてきたパイプを使って紹介された商品を売りまくりました。最初は付き合いからかみんな買ってくれるし、なんならセミナーに参加しようと言ってくれる人もいました。金も入りましたよ。十分とはいかないまでも、二つの家庭を支えられるくらいには。でもね田上さん。気づいたら、私は一人になっていたんです。田上さん。あぁいった商売は、信頼を切り売りするもなんですよ。そんなものをやり続けたらどうなるかなんて、火を見るよりも明らかだというのに……それと分からず、ただ目先の利益を貪った結果の帰結です。愚かなものでしょう。自分でも笑っちまいますよ。また間が悪いもので、先に話した連帯保証人のシステムが崩れたんです。一人が飛んで、あれよあれよと連絡がつかなくなり、最終的に私に五億の借金が降りかかりました。どうしようもありませんでした。だから私は、せめて苦労をかけぬようにと、息子達の元から去ろうと思ったんです……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る