第2話
私は内陸の山奥で産まれました。
みなさんは物心ついた頃にはもうテレビだとか、車だとか、エアコンなんてものが当たり前にあったと思うんですけれど、私の家には扇風機すらありませんでした。周りには林と田んぼと畑ばかりで、ちょっとした買い物をするにも一時間ばかり山を降る必要がありました。
それでも不便に感じなかったのは、今ほど暑くも寒くもなく、知恵と経験でやりくりできたからなんです。暑ければ川に入り、寒ければ火を焚いたりして、腹が減ればその辺の果物を採って食べる。あなた方はウシノキンタマなんていうのは知らないでしょう。ふざけた名前ですが、これがまた酸っぱいのに不思議と美味しく感じるんですよ。でも実際は食べれたもんではないんです。歳をとって、何かの機会に食べたんですがまぁ口の中が唾でいっぱいになってしまって……いやはや、若い頃と比べると、大分舌が肥えてしまったようです。まぁ他にも、蛇苺やらサルナシなんからやらをよく食べて飢えを満たしていましたよ。
こういう話をすると皆さん羨ましがったりするんですけれど、私からしたら今の方がずっといい。私達は他にやる事がなかったから、何とかして楽しくしてやろうと、少しばかり無理をしていた節もあります。いくら山奥といっても都会の情報は入ってきていましたから、街に暮らす人間なんかより、俺たちの方がずっと豊かで人間らしい生活ができていると、誰にいうでもなく証明したかったのだと思います。
しかしながら、私達が日頃やっていた事といえば野蛮極まりない、およそ人間らしさとはかけ離れた遊びばかりでした。例えば、仲の良かった、ワタナベケンタロウという人がいたのですが、彼は牧場主の息子でした。
私は彼と色々な遊びをしたのですが、その大半が残虐な、倫理的に問題のあるものでした。蜂の巣を破壊したり、蛙に爆竹を喰わせたり……今思うと酷い事をしたものです。特に凄惨な遊びは、彼の家に泊まりに行った際の出来事です。彼の農場にはそれなりの数の牛がいまして、その牛が、アブやらブヨを追い払うために尻尾を忙しなく動かしているわけなんですが、私達は何を思ったか、この尻尾を切り落としてやろうと話し合ったわけでございます。それで、一頭の老牛に目を付けました。その年老いた牛は買い手が付かず、さりとて処分するには忍びないとワタナベケンタロウの父親が情けで置いていた一頭なんですけれど、その牛がまた不細工でね。こうも不細工なら、尻尾を切っても差し支えなかろう。と、私達は勝手な合点をして、夜に尾を切ってしまったんですよ。それで次の日にその牛を見てみると、まぁいろんな虫に食われ放題でケツが真っ赤になっていてね。糞を跳ばせないから蝿なんかが集りに集りにたかって、ひとしきり笑った後可哀想になりました。
田上さん。信じられないって顔してますね。私も、こうやって笑ってはいますが、大変に反省しているんですよ。まったく残酷な事をしたと。しかし、田舎の暮らしなんてのは終始こんなもんなんです。子供はみんな悪童だし、大人達もそれを咎めはしますが生業の邪魔さえしなければ「しょうもない」で済ましてしまう。なぜなら、大人達も昔似たような事をやっていたんですからね。それと、戦争ごっこなんてのをよくやってました。塹壕を作ったり、木の上に基地を作ったり、銀玉鉄砲なんていうちゃちな玩具のピストルで撃ち合ったり、どっからか仕入れた火薬を爆発させたり……しまいにゃ林の一画を焼いてしまったりしたんですが、さすがにあの時は肝が冷えましたよ!
しかし私が中学に上がる頃になると、そういった遊びはしなくなっていきました。私だけではありません。周りの子供達が皆、家にこもる時間が増えたんです。なぜだと思いますか? テレビが出回りはじめたんですよ。
あれは春でしたね。今でいう花粉症なんてのは当時ありませんでした。いや、多少鼻がむずむずするといったような事はあったかもしれませんが、それでも道行く人がこぞってマスクを着けたり、病院に抗生物質を処方されるなんてのはなく、草木が萌え、風に水気と暖かさが混じるのを体全体で感じ、早く花が咲かぬものかと、大人も子供も身をそわりとさせていた時期です。大学を卒業した里の人間がふいと現れ、各家庭にテレビを安く売っていったんです。私の家も「皆が買っているのだから」と、親父が一大決心をしたように重苦しく口を開いて、居間に一台、小さな白黒テレビを置くようになりました。私はこの小さくて粗末な、その癖やたらと厚みのあるブラウン管の虜になってしまいました。当時は鉄腕アトムとか、鉄人28号とか、そういったものが流れていました。今観れば子供騙しもいいところでしょうが、山とか川しか知らない私達にしてみればもう新鮮強烈でしてね。放送が始まれば終始テレビに釘付けとなっていました。
それでも、しばらくするとまた、皆申し合わせたように野に出て辺りを駆け回るようになりました。しょせん田舎の育ちですから、じっと、テレビの前で座っているのにも飽きたんです。その年頃になると知恵と器用さが身についてましたから、船を作って川を下ったり、木で車を作って、周りのチビ達を乗せて、坂道から転がしたりして遊んだ事を覚えています。まぁ、そんなもんですね。他に大した事はしてません。それから私は高校に上がりまして、ボート部に入りました。きつい練習で血反吐を吐いたもんで、終いにゃ貧血になってしまったんですが全国大会まで出る事ができましてね。見栄を張って理数科なんざ受けたもんだから勉強はちょっと付いていけなかったんですけど、いい思い出にはなりました。
まぁ子供の頃の話はこんなもんです。私にとってはつまらない話なんですが、マスターみたいに話を聞いてくれる方もいらっしゃって、そんな人を前にするとつい舌が回ってしまうんですよ。どうですか田上さん。退屈じゃございませんか? そうですか。ありがとうございます。では、続きを話させていただきます……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます