派遣の美食

@LabiUsagi

第1皿目-和風ガスパチョ

※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。




「またハズレ引かされた...」


 男の呟きは、さして広くも無く、酷く蒸し暑い倉庫に積み上げられた貨物の山に虚しく吸い込まれた。


「大体何考えてるんだよ。素人にこんなの扱わせるとか...」


 男は、八つ当たり気味の視線を傍らの物体に浴びせた。

 全体的に丸っこい、どこかユーモラスな「そいつ」は意にも解して無かったが。


 男の名は南瀬夏樹(みなせなつき)。求職活動をしつつスポット派遣スタッフを続けている、どこにでもいる様な青年だった。


 高卒で大して頭も良く無いが、かつては広告代理店に就職し、DTP--大雑把に言えばパソコンによる広告を作る仕事--の技術を叩き込まれた。


 だが結局挫折。

 良く分からないままハローワークに紹介され、がむしゃらに働いていた職場がかなりブラック寄りな事に気付き、命の危険すら感じた南瀬は逃げ出す様に退職した。


 とは言えグラフィックソフトでチラシを描くしか能の無かった南瀬には、似たような仕事を探しつつ、派遣スタッフと言えば聞こえは良いが、人件費を中抜きされまくった、しがない出稼ぎアルバイトを続ける他無かった...。


 南瀬が登録した警備会社から派生した派遣会社は、登録会に出るだけで書類選考もろくに必要の無いお手軽な物だったが、その分待遇は悪かった。


 備品は基本自前。

 交通費も当然自腹。

 片道の半分でも支給されたり、送迎バスに乗せて貰えるなら運の良い方。食費も当然自前で、割り振られた現場に給湯器や電子レンジがあったら御の字。周囲にコンビニがあれば天国に思える程だった。


 基本、派遣会社の都合優先で割り振られていく職場は、所属する会社が何の職業訓練も課して無い以上、誰にでも出来る様な「猫の手」程度の簡単な仕事になっている。


 ただ、割り当てられた先が必ずしも「猫の手」がどの程度か理解しているとは限らなかった。

 今回の様に...。


「大丈夫!コレ免許いらないから!」


 ただでさえ真夏の炎天下に、朝から屋外で汗みずくになって荷降ろしをさせられ、小休止の時間にコーラをガブ飲みしてようやく一息ついた南瀬は、仕事現場の倉庫の二階に案内され、その物体ーー電動ハンドリフトーーの操作のレクチャーを受けていた。


 丸っこいボディにタイヤの付いたその形状は、一昔前の遊園地にあった様な小さなゴーカートに似ている。


 ただしシートは無く、後部からハンドルレバーが大きく伸びていた。


 そして前部はーー工事現場で見かける様な無骨な二本の鉄ベラーーフォークリフトになっていた。


「エレベーターでさっき君が降ろしてくれた貨物を二階に上げるから、ドンドン運んでね。モタモタしてると仕事が止まるから効率よく頼んだよ!」


 貨物の内容は主にダンボールだった。


 軽くて楽だと思われるだろうが、パレットーー運送業者が使う貨物運搬用の敷物。木かプラスチックのスノコに似た形で、貨物ごとフォークリフトで持ち上げて使うーーに満載すると人間を押し潰せる程重くなる。


 当然手で運べる訳も無いので、主にハンドフォークーー鉄ベラに手動の油圧ジャッキを付けた台車ーーで運ぶ。


 パレットの隙間に鉄ベラを刺してジャッキで浮かせたら、後は手押し車よろしく移動させるだけだから、使い方を覚えれば誰でも使える。


 使うのがハンドフォークだけなら慣れた物だし、朝の荷降ろしはキツくとも、残りの業務時間を身体を休めつつこなせたかも知れない。

くしかし、電動ハンドリフトはハンドフォークの様にも使えるが本質は全く別の道具だった。


 パレットを少し浮かせて動かしやすくするだけのハンドフォークと違い、鉄ベラが電動で人の背丈程も高く上がる。

 そもそもハンドフォークとは用途が違う。

 小型でも、貨物を持ち上げ、降ろし、貨物の上に更に貨物を積載する為の重機である。


「ハンドルの手元のレバーを前に倒して前進、後ろで後退。ターンは前進後退しながらハンドルを左右に回す。ハンドルの付け根のボタンでリフト上下。これだけだから」


 そう気楽そうに説明する男は今日の職場、派遣先の社員だった。


 いかにもガテン系でスポーツの似合いそうな男は運送業者としては必須の「フォークマン」でもあった。


 通常フォークリフトと言えば、リフト機能の付いたシート付きの電動の重機を指す。


 それこそゴーカートの様に乗り回して移動し、土木作業機械の様に活躍する。

 

当然資格免許が必要で、無事取得した者が通称「フォークマン」もしくは「リフトマン」だが、電動ハンドリフトに関してはその資格は必要無いと説明された。


 成程。

 確かに操作だけなら誰でも出来る。だが、ただでさえ貨物で一杯の倉庫内は狭く、天井も低く、取り回し辛い上、この現場はダンボールを満載したパレットの上に直に積み上げると言う危険な方法を取っていた。


 当然その様な方法では軽く揺らしただけで荷崩れを起こすので、普通の運送業者は余程安定しやすい貨物で無い限り、安全に積載出来る棚を用意する。また、リフト作業を考慮に入れて、倉庫には充分な高さのスペースを確保するのが常識だった。


 だが、一目で零細の三流業者とわかる様なこの現場にその様な常識は無い。


 大体、荷降ろしにしても不安定な足場は貨物の転倒、破損に直結するので厳禁のはずが、穴だらけでボロボロの地べたには水たまりまで出来ていた。


 当然崩れて泥まみれになる貨物を急いでタオルで拭き、積み直しながら大型のラップで緊縛していれば時間もかかる。


「お前ラップ遅いよ!何チンタラしてんだよ!」

「...すいません!」


 段取りとかミーティングと言う概念も無く、その場の思い付きでコロコロと作業手順を変えさせて現場を混乱させるフォークマンへの苛立ちを呑み込みつつ、ひたすら罵倒に耐えながら作業を終えた頃にはもう昼だった。


「......」


 神経を全て、鉄ベラに載せたパレットに集中させた南瀬の全身は、再び汗でぐっしょり濡れていた。


 その日はいつスコールが来るか分からず、窓を開け放しておけば貨物を濡らしかねないので、全て締め切った上冷房も利いてないので当然だが、南瀬は汗を拭うでもなく、左右の貨物に引っ掛けない様に目を凝らしていた。


 ほんの少し操作を誤れば周囲の貨物に穴が空くし、最悪天井ギリギリまで積み上げられた貨物に雪崩を打って押し潰される。


 以前別の現場で粗暴なフォークマンに引っ掛けられ、以来腰を傷めてしまった南瀬は必然慎重に作業していた。


「おーい、派遣君!」

「うわぁ!...びっくりした...」


 なので突然話し掛けられた南瀬は、えらくわかりやすい反応になってしまった。


「作業はどれ位進んだ?え...?まだ半分もやれてねぇじゃねぇか!」

「...すいません」

「仕事ナメてんのか!さっきの積込みだって俺がヘルプに入ってやっただろうが!お前仕事してねぇと一緒だろ!」


 表情を消して平謝りする南瀬だったが、内心は反比例して冷めてゆくのを自覚していた。

 何故なら目の前の男が要求している仕事は明らかに免許を取得した「フォークマン」に求めるレベルだったからだ。


 電動ハンドリフトとフォークリフトの機能を比較した結果、シートの有無以外両機に差は無いと分かった。

 その危険性も。


 リフトアップした貨物の下敷きになれば言わずもがな。

 走り出した所でぶつかれば良くて自動車事故、最悪鉄ベラが当たれば冗談ではなく命に関わる。


 だから安全を確保しつつ作業している自分に、今の倍の速度で仕事をこなせと言う事は、有免許者と同じ仕事をしろと言うのと同意義だと南瀬は理解した。


 事実仕事の合間にフォークリフトを借りる許可を貰って、練習してから実技テストを受ける話も聞いた事がある。


 しかし、目の前の男はただでさえ危険度の高いこの現場で、実技で今すぐやれと言う。


 そんなにこの男は自分が監督する現場で大事故を起こしたいのだろうか。


 それともフォークリフトに慣れ過ぎて、誰でも出来て当たり前だと思っているのだろうか。


「君だってこれだけの待遇の良い職場は続けたいだろ?もっと頑張れよ!」


 ...時給は派遣会社に中抜きされてほぼ最低。

 本来通勤距離の短い場所にいる者から職場を振られるシステムなのに、中途半端に仕事を覚えてるし、一度受けた仕事は決して放棄しなかったものだから、遠方のこうした「ハズレ物件」に回される事が多い。


 多少の問題はどこの現場も大差無いが、往復千円する様なこんな現場に固定されたらたまった物ではない。


 だが、スポット派遣には数少ない利点がある。

 一日ごとの派遣契約ゆえに、派遣会社に連絡するだけで特定の派遣先を翌日から拒否出来る事だ。


(駄目だここは...。付き合ってられん)


 あまり我侭を言っていると行ける仕事が無くなるから余り取りたくない手段だったが、意味も無く相手を危険に晒している事に気付きもせず、こちらの「待遇」をまるで把握出来ていない、尚もお説教を続けるフォークマンを前に身の危険を感じた南瀬は、この現場は今日を最後にする事を決めた。




「頭が痛い...」


 比喩ではない。

 先月からの酷暑で何をしても汗が止まらず、疲労が取れない上にハードな現場が続いたので、南瀬は脱水症状を起こしていた。


 身体だけが資本だけに水分補給と塩飴は欠かさなかったが、それでも足りてないのか、家で腰を降ろした途端ぐったりする事が多かった。


 自己診断の結果、ビタミン不足を見落とし、抵抗力を落としていた様だ。


 ...まあ単に夏バテと言う事だが、何故こんな事を難しく考えるかは本人にもよく分かって無いようだ。


(そう言えば最近野菜が足りてないな…)


 帰り道にスーパーに寄った南瀬は、野菜コーナーで食材を吟味していた。


(...良いゴーヤがあるな...。チャンプルーでも良いが、野菜をメインにガッツリ摂るなら...)


 表面のゴツゴツとした粒まで瑞々しいゴーヤと、トマト、玉ねぎを選び、カゴに放り込んだ南瀬は、そのままレジに向かった。


「確か昨日枝豆を買ってたな...」


 安アパートに帰ってシャワーを浴びた南瀬は、冷蔵庫や戸棚を漁り、使えそうな食材を揃え、早速エプロンを締めて調理を始めた。


 まずはゴーヤの下拵え。

 唐竹に割ってヘチマのような綿と種をこそぎ、もう一度縦に切ったら四分の一本分だけ薄くイチョウ切りにし、水にさらす。


 南瀬は生野菜、特に胡瓜等の青臭さがどうにも苦手だったが、何故かゴーヤは気に入っていた。


 その話をすると、大抵の相手はあの苦味が受け付けないと嫌そうな顔をされるが、薄く切って水でアクを抜き、強火で表面を炙ったり、溶き卵を絡めて炒めるなりすれば苦味は抑えられて美味しくなる。


 南瀬がそうしてゴーヤチャンプルーやゴーヤカレーの美味しさを力説すると、


「そうまでして食べたい物か...?」


とあからさまに引かれたので、以来南瀬はゴーヤの話題を振るのを止めた...。


 それは兎も角。


 ゴーヤのアクが抜ける頃合が大体三十分。

 その間に南瀬は他の下拵えに取り掛かった。


 丸ごと一個のトマトのヘタにフォークーー重機では無い。念の為ーーを刺して、コンロで表面を炙る。

 するとトマトの皮がビニールの様に弾けて破れてしまう。


 残りの皮を剥いだら中身をザク切りに。


 そして枝豆。

 枝ごと一掴みを塩は使わず固めに茹でたら皮を剥くだけ。

 ...仕事明けの肴に買って置いた物だが、どうせ今日は呑める状態では無いので使ってしまう事にした。


 最後に玉ねぎを一個微塵切りにしたら、小鍋にオリーブ油を敷いて弱火にかけて、大蒜を一粒丸ごと玉ねぎと一緒に炒める。


 焦がさないよう木ベラでかき混ぜ続け、玉ねぎが透明になったらーー


「おっと。タッパー、タッパー...」


 忘れない内に玉ねぎだけ四分の三取り除いて冷凍庫に保存して置く。


 玉ねぎは色々使いまわせるが、刃を入れたらすぐダメになるので、丸ごと使わない時は南瀬はこうして溜め込んでいた。

 主婦の様だ。


「毎度調理に時間かけてられないからなあ...」


 誰に言い訳しているのか。

 独り言を零しつつ、南瀬は調理を再開した。


 鍋にトマトと水を切ったゴーヤを投入。トマトやニンニクを潰しつつ炒めていくと野菜から水が出てくるので、そのまま干し椎茸、塩昆布をひと摘みづつ足して軽く煮る。


 ひと摘みの塩と枝豆を混ぜたら火を止めて、鍋ごと冷蔵庫で冷まして置く。


 その間、南瀬はスパゲッティを茹で始めた。零.八ミリの、普段使わない極細パスタをさっと茹でたら冷水で締めて、素麺向けのガラスボウルに盛り付ける。


 冷蔵庫から鍋を出して、ドロっとした中身をお玉で一杯取り分けて氷水で割り、スープ状になったのを濃縮麺つゆで塩気を整えたらスパゲッティにかけてーー


「和風ガスパチョの冷製パスタ...になるのかな?」


 見た目はスープパスタとぶっかけ蕎麦の中間だろうか。

 ガラスボウルに盛られ、トマトベースの赤いスープの中で泳ぐ氷粒とスパゲッティ。

 上に盛られた具の枝豆やゴーヤの緑のアクセントが清涼感を醸して美しい。


 ガスパチョはポルトガル等の家庭料理で、暑気払いに飲まれる夏野菜の冷たいスープの事だそうだ。


 勿論本場ではスープ単品だし、麺つゆではなく塩とトマトの旨味で味わうのだが、日本人としては物足りなく感じたので、魔改造を重ねた「なんちゃってガスパチョ」になってしまった。


「...いただきます」

 南瀬は手を合わせると、おもむろにスパゲッティを素麺の様に手繰り、ガラスボウルとお揃いのカップに取り分けてすすった。


「......」


 最初の一口でよく味わった後は猛然と食べ進める南瀬。


 狭い部屋の中に、スパゲッティをすする音だけが静かに響く。

 外からは、もう日が暮れたと言うのに蝉や日暮が喧しい。


(肉類は一切入って無いし、サッパリして喉越しも良いのに、蕎麦つゆとはまた違った満足感が凄いな…)


 薄めて尚濃厚なスープはスパゲッティや具によく馴染んでいる。

 冷やし中華でも素麺でも、麺類なら何でも合いそうだ。


 形を残したゴーヤはシャキシャキ。

 椎茸はクニクニと弾力があり、枝豆もポリポリと。

 玉ねぎも食感を残すか迷ったが、南瀬はトロトロに煮溶かして野菜ダシにするのが好みだった。


「...ふう」


 最後に食べている間に溶けた氷で程良く薄まったスープを飲んで、ようやく南瀬はひと心地付いた。


 熱の篭った身体に冷たいスープが染み渡るのを感じながら、南瀬は暫し黙考していた。


 ...南瀬は、別に料理人志望では無い。ただ昔からものづくりが好きなのと、食道楽が高じただけだ。


 食道楽と言っても、入れるのはせいぜいラーメン屋やファーストフード程度で、それすら偶の贅沢だった。


 そして興味のある料理で作れそうなのを見かけると、試作して食費を節約し。


 また、身体が資本なのだから不摂生で病気になっている暇は無いと、安く手軽に作れて栄養のバランスの取れる食事に拘った。


 その上で「楽しく美味しい食事」を目指した南瀬の料理は、趣味と実益を兼ねて試作と研究を重ねた結果、何故か「創作系魔改造料理」としか形容出来ないジャンルになってしまった...。


「どうしてこうなった...」


 ゲテモノを作っている積もりはないし、不味い物を作る気も無い。

 全部自分で食べるのだから。


 むしろ今回のは特に上出来だと思っている。

 …少なくとも自分の味覚では。


 コミュ障と偏屈を拗らせた南瀬には家に招いて手料理を振る舞う様な友人はいない。

 当然、彼女いない歴とは同級生だった。


 だから偶に自分の料理を客観視して欲しくなる時がある。

 自分の好みをとことん追求して行く内に、実は世間から見らただのゲテモノを美味い美味いと言っているだけかも知れ無い。

 そんな被害妄想に似た感情に襲われる。


 「そんな事は無い」と思いたいが「自分がそうなのだからみんな同じ」と言い切ったら、あのフォークマンと同類では無いか...。


 …とまあ、この様に周りからすればどうでも良い事を、必要以上に気にする面倒くさい青年が、南瀬夏樹と言う人間である。


 こんな変人が果たして自分の幸せを掴めるのか。

 それは誰にも解らない。


 ともあれ。

 今日の所は...、


「...ご馳走様でした」


南瀬は箸を置いた。


ー完ー

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