灰塵纏う教会

夏葉夜

第0話・灰は舞い、死は大地を埋め尽くす


 人の死を写し出す一枚の魔鏡まきょうがあった。


 帝国領最北端にある教会……通称『灰塵纏かいじんまとう教会』の聖堂にそれは鎮座してある。静謐せいひつな闇に包まれた聖堂に、生物の姿は見当たらない。時折風で舞い上がる灰塵かいじん以外に、動くものは何もない。不毛の大地。


 しかし、それは一ヶ月前までのこと。現在は違う。何百年もの間、不毛の大地として人々を拒み続けてきたこの土地と教会を、一つの影が闊歩かっぽしていた。


 それの存在感はまるで無い。

 注意を怠ると灰色の景色に埋没してしまうような、かすみがかった影。辛うじて人型のそれは、やはり人ではなく……人に似た何か。

 灰の大地に足跡一つ残さずに、揺れるような気楽さで、それでいて真っ直ぐと、教会の扉を開き聖堂に入る。慣れた動作だ。扉の開閉で、灰塵かいじんが高く舞い上がり視界を塞ぐが、影は構わず奥へ奥へと足を踏み入れる。


 そして、魔鏡まきょうの前に置かれた小さな木の椅子に、我が物顔で腰を下ろした。灰を被った影は、魔境を覗き込んで口を薄く引き延ばして酷薄こくはくな笑みを作る。人のシルエットをした黒い影としか表現できないソレは、魔境のふちを愛おしそうに撫でたあと、うっとりとささやいた。


 「エレィナトゥ……」


 かすれた中性的な声。決して大きくない声で呼ばれた名前は、影が眺めている魔鏡に映る影自身の名前である。そんなエレィナトゥの声に、死を写し出す魔鏡が反応した。


 エレィナトゥの顔を写していた魔鏡は、写し出す景色を一変させる。

 写し出されたのは灰の大地の最南端。帝国領内で、人間の活動出来る領域の最北端にある村オードルラント。

 エレィナトゥは、魔鏡を見てかすれた笑い声をあげる。


 「……ッヒヒ、今度ハ……コイツラカァ……」


 人間なら舌なめずりの一つでもしそうな表情で、不快を感じさせる笑い方をした。

 エレィナトゥは魔鏡に写される風景を、舐めるようにして眼に焼き付けたあと、入ってきた時と同じく揺れるように立ち上がる。風に揺られる炎のように……そして踊るような足取りで、聖堂を後にする。


 目的地は魔鏡に写し出された南の村。目的は……魔鏡に写し出された村民の殺害。殺害といっても、エレィナトゥは刃物や鈍器のような明確な武器は持たない。

 エレィナトゥは影。

 闇に乗じて魔境の示した人物にしのよりり……殺す。音もなく、光もなく、匂いもなく、そして殺される感触すら与えずに息の根を止める。そよ風が頬を撫でつけるよりも軽薄に、そして一瞬で生者を亡者もうじゃに変える化物。


 死という概念がいねんそのもの。


 それが、エレィナトゥであった。

 エレィナトゥに自己は無い。

 魔鏡にせられて魔鏡をあがめ、魔鏡に魂を売ったエレィナトゥは、魔鏡に写し出される人々を殺し尽くすことにしか興味がなかった。





 深夜。


 風に流されるようにして、村にやってきたエレィナトゥはそのまま目的の人物が寝る民家に滑り込んだ。鍵など入らない。扉なんて関係ない。影は実体を持たない。教会の扉をわざわざ開いて正面から入るのは、エレィナトゥが魔鏡を含めた教会全てに信仰が傾いているからである。そこらの塵芥ちりあくたな村民に向けられる関心など、一片の欠片も存在していなかった。


 寝首をくなんていう暗殺とはわけが違う。エレィナトゥの影が、生者の肌を撫でるだけ。

 たったそれだけで、呼吸は止まり心臓の活動も停止する。生者の魂はエレィナトゥに吸い取られ、亡骸なきがらは灰となった。死の際に味わう苦痛とか絶望とか疑問とか失望とか慟哭どうこくとか、一切合切いっさいがっさい飛び越して、死という事実だけを突きつける。



 そして灰は残らず風に乗り、教会の建つ不毛の大地に流され堆積たいせきした。

 また少し、灰の大地の領域が拡大し、帝国領の北端で続く国土の灰化は音もなく進行し続ける。エレィナトゥは、この晩に三人の村人の魂を吸い取り、灰塵かいじんに変えた。





 明朝。


 音もなく舞い戻ったエレィナトゥは、再び聖堂に入り鏡の前に腰を下ろす。

 そして再び掠れた不気味な声で囁いた。


 「エレィナトゥ……」


 魔鏡に写りこんだ自分の虚像きょぞうを見つめながら、エレィナトゥは恍惚こうこつとする。そしてエレィナトゥは、村人から奪った新鮮な魂を魔鏡に献上けんじょうした。魔鏡はあやしく淡い光を放ち、そして景色をゆがませる。


 それを見たエレィナトゥは、それまで見せなかったような極上の笑みを見せた。


 次の対象は帝国の首都ガイロニア。

 人口百ニ十万人……大陸屈指くっしの巨大都市。東方の文化の集積地であり発信地。わずか一代で十四の国と地域を併合し、大帝国を成した皇帝『ドルク=ガイロニア』のお膝元ひざもとが、魔鏡には映し出されていた。


 「……ッヒヒ、クハヒヒヒヒヒヒヒ――」


 北東の大帝国が灰に飲まれる。

 それだけでエレィナトゥは、込み上げてくる笑いを抑えられなかった。灰色の大地は、灰塵纏う教会を中心にして今も広がり続けている。




**************





 そしてその翌年。


 ガイロニア帝国の英雄スクリオが、灰塵纏う教会に巣食うエレィナトゥ討伐に名乗りをあげた。その腰に帯びた白銀はくぎんつるぎと生まれ持った呪力じゅりょくによって、灰の大地に単身乗り込んだ彼は、ガイロニア帝国史に残る英雄伝を再び塗り替えることとなる。

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灰塵纏う教会 夏葉夜 @arsfoln

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