人間


 上空から降り注いだレーザー光がヴルンヒルダの翼を灼いていく。

 使い魔達の必死の抵抗も間に合わず、左の翼は原子の塵へと変えられた。


「衛星兵器なのか……!?」

「そんなことはどうでもいい!」


 ヴルンヒルダが叫ぶ。赤子の手を捻るように人類を滅ぼせる絶対強者が、ひどく怯えた声で。


「早く、雲の中へ!」


 ボクはそうした。というか片翼ではどのみち高度を維持するのは不可能だ。


 雲の下に出たのと、第2射が黒雲を貫いたのは同時だった。

 けれど厚い雲を通しては狙いをつけられないらしく、レーザーはボクがいるのとは全く違う場所を切り裂いた。


「何だったんだ、今の――いや、そんなことより!」


 ボクは眼下に目を走らせる。ヴルンヒルダのセンサーは、遙か下方を落下していく金色のWGを捉えた。

 翼を失った『晴天の勝利者』は真っ逆さまに墜ちていく。

 気絶しているのか、それともあきらめたのか――、迫る大地との激突死に対し、何の対策も取る気配がない。


「ラマイカ・ヴァンデリョスともあろうものが、そんな、バカみたいな死に様を!」


 ボクはヴルンヒルダに金色のWGを追いかけさせる。


「スピードが出ない!? 翼が再生してないじゃないか! なんで!?」

「あれは重濃高密度紫外線レーザー。反吸血人組織が使っていたのとは桁違いの代物だ。再生は可能だが、容易ではない」


 それでもヴルンヒルダの推力は、金色のWGに辛うじて手が届くまで距離を縮めることに成功した。

 相対速度を同調させ、手を伸ばす。


 だが――。


 ボクはとんでもない勘違いをしていた。

 今、ボクが乗っているのは人型兵器ではなく、ドラゴンなのだ。

 その短い前肢は、『晴天の勝利者』のすぐ手前の空間を掠めるに終わった。


「しまっ――」


 受け止めることを前提に減速をはじめていたヴルンヒルダをその場に残し、金色のWGは遙か下方へと突き進む。


 追いかけようとした直後、残った右翼が爆ぜた。攻撃を受けたのではない。オーバーヒートによるものだ。

 これでは加速ができない。

 ボクにできることは、首と尾を伸ばし、できるだけ空気抵抗の少ない体勢を取ることくらいだった。


「あきらめよ、人の子」


 ヴルンヒルダが静かに言う。


「計算してみたが、この腕があの人形をつかみ取ることができても、その次の瞬間にはこのままの勢いで大地に激突する。私達はともかく、あの乗り手はその衝撃で潰れるだろうさ」

「どのみち自分は助かるって言うんなら、最後まで邪魔せず見ていてくれ! 気が散るッ!」

「あの女が、おまえにとって何だというんだ」

「知りませんよ!」


 恋愛感情? バカを言ってもらっては困る。

 愛だの恋だの、そんなものは嘘っぱちだ。父と愛し合って結婚したはずの母は、我が子さえ捨てて出て行ってしまった。


 仮に嘘っぱちではないとしても、姉さんを、シスター・ラティーナを、ナタリアを、伊久那を救えなかったボクに、他者に愛を囁く権利などあるはずがなかった。


 そんなことが許されていいはずがない。


――いいんだよ、かりばちゃん。


 姉さんの声がした。

 こんな時に危機が迫っているというのか。

 さっきのレーザーの第3射? だとしても回避行動を取る余裕なんて――。


――お姉ちゃんの願いは、かりばちゃんといつまでも仲良く幸せに暮らすこと。


「姉さん……?」


――『幸せに』なんだよ、かりばちゃん。


「なんだよ、それ――好き勝手なこと言うな!」


 『危機』は何もやってこない。

 だったら、この忙しいときに何を言い出すんだ、この妖声は!?


「幸せに!? ああ、ずっと考えてきたよ、姉さんの幸せって奴を! でもわかるわけないんだ、何が姉さんの幸せで、何をしたらあなたが喜ぶのかなんて! だって、姉さん本人はもう死んで、生き返りも生まれ変わりもしないんだから!」


 姉さんの代わりとして生きて、姉さんの幸せを実現することが、1人だけ助かったボクの罪を贖う唯一の道だと信じてきた。


 でも姉さんの幸せって何だ? 何をすれば喜んでくれる!?

 大富豪とでも結婚してぜいの限りを尽くせば満足か?

 それともささやかで慎ましい家庭がいいの?

 もしくは独身貴族がお好みか?


「幸せにって、気楽に言わないでよ……! どうすればいい!? 姉さんの幸せって何なんだ!?」


――お姉ちゃんの幸せは、かりばちゃんが幸せでいることだよ。


 嘘だ。

 ボクはずっと姉さんの重荷でしかなかった役立たずだもの。

 そのうえ1人だけ地獄から逃れたボクを、姉さんがそんな風に思うはずがない。


 だからこのボクに語りかける声は、きっと妖声でも姉さんの幽霊でもなく、幻聴だ。

 ほぼ確定事項であるラマイカさんとの死別。

 それに備え、心が早くも現実逃避をはじめただけなんだ。


――だったら都合のいい夢で構わない。恥も外聞も捨てていい。理想や綺麗事も忘れればいい。許される許されないなんてどうでもいい。今のあなたが本当に望むことはなに?


 ボクの、ボクの願いは。


――愚かで醜い人類を滅ぼすこと?


「違う。そんなものより、ボクは――」


 手がほしい。

 あの人を掴み、救うための手が。


「――ラマイカさんを助けたい」


 その瞬間だった。ドラゴンに異変が起きたのは。


 下半身が180度回転する。

 長い首が縮まり、胴体前方へと折れ曲がった。

 翼の基部が胴体側面に倒れる。

 膝から下が太腿に折り畳まれ、その太腿がスライドして新たな脚部を構成した。


 ヴルンヒルダが、人型へと変わっていく。


 ふくらはぎとなる部分が裂け、そこにロケットノズルが顔を出した。

 蒼い焔を噴き、流星のように加速するヴルンヒルダ。


 肩のようになった翼の基部から、腕が伸びた。

 それはドラゴンの時とは全く違うもの。

 より長く、より力強く、より可能性を秘めた人間の手だ。


「ラマイカさん!」


 大地が――砂漠が、すぐそこまで迫っていた。


 ボクは金色の光に向かって手を――ヴルンヒルダのマニピュレーターを伸ばす。

 それはまるで、むしろボクが彼女に救いを求めているようだと、頭の中の、自分のことを他人事として見ている部分が批評する。


 ヴルンヒルダを通して、掌に命の重みが加わったのを感じた。


「――上昇!」


 レの字を描くように、ヴルンヒルダが天を目指し脱出。

 足元の砂漠を蹴散らし、巻き上げながら、ボクらはなんとか大地との抱擁を逃れたのだった。


「ラマイカさん、返事をしてください!」

「ああ」


 ヴルンヒルダの掌の上にうずくまった『晴天の勝利者』が背中を開き、蝉が羽化するように1人の女性が姿を見せる。

 ヘルメットを脱ぎ捨てる彼女。闇の中でさえ己の力で輝くかのようなサンライト・ヘアーが、風に舞った。


「……綺麗だ」


 思わず、子供のように率直な感想を漏らしてしまう。


「――じゃなかった、御無事で何よりです、ラマイカさん」

「君もな」


 ラマイカ・ヴァンデリョスが不敵な笑みを浮かべる。


「美しいものだよ、その蒼穹そら色の機体は」

「え?」


 気がつけば、真珠色だったはずのヴルンヒルダの外骨格は、鮮やかな青空色セルリアンに変わっていた。


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