青空
ヴルンヒルダ、とボクは彼女の魂へ呼びかける。
「この戦いだけでかまいません。この身体の主導権、ボクに預けてください」
「私に何の得が?」
「自分に仕える者は手篤く扱うと仰ったではありませんか」
「ふん」
ヴルンヒルダは鼻で笑った。面白がっているのか拗ねているのか判別できない。
「いいだろう。あの目障りな金ピカを粉微塵に叩き潰せ。よりにもよって、ウォルターなどという忌まわしい名をつけおって」
「誰です?」
「私の夫だよ。私を吸血鬼にしておいて、手がつけられなくなると殺そうとしおった。偶然名前が被ったとは考えられん。カーミーラ辺りの嫌がらせか」
ヴルンヒルダもまた、元は人間だったらしい。
では彼女を吸血鬼にした吸血鬼は何者で、何処から来て何処へ行ったのか――興味は尽きないが、今考えることではないだろう。
気がつくと、既に白い竜はボクのものとなっていた。
まるで生まれつき持っていたように、翼も尻尾も違和感なく動かすことができた。
むしろ、今まで自分の身体にそれがついていなかったのが不思議なくらいだ。
全身にエネルギーがみなぎっている。人間の肉体がどれだけ脆弱で矮小なものか、ボクは身をもって実感した。
不満があるとすれば、手だ。
ドラゴンの前肢は、恐竜ほどではないにせよ退化して見えた。
破壊力だけならどんな生物にも負けはしないだろうが、精密な作業をするならやはり、人間の指に軍配が上がるだろう。
まあいい。別にあやとりや指相撲で勝敗を決しようというのではないのだ。
敵はVK最高クラスのエースと最新鋭機。
対するこちらはただの凡人が操る最強の機械生命体。
技量の差は圧倒的だが、マシンの性能差でボクが超絶的に有利だ。
「――いきますよ、ラマイカさん」
「来たまえ」
『晴天の勝利者』とかいう名前らしい金色のWGが片手を突き出し、かかってこいといわんばかりに指を曲げる。
ボクはヴルンヒルダを――いや、ボクの身体を前進させる。
翼を1回羽ばたかせるだけで、ボクはラマイカさんの目の前まで移動した。
普通の人間からは瞬間移動に見えたかもしれない。
しかしラマイカさんは普通の人間ではないので、既に彼女はボクの行動を先読みして別の場所へと移動していた。
まったく予想もしていなかった方向から攻撃が来る。
脇腹にミサイルによるものと思われる爆発が広がった。
「ちっ!」
口部フォトンレーザーを発射。そのまま首を巡らせる。
首の動きと連動し、レーザーは光の剣となって夜空を切り裂いた。
だが、それでも駄目だ。高速飛行するラマイカ機を捉えきれない。
「だったら!」
皮膚を構成する使い魔に指示を与える。
竜の全身はフジツボのような器官で覆い尽くされた。
その全てがレーザーの発射口だ。
「撃て!」
全身からレーザーを放出したまま、ボクは身体を捻らせた。
熱線の針を持つハリネズミのようになったドラゴンが、狂ったように身体を回転させる。
これで避けられたら化物だ。
――かりばちゃん!
気を抜くな、と姉さんが言う。
だけどヴルンヒルダは機械生命体で、機械そのものではなく、生き物である以上は疲れもすれば息継ぎもする。
レーザーの放射がやんだその一瞬、砲口の1つの中にビームが飛び込んできた。
注射針で毒素を注入されたよう。体内に焔が侵入し暴れ狂う。
身体を内側から灼かれる苦痛にボクは叫んだ。
まさか、あの攻撃を耐えた上、こっちの砲門にビームライフルを撃ち込んできただって!?
「どうした……、せっかくの魔竜を使いこなせていないようじゃないか、カリヴァ君……?」
「ラマイカさんこそ……息が上がってますよ」
「
下手くそな強がりには苦笑いを返すしかない。
それでこそだ、と思う。
出会ったときからあなたは強くて、凜々しくて、他人の目など恐れなくて。
「あなたに憧れていた。ボクもあなたのように強くなりたいと、でも、無理なんですよ。ボクとあなたは産まれたときから違いすぎた」
「そうだろうな。人類全てが工業生産品のように同じ能力と同じ容姿、同じ境遇で生まれてくるとか、その方が気持ち悪い」
「そう言えるのは、あなたのスタート地点が恵まれていたからだ!」
子供を力で支配しようとしない父親と、軽々しく見捨てない母親の元に生まれたかった。
そうすれば姉さんだって死なずに済んだかもしれない。
死んだとしてもその人生は、ドブ底で溺死するようなものではなかっただろう。
姉さんの人生が少しでも幸あるモノになるのなら、人間の命が大量生産の粗悪品でもいい。
「羨望は嫉妬になり、嫉妬は憎しみになった――あなたを乗り越えれば、少しは何かが救われるかもしれない!」
「この若輩者の――いや、君からすれば老婆に等しいかもしれんが――命1つで報われるとは、君やリシュリューが自慢する地獄も、取るに足りぬと言わざるを得ないな!」
「何……!?」
「かかってきたまえカリヴァ君。君が己の
「そうやって、上から目線で!」
ボクはヴルンヒルダを突進させた。
虫けらと鳥の鬼ごっこが始まる。レーザー光が黒雲の中で幾度も瞬いた。
それに背を向けたまま、金色のWGはひらりひらりと嘲笑うように回避してみせる。
いや、
心の中でラマイカさんをあまりにも高く評価しているから、実際以上に彼女が強く見えているだけだ。
そう冷静に考えてみれば、追い詰めているのは確実にボクの方だった。
さっき受けたダメージは既に修復を完了している。
『晴天の勝利者』はあれから1度も攻撃らしい攻撃をしていない。ボクから逃げるのに全推力を傾けているからだ。
敵のVCRゲージ――血換炉内の血液量にだって限界がある。
いい加減、使い魔の維持だって困難なはずだ。
(そうよ。勝てるわ、人の子よ)
ヴルンヒルダがほくそ笑む。
(さっさと捕まえなさい。あの金色の光を我が闇で押し潰し、人間どもの希望を断ち切ってあげましょう)
言われるまでもない。
ボクは竜の翼を斜め後方に伸ばした。竜の頭を機首として、戦闘機のような形状になる。
翼の皮膜が振動し、波動を放つ。
それに押し出されるようにしてドラゴンは急加速をかけた。
空気抵抗による衝撃と熱が体表を炙るが、耐えられる。
ラマイカさんは急上昇に転じた。
姿を隠そうというのか、黒雲に突っ込んでいく。
「見苦しいですよ……。潔く堕ちたらどうです?」
たとえ雲の中でも、ヴルンヒルダの眼は彼女の姿を捉えている。
さあ、次はどうするラマイカ・ヴァンデリョス。さっきみたいな神業を見せてみろ。
それとも本当にこれで終わりにするか?
……いや、終わらせれば良いだろう。
何を名残惜しそうにしてるんだ、ボクは。
まるでラマイカさんに倒されたがってるみたいに――。
(まずい、雲の上に出るぞ。さっさとしとめろ!)
「それがどうしたって言うんです?」
日光は吸血鬼にとってエネルギー源である。
生身の肉体では生産される膨大なエネルギーの熱量に細胞が自壊するために弱点のようになってしまっているだけだ。
だが、その身に鋼鉄を取り込んだことでヴルンヒルダは生物的欠陥を乗り越えた。
もはや輝く太陽は吸血鬼の天敵ではない。心強い味方だ。
なのに何故、ヴルンヒルダは地球を黒雲で覆ったのだろう。
どんな必要があって。
それを訊く前に、ドラゴンは雲の上に出てしまった。
「…………!」
雲の上は――自分が溶けてなくなってしまいそうなほどの澄んだ青で埋め尽くされていた。
「……綺麗だ」
泣きたくなるくらいの、澄み渡る青空。
その瞬間、ボクはラマイカさんのことも、ヴルンヒルダのことも忘れた。
ただ、目の前の美しい景色を姉さんに見せてあげたいと望み――それが未来永劫叶わないことを思いだして、胸の痛みに耐えていた。
「……美しいだろう」
後ろにラマイカさんがいた。
声をかけるより先に引き金を引けば、ひょっとしたらとどめを刺せたかもしれないのに、何故。
「言ったはずだ、君の地獄を凌駕する、大いなる光を見せると」
「まさか……?」
「そうだ。この空だ。この青だ。この美しい光景と、そしてそれを美しいと感じる人の心だ、カリヴァ君」
「…………」
「君の目の前が暗闇に閉ざされても、進み続ければ青空はある。もし道に迷ったなら、私が……いや、君の隣人達がきっと手を引いてくれる。今のように。そしてそれはおまえも同じだ、ヴルンヒルダ」
「そんな……そんな、バカみたいなたとえ話をするために、こんなこと……?」
太陽の光に灼かれ、ぷすぷすと黒煙を上げる金色のWG。
『晴天の勝利者』程度の機体では日光の克服には至らない。
「バカみたいとはひどいな。教科書に載せてもいいくらいに洒落た口説き文句だと自負しているのだが……ね……」
ぐらりと、『晴天の勝利者』が
『晴天の勝利者』を守っていた使い魔の翼が燃え落ちた。
ラマイカさんは再び黒雲の中へ堕ちていく。
「ラマイカさん!」
ボクは追いかけようとした。
だけど次の瞬間、ヴルンヒルダの左翼は、光に包まれて蒸発した。
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