摺鉦(Gong)


 滑走路に屹立きつりつする双胴型のロケットブースターは、スペースシャトルの打ち上げを容易に連想させた。


「こちら『晴天の勝利者』ウィナー・オヴ・ザ・サンシャイン、異状なし」


 履き潰して平らになったスリッパを2つ並べたような形のブースター、その中央裏側、ブースターを背負うような格好で固定されたWGのコクピットでラマイカは最後の計器チェックを終えた。


 これから彼女はブースターで成層圏まで上昇。地上からの対空ミサイルや戦闘機が陽動を行っている間に、ヴルンヒルダが衛星兵器への隠れ蓑に使っている黒雲を逆に利用して単騎突撃を敢行する。


「頼むぞ、ヴァンデリョス大尉」


 バークレー司令が切実さをこれでもかと滲ませた声で祈る。

 残念ながら戦闘機やミサイルでは巨竜に致命打を与えられないことは証明済みだ。

 あとは新型機の使い魔に託すしかない。


「ヴェイオウルフ、シグルズ、聖ジョージ、スサノオ……竜殺しの英雄に列席するまたとない機会です。腕が鳴るというものだ」


 ラマイカは本気なのか冗談なのかわからない返事を返した。

 繊細な基地司令を安心させたかったのかもしれないが、バークレー司令はかえって顔を青くする。


「了解。ブースターの点火開始」


 慌ただしく働く基地スタッフ。

 その中にヴェレネは含まれていなかった。


 無理もない。人類の命運を賭けた一戦に、彼女のような経験の浅いオペレーターの出る幕などなかった。

 ロルフトン・マドラスの助手として司令部に立っていることは認められたが、やることは実際無いに等しい。


 それは人類にとって幸いだとヴェレネは思う。

 自分が関与していたら、きっとラマイカの邪魔をしてしまうだろうから。


「大丈夫、レディ・ラマイカは必ずカリヴァを連れて戻ってくるよ。彼女がそう望んでいる限りは」


 隣でロルフが気を利かせてくれたが、それに関してヴェレネは心配していない。

 ロルフ以上にヴェレネはラマイカを信頼している。幼い頃に知り合ってから、ラマイカが何かをしようとして失敗したところをヴェレネは見たことがない。

 彼女で駄目なら他の誰にだって無理だろうとさえ思っている。


 だからこそヴェレネは悲しいのだ。

 ラマイカが刈羽を好きになってしまったということ。

 ならばきっと彼女は自分から刈羽を完全に奪い去ってしまうだろう。


 貴族の娘、高位吸血人として血を遺す義務――そんなもの、彼女ならいくらでも抜け道を探し当て、自分の好きなようにしてしまうに違いない。

 愚直に突き進んだ結果、何もかも――という表現はいささかオーバーだろうが――失った自分とは違う。


「――点火」


 ロケットが炎を吐き出した。

 腹の底に響くような重低音が傷ついた基地を小さく揺らす。


 眩い光が噴煙の尾をたなびかせ、天の階段を駆け上る。

 光というものにいいイメージを持たない吸血人達も、その輝きには雑食人が闇の中で明かりを見つけたときと同じ思いを抱いた。


 人類最後の希望となった金色のWGはやがて、雲の向こうへ消えていった。


 

  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ――そんな様子を、ヴルンヒルダはカメラに捉えていた。


 だからといって彼女が何か妨害を始める様子はない。今のところは。

 地球生物界のチャンピオンの風格を漂わせ、チャレンジャーがリングに上がるのをじっと待っている。


「有史以来、人類は歴史の中で数多くの竜退治を物語ってきた。それは私達吸血鬼との戦いであったり、治水工事の詩的表現であったりした。でもそのどれもが英雄側の勝利、悪くても相打ちで終わる。まあ、負けた勝負なんて語り継ぎたくはないであろうが」


 だけどそれでも、1つくらい人類史に語り継がれる、『英雄が竜に完全敗北する物語』があってもいいと思わぬか?


 ヴルンヒルダはボクに――柏崎刈羽にそう尋ねてきた。

 彼女は新しい身体の制御にボクの脳を使用している、らしい。

 らしいというのは彼女がこの身体をフルに使っているとき、ボクの意識は――脳髄に負担をかけbないため――眠っていて、使われているという実感がないからだ。


 しかし話し相手が欲しいとき、彼女はボクの意識をよく目覚めさせる。

 他人の都合で睡眠と覚醒を切り替えられるというのはあまり愉快ではなかったけれど、だからといってボクにできることは何もなかった。


 ボク本来の肉体の心配は要らない。

 五体満足で、かつ死なないような措置がなされているとヴルンヒルダのお墨付きだ。

 これはヴルンヒルダにボクを解放する予定があるからではなく、ボクの無用な抵抗を招かないため、そして彼女の寛大さを誇示するのが目的のようだった。


「……どうでもいい」


 伊久那をこの手で殺してから、ボクはなんだか何もかもがどうでもよくなってしまった。


「バッドエンドで終わる英雄譚なんて別に珍しくないと思いますけど、まあいいんじゃないですか、別に?」

「つれないな」

「そもそもあなた人類を滅ぼすつもりですよね。誰に語り継がせるっていうんですか、その人類史」

「おるよ。ここに1人な」

「百年ももちませんが」

「十年すらもたなさそうな、疲れた顔をしているぞ」


 疲れているといわれればそうなのだろう。


 姉さんが信じたVKは、吸血人と雑食人、食う食われる物の調和を達成した国のはずだった。

 なのに現実は全然そんなことなくて、雑食人の生活は吸血人貴族の意向でどうにでもなってしまう儚いものだし、そんな吸血人を雑食人は恐れ憎んでいる。


 今回の騒乱がリシュリューという悪意の演出家によってプロデュースされたものであっても、その萌芽は確かに最初からそこにあったのだ。


 おまけに吸血人が吸血鬼を利用するだけ利用して排除した過去を知れば、人間の醜さに嫌気がさすというものだ。


「人間を信じておったのか? 可愛いバカな奴め」

「いいえ。信じていたのはボクじゃなくて、姉さんだ。たかだかボクが裏切られる程度のことであれば、ボクにはどうでもよかった。だけど姉さんが信じていた理想郷が本当はなかったなんて、そんなの姉さんが可哀想だ」


 それが世界に必要とされていない1人の少女の勝手な夢想としても、実の親にさえ虐げられた彼女の願いの1つくらい、世界は叶えてやるべきだったのだ。


「……だから、こんな世界は滅んでしまえばいい……」


 近づいてくる敵意の存在が、ヴルンヒルダの感覚器と同調したボクにはわかった。

 ラマイカさんではない。彼女の接近をアシストするために放たれたミサイルだ。


 レーダーが利かないとしても、おおよその位置さえわかれば後は近接信管で爆発させればいい。

 炎がヴルンヒルダの皮膚を焼いた。


 ヴルンヒルダは傷つかないわけではない。ただ、異様に回復力が高いだけで、そしてそれ故に強い。

 大抵の傷は体組織を構成する使い魔達が自己複製を行って瞬時に再生してしまう。


 人間達が躍起になって傷つける部分よりも、回復速度と回復量が常に上回っている。

 冥界の女神が1日に1000人殺すので、そのつがいだった男神が1日に1500人生まれるようにしたという日本の神話を、ボクは連想した。


「……あの」

「なんだ?」

「ラマイカさんが来るんですよね? だったら――ボクもその戦いを見せてもらえませんか」

「…………」


 ヴルンヒルダは少し考えた。

 ボクの意識という決して軽くはない常駐プログラムを起動させたままで戦うことへの問題とか、ボクがラマイカさんを有利にするような策を練っているのではとか、たぶんそういうことだろう。


 最終的に彼女はボクの要求を受け容れてくれた。


「さっきのおまえの言葉を信じよう。私は自分に仕える者を決して裏切らぬ。人間と違ってな」

「寛大な御配慮感謝致します」

「しかしな」


 ヴルンヒルダは薄く笑った。


「『姉の思いを踏みにじった世界に復讐がしたい』。それは、おまえが否定した、あの反吸血人組織と同じ行為ではないか? 更にいえば、おまえの選択は姉上の望むところか?」

「…………!」


 ああ。言われてみれば、どうしてそんなことに気づかなかったのか。


「……でも、もういいんだ。姉さんのふりなんて無理だって、ずっとずっと前からわかってたんだ……!」


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