再会


 使い魔を倒すためには、親機であるヴァルヴェスティアを破壊するしかない。


「どうやって見つけろって言うんですか?」

『見つけるのは国防義勇軍、警察がやってるよ。僕等の仕事は見つけてからだ』

「軍隊があるだろう」

『ヴァルヴェスティアをたおせるのは、ヴァルヴェスティアだけだよ』


 そういうことですわ、とティアンジュさんはボクに指を突きつけてきた。


「弱気ですね。『ワタクシだけで充分ですわ』くらい言ってくださいよ」

「目の前であんな化物じみた力を見せられては、そうも言えなくなります。なんとしても、ハンプを打倒しなさい。それがあなたの身の証を立てる、格好の理由付けになりますわ。ジル・ド・レも、聖女を利用する不届きな輩に天誅を下せるのであれば満足でしょう?」


 なるほど、とジル・ド・レは顎を撫でる。


「そういうことなら、拙者も手を貸そう。投降した身の上でもあるしな」

「でも、どうしてティアンジュお嬢様がボクにそんな機会をお与えになるわけでございますですか?」

「ワタクシ、嫌でしてよ。あんなわけのわからない機体に乗るのは」

「ファング・フォースの部下がいるでしょう?」

「…………」


 ボクの疑問に答えてくれたのは、目をさまよわせるティアンジュさんではなく、ロルフだった。


『彼女は部隊から外されたんだ。テロを未然に防げなかった失態の責任――というのが口実だけど、まあ実際はアルマラス男爵令嬢を危険にさらしたくなかったんだろうね』

「余計なことを言わなくていいですわ!」


 ティアンジュさんは口を尖らせる。


「……どうせお父様が裏で手を回したのでしょう。あの成金のやりそうなことです。しかし、ワタクシは軍に入ったときから覚悟は決めているのですわ。この一大事に、責務を果たさずにおられましょうか」


 指揮官としてはともかく、トゥームライダーとしてティアンジュさんは優秀だ。

 その決意と闘志に水を被せるつもりはなかった。

 なかったのだが。


「……ところで、どこか食事の取れるところに寄ってくれませんか?」


 間抜けな腹の音を鳴らさずに済ませることは、できなかった。


 



 吸血人であるティアンジュさんも、そうでないジル・ド・レ氏も付き合ってくれなかったので、ボクは1人で軽食屋に入った。監視役すらいない。


 ボクは元スパイで、現在拘留中の身だというのに、不用心極まりないことである。

 それだけボクを信用してくれているのか、それともただの人間1人など捕まえるのは容易いからなのか。どちらかといえば後者。ボクがちゃんと戻ってくるかも、ボクを信用するかどうかのテストなのだろう。


 カウンターの隅に腰かけて、紅茶とサンドイッチというシンプルなメニューにかぶりつく。

 ロンドンに来たのは、1度きり。ボクがはじめてVKに渡ってきた、その時以来である。VKの首都とはいっても縁の遠い街で、知り合いだって住んではいない。


 そう思っていたから、肩を叩かれたときは驚いた。

 相手の顔を見たときには、驚愕のあまり間抜け面を晒す羽目にもなった。


「……伊久那!?」


 目の前にいたのは、伊久那里奈である。

 懐かしさよりも、悲しみが勝った。何故なら彼女の顔には、ジル・ド・レほどではないにせよ、はっきりとした縫合痕が残っていたのだから。

 孤児院にタンクローリーが突っ込んだときのものだろう。


「そんな顔しないでよ」


 伊久那は照れくさそうに笑った。


「顔見ただけでそんな表情かおしてたら、あたしの服の中見たらどうにかなっちゃうよ?」


 ボクの記憶が確かなら、両脚は失っているはずだ。

 さりげなく彼女の下半身に目をやる。2本の足はついていたが、ズボンの裾の皺に違和感がある。


「こんなところで逢うなんて、奇遇って奴? 久しぶり。女装、やめたの?」


 収容所では化粧もお洒落もない。今ボクが着ているのは男女の区別もない囚人服と、それを隠すように羽織ったスタジアム・ジャンパーだ。ちなみにティアンジュさんが用意してくれたものである。


「久しぶり。伊久那は、意識を取り戻さないうちに転院しちゃったから……」

「何が起こったかは聞いたよ。許せないよね、吸血人の貴族って奴は」

「…………うん?」


 なにかおかしい、と心のどこかが囁いた。


「どうしてそんな驚いた顔してるの? メリー、まさか覚えてないの?」

「覚えて……?」

「雑食人が奴隷でないことを許せない吸血人が、見せしめにあたし達の孤児院を爆破したんでしょう?」

「……誰から聞いたんだ」


 あの事件は実質迷宮入りになったはずだ。一般には、事故として処理されている。

 誰なんだ、伊久那に事件のことをあれこれ吹き込んだのは?


「メリーは、ラマイカ・ヴァンデリョスのところで暮らしてるんでしょう? どうして吸血人のところで平気で暮らしてられるの?」

「ラマイカさんは、悪い人じゃない」

「でも、所詮は吸血人じゃないか!」

「吸血人がイコール悪人って、そんなわけあるはずないだろ! シスター・ラティーナを忘れたのかよ?」


 だが――。

 何故か伊久那は、そこできょとんと、お茶を淹れたらそれで頭を洗われだしたみたいな、まったく予想外のことを言われたような顔をした。


「メリー、1つ訊いていい?」

「なんだよ」

「……シスター・ラティーナって、誰?」


 冗談で言っているなら、怒鳴りつけていただろう。家族同然の、大恩ある人を忘れるだなんて。

 けれど彼女の表情は、完全に本心から言っていると語っていた。


 嘘だろう?


 今度はボクが豆鉄砲をくらった鳩の顔をする番だった。

 姉さんが死んでから自分が正常ではない気がしていたが、まさか、シスターはボクの脳が作りだした幻――?

 ……いやいや。


「伊久那、いったいどうしたっていうんだよ」

「メリーこそ、どうして――」


 その時だった――。

 扉が大きな音を立てて開かれ、武装警官達が突入してきたのは。

 よく訓練された、隙の無い動き。彼等がボク達を取り囲むのはほとんど一瞬だった。12の瞳と、6つの銃口が冷たい光を放つ。


 よく見ればそれは、ボクではなく、伊久那にこそ向けられていた。


「もう嗅ぎつけてきたんだ?」

「全員、動くな!」


 警官達のリーダーらしき男が強い声で周囲を圧する。

 店内にいた客達が困惑しきった表情を浮かべる中、しかし伊久那はただ1人、不敵に笑っていた。


「流石、優秀だねVKの警察は。ただ、あたしをどうにかしたければ、もっと徹底してやるべきだった。店ごと吹っ飛ばすとか」

「黙れ! 手を頭の腕で組んで――」


 警官がお決まりの台詞を発しようとした最中、伊久那のズボンが膨れあがる。

 次の瞬間、ズボンの裾から、黒い泥のようなものが凄まじい勢いで吐き出された。

 ボクはそれを知っている。


「使い魔……?」

「あたしの使い魔は、病気を伝染うつすだけじゃないよ!」


 黒い濁流に似た鼠の群れが警官達をその恐怖と苦痛の叫びごと呑み込んだ。

 応戦どころではなかった。わずかな返り血だけを残して、警官達は貪り食われる。骨どころか、衣服さえ残らなかった。


「駄目よ、そいつは食べちゃ」


 伊久那の声で、ボクまで平らげようとした鼠達はぴたりと動きを止めた。

 気がつけば、店の中に生きている人間はボクと伊久那だけだ。十数名は客がいたはずなのだが、彼等はどこに行ったのだろう――なんて現実から目を背けるのはやめよう。みんな食われた。ただ、ここに居合わせたばかりに。


 さっき食べたものを吐かないでいられた自分の精神力には感動する。


「なんなんだよ、それは」

「知ってるでしょう。ヴァルヴェスティア――いいえ、血換炉だよ。あたしの身体は今、血液発電で動いている」

「嘘だ、そんな馬鹿な……。血換炉は人間の身体に積み込めきれる大きさじゃない」


 だからこれは現実じゃない、伊久那がヴァルヴェスティア――ボクらの追うべき、ハンプそのものだなんて、あるはずがないんだ。


「現実逃避なんて、おまえらしくもないな刈羽」


 気管支を一瞬で駄目にしそうなタバコの臭いを知覚するのと、ボクの後頭部に硬いものが押しつけられるのは同時だった。


「……ガリリアーノさん!?」

「よう」

「あなた、死んだはず――いや、そう見せかけたのか」

「そうそう、それくらい飲み込みが早いのがおまえらしいってもんだ」

「ゲスゲンさんは?」

「もちろん生きてる。おまえらがハンプと呼んでるあれの、最後のピースをはめたのが奴だ」


 表で銃撃音。駐車場でボクの帰りを待っていたティアンジュさん達と、ガリリアーノさんの仲間が撃ち合っているのだ。


「丁度いい、ついてきてもらおうか、刈羽。黒の枢機卿がおまえをお待ちかねだ」

 

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