決別
窓から見える景色は、一面霧に包まれていた。
19世紀末にロンドンを覆った光化学スモッグ。それを彷彿とさせる深い霧――ジャミングスモークだ。ラボ側ではジャム・ミストと呼んでいる。レーダーと無線通信を無力化するそれが敵の攻めてくる合図だと、実験小隊の面々も了解していた。
「ヴルフォード、全機出廟準備! 2級職員以下はシェルターに避難!」
サイレンが鳴り響く中、整備員たちが慌ただしくヴルフォードの発進準備を進める。
格納庫は一足先に戦場になったようだった。
忌まわしい大戦の記憶を呼び覚まされるのか、老輩たちの眉間の皺は濃い。
出撃準備に慌ただしく駆け回る人々の目をかいくぐり、ゲスゲンはボクの後から『蒼穹の頂』のコクピットに潜り込んだ。誰もボクらなどに注意を払わなかった。
ラマイカさんの駆る『陽光の誉れ』は両手に一挺ずつG・ヴァヨネットを装備する。更にバックスカートアーマーのラッチにはWG用
そして『蒼穹の頂』は左手にG・ヴァヨネット、右腕にバーベキュー・ランス――先端に工業用ドリルを取り付けた長砲身のガトリングガン――を接続する。ちなみにこの奇妙な名称は、第2次世界大戦時に雑食人兵士が野営地でこれを使って豚の丸焼きを作ったという逸話に由来する。
「出廟するぞ! 整備員は避難!」
格納庫のシャッターが開く。2機のWGは勇ましく歩み出る。
「カリヴァ君」
「ひゃい!」
モニターに小窓が開き、『陽光の誉れ』のコクピットにいるラマイカさんの顔が表示された。声がうわずる。背後にしゃがむゲスゲンの頭が見えやしないかと思うと気が気ではない。
「ジャム・ミストが発生する直前、監視カメラがWGらしき影をキャッチした」
周辺地図が表示される。影がキャッチされたという位置に赤い光点がマークされる。ラボの西に4つ。それがJD率いる陽動部隊だとボクは知っている。
「2人で
「……敵はラボを攻撃するかもしれません。伏兵がいるかも……」
「なるほど、そんなにヴェレネが気になるか?」
ラマイカさんは軽く笑った。
「違いますよ! なんでそうなるんですか!」
「君は私という乙女を単身敵の群れの中に突っ込ませても平気なのだな? 薄情なことだ。私は悲しい」
「いや、ラマイカさんなら実際平気じゃないですか」
「…………」
不自然な沈黙が流れた。
「――ラマイカさん?」
「あー、あいわかった! うん、確かに私は一騎当千突撃女だとも! その期待に応えてみせようッ! 君はそこで指を咥えて、来るかもわからん伏兵に備えていればいいさ! 後で
『陽光の誉れ』が加速。ものすごい速さで敵がいるであろう場所へ飛んでいった。
「どうしたんだろう、ラマイカさん……?」
「カシワザキ君、君、本気で言ってるのか……?」
「は?」
いやいい、とゲスゲンは目を伏せた。
ビビーッ!
コクピット内に警告音。ボクを迎えに来た本隊だ。
アーミーブルーに塗られた第3世代WG。確か名前は『ギヨティンヌ』。
VKのWGが基本的に円柱を繋げたような機体なら、組織のWGは複雑な凸凹を持つ立方体を積み木のように重ねたふうな外見をしている。
ボクは挨拶代わりにガトリング砲を撃ってみせた。むろん威嚇射撃であり、ラボの連中を騙すための小芝居に過ぎない。事前に示し合わせてあるとおり、『敵』は後退した。ボクはそれを追うふりをしてラボのレーダー範囲から外に出る。
このまま東にあるヴァイ川まで移動、船でVKを脱出する――そういう筋書きだ。
「ラボから充分離れたようだな」
ゲスゲンが不安を隠せない様子で言った。
念の為に通話記録装置をオフにしてから、ボクは通信周波数を合わせた。合言葉を唱える。
「『雛鳥は巣立った』、どうぞ」
「『朝食はフライドチキン』」
通信機から合言葉が返ってきた。顔は見えない。
「全て予定通りだ。このまま河まで移動する」
「了解」
潜水輸送船の待つ河岸へ到着する。
モスグリーンのWGが1体、森に身を隠していた。WGの名は『ウイリアム・テル』。右腕がまるまるスナイパーキャノン、左腕を
そこからガリリアーノさんの声が響く。
「上手くいったようだな、刈羽」
「なんでガリリアーノさんがWGに……?」
「俺だって構成員の端くれだ。まあ、それだけ人手不足ってことなんだけどな」
「おい、俺の紹介が忘れられているんじゃないか?」
痺れを切らせたようにゲスゲンさんが口を挟んだ。ガリリアーノさんが息を呑む気配が通信機から聞こえてきた。
「刈羽、誰だそいつ!?」
ボクは手短に経緯を話した。
余計な面倒を、とガリリアーノさんは舌打ちする。
「そう嫌わなくともいいだろう。君達が真に欲しいのはヴルフォードではなく血換炉だろう? その専門家が協力しようというんだ。悪い話ではないはずだがね?」
「血啜り野郎が俺達の味方をしようってのか」
「俺は俺に利益を与えてくれるなら誰の味方にもなる。逆もまた然りだ」
そうかよ、とガリリアーノさんは呟いた。ゲスゲンの裏切りが願ってもない幸運だと頭ではわかっているが、感情的に納得していないのは明らかだった。
輸送船はあっちだ、とガリリアーノさんはWGの顎を振って指し示す。ボクは『蒼穹の頂』の歩を進めた。
このまま船に乗り込めばボクの役目は終わり。後は船旅を楽しんでいればいいわけだ。
さようなら、第6実験小隊。ありがとう、ヴァンデリョス家の人々。
あなた達は悪い人達ではなかったけど、あなた達の上司・主人がいけなかったんだ。
もはや影にしか見えないラボを振り返ったとき、視界の端から何かが飛び出していった。
ギヨティンヌの1体が――いや、続いてもう1体もまた元来た道を引き返していく。
「なんで!?」
「こら、追うんじゃねえ」
ガリリアーノさんの機体の手が『蒼穹の頂』の肩をつかんで引き戻す。
「あいつらはあれでいいんだ」
「でも、このまま船で脱出するんでしょう? あの人達を置いて行くんですか?」
「その通り。船に乗るのは俺達2人、いや3人だ」
「じゃあ、あの人達は……?」
2機のギヨティンヌは霧の彼方に消えていた。
「この際ついでにラボも破壊していくんだそうだ。VK側の血換炉開発を遅れさせられるかもしれんし、陽動部隊と連携すれば『
通信機越しにライターの火を点ける音が聞こえた。WGのコクピットは禁煙以前に火気厳禁だったはずだが。
「ラボを破壊……? 嘘でしょう?」
「指揮官、あまり欲張りすぎるとすべて失うぞ」
「なんだ? 今更古巣への愛着を取り戻したか、蝙蝠野郎?」
ラボにはヴルフォード以外の戦力などない。防衛手段さえ。
それを、破壊する――? 内部にいる人間もろとも?
ロルフや皆が炎に包まれる様をボクは想像した。孤軍奮闘するラマイカさんが傷つき倒れる姿も。
その忌まわしい想像を裏付けるように、霧の向こうで炎が揺らめいた。
「やめさせてください、ガリリアーノさん!」
「俺は別に連中の指揮官ってわけじゃないんでね。どっちかというと下働きだ」
「リシュリューは、ボクの願いを聞いてくれるって――」
「は? 本気で信じてたのか、そんな口約束?」
「――――ッ」
ウイリアム・テルの銃口が『蒼穹の頂』の背に突きつけられる。ボクを案内するためだけの仕事に、わざわざWGを持ち出してきた意味がわかった。
「迂闊な真似をするんじゃないぞ、刈羽」
「そうだ、カシワザキ君。もはや賽は投げられた。ここで迷うのは百年遅い」
「…………」
ボクはコクピットハッチの開閉ボタンを押した。
コクピット内にこもった熱が吐き出され、夏でも肌寒いVKの夜空に白い靄を発生させる。
「――戻ります。降りてください、ゲスゲンさん」
「なんでだ、刈羽!」
ガリリアーノさんが叫ぶ。
「おまえは仲間の仇が討ちたくないのか!」
「ラボの人達は仇じゃない!」
「奴等は血吸虫だ! 人類を脅かす、倒さなくちゃならない敵だ」
「倒さなくちゃならない敵……?」
ああそうとも、とガリリアーノさんはボクを説得するためにまず自分を落ち着けようと、大きく息を吐いた。呼吸音が通信機から漏れる。
「おまえは充分知っているはずだ。血吸虫どもに家族同然の仲間を殺されたおまえには」
差別表現にゲスゲンさんが舌打ちを漏らす。だが賢明にも会話に割って入りはしなかった。
「奴等にとって結局、俺達は家畜なんだ。少しばかり待遇がよくなって勘違いしているだけで。どだい無理だったんだよ、人類を餌にする生き物との共存なんて。俺達が安心して眠るためには奴等を根絶やしにするしかない」
「絶滅させるつもりなんですか!?」
「でなければ、世界中の人間が餌にされちまうぞ!」
ボクは言葉に詰まる。彼の言説に一理があると認めたからではもちろんない。大の大人が『相手を皆殺しにすればいい』だなんて正気の沙汰とは思えない戯言を恥ずかしげもなく口にしたことに、頭がくらくらしたからだ。
「……それが大人の言うことですか」
とりあえず、そう返すのがやっとだった。
吸血人は全雑食人の敵。全世界を支配しようとするもの。だから問答無用で皆殺しにしてしまっていい。
なんだそれは。ロルフの好きなアニメだって、そんな雑な世界観じゃない。
後ろを振り返れば、霧の中にオレンジ色の揺らめきが見える。
ガリリアーノさんを説得する時間なんかなかった。
ボクは機体を素早くしゃがみ込ませる。背後に立つウイリアムテルの脚部を払った。
地響きをあげて無様に転倒するウイリアム・テル。胸を踏みつけ、起き上がれなくする。
「危ないな。せめて一声かけてもらいたいものだ」
頭を押さえながらゲスゲンさんがぶつくさ言う。血が流れていたが、彼が袖口で拭った後、そこに傷口はなかった。流石は吸血人だ。
「失礼しました。で、ゲスゲンさんどうします? 降りるんですか? それともボクと戻りますか?」
「……俺は降りよう」
「いいんですか? 相手は吸血人を皆殺しにするって言ってますけど?」
「俺はもうこっちに賭けてしまったんだ。今更退路はない。VK紳士として、裏切り者は潔く裏切り者の
それに、と彼はこめかみを指でつつく。
「血換炉の詳細はここにある。そう簡単に殺されんさ。むしろ上手く出し抜いてみせる。俺はそこそこ自分の才知には自信がある方だ。……君こそいいのか?」
「姉さんはきっとこんなこと望まない」
姉の声は何も言ってくれない。だけど優しかった姉さんが、無駄に人が死ぬことを望むはずがなかった。
それに姉さんは、吸血人と雑食人が共存していたからこの国を愛したのだ。気候や風土に惹かれたわけではない。
だから2つの人類には本当の意味で共存してもらわねばならないのだ。
「カシワザキ君、『蒼穹の頂』には血を注入しておいた」
コクピットから出る直前、ゲスゲンさんはボクに耳打ちした。言われなくとも、VCRゲージが8割ほど溜まっているのは確認している。
「それから、君の権限でも吸血鬼機能が使えるようにもしておいた」
「……無茶をしますね」
ヴァルヴェスティアとしての機能を解放する権限はラマイカさんかヴァンデリョス伯爵にしか許されていない。当然ハッキングの難易度も高かったはずだ。
ボクの中に、いけ好かない相手だったはずの副主任を心配する気持ちが生まれる。力ずくでも連れて帰るべきかもしれないと思う。
だが、ボクが何かする前にゲスゲンさんはさっと離れた。達者でな、とでも言うように手を振る。
――かりばちゃん。
解放された力の使い方は、姉さんが教えてくれた。
「使い魔達! ボクに翼を!」
両肩後部の排出口からあの
「発進!」
願えば、翼はボクを力強く押し出した。
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