妖声
ラボに帰投後、わずかな休憩を挟んで緊急会議が開かれた。
昼食時を過ぎていたが、幸か不幸か、悠長にヴェレネのお弁当を食べていられる場合ではなかった。ゼリー状の栄養飲料だけの食事を終え、ボクも会議の末席に加わる。
「あの『霧』のおかげで、管制室からは一切の情報を得ることができませんでした」
「ヴルフォードのカメラから得られた情報だけが頼りというわけだな」
「『デス・サンソン』でしたか? 今までに確認されたことのない機体です。新型機、それも非公式に開発されたものであることは間違いありません」
「御丁寧にジャンヌ・ダルクと名乗っていたんでしょう。またフランスの亡霊ですかね」
かつてVKに滅ぼされたフランス王国の子孫は、歴史上何度かVKに報復をしかけてきた。有名なのは1800年頃に起きた『ナポレオンの乱』で、わずかな間とはいえVKはフランス州パリ・シティを占拠されるという痛手を受けた。
「そう判断するのは早計だな。敵の発言を鵜呑みにするのはどうか」
「そうそう、だいたいそもそもわざわざペラペラ向こうから喋ってきた情報なぞまず怪しい」
「……ラマイカさんはいつも自分から名乗ってますけど」
「レディ・ラマイカは……まあ……、あれだから……」
「君達、言いたいことがあるならはっきり言いたまえ! ――敵の追跡は?」
「警察には、WGを収容可能なサイズの大型車両を取り締まるよう依頼しました。軍にも警戒を要請しています」
それにしても、眠い。戦闘の疲労が今頃になってのしかかってきたのか。
「――カシワザキ君の」
「は、はい!」
名前を呼ばれたと思って、反射的にボクは立ち上がった。会議室にいる皆の目がボクに向けられる。皆、え、どうしたの、という顔をしていた。
「……いや、カシワザキ君の戦闘中に起こった、異状についての案件、なのだが――」
「あ……はい」
眠気は吹っ飛んだ。隣で笑いをこらえているロルフの脛を蹴ってやる。
疲れているのですか、と右隣に座るヴェレネが心配そうに見上げてきた。どうでもいいがボクの右側に座っていたのは整備科のマイルズさんだったはずである。肥満体の整備員がいつの間にヴェレネに変わったのだろう。
スクリーンにはボクと自称ジャンヌ・ダルクの戦闘記録が流れていた。『蒼穹の頂』のメインカメラ、つまりボクの視点から撮られた映像だ。
戦闘が始まると思われた瞬間、突然カメラが上下前後左右に激しくぶれる。スクリーン右上には機体の動きを示す簡素な3Dモデルが表示されていたが、それも苦しみ藻掻くような動きをとっていた。
「ではカシワザキ君、この時に君が感じた主観的症状を説明してくれるかな」
登壇していた医療班主任に促され、ボクは答える。だが説明しろと言われても上手く言い表せない。
「……突然頭全部が痛くなって、なんだか脳味噌が燃えてるみたいに熱くなって……涙が溢れ出てきました。吐き気も少し」
たどたどしく要領を得ない言葉を羅列するボク。皆からは馬鹿みたいに見えているのではないだろうか。悲しくなってくる。
そんなボクの表情に気づいたのか、医療班主任は目元を和らげた。
「ありがとう。わかりやすいコメントだった。助かる」
「はあ……」
やめて、気を使われると余計悲しくなるから!
「ではみなさん、この時の脳波グラフをごらんください」
スクリーンの片隅に地震計のようなグラフが表示される。それは激しい振幅を描いていた。
他にも幾つかグラフが追加されたが、ボクにとってはどれが何を示すのかサッパリわからない。一応文字も併記されているのだが、日常生活ではまずお目にかかれない英単語だということしかわからなかった。
「――これらのデータから、被験者B、つまりカシワザキ君の脳に極めて高密度の情報が送り込まれたと推察されます。これによって彼の脳に強い負荷がかかり、それが頭痛、発熱、嘔吐感などの症状としてあらわれたのでしょう。……また」
映像がコマ送りされる。『蒼穹の頂』のカメラの中に、頭を抱えて苦しむ黒いWGの姿が入り込んでいた。
「……敵も同様の状態になっていたようです」
『なんなんだよ、おまえ、おまえの所為で、パパがおかしくなった……!』
「自称ジャンヌ・ダルク氏は明確に君の所為だと言っているが、どうかね、カシワザキ君。心当たりは?」
「……いえ、まったく」
嘘である。いや、さっきまでは本当にわからなかったのだが、敵もまた何かの声を聞くことができること、そして『高密度の情報が送り込まれた』という言葉で閃いた。
つまりはこういうことだ。
姉さんが黒いWGの動きを予知し、ボクに対処法を教える。
それに対して黒いWGのパパだか神様だかが、ボクの反撃に対する対処法を自称ジャンヌ・ダルクに教える。
すると黒いWGの新しい行動に対して姉さんが新しい対処法をボクに伝える。それに対抗して神様がジャンヌに対策を教え、それを迎え撃つべく姉さんがボクに伝えて回避策によって神様が――――。
現実には指1本さえ動かしていない一瞬に、常軌を逸した量の情報のループが1度に襲いかかってきたのだ。脳がフリーズどころか焼き切れてもおかしくない。
その状態から回復するには2つ。どちらか一方が先に気絶でもして行動不能になるか、あるいはラマイカさんが割って入ったように、『より優先して対処すべき問題』が発生することだ。
しかしそれを皆に説明するためには、姉の声の件を包み隠さず報告するしかなかった。
できるわけがない。狂人扱いされるのがオチだ。
それに所詮、彼等は伯爵の部下。いつか敵に回る存在だ。ボクの切り札を明かすわけにはいかない。
「……もうこんな時間か」
おおよそ意見が出尽くした後で、ラマイカさんが時計を見た。時刻は深夜3時過ぎ、もうそろそろ太陽が昇ろうかという時間だ。
「ラボに泊まる者は空き部屋を自由に使ってくれ。帰宅する者は気をつけてな」
「……敵の襲撃に備えなくていいんですか?」
「そういうのは軍隊の仕事。我々はただの実験屋だ。……カリヴァ君、私は泊まるが、君はどうする? 誰かに乗せてもらうか、歩いて帰るか」
「ボクも泊まります」
『蒼穹の頂』の損傷は大きいが、いざとなればヴァルヴェスティア化で自動再生が可能だ。敵の攻撃に備えて、残っていた方がいいと思われた。ラマイカさんが泊まり込むのも、同じ理由のはずだ。
「みんなでお泊まりですか。ちょっとワクワクしてしまいます。――部屋割りは自由でよろしいのですよね?」
ヴェレネは呑気にはしゃいでみせるが、その実、意味ありげにこっちを見たのをボクは見逃さなかった。
姉がボクの貞操の危機を伝えてきた、ような気がする。
「……ロルフ、君が占拠してる部屋使わせてもらっていいかな」
「え、他当たってくれよ。僕は馬に蹴られて死ぬのはごめんだぜ」
「部屋主様がそう仰るのでしたら仕方ありませんわ。カリヴァ、わたくし此処に来て日が浅いので部屋を案内してもらえますか。新入り同士で積もる話もありますし、さあ」
「なんであなたは普段消極的なくせに色恋沙汰絡むとガツガツ食いついてくるんですか怖い」
「……そこ、風紀は乱すなよ」
ラマイカさんが眉間の皺を指で伸ばしながら言った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ロルフの部屋で寝る――と見せかけて別の場所で寝ることにした。
流石に自意識過剰だと思うが、用心に用心を重ねて損はないと思う。
それにしても、あの黒いWGはなんだったのだろう。
伯爵の刺客とはまた違うような気がする。
自称ジャンヌ・ダルクは言っていた。『おまえら血吸虫を地獄に落とす機体だよ!』と。
伯爵の手下なら吸血人だろう。吸血人が吸血人を血吸虫などと呼ぶだろうか。
「おや、カリヴァ君じゃないか」
給湯室の前を通ったとき、ラマイカさんに声をかけられた。
「早く寝た方がいいぞ」
「ラマイカさんこそ」
「久々に手強い相手と戦えたのでな。恥ずかしい話だが、興奮して眠れん」
彼女はインスタントの紅茶を淹れている最中だった。
寝られないのはカフェインの過剰摂取によるものではないのだろうか。
「――君も1杯飲んでいくか? 安いティーバッグだが」
紅茶に視線を向けていたのを勘違いされた。断るのも悪い気がして、ボクは首を縦に振る。
ボク達2人は廊下のベンチに並んで腰掛ける。
「不思議な敵だった。こちらの攻撃を読んでいる……読むことに特化したような感じというか……」
「…………」
「もしかしたら、『
「妖声……?」
「オカルトだよ」
別に私自身が信じてるわけじゃない、とやや恥ずかしげに前置きして、ラマイカさんは続けた。
「ごく稀に、やたら危機回避能力の高い人間がいる。彼等の話では、危険が迫ったときにこの世にいないはずの誰かが警告してくれるのだそうだ。その声を『妖声』と言い、それを聞くことができる者を妖声憑きという」
「…………!」
図らずも――自分の身に起こった現象が自分と自称ジャンヌ・ダルクだけの話ではなく、それに名前がつけられているのを知ることになった。
「そういえば、かのジャンヌ・ダルク――歴史上の方だ――は神の声を聞いたというが、それもまた妖声だったのではないかといわれているな。自称ジャンヌ・ダルクの方もそうなのかもしれん」
「――あ、ボク、そろそろ寝ます」
このまま情報を聞き出したい気持ちと、やめておきたい気持ちがぶつかり合い、ボクは結局後者を選んだ。
知れば知るほど、あの声が姉のものではない現実を突きつけられる気がしたからだ。名前さえ知れたのなら、後で調べることも出来る。今は、まだ覚悟がない。
「もう帰るのか? 紅茶を作りすぎてしまってな。もうちょっと飲んでいかないか?」
そう言ってラマイカさんが掲げたポットからは重い音がした。
いやあなたさっき寝ろって言ってましたよね、それ消費したらたとえ中身がホットミルクでもお腹たぷたぷで寝られないんですが。
「……わかりました、もうちょっとご相伴に与ります」
ラマイカさんが捨てられた子犬のようにションボリした表情をしたので、ボクは仕方なく浮かせた腰を下ろした。
「そうか助かる、日頃自分で淹れることはないから加減がわからなくてな。作りすぎなのは途中で気がついたが捨てるのももったいないだろう」
「そうですわね」
いつの間にか、背後にヴェレネが立っていた。
「……わたくしも、御一緒してよろしいでしょうか?」
さっさと寝なかったことを、ボクは早くも後悔した。
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