7:望まねど 巣立ち迎えぬ 雛はなく。銃火に別つ 輩(ともがら)の縁。

髑髏面


 その日ヴァンデリョス邸に帰還すると、ワカバとモミジが仲良くトテトテと駆け寄ってきた。


「刈羽様、刈羽様、お帰りなさいませ、ですぞ!」

「お手紙が来ておりました」

「それを言うためにわざわざ2人セットでやってくるなんて、君達はよっぽど暇なんだね?」


 自称ジャンヌ・ダルクの襲撃から一週間と少し。軽い冗談を交えたやりとりを交わす程度には2人のメイ童女とも仲良くなれたと思う。


 暇人、いや暇妖怪コンビは手紙の内容を知りたがったが、もちろん教えるわけがない。

 差出人は『墨石アラン』。ガリリアーノさんが組織の件で連絡する場合に使ってくる偽名だ。


 部屋に戻り、誰も入って来られないようドアに鍵をかける。

 したためられていたのは日付と場所のみ。ただしこれも特定の規則に基づく並べ替えを必要とする暗号になっている。

 暗号を解読し、正しい待ち合わせの日時と場所を知ると手紙をバラバラに切り刻んで捨てる。

 まるでスパイみたいだな、と思った。実際スパイなのだが。





 社会の影で強権を欲しいままにする貴族と、それに抗う平民達の地下組織。

 両者の戦いにボクが巻き込まれてもう1ヶ月。


 いや、巻き込まれたという表現は他人事過ぎるだろう。実際は貴族から命を狙われたボクが身を守るため――そして戦うため――地下組織に身を寄せたのだ。


 その代償として、ボクはヴァンデリョス伯爵が密かに開発している新型WG『ヴルフォード』の情報を組織に流す命を受けた。


 ただの子供がそう簡単に情報を手に入れられるか、007じゃないんだぞ――と言いたいが、これがなんと予想外に上手くいった。現時点でボクは結構な量の――まあ質はそれほどでもないが――情報を地下組織に流している。敵でなければ第6実験小隊のセキュリティ意識の低さに苦言を呈したいところだった。


 水でも飲むか――とドアを開ける。

 両開きのドアのうち、動かさなかった方の向こうにコップを耳につけたワカバとモミジの姿があった。


「……本当に暇そうで何よりだ」

「勘違いしないで欲しいのですぞ刈羽様」

「そうです、我々は決してやましい気持ちで盗み聞きをしていたのではありません」

「動機はともかく行動にやましさを感じてくれないだろうか」

「先輩メイドから聞きましたですぞ。刈羽様は頻繁ひんぱんにお手紙をもらっていると」

「そしてその次の土曜か日曜は昼間にお出かけだとか」


 つまり、と狙ったのか偶然か2人は同時に声を出した。


「つまりあの手紙は、デートのお誘いなのですね!」

「違う」


 そもそもデートだったらなんだというのだ。


「いいえ、重要案件ですぞ! これは是非見物したい! 我々は暇なので!」

「刈羽様のデート相手が男か女か、私、気になります。我々は暇なので」

「ナローラさんに仕事増やしてもらうよう頼んでおくね?」

「それは勘弁ですぞ!」


 2人は逃げていった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 一週間ぶりの太陽光が目に痛い。

 空は一面雲に覆われているが、これでも充分過ぎるほど明るく感じる。晴天であれば目玉が灼かれていたかもしれない。まるで夜の世界で生きるうち、吸血人になってしまった気分だ。


 わざと大回りして目的地に向かう。適当に人のいない裏路地を選んで、曲がる。

 そして――走った。


 隣の大通りに出て自動販売機の影にしゃがみ込むと、ぱたぱたと2つの足音が路地の向こうから追いかけてきた。


「ガッデーム! 見失ったですぞー!」


 ワカバの声がした。きっとその傍らにはモミジもいるのだろう。

 暇を持て余した妖怪コンビがボクを尾行していることなど、屋敷を出た時点からお見通しである。

 そっと彼女らの様子をうかがうと、変装のつもりか、ワカバは付け髭、モミジは鼻眼鏡をしていた。


「どうする、ワカバ?」

「こうなったら臭いを嗅いで追いかけるのですぞ!」


 しまった、あいつら腐っても動物だった。いつもの習慣で香水をかけてきた己の迂闊うかつをボクは呪う。

 ところでキツネもタヌキもイヌ科だったはずだが、鼻が利く生き物だったっけ?


「こっちですぞ!」


 通行人の目も気にせず地面に鼻をくっつけてクンクンさせたワカバは、ばっと立ち上がってと駆けだしていった。モミジも後を追う。


「……馬鹿で助かった」


 ふう、と安堵の息をついていると、裏路地の方からヒールの高い靴が舗装された道を蹴る、高い音が近づいてきた。

 路地から遮光ローブを着た吸血人が飛び出し、左右をうかがう。一瞬見えたその顔は、ヴェレネだった。

 ヴェレネはワカバ達の後ろ姿に気づくと、小走りに後を追う。


「……なんであいつまでいるんだよ」


 ヴェレネはもちろんラマイカさんにだって今日のことは一切話していない。ワカバ達とヴェレネに接点はないはずだ。にも関わらず彼女は明確にワカバとモミジ――つまり彼女達が追いかけているボクを追っていた。


 背筋が寒くなるのを感じながら、ボクは彼女達が走って行ったのとは正反対の方向へと足を進める。


「こっちだ、刈羽」


 営業しているのかも怪しい寂れた映画館の前で、ガリリアーノさんが軽く手を挙げた。


 狭いロビーに劇場が1つあるだけの、20世紀の亡霊みたいなひなびた映画館だった。自動券売機もなければポップコーン売り場もない。ネット予約システムなんて当然ないだろう。


「今日はちょっと偉いさんと会ってもらう。粗相のないようにな」


 男か女かわからない老人からチケットを受け取ると、ボク達は劇場に入る。既に結構な数の人がいて、内部の狭苦しさを強調していた。最前列とスクリーンの間にはステージ。その上に置かれたマイクが誰かを待っていた。


「ぼんやりするな、こっちだ」


 チケットに書かれた座席に腰かける。

 演目はすぐに始まった。照明がゆっくりと落とされ、一瞬の暗闇を経てスポットライトがステージを照らす。


 その時既に、その男はそこに立っていた。


「…………!」


 漆黒のインバネスコートに身を包み、髑髏どくろを思わせる鉄仮面を被った人物がそこにいた。

 黒ずくめの怪人は大きく腕を広げる。


「紳士淑女の諸君。お集まりいただき光栄の極みです」


 奇怪な出で立ちに反して、放たれた声は耳に心地よく響くものだった。まだ若い男のものだ。


「『漆黒の枢機卿すうききょう』……?」


 呆然とガリリアーノさんが呟いた。

 どうやら彼が事前に聞かされていたよりも上の人物がやってきていたらしい。


「ここにおられる諸兄は、多かれ少なかれあの血吸虫どもに煮え湯を飲まされた者達ばかりだ。遙かな昔、生き延びるために人としての尊厳さえ捨て去った彼等の厚顔無恥は現代にあっても変わらない。そのために涙を流すのは、いつだって我等弱き人の子です。その連鎖を我々の世代で絶つか、それとも子や孫に繋ぐか?」


「血吸虫どもに報復を!」「今度は奴等が涙を流す番だ!」「復讐の光を!」


 あちこちから怒りと悲しみの声が轟く。それはひどく芝居めいて聞こえた。むしろ叫ばない人間達の目こそ、言葉にならない怨嗟えんさを渦巻かせ、会場を暗い情念の場に変えている。


 出たい、と痛切に思った。ひどく場違いな場所に来てしまった感がある。ボクは彼等と一体化できるほど、吸血人全体に対して憎しみを抱いていないからだ。

 憎いのはあくまで、ボクを殺そうとした黒幕だけ。

 だけどこの人達は違う――仇のついでに世界を焼いてしまってもかまわないと考えている人達だ。


「――勇敢なる諸兄に、有意義な報告ができることを嬉しく思います。我々はヴァンデリョス伯爵が秘密裏に開発している新兵器の情報を手に入れました」


 スクリーンに映し出されたのは、ヴルフォードの全身図だ。ああ、それを彼等に流したのはボクだ。


「この駆動騎棺は、特定の条件を満たすことによって吸血鬼の力を行使することができのです。もう一度言いましょう、『吸血鬼』です。我々の知る血吸虫どもではない、その根源たる悪魔の力なのです!」


 スクリーンには、『陽光の誉れ』と『獣』の戦闘を空撮したものが映し出されていた。


「ひとたびその力を発揮すれば、その機体は森羅万象を操り、いかなる傷を受けてもたちどころに修復してしまう。これは下手な広域破壊兵器よりも、ずっと驚異的な存在だ」


 観衆がざわつく。彼等はヴァルヴェスティアの脅威を正しく理解したようだ。


「――我々は、これを手に入れる」


 枢機卿は映像の中の『陽光の誉れ』に手を伸ばし――つかみ取ろうとするかのように拳を握りしめた。


「この存在を公開すれば国際社会に大きな動揺を与えるでしょう。この平穏な時代に、VKが斯様なまでに強大な兵器を造り上げた意味をわからぬ世界ではない。彼等は血吸虫の脅威を今一度認識し、立ち上がる。その時こそ、我等の決起の時であります! 応報の時は近い!」


 割れんばかりの拍手が、狭い会場を揺るがせた。


「――そして今日、諸君等には1人の英雄を紹介したい。強奪計画の要となる若者であり、彼もまた、家族同然の存在を貴族の暴虐によって失った我々の同志であります。紹介しましょう――柏崎刈羽!」


 スポットライトがボクに向けられた。なるほど、座席指定はこのためか。

 壇上へと招かれる。通路すぐ横の席を与えられたのは、出て行きやすいようにとの配慮だったのだろう。


 ボクは舞台正面の階段を上り、枢機卿の前に立つ。見上げると、髑髏の眼窩がんかの奥で蝋燭ろうそくのような光が揺らめいた。中に人間の頭が入っているにしては、炎はいやに奥にあるような気がする。

 本当に目の前の人物は生きた人間なのだろうか、などと馬鹿な不安が胸をよぎった。


 彼はボクを隣に並ばせると、ボクの肩に手を置く。先程ボクのことを『彼』と呼んだ以上ボクの性別は理解しているはずだが、その手にはいやに熱が込められているような気がした。


「新兵器強奪は彼が行う。皆、若き英雄に惜しみなきエールを!」


 拍手が轟いた。

 列席者の期待のこもった眼差しがボクに向けられる。みんな、何かしら吸血人に大切なものを奪われた人々なのだろう。自分に代わって恨みを晴らしてくれと祈る声が伝わってくるようだ。


 その祈りはいろんな意味で重たすぎた。


「何か言いたいことはあるかな、同志刈羽」

「言いたいこと……」

「何か望みが――要望があるならここで述べたまえ。君にはその権利がある」

「望み……」


 もちろんわかっていた。ここでボクの正直な思いを吐露するのは利口じゃない。


 個人的な恨みの相手を全ての吸血人に拡大し、血吸虫と侮蔑してはばからないあなた方は間違っている――と口に出すのは、道義的には正しいけれど処世術的に間違っている。


 でも、姉さんならきっと言う――はずだ。

 だったらボクはそうするしかない。それで殺されるとしても、それはたいした問題じゃない。


 ボクは意を決して、口を開いた。


「新兵器は盗み出しましょう。でもその使い道は、沢山の『吸血人』の人々が傷つかない方法にすると、約束してもらいたいのです、が」


 会場は一気にざわついた。ボクが『全ての血吸虫を駆逐しましょう』とでも言えば彼等は満足したのだろうが、ボクは冗談でもそれに付き合うつもりはない。


「大丈夫なのか」「あいつは何を言ってるんだ」「裏切り者だ」などという声が辛うじて聞き取れた。殺せ、と言う者もいる。


「静粛に!」


 枢機卿は叫んだが、慌てた素振りはない。その声は抑制的で、むしろボクが何を言うかわかっていたかのようだった。


「確かに彼の言ったことは、我々の総意とは異なるものでしょう。しかし、言っていい。言ってよいのです。我々の最終目的は、血吸虫に牛耳られたこの世界を、正しいものに作り直すことであります。新しい世界を築く人々という世代は、使役されるロボットであってはならない。己の意志を持つ『人』であらねばならないのです。彼の勇敢な発言は、血吸虫の長き支配が、ついに人の自由意思を奪えなかったという、人間の勝利宣言でもあるのです!」


 どよめいていた群衆が枢機卿の言葉を呑み込むために沈静化していく。正直なところ、彼のややこしい台詞からその意図を汲み取れた者はいなかっただろう。人々が煙に巻かれているうちに、彼は畳みかける。


「もちろん諸兄の中にも我等が組織の意向を良しとなさらぬ方がいれば、言ってくれてよいのです。納得いくまで話し合いましょう! あるいは決裂もあるかもしれませんが、その上でお願いしたい! 同じ場所を目指し、私の言葉に大義を認めてくれるのなら、今は共に立ち上がろうと!」


 枢機卿を讃える声がわいた。

 要するに、彼はボクの言葉をダシに自分の懐の深さを印象づけたわけである。


「――刈羽君」


 マイクを切り、枢機卿はボクに話しかける。


「君の願いは聞き届けよう。君が約束を守ってくれるなら」


 枢機卿は手を差し出してきた。ボクはそれに応じる。向こうがこっちの要求を表面上とはいえ呑んでくれたのなら、こちらから拒絶するわけにはいかなかった。


 人々が拍手を贈る。

 彼はこっちの体温を確かめるかのように握り返してきた。


「綺麗な手をしている」

「……それはどうも」

「私の名はリシュリュー。漆黒の枢機卿、あるいは黒のリシュリューだ。コードネームしか明かせず残念だが、そう呼んでほしい」


 眼窩の奥でたゆたう炎が、怪しく揺らめいた。


「――ほう、あなたがそんなに懐の広い男だったとはな」


 白髪をオールバックに固めた老神父が舞台袖から出てきて、そう言った。


「是非、私とも話し合ってもらいたいものだ。強硬派代表のリシュリュー猊下?」


 皮肉めいた老神父の言葉に、鉄仮面の枢機卿は芝居がかった大袈裟な身振りで応じた。


「これはこれは、穏健派のアスコー大司教」

「あなたをここに呼んだ覚えはないのだがね」


 どうやら、アスコーというらしい司教こそが本来のビッグゲストだったらしい。


「では、招かれざる者は退却しましょう」


 聴衆に対し道化めいた一礼をすると、リシュリューは優雅な足取りで舞台袖へ去って行った。


「そこの君」


 壇上から降りようとしたボクを大司教は呼び止めた。

 そして、見た者全ての心を安らがせるような微笑みを浮かべた。


「どうか今の気持ちを忘れないでくれたまえ。人間と吸血人の真なる平和的共存は、きっとあるはずなのだから」


 『吸血人』か。

 まるで吸血人が人間ではないような言い草だ。温和な笑みがリシュリュー以上にうさんくささを生みだしている。

 けれどボクはもう、それ以上突っかかる気力を失っていた。



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