5:咲かぬまま 墜ちたる蕾 風に消ゆ。己が色さえ 知らないままに。

厳父


 肖像画の前を通り過ぎ、角を曲がった突き当たりに屋敷の主人――ヴァンデリョス伯爵の部屋はあった。


「御館様、お嬢様とカシワザキ様が」

「入ってよい。ああナローラ、電灯を点けてくれ」

「かしこまりました」


 真っ暗な部屋に弱い光が灯り、ボクは暗視ゴーグルを外した。照明は雑食人にとってやや暗いが、ゴーグルは首が凝るので多少暗い程度なら外した方が楽でいい。


 部屋の奥、窓――に見せかけた絵画――を背景に隻腕の老吸血人が1人、執務机に向かっていた。


「カリヴァ・カシワザキだな。ドーンレイ・ヴァンデリョスである。エネルギー開発省の長官などをやっている者だ」

 

 それまで目を通していた書類を机に置き、伯爵は眼鏡の奥からじろりとボクをねめつける。老人といっても肩の幅は広く、がっしりした肉体は熊のようだった。時代がかった響きのある訛りに、ヴァンデリョス家が代々武家だということをボクは思い出す。


 迂闊なことを口走ったら手打ちにされてしまうかもしれないな、と部屋の隅にボディーガードめいて立つ西洋甲冑を見てボクは思った。


「はじめまして、伯爵様ユア・ロードシップ。柏崎刈羽です」

「知っている。馬鹿うつけが迷惑をかけたようであるな」


 口では詫びの言葉を述べているが、伯爵の目は険しい。

 伯爵が真の黒幕であれば、今この瞬間にもボクの命を奪ってしまいたいと考えているだろう。いや、ただ単に女装する男が嫌いなだけかもしれない。


「早速本題に入らせてもらう。まず申し開きを聞こうか、ラマイカ」

「申し開きとは、何についてのです?」


 ラマイカさんはとぼけてみせた。


「対WGテロ班が重要参考人として拘束したその少女を――」

「御館様、カシワザキ様は男性でございます」


 ナローラさんに訂正され、伯爵は驚いた表情で書類とボクを見比べた。悪夢を見た後のように頭を振る。


「……誤植かと思った。公文書を書き損じるような、クビにすべき戸籍担当官はいなかったのだな、めでたいことだ。――で、私が問いただしたいのは、彼をプリストル署から強引に連れ出した件だ」

「もうお耳に入っていましたか」

「アルマラス男爵から請願があった。あまり娘をいじめないでもらいたい、と」


 ティアの奴め、父親に泣きついたか――とラマイカさんは呟いた。


「のみならず血婚契約を結んだそうだな」

「それが何か。個人の自由ではありませんか」


 ティアンジュさんは父親にそんなことまで話したのか。

 血婚と結婚は違うと再三述べたが、どうも親に挨拶する前に入籍を済ませてしまったような気まずさを覚える。


 ちなみに血婚証明書はまだ提出していない。役所に寄っていると館に辿り着く前に日の出を迎えてしまうからだ。

 先に書類を提出し、昼間は市内のホテルに泊まろうとラマイカさんは提案したが、名家の女性が男と朝帰り――正確には夕帰りだが――なんて大スキャンダルだ。全力で思いとどまらせた。


「おまえはヴァンデリョスの家名を汚すつもりか!」

「どうせ無くなってしまう家ではないですか」


 激怒する伯爵にラマイカさんは冷笑で応じる。無くなってしまうとはどういうことだろうと思ったが、口を挟める空気ではなかった。


「血婚相手が欲しいなら、血統書付きの相手を用意してやる」

「別に高級血液ヴィンテージが欲しいわけではありません」

「では何故、彼を血婚相手にしようとする、ラマイカ?」

「…………彼は命を狙われています。それもWGを運用するような悪質な連中にです。しかしヴァンデリョス家の保護下におけば、彼奴等もおいそれとは手出しできますまい。VK軍人の端くれとして国民を守るのは正道かと」


 ラマイカさんの返答は何度も練習したかのように淀みがなかったが、ボクは――そしておそらく伯爵も――話し始めるまでの不自然な空白に気がついていた。


 どうやら彼女は嘘をつくのが苦手なようだ。ティアンジュさんのやり方をラマイカさんは力押しと評していたが、そうなった原因は上官ラマイカさんの影響に違いない。


「……それだけか?」


 娘の嘘を今は敢えて追及せず、伯爵は続きを促した。


「カリヴァ君は優秀なトゥームライダーです。軍用WGは未経験だったにもかかわらず、『陽光の誉れ』を美事みごとに操ってみせました」


 トゥームライダー。WGのパイロットを指す名称だ。

 ウォーキンググレイヴ歩く墓だのシュラウド死体袋スーツだのトゥームライダー墓所に乗り込む者だの、いくらVK人が民族的に皮肉屋だからって、センスが悪趣味すぎやしないだろうか。


「……あの機体が、特A級機密に属することは知っていたはずだが?」


 娘に向けているとは思えない冷たい目で、伯爵はラマイカさんを見た。


「緊急事態でした」


 ラマイカさんは意に介した様子もなく、しれっと答えた。伯爵のこめかみに太い血管が浮きあがる。


「まあ、乗ってしまったのは仕方ありません。ですから父上、私は彼を我が第6実験小隊のテストパイロットとして招き入れようと考えています」

「は?」


 素っ頓狂な声をあげたのはボクだ。


「実験小隊? 実験って、何の?」

「話すと長くなる。まあここは私に任せておいてくれたまえ。悪いようにはしないから」

「既に悪化してる気がするんですが。ほら、お父さんものすごく怒っているような」

「貴様にお父さんと呼ばれる義理はない」

「あっはい、すみません」


 いいですか父上、とラマイカさんは胸を張る。


「常日頃申し上げているとおり、現場は人員の増加を求めています。それはトゥームライダーもそうです。そして彼の実力は2度の実戦で保証済みであります」

独創的なしょうもない意見だが、もう少し考えてものを言うべきだ。能力が高いだけではいかん。機密を扱う以上、信頼できる人物でなければならぬ」

「病院での戦闘において、彼は自らの意志で戦いに赴いた。そういう人間は信用に足ると考えます」

「…………」


 姉さんに案内されたからこそなんですけどね、とは言えない。話がややこしくなるだけだ。


「彼に監視をつけ、新たにパイロットを招聘しょうへいすることで秘密を知る人物を更に1人増やすより、彼を仲間に加えた方が効率的というものではありませんか、父上?」

「…………」

「彼を狙う敵の存在も気になります。敵はWGで破壊活動を行う、国家の敵であります。どうせ彼を狙ってくるのなら、万全の状態で迎え撃ちたい」

「ヴルフォードがそこにあれば、次の襲撃にも対応できる、と?」

「流石父上、ご理解が早い」


 伯爵は更に渋面を深くした。――が、大きくため息をついてボクに向き直る。


「……カシワザキ。おぬし、ヴルフォードのこと、誰にも喧伝しておらぬか?」

「おりませぬ」


 つい訛りがうつってしまった。馬鹿にするか狼藉者めと斬りかかってくるのでは――と一瞬身構えたが、伯爵は特に反応せず、ならばよい、と革張りの椅子に身を沈み込ませただけだった。


「おぬしの境遇も理解している。我が家で保護する件については許可しよう」

「……はい、ありがとうございます」


 これは素直に喜んでいいものだろうか。伯爵は真の敵かもしれない。その家で暮らすのか? いつ寝首をかかれるかわかったものじゃないぞ?

 しかし考えようによっては労せずして敵の懐に飛び込めたともいえる。尻尾をつかむいいチャンスだ。


 何より現実的に、ここを出たら行くあてがない。今のボクは文無しで宿無しなのだから。ティアンジュさん達に拘束されるのもごめんだ。


「では父上、テストパイロットの件は?」

「……検討しよう」

「よかったな、カリヴァ君!」


 ……よかった、のか?


「――しかしだ」


 少し和らいだかに見えた空気は、しかし伯爵の研ぎ澄まされた刃のような声に凍らされた。


「血婚は、認めない」

「父上……!」

「カシワザキ。我が家の庇護を受けたければ分際というものをわきまえておくがいい。貴様のような何処の馬の骨ともしれぬ者が我が家に食客として迎え入れられているというだけでも、本来ありうるべからざるところなのだ」


 ヴァンデリョス家ほどにもなると、使用人の1人に至るまで、身元のはっきりした名家の出であることは容易に想像がついた。


「ましてや血婚など――ありえぬ。このドーンレイ・ヴァンデリョス、高貴なる血を遺すためであれば約定を反故にする汚名さえ厭わぬと知れ」


 ボクがラマイカさんに手を出せば、さっきの言葉を反故にしてでも追い出す――と彼は言っていた。

 伯爵は娘とボクの血婚に反対らしい。

 それはいいが分際って何だ。中世ならいざ知らず、今は21世紀だ。法的には貴族も平民も平等のはずである。


 しかし恥ずかしいことに、伯爵の殺気にボクはすっかり萎縮してしまい、黙って首肯することしかできなかった。

 その代わりに、というわけではないだろうがラマイカさんが反駁はんぱくする。


「あなたの価値観は考慮しますが父上、血婚も結婚も当人の同意によって為されるものです」

「法律で人殺しを禁じただけで殺人事件がなくなるなら苦労はしない」

「失礼ながら、それは守らない者が悪いのであって法が無意味であるということにはなりません」

「おまえは自分の高貴な遺伝子を自覚していないのか」

「遺伝子を残す義務は果たしましょう。しかしそれ以外は好きにやらせていただく」


 親子の生討論が続くなか、ナローラさんがそっとボクの背を押した。


「あれは放っておけば昼まで続きます。耳に入れても面白くはないでしょう、どうぞこちらへ」


 彼女の先導で部屋を出る。

 そして辿り着いたのは地上2階の一室だった。


 広い。それまでの住環境からすると広場恐怖症に陥りそうだ。そして意外なことに、この部屋には窓があった。


「カシワザキ様は雑食人ですから、太陽光の入る部屋がいいだろうと、お嬢様が」

「ラマイカさんが……」

「足りないものがあれば、お申し付けください。御館様が客人としてもてなすと決めた以上、家臣一同可能な限り期待に応えられるよう善処致します」

「ど、どうも……」

「ちなみに、明晩のご予定は?」

「いえ、何も」

「ではドレスを仕立てますので、出かけずにお部屋でお待ちください」


 言われたことを理解するのに、数秒かかった。退出する寸前だったナローラさんを慌てて引き留める。


「……は? ドレス?」

「はい。タキシードの方をご所望ですか?」

「いやそうじゃなくて……、なんで、ドレス?」

「新しい家人が増えるのです。周辺貴族を呼び、カシワザキ様の歓迎パーティを盛大に催さないわけにはまいりません」

「パーティ……」


 ボクは今すぐ屋敷を出て行きたくなった。


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