伏魔殿


 チェヴストル北部にある田園地帯にヴァンデリョス邸はあった。


 レンガ塀越しに見える石造りの屋敷は、屋敷というよりは古城のような威容をたたえている。

 3階建ての瀟洒しょうしゃなゴシック建築。三角屋根の上からロケットのような尖塔が1本そびえ立っている。正面玄関はWGが通れそうなほど大きい。


 ちょっと大きい民家でしかなかったリープシュタット邸とは大違いだ。ヴァンデリョス家が爵位だけでなく経済力も維持している本物の貴族だということが容易に見てとれた。


 窓が幾つもあったが、おそらく全て外側だけの飾り窓だろう。まだ吸血人が非吸血人であった頃の感性を忘れられなかった時代に建築された建物に多く見られる装飾だが、この屋敷がその時代に建てられたものなのか、あるいはデザインを踏襲しただけなのかはわからない。


 何世紀も前に作られたような古めかしい鉄門がひとりでに音もなく開き、ボクらを迎え入れた。車が敷地内に進入すると、背後でロック音が小さく鳴る。もう戻れないぞと言われたような気がして、悪寒に震えた。


 屋敷を隠すように重なり合う木々のアーチを5分ほど走っただろうか。ようやく建物が眼前に現れた。ラマイカさんは正面玄関の前で車を停める。

 こんなところに停めたら邪魔じゃないだろうか?

 気が咎めたけれど、結局何も言えずにボクは従者よろしく付き従う。


 鉄門と同様、ドアはひとりでに開いて令嬢とそのオマケを迎え入れた。

 自動ドアの存在はもちろん知っている。だが屋敷の古めかしさにあてられたのか、まるで屋敷自身が意志を持っているかのような錯覚に囚われた。実際ゴシックな幽霊が出そうな佇まいだ。

 そういえば吸血人や吸血鬼にとって、幽霊とは恐怖の対象なのだろうか?


「おかえりなさいませ、お嬢様」


 ホールの中央で、執事服の吸血人がうやうやしく頭を垂れていた。

 執事が顔を上げるのと連動して2つの巨大な球体が跳ねた。一瞬頭が3つあるのかと思ったが、それは執事の第2第3の頭部などではなく、胸の膨らみだった。


「カリヴァ君、こいつは執事のナローラだ。ナローラ、こっちは――」

「存じ上げております、カシワザキ様」


 雑食人なら30代後半くらいに見える女性がゆったりと微笑む。


「思っていたよりも凜々しいお顔でいらっしゃる」


 ボクはぽかんと開けていた口に気づき慌てて表情筋を締めた。


「いやその……執事って男がなるものだと思っていたので」

「確かに男性が8割以上を占める業界ですが、女性執事もいないわけではありません。男子禁制の場所というのも、世の中には多くございますれば」


 メイドが1人、音もなく近づいてきてラマイカさんから車の鍵を受け取り、出ていった。

 ラマイカさんが大欠伸をする。


「ナローラ、私はもう寝るよ。カリヴァ君を客室に案内してくれ」

「お待ちくださいお嬢様。御館様おやかたさまがおふたりをお待ちです」

「父が? カリヴァ君もか?」

「はい。警察署でお嬢様が勝手になさったことについて、と」

「うへえ」


 ナローラさんは背後にあったドアを開いた。地下に続く階段がボク達を迎える。


「足元、お気をつけくださいませ」


 窓がないだけでは寝ている間に日光に焼かれる不安を拭いきれないらしく、大抵の吸血人は地下を主な生活空間としていた。リープシュタット家も家族の寝室は地下階にあったのをボクは思い出す。ついでに余計な記憶まで意識野に殺到してきたので、ボクは前を行く2人に気づかれないよう、瞼に浮かんだ伊久那達の幻を拭った。


 通気口が空いているので、地下といっても息苦しさは感じない。吸血人にだって酸素は必要だ。


 地下3階まで降りたところで階段から廊下に出る。床は板張りになっていて、歩く度に靴音が響いた。


「気にするな。父は足音がするのが好きなんだ」


 なるべく静かに歩こうと奮闘するボクに気づいて、ラマイカさんが苦笑する。


「付け加えるなら、規則正しい足音が、な。足音の乱れは姿勢の乱れであり精神の乱れと五月蠅くしつけられたものだったよ」

「しつけられたのはお嬢様でなく、御館様の忍耐力でございましたが」

「私は天邪鬼だからな」


 胸を張るラマイカさんに、ナローラさんは大袈裟にため息をつく。

 それに対し、ラマイカさんが子供のように頬を膨らませる。


「騙されてはいけないぞカリヴァ君。私ばかり悪者にしようとしているが、ナローラだってドジっ子なんだ。ド執事ドジつじなのだ。父上に紅茶をひっかけたり、父上の迎えに行って道に迷ったりはしょっちゅうなんだぞ」

「失敬な」


 ナローラさんは胸を張った。


「わたくしが粗相をするのは、御館様に折檻せっかんしていただきたいときだけです!」

「……あ、そうですか」


 壁に肖像画が飾られていた。白いカイゼル髭を生やした禿頭隻眼の吸血人が遠くを見つめている。


「気になるか? カラチ・ヴァンデリョス。私の曾祖父だ。軍人でな、あのジャンヌ・ダルクともやりあったそうだ」

「ジャンヌ・ダルクと……?」

「正確には彼女の指揮する軍勢とな」


 ジャンヌ・ダルク。イングランドが吸血人の国となったばかりの時代、イングランド軍の侵攻で滅亡寸前のフランスに現れ、幾度もフランス軍に勝利をもたらしたとされる少女だ。


 聖処女と呼ばれヨーロッパ全土――今やかつての敵国であったVK内ですら絶大な人気を誇る偉人で、小学校プライマリー・スクール時代の歴史学教師は彼女の熱烈なファンだった。


 彼女はコンピエーニュでの戦いで敗北し、血を吸い尽くされて殺されたとも影武者を盾に逃げ延びたとも語り継がれている。彼女の死後間もなくフランスは滅亡したが、その立場上、たとえフランスが奇跡的に勝利を収めたとしても彼女にロクな結末は待っていなかっただろうねと教師は言っていた。


 ボクは肖像画から目を離そうとして、しかし弾かれたように視線を戻す。

 肖像画の胸元に、よく知る物があるのに気がついたからだ。


「……あの、この人がつけてる、胸の飾りは……?」


 カラチ・ヴァンデリョスの胸には、幾つかの勲章に混じって一際目立つアクセサリがついていた。

 赤い宝玉をくわえ、こちらに半身を向ける銀色の狼。


 孤児院を襲撃した男達が持っていたのと、同じものだった。


「ああ、我が家の紋章だよ。かっこいいだろう?」

「わたくしも持っております。ヴァンデリョス家ゆかりの者であることを示す証明書のようなもので、大きな声では言えませんが、しかるべき場所で色々融通を利かせていただくことが可能です」


 そう言ってナローラさんが胸元から取り出したのは、紛れもない、あのペンダントだった。

 ガリリアーノさんが既視感をおぼえたのも当然である。名の知れた伯爵家の紋章なのだから。


「どうかしたのか、カリヴァ君?」


 ラマイカさんがボクの顔を覗き込む。


「顔色がよくないぞ」

「いえ……。そのペンダント、この家の人は全員持ってるんですか?」

「常備しているのは御館様とラマイカお嬢様、そして私だけです。ただ、状況に応じて使用人に貸与する場合はあります。大きな買い物をするときなどですね」

「なんだいカリヴァ君、貴族の紋章札なんて珍しいものじゃないだろう。君だってリープシュタット家で見たことあるんじゃないのか?」

「いいえ……」


 リープシュタット家では見たことがなかった。そもそも紋章を預けられるような大きな仕事を任されなかったというのもある。


「あの、偽造、されたりとかは……?」

「そこらの金細工師では難しいでしょうね。それにシリアルナンバーが登録されているのですぐにバレますよ。1等罪になりますし、おすすめはしません」


 1等罪。殺人並みの扱いということだ。手間とリスクを考えればあれが模造品だった可能性は低い。


 それはつまり、ヴァンデリョス家――ボクが今いる場所こそが、敵の本拠地ということか?


 なんてことだ。ボクは何の用意も無いままに自ら敵の胃袋に入り込んでしまったのだ。

 膝から力が抜けていくような感覚。暗い地の底に落ちていくような絶望を味わった。もっとも、実際ここは地下階だが。


 2人は先へと進んでいく。ボクは動揺を悟られぬよう、俯いてその後を追った。



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