晩餐
自主退学がほぼ確定だというのに、宿題をこなす気力なんて沸くはずがない。
最後まで優等生の皮を被る意味もないだろう。ボクはノートを放り出し、ベッドに寝転がって今後のことを考えた。
決闘前の生活に戻るのはもう無理だ。だからラマイカ・ヴァンデリョスとの血婚を受け入れ彼女の庇護下に入るのが1番いい。というかそれしかない。
では、どうしてボクはこんなにも乗り気でないのだろう?
脅迫状をもらったから? それもある。気後れしている? それもある。
だがもっと単純に、ボクはふてくされているのだった。
ボク自身は何もしていない。なのにボクが悪いかのように、今まで積み上げてきた全てを粉々にされた。
そんな八つ当たりを平気でする貴族達に、ボクは心底幻滅させられたのだった。
姉さんがあれほど夢見ていたこの国は、国土も人も、もっと素晴らしいところであるべきなのに。
気が滅入る一方だったので、ボクは食堂に降りていった。
夕食当番を手伝えば気が紛れると思ったのだが、先にナタリアに捕まった。エジプトから移民してきて親と死に別れた、ボクより5つ下の女の子だ。髪を結ってくれとせがみ、ボクの膝の上に陣取る。
『――ですから、世界のエネルギー危機を鑑みるに、我々はロスアラモスの悲劇に怯えることなく今一度、ウランを用いた核分裂発電に目を向ける必要があるのです』
テレビ画面の中で、エネルギー開発省の役人が猛弁をふるっていた。
遠からぬ将来訪れるという化石燃料の枯渇に備え、それまであった『ビジネス・エネルギー・産業戦略省』から独立するかたちで新設されたのがエネルギー開発省である。だが、少なくない国家予算の投入に対しその成果は芳しくない。
『核分裂発電が実用化されれば、更なるエネルギーを得られるものと我々は考えています』
熊のような体格をした隻腕の役人は核分裂発電の可能性について熱弁するが、スタジオの反応は冷ややかだ。それは役人の威圧的な外見に対する反発心によるものではなかった。
『しかし、その方式では人体に有害な放射線が発生し、雑食人だけでなく吸血人でさえも死に至る。危険ではないですか。安全性こそ、何より重要なのではないでしょうか』
『それは今後の研究課題です。まず実験を行う許可が降りなければどうにもなりません』
『そうやってまた犠牲を出すおつもりなのですか? デーモン・コア事件を忘れたとは言わせませんよ!』
デーモン・コア事件。ロスアラモス研究所で放射性物質の研究を行っていた研究者数名が実験中に被曝し、無惨な死を遂げたという事故だ。それ以来、VKをはじめ多くの国で核分裂実験は禁止されている。
「……最近多いね、この手の番組。ねえ、アニメやってないの? チャンネル変えていい?」
ナタリアがつまらなそうに頬を膨らませる。
と、ボク達の前方でテレビを観ていたローエルが、振り返って勝ち誇ったような笑みを見せつけてきた。
「10歳にもなってアニメなんて、ナタリアは子供だなぁ」
ローエルはこの前8歳の誕生日を迎えたばかりだ。彼の中で7歳と8歳にどういう違いがあるのかわからないが、いきなり大人ぶってニュース番組を観るようになった。ただし内容をちゃんと理解できているかは疑わしい。
社会情勢に興味を持つのは結構だが、他の子を馬鹿にするようならちょっとやり込めてやらなきゃな、と思う。
「――はい、終わったよナタリア。お姫様の出来上がりだ」
「ありがとうメリーちゃん」
しかしナタリア姫は依然としてボクを椅子代わりに使い続けるおつもりのようだった。背もたれに深く身を預けて、小さな鼻をひくひくさせる。
「メリーちゃんはいつもいい匂いがするね」
「そう。姉さんの使ってた香水なんだ」
ボクはむしろ嫌いだけどな、とはわざわざ言わないでおく。この種類が、ではなく香水そのものに対して苦手意識がある。初めて安物のコロンをつけたとき、香水酔いで地獄の苦しみを味わったせいだ。何をするにせよ、安物を使うのはよくない。
どこか楽しそうにボクを見上げていたナタリアは、急に悲しみを含んだ目を見せた。コロコロと表情のよく変わる子だ。
「……悲しいことあったの、メリーちゃん?」
ナタリアにとっては、貴族のお姫様に血婚を申し込まれるなんて素敵なことであるはずだ。だからボクが浮かない顔をしているのが不思議でならないのだろう。
「ちょっと疲れてるだけだよ」
「元気出して。もうすぐメリーちゃんの誕生日だよね。私が欲しいもの買ってあげる!」
「欲しいもの――」
急に言われてもパッと思いつかない。ええと――。
「――そうだな、DX超合金アイアンガーロボがいい」
ナタリアが微妙な顔をしたのに気づいて、ボクは慌てて発言を取り消した。
いけない、姉さんが欲しがりそうなものを言わなきゃいけないのに、つい自分の欲しいものを言ってしまった。それも8年も前に欲しかったものだ。
どうやら思っている以上に疲れている。
「はいお待たせしました、夕食ですよ。ローエル、テレビは消して。みんなを呼んできてくれますか?」
シスター・ラティーナが食事当番と一緒に料理皿を運んできた。
「今日の晩御飯、何か多くない?」
「カリヴァの血婚祝いです」
「だからまだ口返事だけですって!」
一品二品増えたくらいだが、それでも宿舎の子供達、特に年少組は無邪気に喜んだ。シスターも秘蔵していた高級血液のカプセルをブランデーに垂らし、パーティムードである。
そんな中でただ1人、ボクだけは葬式のような空気を背負っていた。
「なんで不満そうなんだよ? あんな美人から血婚申し込まれといて」
隣で世界中の鶏を絶滅させんとばかりにフライドチキンを貪っていたトリーリョが眉をしかめる。
「名前と美人ってことくらいしか知らない相手だ。警戒心が勝つだろ」
異性交遊が人生の最大目的になっている手合いであれば、1も2もなく飛びつくのかもしれない。でも残念ながらボクはそういう人間じゃないのだ。
姉さんだってそんなチャラチャラした人じゃないし、外見だけで人を判断したりしないだろう。
トリーリョはシャツの裾で手を拭い、尻ポケットからメモを取り出した。
「……ラマイカ・ヴァンデリョス。吸血人、115歳。ヴァンデリョス伯爵家の三女――」
「ちょっと待って、なんでトリーリョがあの人の年齢なんか知ってるの」
「そりゃ仲間が告白されたとなれば相手が気になって調べもするさ。それでなくても話題騒然だしな」
話題騒然、つまりはいい見世物。
今日一日中そうしていたように、ボクはただ頭を抱えることしかできない。
「職業はエネルギー開発省勤務。軍にも籍を置いていて、特務少尉の籍を保持してる。ヴァンデリョス家は軍の名門で、ミス・ラマイカ本人も世界大戦じゃエースパイロットだったらしい」
「おまえなんなの、スパイか何か?」
トリーリョは写真まで集めてきていた。どこから手に入れてきたのか、学生時代の写真まである。写真の中で、何故か男子の制服に身を包んだラマイカさんが女子に囲まれて不敵な笑みを浮かべていた。
血婚するとしたら、男装の女性と女装の男性でカップルになるわけか。どんな符合だ。
「それにヴァンデリョス家はリープシュタット家と違って財産も保持してる。公務員で金持ちで名家のお嬢様。しかもサンライト・ヘアー!」
「どうでもいいよそれは」
「一緒になると幸運になれるっていうぞ?」
「ウェールズ西海岸の田舎じゃむしろ不吉の象徴なんだって。つまりはただの迷信だよ」
クールだね、とトリーリョは肩をすくめた。
「ま、欠点があるとすれば吸血人としては
「――いえ、それはどうでしょう?」
皆の輪から一歩距離を置いたところにいたはずのシスター・ラティーナが、ぬっと顔を突き出す。
「寿命の長さが倍以上違う吸血人と雑食人の成長度合を単純換算するのは感心しませんね。吸血人の成長速度は幼児期までにおいては雑食人と変わりませんが青年期、早い者では少年期から老化そ――成長速度が緩やかになるんです。つまり人生において少年期から壮年期の占める割合が極端に大きいんですね。単純計算で雑食人の50代だとしても肉体的には実質30代です。ですから200歳までは充分婚期の範囲内ですし若者と呼ぶのが妥当なんですヤングでバリバリなんですわかりましたか?」
にっこりと諭すように、しかしマシンガンのように早口でまくし立てると、シスターはすっと立ち上がって元いた場所に戻った。……なんだったんだ?
「……ま、俺達には関係ないよな。どのみちこっちが先にシワシワになって死ぬんだし」
気を取り直すように苦笑いすると、トリーリョは次のチキンに手を伸ばした。
「よかったな。おまえ、姉貴よりいい女じゃないと興味もわかないって言ってたけど、これ以上ない条件だろ」
「ま、まだ姉さんより上だと決まったわけじゃないし」
「どんだけ姉貴に幻想抱いてるんだよ……。ちくしょう、なんでこんなシスコンの女装癖がモテるんだ!」
ふざけ半分、本気半分でこちらの首を絞めてくるトリーリョ。首を絞める腕よりも視界をちらつく油まみれの指の方が恐ろしい。
「大丈夫だよトリーリョ。おまえにも良い娘が現れるさ」
「それ励ましてるつもりかよ、むしろ嫌味なんだよこの野郎」
「――それだけ魅力的な先生が売れ残りって、おかしくない?」
そう口を挟んできたのは、向かいで黙々と食べていた伊久那だった。
「その長所を全て帳消しにするような問題を抱えてるってことじゃないの。しかも今までメリーと接点なかったんでしょ? 変だよ、どう考えたって。何か裏があるに決まってる」
「おっ、嫉妬か里奈ちゃん? 顔も胸も負けてるからって――」
「トリーリョは黙ってて」
「はい」
おお怖、とトリーリョはフライドチキンの相手に戻った。今日の伊久那は何故か不機嫌だ。別段珍しいことではないが。
「……で、メリー自身はどうしたいの? 何言われたか知らないけど、このまま付き合うの?」
伊久那に言われるまでもなく、何か裏があるに違いないとボクも思っていた。あの嫌がらせのような手紙に加え、ラマイカさんのハイスペックぶりを聞いた後なら尚更そう思う。
ボクを相手に選んだ理由を聞きそびれたのは痛恨の極みだ。日光の下で本当に辛そうな彼女の姿を見れば、話を長く延ばすことはできなかった。
まあ、どうせたいした理由ではあるまい。
きっと何かの罰ゲームか、でなければただの興味本位だろう。恋愛をしてみたいがための恋愛、血婚のための血婚。吸血人向けの雑誌に載っているような「鼻の大きな男性の血はコクがあって美味」とか「今、13歳蟹座A型女子の血液が旬!」だとか、科学的根拠の疑わしい、いいかげんな情報に魅せられて声をかけてきたに違いあるまい。
ボクにだってプライドがある。遊びの道具にされてはたまらない。彼女は確かに美人だが、それがどうした。男がみんな美女に弱いと思ったら大間違いだ。それとも金で釣るつもりか? きっぱり断ってやる!
――と言いたいところなのだが。
「……付き合うよ」
国から支給される補助金だけで孤児院の運営は行き届かないのが現実だった。貴族からの寄付は必須だ。慈善事業に寄付をするのは貴族のたしなみだったが、どこに寄付をするかは彼等の自由に任されている。ボクの所為で孤児院のスポンサーが減ったのだとしたら、ヴァンデリョス家に代わりを務めてもらわなければならない。たとえこの身を売ってでも。
「あっそ」
そんなボクの悲壮な胸中など知らず、伊久那は不機嫌そうにそっぽを向いた。
と――。
ふと、半開きのままのドアが目に止まった。隙間風が入ってくるというのに、年少の誰かがトイレに行ったときに閉め忘れたのか。ボクはさりげなく席を立って、ノブに手をかけた。
その時だった。姉の声が聞こえたのは。
――かりばちゃん。
「姉さん……!?」
間違いない。部屋の外、廊下の奥から、懐かしい姉の声がボクを呼んでいる。
スタジアムで聞いた声は幻聴じゃなかった。姉は生きていたのだ。
「どうしたの、メリーちゃん?」
ナタリアが不思議そうに言った。ローエルも眉をしかめる。そうだ、入口近くに座っているこいつらなら、さっきの声は聞こえていたはずだ。
「……さっき、外から誰かがボクを呼んだよね?」
「なんのこと?」
「誰も呼んでないよ」
「…………」
2人には姉の声は聞こえなかったらしい。あんなにはっきり聞こえたのに。
「誰か来たなら、ベル鳴らすでしょ?」
ローエルの言うことはもっともだ。姉がここの合い鍵を持っているのでもなければ、ボクを呼ぶ前に踏む手順というものが――。
――かりばちゃん!
まただ、また聞こえた。だがナタリア達は無反応だ。
亡霊、という言葉が脳裏に浮かぶ。いや、亡霊だとしても何の不都合があるだろう。
――こっちにいらっしゃい、早く!
恐怖など感じなかった。むしろ懐かしさと恋しさが胸を満たし、ボクは迷いなく声のする方に駆けだしていた。
だけど、姉に会うことはできなかった。
食堂を出た直後、雷が直撃したかのような轟音と衝撃が背後で炸裂したのだ。
無様に転倒し、何事かと振り返ったボクが見たものは、宿舎の壁や住人達を押し潰して止まった、タンクローリーの鼻先だった。
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