2:霧の中 鬼となりぬる 影芝居。響く駆動音(モーター) 慟哭に似て。

罅(ヒビ)


 週に1度、ボク達雑食人は採血センターへ出頭する。“血税ケツゼイ”を支払うためだ。

 献上した血液は血液公社による加工・殺菌・梱包こんぽうを経て各地に送られる。誰の血が誰のところにいってるかなんて、誰にもわからないし調べようがない。


 それに対して“血婚ケッコン”という制度がある。一言で説明するなら、血液取引の専属契約だ。

 雑食人はパートナーとなる吸血人の生命維持に重い責任を負う代わりに“血税”を免除される。吸血人はパートナーの雑食人からいつでも好きなだけ――もちろん相手の健康を損なわない範囲でだが――血液が得られ、その代わりパートナー以外から血液を得る権利を失う、という仕組みだ。もちろん緊急の場合はこの限りではない。


 誰だって嫌な奴を食わせてやりたくないし、嫌な奴に食わせてもらいたくもない。多少不便になるとしても血婚関係を結ぶ雑食人と吸血人は多かった。ボクの通う学園でも、血婚済みであることを示す赤いリングをつけた雑食人を見かけることは珍しくない。


 だがまさか自分がその1人になるなんて、想像もしていなかった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 いったい、ボクはどこでボタンを掛け違えてしまったのだろう?

 学校からの帰り道、とぼとぼと独り歩きながらボクは自問自答する。

 議題は1つ。あの決闘の夜から日々下降を続けるボクの人生についてである。


 アルバイトはクビになってしまった。当然だ、大切な娘に手を出しかねない使用人などボクだって暇を出す。ヴェレネお嬢様にも伯爵にも決闘以来会っていない。誤解を解こうと押しかけてみたが、執事のウィンフリスさんから慇懃いんぎんに門前払いされてしまった。


 新しいアルバイトを探そうにも、ボクはこの辺ではすっかり有名人だ――雇い主の娘に手を出した男として。嘲笑混じりに応援されるならまだいい方で、ウチの娘に手は出させないと敵意を剥き出しにされることもある。


 しかも昨日は校長から自主退学を薦められた。リープシュタット家かパクシュ家のどちらか、あるいは両方から何らかの圧力があったのは疑いようもない。考える時間はくれたが、そう長くはないだろう。

 女子の制服を着ることを許可してくれない以外は良い学校だったが残念だ。


 シスターは口にしないが、孤児院で出される料理のグレードが落ちた気がするのは両家からの寄付が打ち切られたからではないのか。だとしたらみんなにはすまないと思う。


 ボクに負けたせいでクビになったチャシュマが一層ボクを敵視するようになったが、これはもう些細なことだ。


 勘弁してくれよ、と天を仰ぐ。

 自分のミスで転落するならあきらめもつくけど、『厄介な相手に惚れられたから』なんて、ボクには何の責任もないじゃないか?


 そして何よりショックなのは、あの時以来姉の声を聞いていないことだ。結局幻聴だったのだろう。わかっていたが落胆せずにはいられない。



「――おい、刈羽ァ!」


 パトカーがボクの横で停まる。運転席からタバコの臭いと共に見知った男が顔を出した。

 ガリリアーノ・クルスコ。VK警察プリストル署の中年刑事で、イタリアから移住してきた雑食人である。『由緒正しいマフィアのせがれが、ヘマして郷里くにを追い出され、何の因果かお国の犬に、なりさらばえたドジな野郎』というのが彼の十八番の名乗り口上である。実際のところはどうだかわからない。ボク達にとってはただの『近所の気のいいオッサン』だ。


「早いじゃないか。さては午後の授業サボったな、悪ガキめ」

「人聞きの悪いこと言わないでください。停電で教材が使えなくなったんで休講になったんですよ」

「最近多いよな、急な計画停電」

「停電の頻度自体は少なくなってるからマシになった方でしょ」


 近年、石油や石炭、液化天然ガスLNGの枯渇問題が騒がれ始め、VKでも計画停電が実施されていた。スケジュールはその日になっていきなり発表されたり、あるいは中止されたり場当たり的で、成果があるのかわからない。

 ボク達一市民としては未来の資源問題よりも、この行き当たりばったりな停電と、財布を圧迫する電気代の値上がりの方が問題だった。スマホも持てない。


「それにしてもあれだ。おまえも手が早いな。イタリア人顔負けだ」

「なんのことですか」


 刑事はスマホの画面を向けた。遮光ローブの女性と向き合うボクの写真が表示されている。


 そう。ラマイカ・ヴァンデリョスから血婚を申し込まれたのは今朝のことだ。よりにもよって通学中の生徒でごった返す中、彼女は大々的なパフォーマンス付きでボクにプロポーズしてきた。

 これで断ると酷い悪者にされる気がして、ボクは――。


「おまえみたいな草も食わねえような女装野郎がこうも立派に成長するとはなぁ。おじさん感動だぜ」


 ガリリアーノ刑事は下品な笑みを浮かべた。そういう顔は、確かに公僕というより酒場のゴロツキが似合う。


 “血婚”と結婚は別制度なのだがしばしば混同される。親しくなければわざわざ血婚なんてするわけがないのだから、そう的外れでもない。事実、血婚関係にある2人がそのまま恋人関係でもあるケースは少なくなかった。


 ラマイカ・ヴァンデリョスにとってはどっちだったのだろう? ただの血液契約か、それとも。

 残念ながらその辺を追求する前に彼女は早々に立ち去ってしまった。こっちも吸血人を日向に引き留めるわけにいかず、またの機会にする他なかった。


 だが周囲の人間は完全に恋愛込みの関係とみなしてしまっているようだ。


 人混みの中で劇的に始まった告白劇。しかも吸血人と雑食人のカップル。それも貴族と平民。更に大人と子供。それだけではなく、一方は先日別の令嬢から大々的に告白されたばかりとなれば、SNSで拡散されても仕方のないことなのかもしれなかった。


「スマホを手放さない金持ちのネットジャンキーは暇ですよね。これモザイクかかってないけど肖像権どうなってるんですか」

「肖像権って言葉を知ってるかどうかも怪しいな。しかしな、刈羽よ。おまえ女に手を出すなら相手は選んだ方がいいぜ? マフィアの情婦程じゃないが、貴族の御令嬢はよくない」

「手を出してなんかいませんよ」

「向こうから見初められたってか? 若い身空で2度も貴族に目をつけられるなんて、前世でどんな業を背負ってきたんだ」

「飢えた虎に我が身を捧げるような人間じゃなかったのは確かですけど」

「なんだそりゃ」

「フフン」


 捨身飼虎しゃしんしこ。釈迦の前世のエピソードをふまえたジョークは、この無骨で即物的な中年刑事には高尚すぎたようだ。


「まあ、なんでもいいが、移民の先輩として1つ忠告しておいてやる」


 刑事の顔から笑みが消えた。


「『貴族に逆らうな、貴族に関わるな、貴族に目をつけられるな』。この国で生きていく最善策だ」

「もう手遅れじゃないですか」

「だからやべえんだよ。おまえの郷里くにの言葉でいうとだ、おまえの命、ドヒョウギワに立ってるってことを忘れるな」

「……土俵際……?」

「実際のところ貴族もマフィアもたいして変わらん。最悪、この世からオサラバかもしれねえな」


 確かに現在進行形で圧力をかけられているが、中世じゃあるまいし、殺されるだなんて。

 いつもなら笑い飛ばすところだが、刑事の目は笑っていない。冗談として受け流すことを許さない気迫があった。ボクは完全にそれに呑まれる。


 この人は誰だろう、と思った。それまでのボクにとってガリリアーノ・クルスコはいつも飄々ひょうひょうとしておどけた感じで、世の中を斜に構えて見ている駄目な中年――コメディパート担当キャラのイメージだった。

 だけど今はサスペンスドラマのキャラクターに見える。マフィアの家系に産まれたという嘘くさい設定が本当だったのではと思えるほどに。


「ラマイカ・ヴァンデリョスとの血婚は断れ」


 そう言って、ガリリアーノ刑事はパトカーを発進させる。車影が角を曲がりきって見えなくなるまでボクは息をつけなかった。


 不快だ。ボクを取り巻く環境がことごとく、ボクの意志などお構いなしに変わっていく。それもおそらくは、悪い方向へ。

 昼過ぎから空を覆い始めた黒い雲は、ボクの将来を暗示しているように見えた。






「おめでとうございますカリヴァ。里奈から聞きました。ラマイカ様と御血婚されたとか」


 同じ学校に通っている以上、あの場に伊久那もいたのだった。当然彼女からシスター・ラティーナに今朝のイベントは細大漏らさず尾ひれ背びれをつけて伝えられていた。


「……まだ、口返事だけです。手続きはしていません」

「あら、そうですか……。やっぱりカリヴァはヴェレネお嬢様のことが忘れられないと……」

「それはないです、断じてない」

「そうなのですか」


 シスター・ラティーナは複雑な表情をした。


 雑食人専門の孤児院で働くというのは吸血人にとって重労働だ。太陽の光に触れれば死にかねない身で雑食人と同じサイクルでの生活を強いられるのだから。

 それでもシスターがこの仕事を選んだのは、カマイラ教の教えを実践するためである。


 カマイラ教の教え、それは吸血人と雑食人の融和。だからシスターにとって、ヴェレネ・リープシュタットにせよラマイカ・ヴァンデリョスにせよ、雑食人と吸血人が交際するのは望ましいことだった。


「今夜は御馳走にしましょう」

「でも――いや、なんでもないです」


 ボクの所為でスポンサーが減ったのではないのか、とは言えなかった。


「何かリクエストはありますか、カリヴァ?」

「伝統的VK料理でなければ」


 もう、とシスターは苦笑して厨房に消えた。


 国民総吸血鬼化によって人々の食べるものが血液だけになった結果、それまでグレート・ブリテン島にあった料理は歴史の彼方へ消え去ってしまった。

 だから伝統的VK料理とは『血』か『空気』、あるいは『存在しないもの』を指すスラングである。


 ちなみに伝統的でないVK料理とは、戦後一攫千金いっかくせんきんを求めてVKにやってきた料理人――だいたいが祖国で食いはぐれた三流四流の――が乏しく粗悪な食材を香辛料で誤魔化した、いい加減な郷土料理のことである。


 VKに来て間もない頃、親子丼を注文したら目玉焼きとフライドチキンを載せたドリアが出てきたのは驚いたものだ。だがそんなのはまだ可愛い方で、見た目も味も本家に土下座して謝れと言いたくなるものがほとんどだ。

 最近新しくできた店はともかく、グルメ雑誌に『昔ながらの』と書かれた店はだいたい不味いので注意が必要である。


 と、厨房に消えたはずのシスターが再び顔を出す。


「そうそう、あなたにお手紙が来てますよ」


 渡された封筒に差出人は書かれていなかった。

 それ自体はおかしくない。個人情報保護のため、差出人名は中の手紙にのみ記すのも最近では多いと聞く。だがそれでも消印もないというのには嫌な予感が拭えなかったし、結論からいうとその予感は当たっていた。


 便箋には殴り書きの筆記体でこう書かれてあった。


『ラマイカ・ヴァンデリョスとの血婚を破棄せよ。さもなくばこの国から出て行け』


 血婚を申し込まれたのは今朝の出来事だというのに、もうこれである。送り主の陰湿さと無駄な行動力の高さがあまりにも気持ち悪く、ボクはハサミまで使って念入りにそれを細切れにした。


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