1:傀儡舞い 道化が唄う 茶番劇。叫ぶ誠(まこと)に 狂う羅針盤(コンパス)。

求婚


「――私と、“血婚”していただきたい」



 ノートルダムのガーゴイルよろしく校門に鎮座ましましていたその人物は、藍色の遮光ローブを翼の如くにひるがえし、なんと10メートルの大ジャンプ。ボク――柏崎刈羽の正面3歩先に音も立てずに着地した。


 魔法使いを思わせるローブ、そのフードの隙間からちらりと顔が覗く。山吹色をした髪の隙間から、意志の強そうな金色の瞳がボクを見据える。整った薄い唇を動かし、その人は名乗った。


「カリヴァ・カシワザキ君だね? 私はラマイカ・ヴァンデリョス」


 そして彼女はこう言った。お姫様をエスコートする王子様のように、うやうやしく手を差し出しながら。


――私と、“血婚”していただきたい。


 校門の上に陣取ったのも派手な大ジャンプも大人としてどうかと思うが、その気取ったポーズこそが彼女にとって最大の失策だった。

 ローブの袖がずり落ち、白い肌が覗いた刹那、オレンジ色の輝きがそこに生まれた。白い煙がシュッと立ち上る。肉の焦げる匂いがボクの鼻をくすぐった。


 小さく悲鳴をあげ、ラマイカさんがうずくまる。


 早朝であっても、初夏の太陽の光は彼女――いや彼女“達”吸血人きゅうけつびとにとって、致命的なものとして存在した。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 時刻は午後7時にさしかかろうとしていたが、北ヨーロッパの夏空はまだ夕焼けにすらなっていなかった。

 伯爵邸とはいっても、リープシュタット邸はそう大きくない。だから屋敷のアルバイトメイドとしての仕事を済ませても、まだ退勤時間まで余裕があった。


 ぼんやりと猫の額ほどの庭を眺め、前々から庭木の伸び具合が気になっていたのをボクは思い出した。明るいうちに刈ってしまおうと脚立に登る。しかしそのとき。


「メリー!」


 玄関から、メイド服を着たベリーショートカットの少女がボクの仇名を呼ぶ。脚立から降りるのが面倒だったので、ボクは相手がしびれを切らせて向こうからやってくるのを待った。


 せっかちな性格の我が同僚、伊久那いぐな 里奈りなはすぐに根負けして駆け寄ってきた。


「……呼ばれたんならさっさと来いよな。女の子に御足労させてんじゃねえよ、めんどくせーな」

「そういや女の子だったっけ」

「殺すぞ」


 ぶっきらぼうな口調、がさつな態度、短い髪と極めて平坦な胸、日焼けした肌。メイド服を着ていなければ、伊久那は男か女かわからない。正直、見た目だけならボクの方が百倍くらい可憐だ。


「メリー、伯爵さんが呼んでる。さっさと行け」

「旦那様とかご主人様って言いなよ」


 何の用だろう。またの機会では駄目なのだろうか、せっかく登ったのに――と、ボクはしぶしぶ脚立から降りようとした。だが、途中で足を滑らせる。


「きゃっ」


 ボクのスカートが風をはらんでふわりと浮く。下着が見える前に慌てて手で押さえた。おかげで着地には失敗してしまった。


「……男でも、やっぱ下着は見せたくないもんなの?」


 伊久那が呆れたように言う。


 ボクは男だが、もっぱら女性用の衣服を身につけている。もっとわかりやすくいうと、女装している。ここで働くと決まったときも、無理を言ってメイド服を用意してもらった。


 言っておくが趣味ではない。6年前、ボクが大英吸血帝国――VKに来た理由の全ては、姉が生前ここに来たいと言ったからで、つまり今のボクは姉の代理なのである。だから姉と同じ髪型、姉が着るであろう服装をしなくてはならない。そういう理由だ。


 幸い、女装をしても見苦しくない程度に外見偏差値は高かった。


 ちなみにメリーというニックネームの名付け親は伊久那である、刈羽の『刈』の字をカタカナに見立ててメリー。女になりたいんだからちょうどいいでしょう、という理由でつけられた。ボクは姉の代理を果たしたいだけで性転換したいわけではないのだが。 


 「念のために訊くけど」と伊久那。「あんた、同性愛者ホモセクシャルってわけじゃないよな?」

「ボクは異性愛者ヘテロセクシャルだよ? まあ、この国は同性婚もあるし、男と付き合うのもやぶさかじゃないけどね。ただし、姉さんに相応しい、イケメンで金持ちで真面目で高学歴で性格の良い男に限るけど」

「女の子の場合は?」

「ボクの姉さんは同性愛者じゃないはずだし」

「…………」


 伊久那は今にも唾を吐きそうな顔をした。ヴェレネも苦労するわ、と呟く。何故そこでうちのお嬢様の名前が出てくるのかわからない。


 伊久那に植木の仕事を替わってもらい、ボクは屋敷に入る。

 リープシュタット伯爵は居間でボクを待っていた。鉛色の髪と髭、蒼白の肌、金色の眼――標準的な吸血人の特徴を持つ200歳代の壮年男性。非吸血人――雑食人ざっしょくびとの基準では50代前後といったところだ。


 『朝食』を済ませたところらしい。配給血液のプラスチック包装が2つ、机の上に転がっていた。風邪薬のようなカプセルに入った血液を1日3回2つずつ。それが吸血人の食事だ。なんとも味気ないものだが、それだけで成人吸血人が1日に必要とするエネルギーに事足りてしまう。


「おはようございます、伯爵」

「おはよう、カリヴァ君」

「おはようございます、カリヴァ」


 伯爵の一人娘であるヴェレネお嬢様もいたのだった。ただでさえ小柄な上に影が薄いから気がつかなかった。さすがは「消しゴムでこすったらこの世から消えてしまうんじゃないか」と言われるだけのことはある。


「おはようございます、ヴェレネお嬢様」


 気づかなかったわけじゃないよ、個別に挨拶しただけだよ――という風にさりげなく取り繕う。幸いお嬢様は騙されてくれたようだった。幸薄そうな顔に微笑みを浮かばせる。


 ちなみに彼等がボクを「カリバ」ではなく「カリヴァ」と呼ぶのはニックネームというわけではない。

 吸血人の特徴の1つとして、バ行やワ行をヴァ行、BをVで発音するというものがあるのだ。口を閉じていても奥ゆかしく先端を覗かせる犬歯のせいかもしれないし、そうではないかもしれない。


「ボクをお呼びと聞きましたが」

「ああ、そうだ。座ってくれ。紅茶はどうかな」

「いただきます」


 栄養としてほぼ吸収されないことを無視すれば、人の血液以外にも吸血人はだいたいの飲み物を飲むことができる。特に紅茶は血液に次ぐ吸血人の嗜好品だ。

 逆に食べ物の方はチーズなどの乳製品や飴玉などを除けば消化すらできない。


 現代において雑食人を新たに吸血人にするのは法によって禁じられているが、吸血人のバリエーションに乏しい食生活を見るに、正直なりたいとはあまり思えなかった。


 ソファに座る。お嬢様が直々に紅茶の入ったカップを差し出してくれた。アルバイトの使用人が仕える屋敷の家人から世話されるというのは奇妙な構図だった。

 ボクが一口飲むのを待って、実は、と伯爵は本題を切り出す。


ヴェレネとタラプール男爵が決闘をすることになった」

「……はあ。……はあ?」


 思わずお嬢様を見ると、彼女は赤面して俯いた。



 ヴェレネ・リープシュタット嬢は御年おんとし64歳におなりあそばされる伯爵令嬢である。雑食人でいうと16歳前後。外見はもっと幼く見える。


 貴族の子息としては幼少期に決められた婚約者との縁談を実際に進めようかという年頃だ。だが彼女は既に心に決めた相手がいるらしく、縁談の進行を拒否し続けてきた。


 さりとて彼女は周囲にその相手を紹介するわけでもない。そんな彼女の態度に業を煮やした――当然だろう――婚約者タラプール・パクシュ男爵は、彼女の前で彼女の想い人を侮辱したらしい。すると珍しく怒りを露わにしたヴェレネお嬢様は、逆にタラプール男爵を罵倒してしまった。


 そこからは売り言葉に買い言葉――。そしてその結果、何がどうなったのかその場にいなかったボクには話を聞いても全くわけがわからないのだが、決闘を行うことになってしまった。


「かといって娘を戦わせるわけにはいかん。といっても、私は若い者と剣を交えるには歳を取りすぎている。執事のウィンフリスもな。そこでだ、君に娘の代理として決闘に出てほしいのだ」

「……なんでボクなんです?」


 「カリヴァは、WGの操縦がとても上手だとリナから聞いています」とお嬢様。


「……あのお喋りめ」


 WG――『駆動騎棺WalkingGrave』。

 第一次世界大戦末期、VKが戦車や戦闘機の代替物として開発した兵器――というより装備。平均5メートル大の大型の総称だ。

 現在では軍事目的以外にも作業用、競技用など様々な用途に使用されている。


 人工筋肉のパワーアシスト率を調整すれば雑食人でも吸血人と対等に渡り合えるため、吸血人と雑食人の決闘となれば自然とWG戦になる。それでWGの操縦が得意なボクに白羽の矢が立ったというわけらしい。


「カリヴァ、どうか力を貸してください。負ければ、わたくしはパクシュ男爵の元へ嫁がねばならないのです」


 お嬢様は目に涙を浮かべて言った。

 泣かれても困る。ボクにとっては興味のない話だ。カエルのところでも野獣のところでも勝手に嫁に行ってくれ、というのが偽らざる本心だった。


「確かに、VKに来る前、そこそこ実戦的な訓練を受けましたが……。才能がなくて見放されたくらいですし、ここ数年ろくに乗ってないので力になれるかは……」

「ボーナスははずむよ」

「わかりました。全力を尽くします」

「うむ。娘のために頑張ってくれたまえ。正確な日時、条件等は向こうと協議の上、追って連絡する」


 だが。

 お嬢様が退出したあと、伯爵は指だけを動かしてボクを呼び寄せる。そして耳を寄せたボクに彼が言ったのは、わずか数秒前とは正反対のことだった。

 すなわち――。


「――わざと負けろ、と?」

「小さい声で喋ってくれてありがとう」


 ちなみにこれは褒めていない。声が大きいぞ、という皮肉である。無駄に嫌みったらしい言い回しを好むのがVK人の悪い癖だ。


「すみません。ですが、いいのですか?」

「私は、嫁がせるならタラプール君が1番いいと思っていてね」


 伯爵にとって今回の騒動は願ったり叶ったりだったようだ。心に決めた相手が実在しようがしまいが関係ない。決闘に敗れれば、ルールに従ってお嬢様は黙って結婚するしかない。


「今どき政略結婚ですか。好きにさせてあげればいいでしょう」

「伯爵家とはいっても、知っての通りウチは貧乏でね」


 貴族と金持ちはイコールではない。法外な相続税を払えず凋落する貴族は多かった。しかしそれでも、貧乏な貴族と金持ちの平民なら貴族の方が社会的ステータスは高いのが、VKの社会というものだ。


「今回の縁組みが御破算となれば、アルバイトを何人かリストラせねばならないな――」

「ハハァ――ッ、全力で負けさせていただきます!」

「小さい声で喋ってくれてありがとう」


 直立不動の体勢を取ったボクに、伯爵は満足そうに頷いた。


 貴族の肩書きや口添えがなければ面接にさえこぎつけられない会社や学校というものは多く存在する。この先就職するにせよ進学するにせよ、金も特技もない平民がリープシュタット伯爵の機嫌を損ねるわけにはいかなかった。

 お嬢様に対して後ろめたさを感じないこともなかったが、彼女のロマンスが成就してもボクには1ミリの得もない。


 ボクは髪に手を伸ばす。指先に硬いものが触れた。ベッドと風呂に入るとき以外ずっと着けているせいで更に傷み、留め具は新調する羽目になったけれど、姉の形見のヘアピンはいつもそこでボクを勇気づけてくれる。


――ふたりはいつまでも仲良く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。


 そうだ。ボクは幸せに暮らさなくてはならない。姉さんの分まで――いや、姉さんと一緒に。

 そのためなら誰かを裏切ることだってやってみせる。



 ……だけど姉さん、幸せに暮らすって、具体的にどうすればいいんだろう?



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