第38話 理桜(28)噎ぶ供物と血の聖餐


 わたしは戸惑いながら、次の動きを待っていた。だが、わたしを待っていたのは、さらなる異変だった。


 仲間たちの首筋に次々と十字型の発疹が現れ、そこを中心とする部分がこぶのように盛り上がり始めたのだ。

 

 ――あれは……いったい?


 ふと覚えのある感覚に襲われたわたしは、周囲を見回した。いつの間にかわたしたち以外の人間は人形のように動きを止め、その場に凍り付いていた。

 よく見ると、鮮やかな色彩にあふれていた初夏の繁華街はどんよりと暗く、くすんだ色に様変わりしていた。


 矢継ぎ早に遅いかかる異変は、わたしのなけなしの理性を吹き飛ばした。これは現実じゃない。現実に「非現実」が侵入し、二つの世界が濁った絵の具のように混ざりつつあるのだ。 


 「ぐあああああっ」


 いきなり獣めいた咆哮がわたしの耳につき刺さった。声の主はメンバーたちだった。


 恐怖の予感におののくわたしの目の前で、やがて信じがたい出来事が起こり始めた。


 優衣たちの首筋にできた「こぶ」の先端が、十字型の疱疹にそって裂け始めた。

 そして柘榴のように開いた口から、先が鉤爪のようになった触手が数本、黄色い体液とともに飛び出してきた。 


 裂けた「こぶ」は大きな破れ目となって首全体に広がり、恍惚とした表情を貼りつけたままの優衣の頭部は、残った首の皮とともに胸の前にだらりと垂れ下がった。


 優衣は首の穴から生えた触手をうねらせながら、ゆっくりとステージの端に移動を始めた。優衣の足が一歩前進するたびに、胸の前にぶらさがったさかさまの頭部がゆらゆらと揺れた。


 観客席を埋めた人々は動きを止め、呆然とその場にたたずんでいた。ステージ上の異変を見つめる目には何の感情も見られず、パニックに陥る気配すらなかった。まるで交差点全体が丸ごと催眠にかかったようだとわたしは思った。


 優衣に続いてやはり「怪物」と化した陽乃もまた、優衣と同じようにうつろな顔をさかさにぶら下げ、客席の方へと動いていた。バックのメンバーにも次々と異変が現れ、もはやアイドルどころか人間ですらない物に変貌を遂げていた。


 恐ろしい光景にひるむ一方で、わたしは「なぜ、自分にだけ何も起こらないのだろう」と首を傾げていた。もしかするとわたしだけ、他のメンバーとは違う異変に見舞われるのだろうか……そんな不安に駆られた、その時だった。


「ぐあああああっ!」


 男性の物らしい絶叫が、あたり一帯に響き渡った。声のしたほうを見て、わたしは悲鳴を上げた。優衣が首から伸びた触手で、男性の身体を高々と持ち上げていたのだった。


 男性は、松館だった。


 優衣は二本の触手で松舘の身体を持ち上げたまま、自分の身体に引き寄せた。ばたばたともがくような動きを見せる両脚の間から、逆さにぶら下がった優衣の顔が覗いた。


 何をするつもりなんだろう、そう思った時だった。うつろな表情でぶらさがっていた顔が、いきなり歯を剥き松館の股間にかぶりついた。さかさまの頭部は二、三度左右に動いた後、衣服ごと松館の下腹部を食いちぎった。


「ひいいいいっ!」


 松館のおぞましい悲鳴がこだまし、食い破られた股間から、血と体液の混じった赤茶色の液体がしたたり落ちた。わたしは目を伏せ、吐き気をこらえた。


 優衣は触手を使って松館の身体をくるりと上下逆にした。両脚がだらりと前に垂れ、身体が二つ折りになると、優衣の首から先の尖った触手が、するすると伸びた。触手はかま首をもたげるような動きを見せた後、先端を松館の肛門のあたりに勢いよくつき立てた。


 触手がずぶずぶと体の奥へ入りこみ、松館の叫びが長く尾を引いた。やがて、吊るされ逆さになった松館の身体がのけぞり、喉がごぼごぼと嫌な音を立てたかと思うと、「がっ」という声とともに大量の黒い血と触手が口から飛び出した。


 全身を貫かれた松館は、びくん、びくんと二、三度痙攣すると、動かなくなった。


 ――いったい、何が起こっているというの?


 わたしが必死でわななく足をなだめていると、ステージの反対側から悲鳴が上がった。


 視線を向けると、陽乃が触手でサコさんを客席から引きずり出しているのが見えた。


 陽波はサコさんをステージの上に運ぶと、尻餅をつかせるように床面に降ろした。そして鉤爪のひとつでサコさんの頭部をつかむと、別の爪で片方の眼球をえぐりだした。 


 引きずりだされた血みどろの眼球からは神経の束が糸を引き、真っ黒な眼窩から粘ついた血がどろりとあふれた。陽乃は子供が玩具で遊ぶように鼻の穴に爪をひっかけると、額に向かって勢いよく引き上げた。


 べりべりという音と共に顔面の皮膚が鼻ごと剥がされ、帯状にめくれた皮膚は、鼻をくっつけたまま頭の上にぼたりと落とされた。


 サコさんの身体がびくびくと痙攣を始めると、陽乃は遊びに飽きたように触手を離した。


 血塗れのサコさんを前に陽乃はしばし動きを止めていたが、やがて胸の前にぶらさがっている自分の頭部を、触手で挟み込むようにつかんだ。陽乃は掲げ持った自分の頭部をサコさんの顔に近づけると、さかさになった口をサコさんのそれに押し当てた。


 やがてしゅうしゅうという気体の動く音が聞こえ、サコさんの頭部が膨らみはじめた。


 サコさんの頭はみるみるうちにくす玉ほどの大きさになり、次の瞬間、凄まじい破裂音とともに四散した。


 ステージ上にぶちまけられたサコさんの血と脳漿を見て、わたしは一連の残虐な行為におののきつつ、同時に得体のしれない怒りを覚え始めていた。


 ――これが、わたしが全てを賭けてきた『ヴィヴィアン・キングダム』の正体なのか!


 気が付くと、バックの四人もそれぞれにステージ上から客席へと移動し、獲物となる観客に狙いを定めていた。一人は男性客の手の指を一本づつむしり取り、別の一人は胸部の肉を引き裂き、心臓をえぐり出していた。


 わたしは混乱した。なぜ、わたしにだけ、異変が発生しないのか?わたしだって『ヴィヴィアン・キングダム』のメンバーの一人なのに!


 なにかしなければ、という焦りと、自分にはいつ、異変が起こるのだろうという恐怖とで身が竦んだわたしは、その場から動くことができずにいた。……と、突然、ステージの床面がぶるりと生き物のように震えた。


 今度は何が起こるのだろう。わたしは思わず身構えた。次の瞬間、わたしの周りの床から、染み出すように丸味を帯びたピンク色の塊が現れ始めた。

 

 塊はやがてはっきりと人間の形を成し始め、ついに見覚えのある姿になった。背中に羽根を生やした、赤ん坊の姿の怪物――『死天使』だった。


             〈第三十九回に続く〉

 

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