第29話 理桜(21)不穏なまどろみ


「はい、どちらさま?」


 鉄柵に据えられたインターフォンを鳴らすと、しわがれた声が応じた。私は深く息を吸いこむと、インターフォンに口を寄せた。


「あの、昔ここに通っていた者なんですが、懐かしくなって……覗かせていただいて、構いませんか?」


「ほほう、昔ね。……ということは、学童保育か何かですか?それとも礼拝で?」


「学童保育です。十年くらい前にお世話になっていました。深水といいます」


「深水さん……ああ、そういえば。ちょっと待っていてください」


 インターフォンが切られ、しばらくするとアプローチの所に一人の男性が姿を現した。見覚えがある、とわたしは思った。たしか柏葉かしわばとかいう神父さんだ。


「どうもこんにちは。よくいらっしゃいました」


 門扉の鍵を解錠しながら、神父さんは言った。


「ご無沙汰しています。深水理桜です」


「はい、何となく覚えていますよ。小学校一年生くらいの時でしたかねえ。どうぞお入りください」


 招じられるまま、私は教会の中へ足を踏み入れた。無人かと思いきや、中には小学生くらいの女の子が一人、長椅子に腰かけて足をぶらぶらさせていた。


「もう、学童保育はやっていないんですよ。この子は知りあいに頼まれて預かっているんですが、私ももう年をとって、五人、十人と預かるには心もとなくなってきまして」


 神父さんはよどみなく喋った。わたしはふんふんと相槌を打つ一方で、心の隅では別の事を考え始めていた。


「そうですか、もう子供たちはいないんですね……でも神父さんがご健在でほっとしました。……ええと、他にも働いていた方がいらっしゃいましたよね。シスターと……それから、ボランティアの方が」


 わたしは一気に核心に切り込んだ。神父さんがあの当時の事を覚えていないはずはないという少々、乱暴な読みに基づく賭けだった。


「ああ、典子さんですか。今でもいますよ。ただ、別の仕事で一週間ほど来てないんですよ。戻ってくるのは明後日かな。ボランティアの方は、ええと……」


 わたしは胸のうちで「よし」と呟いた。どうやら典子さんは、今でもいるようだ。


「当時、三十歳くらいだった男の人で……い、なんとかっていう」


「ああ、思い出しました、椅嵩いだかさんね。今でもたまにいらっしゃいますよ。……ほらあの、すぐ近くの何とかっていうビルで働いているみたいです」


 やった、「あたり」だ。求めていたヒントを、ぐっと手繰り寄せた気分だった。


「そうです、椅嵩さん。優しいかたでしたよね。久しぶりにお会いしてみたいなあ」


「そうですねえ、いつ来るとはちょっと申し上げられないのですが……たしか、金曜日が多かった気がします。日曜日の礼拝ではなくてね」


 わたしは今日の曜日を頭の中で確かめた。……今日は、たしか金曜日だ。そう思った時だった。神父さんの腰のあたりで音楽が鳴り始めた。


「ああ、すみません」


 神父さんはスマートフォンを取りだすと、通話を開始した。


「すみません、深水さん、ちょっとお客さんが来ておられるようなので、いったん外してもいいですか。出入りは自由なので」


 わたしは「はい」と答えた。神父さんが姿を消すと、礼拝堂は一人遊びをしている女の子と、わたしの二人きりになった。


 ――ダカさんは今日、ここへ来るだろうか?


 わたしは長椅子の一つに腰を据えると、物思いにふけり始めた。


              ※


 ごおん、ごおんという音で、わたしははっと我に返った。

 真っ先に目に入ってきたのは、天井を這っている金属製のダクトだった。


 ――どこだろう、ここは。


 わたしはなぜか巨大なゴミ袋の上に座っており、室内には同じようなゴミ袋がいくつかと、大きなダイヤルがついた冷蔵庫ほどの機械があった。


 私はゴミ袋に座ったまま、室内を見回した。広い部屋の中は無人だった。なぜ、こんなところにいるのかという疑問はあったが、廃病院の一件以来、不思議なほどわたしはこうした状況に慣れてしまっていた。


 ――これはいつもの「非現実」に違いない。恐れることは、ないんだ。


 わたしは室内をひとわたり見回すと、立ち上がろうとした。その時、ふと妙なことに気づいた。床につま先がついていない。わたしはやむを得ず、滑るように床に降り立った。振り返って目の前の袋を見た瞬間、私は小さな叫び声を上げていた。

 

 ――ちいさくなってる、わたし!


 高さ八十センチ程度度のゴミ袋と、わたしの肩の高さがほぼ同じだった。わたしはどこかに鏡はないかと、周囲を見回した。見える範囲を探すと、入り口近くに据えられたシンクの前に古びて煤けた鏡があった。

 わたしは自分が映る位置に移動した。正面から鏡に映し出された自分の上半身を見て、わたしは再び悲鳴を上げた。


 鏡の中のわたしは、せいぜい六、七歳の少女にしか見えなかった。

 いったい、何が起きてるんだろう、どうなってしまうんだろう。


 とにかく誰かが来るのを待つしかない、そう思った時だった。ドアノブが回る気配があり、すぐそばの入り口から一人の男性が入ってきた。


「ダカさん!」


 現れたのは、ダカさんだった。思わず声を発したわたしになぜか気づくことなく、ダカさんはまっすぐ機械の方へ近づいていった。


 ――どうやらダカさんには、わたしが見えていないみたいだ。


 ダカさんはぼうっとしているわたしを尻目に、てきぱきと作業を開始した。

 機械の正面にある蓋を開け、小ぶりのゴミ袋をいくつか無造作に放り込むと、上の方にあるダイヤルを回した。機械が重い稼働音を立て、やがてめりめりというゴミが圧縮される音が聞こえてきた。わたしは作業を続けるダカさんの背後にそっと移動した。


 圧縮はものの十数秒で終わり、不快な振動が消えると再び沈黙が生じた。

 こうやってプレス機でゴミを潰す仕事なんだ。大変だなあ、とわたしはダカさんの仕事ぶりを眺めながら、感嘆した。


 ダカさんはまたいくつかのゴミ袋を手にすると、蓋を開けて機械の内部に押し込もうとした。……が、今回は、ゴミの体積が大きすぎたのか蓋が思うように閉まらず、ダカさんは蓋でゴミ袋を押し込みながら、何度かダイヤルを回した。


 どうやら蓋の内側についている細長い金属が、本体側のスリットにはまらないと動かない仕掛けらしい。何度かトライしてあきらめたダカさんは、蓋を開けっぱなしにした状態で機械に背を向けた。


 ダカさんはいったん機械から離れ、作業机らしき場所の前に移動した。やがて戻ってきたダカさんの手には、マイナスドライバーが握られていた。ダカさんは片手でゴミ袋を抑え、空いた方の手でドライバーを機械のスリットに差し込んだ。そしてゴミ袋から手を離すと、ダイヤルを回した。


 今度は稼働音とともに機械が動き、蓋が開いたままの状態でゴミが潰れ始めた。

 ダカさんは上から降りてきた金属板の動きを満足げに確かめると、蓋を閉めた。


 わたしは体の小ささも相まって、大人の仕事場に紛れ込んだ子供のような気分になっていた。ダカさんはふっと息を吐き出すと、ポケットから何かピンポン玉のような丸い物を取りだした。


 ――いったいなんだろう、あれは。


 そのまま眺めていると、ダカさんはピンポン玉のような物を自分の額に押し当てた。


 わたしは気づかれていないのをいいことに、ダカさんのすぐ真横に移動した。そして玉に見えたものの正体に気づくと、はっと息を呑んだ。


 玉に見えたのは、小さな動物の頭蓋骨だった。ダカさんは、頭蓋骨に自分の額を押しあてていたのだった。


「どうやら、七人のアイドルグループは動き出したようだよ『御使い』。次はどうすればいいのか、教えてくれないか」


 私は愕然とした。あれは『御使い』の頭蓋骨だったのだ。ダカさんは、死んだ『御使い』から、頭蓋骨を通じて「指令」を受け取っていたのだ。わたしはおそるおそる、ダカさんの正面に回りこんだ。そしてつま先立ちになって背伸びをすると、ダカさんが手にしている頭蓋骨の後頭部にそっと、自分の額を押しあてた。


 次の瞬間、わたしの頭の中に見たことのない風景が広がった。わたしはその場に棒立ちになると、視界全体に広がる未知の風景に見入った。


 ――いったいなんなんだ、これは?


             〈第三十回に続く〉

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