第28話 理桜(20)あやかしは幻を抱く
「ごめんなさい、無理やり引き留めてしまって」
「いえ。……で、話って何です?」
「この間、絵美ちゃんが気持ちの悪い化け物にさらわれそうになったでしょ。……あれ、何だったと思います?」
「何って……わかりません。あんな生き物、見たこともないですし」
「わたしはわかった気がします。例えばこんなふうに考えられませんか。絵美ちゃんは化け物にさらわれかけていたのではなく、化け物と行動を共にしていただけだと」
「化け物と行動を?どういうことですか」
「つまり、文字通り絵美ちゃんと化け物は一体だったということ。……もっとはっきり言うと、あの場面に化け物はいなかったということです」
「化け物はいなかった……」
「あそこにいたのは絵美ちゃんと化け物ではなく、化け物を「着た」絵美ちゃん一人しかいなかったんです」
「…………」
「あの化け物はつまり、誰かが作った着ぐるみだったんです。化け物の手足に自分の手足を入れて、顔の部分は化け物の顔の中にいれるのではなく、化け物の背中に開いている穴から出すんです。
穴の下には作り物の身体と手足があって、絵美ちゃんと同じ服を着ている。こうして化け物の背中に背負われたように見せながら、実は自力で壁をよじ登っていた……どうです?」
「……確かに、そう言われれば可能な気もするけど。……本当にできるのかな?」
「できると思います……クライミングチャンピオンの絵美ちゃんなら」
「あ…………」
夏彦はそれまで浮かべていたにこやかな表情を消し去り、口を噤んだ。
「ごめんなさい。実はある人から、今は子供でもクライミングをするって聞いて、ネットで調べてみたんです。絵美ちゃん、中学の時にクライミングの中学生チャンピオンになったことがあるんですってね」
「……そこまでわかっているんですか。その通りです」
夏彦はうつむき、テーブルの上で拳を握りしめた。
「だから、数センチ程度のでっぱりがあれば、十メートルくらいの高さを上るのはわけもない……化け物の着ぐるみを着て、時々、顔を横に捻じ曲げながら登るのは大変だったにしても、不可能ではなかったわけ。
問題は……壁面に張り付いているところを、ちょうどいいタイミングで「見てもらえるか」どうかだった。地上からゆっくり上って行っても、驚いてもらえる高さで目撃してもらわないと、意味がない。スタートのタイミングを合図してもらわないとね」
「そうです。……僕がスタートの合図を出しました。着ぐるみは、五階の窓に入ったらすぐに脱いで、長椅子の下に丸めて隠しました。」
夏彦が絞り出すように言った。わたしはこらえていた疑問を一気にぶつけた。
「なぜ?どうしてあんな場面をわたしに見せる必要があったの?」
「それは……僕にもわかりません。あの出来事の数日前に突然、彼女から頼まれたんです「ある人からの依頼で、私が化け物にさらわれるところを理桜ちゃんに見せることになった、だから協力してほしい」って」
「ある人って?」
わたしは身を乗り出して訊ねた。……が、夏彦は無言でかぶりを振ると、目を伏せた。
「わかりません。それは聞かないで欲しいということだったので。……ただ、絵美に依頼した人は、なぜそうするのかをこんなふうに説明していたそうです。彼女に「本当の役割」に気づいてもらうには「非現実」的な光景をより多く見せる必要があるんだって」
「本当の役割?わたしの?……いったい、なんだろう」
思っても見ない展開は、私を混乱へと導いた。化け物の着ぐるみを作ったのが仮に「創芸美装」の戸浦さんだとしたら、今回の事件と落下事件の依頼者は同一人物と考えられる。
つまり、誰かがわたしに、決して正体を明かすことなく何かを伝えようとしていることになる。
「だけど、彼女は後悔しているみたいです。驚かせ過ぎてしまったって。だから……今さら遅いのかもしれないけど、彼女を責めないであげてください」
わたしはうなずいた。責めるつもりなど、まったくなかった。
「本当は誰が依頼したのか、知りたいところだけど……いまの絵美ちゃんから聞き出すのは難しいでしょうね。夏彦くんにも言ってないくらいだから」
「僕もそう思います。だから、彼女が自分から話したくなる時が来るまでは、僕も聞かないつもりです」
夏彦は強い口調で言いきると、再び口を噤んだ。それから頭を下げ、絵美が落ち着いたら、また二人で見に行きますと言って立ち去った。
わたしは、いよいよ深くなる謎に頭を抱えていた。わたしに何かを告げようとしている人間は、わたしが見ている「非現実」のことを知っているのだ。なぜ?いったい何者?
〈第二十九回に続く〉
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