第23話 ヘンリー(6)七番目の幻
――ヘンリー、公園に行かないか。
うず高く積まれた紙の束に囲まれ、自分だけの「物語」を紡いでいたヘンリーに、珍しく『御使い』が誘いの言葉をかけた。
「どうしてだい『御使い』。もうずいぶんといろんなところに行ったじゃないか。駅、学校、教会……」
――公園はまだ、一緒に行っていないだろう?公園なら、さまざまな種類の人たちがいる。君が気にいるような女の子だっているかもしれない。
「まあ、そうかもしれないけど、現実の女の子はもう充分かな。この頃は『非現実の王国』を書くのに忙しいんだ」
――ヘンリー。君とわたしが出会ってから、もうずいぶんと経つ。君はもう二十五歳になるはずだ。
「それがどうした?まさか君まで、現実の女の子とつきあえなんていうんじゃないだろうな。二十五歳だろうが、三十歳だろうが、僕には同じことさ」
――ヘンリー。君にいいものを上げよう。そら、見てみるがいい。
『御使い』が語りかけた、その直後だった。ヘンリーのすぐそばの壁に、まるで映画のように少女の姿が映し出された。それは、駅で見かけた美しい少女だった。
「ああ、この娘。……覚えているよ。すてきな娘だったな。……でも『御使い』、この娘だって、結局は年をとるんだ。あっという間に大人になっちまう。それを考えたら、何度も会おうとは思わないよ」
――じゃあ、この娘はどうだ?
再び、壁の一部に映像が現れた。今度は、学校の近くで見かけたブロンドの少女だった。
「ああ、この娘も覚えてる。とびきり可愛らしい子だった。この子になら、会ってみたいな。……でもきっと、彼女の人生でこの頃が一番、輝いていたはずだ」
――ヘンリー、君が私を連れて歩き回っていたのは、ただの気晴らしではない。私は君が無意識のうちに選びだした、現実の『ヴィヴィアン・ガールズ』をこうして記録していたのだ。もちろん彼女たちは年をとるし、物語の中の七人にはかなうまいがね。とにかく生きている彼女たちの姿が、七人分になったら君にプレゼントしようと思っていたのだ。
「なんのために?……確かに動いている彼女たちがいつでも見られるのは、とても素敵なことだけれど」
――物語の『ヴィヴィアン・ガールズ』のイメージをより豊かにするためだよ、ヘンリー。これから年をとると、間近で少女を眺めるのはだんだん難しくなってくる。今しかないのだよ。君と私とで集めた現実の少女の姿は六人分だ。……さあ、残りの一人を探しに公園に行こう。
「僕には紙の上の少女で充分だがな。……まあ、君がそういうのなら、行ってみようか」
執筆を中断されたヘンリーは、気乗りしない態度を取りつつ『御使い』の提案に従うことを決めた。公園は近く、『御使い』の言う七人目を探すという行為にも、わずかだが惹かれるものがあったのだ。
公園はヘンリーのアパートから歩いて数分の場所にあり、ヘンリーが通りがかる時間帯は、子供と老人の姿が多かった。ヘンリーはいつものように右肩に『御使い』を乗せ、小脇にスケッチブックを抱えた格好でアパートを出た。公園に着くと無闇に歩き回るようなことはせず、ベンチに腰を下ろしてスケッチブックを開いた。
――この公園は画家の卵が多いね、ヘンリー。
珍しく、『御使い』が世間話のような言葉を発した。ヘンリーは応じる代わりに、軽く頷いて見せた。確かにここの公園はスケッチブックを携えたり、イーゼルを立てて風景画を描いている人たちが少なくない。ただ、ヘンリーに言わせればどれも「上手いがつまらない絵」に過ぎなかった。
形ばかりスケッチブックを開いてみたものの、いるのはボール遊びや鬼ごっこに興じている子供ばかりで、ヘンリーの気持ちを突き動かすような眺めは、周囲にはなかった。
どうやら女の子はいないようだな。ヘンリーがため息をつきかけたその時だった。
ヘンリーの足元に何かが転がってきた。視線を向けると、どうやらボールのようだった。
「すみません、邪魔して」
声と共に姿を現したのは、十歳くらいの子供だった。子供がボールを拾いあげた時、間近で顔を見たヘンリーは、はっとした。男の子だと思っていたら、女の子だったのだ。
アジアンかヒスパニックかよくわからないが、黒髪でエキゾチックな顔立ちだった。
軽く頭を下げて、再び仲間たちの元へ戻ってゆく少女を目で追いながら、ヘンリーは「七人目は、あの子でいいかな」と胸のうちでつぶやいた。ヴィヴィアン・ガールにはあのような黒髪の娘はいないが、何も同じである必要はない。イメージが膨らめばいいのだ。
ヘンリーは鞄から鉛筆を取りだすと、肩の上の『御使い』に、話しかけた。
「決めたよ、『御使い』。七人目は、あの子だ」
ヘンリーが言うと、『御使い』は「ほう」と感心したような声をあげた。
――早速決めたのかい。それは何よりだ。ではよく、あの娘の姿を記憶に焼きつけるがいい。私がいつでも取り出せるよう「動く姿」に変えて取っておこう。
ヘンリーは腰の後ろに手を回すと、いつものように深く息を吐いた。それからスケッチブックを開くと、いくつも丸を描いた。しかし、思うように丸は少女の輪郭になってはくれなかった。
うまく行かないスケッチに苛立ちを覚え始めたヘンリーは、集めたばかりの少女の写真と、そのいくつかを写し書きした薄い紙の束を眺めた。
――畜生。やっぱり現実の女の子は、駄目か。写真を写し取るほうがはるかに簡単だ。
あきらめ、音を上げたその時だった。
「君、その丸と女の子の絵は、何だい?面白いね」
ふいに声をかけられ、ヘンリーは背後を振り返った。気が付くと痩せた、眼光の鋭い青年がすぐ後ろから、ヘンリーのスケッチブックを覗きこんでいた。
「顔です。顔がかけないから、こうなるんです」
ヘンリーが正直に答えると、青年は面白そうにくっくっと含み笑いをした。
「ふうん……なるほど。……そっちの薄い紙に描いてある、女の子の絵は?」
「これは、広告の写真を写した物です」
ヘンリーは、僅かに口ごもりながら答えた。写しただけじゃない。この子たちは僕の王国を守っている神聖な少女たちだ。……それをこの青年にどう、説明したらいいだろう?
「なるほど。意欲に技術がついて来ないというわけだ。……君は、女の子が好きなのかい?」
いきなり訊ねられ、一瞬躊躇しながらもヘンリーは頷いた。別に嘘をつく必要も、ない。
「僕はゴ―ン・シュレー。君は?」
「ヘンリー。ヘンリー・ダーガー」
「ヘンリーか。ヘンリー、忙しくなければ、今から僕のアトリエに来ないか?君には才能のような物を感じるんだ。よかったら僕が女の子の絵の書き方を教えてあげよう」
「悪いけど、あまり興味がないな」
「何事も勉強だよ、ヘンリー。とにかく来いよ。ひまなんだろう?」
唐突な申し出に戸惑いを覚えつつ、ヘンリーは「わかった」と頷いていた。得体のしれない青年だが、女の子の描き方を知っている人になど、そうそう会うことはないだろう。
シュレーと名乗る青年は自分のイーゼルを手際よくたたむと、先に立って歩き始めた。
〈第二十四話に続く〉
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