第7話 理桜(6)ずっと君を見ていた
思いがけぬ場所で松館の姿を捉えたのは、ライブハウスを出て間もなくのことだった。
駅への道をまっすぐ辿らず、逆方向にあるパン屋に寄ろうと歩き始めたところ、メディカル・ビルの従業員出口のところで喫煙中の松舘を見かけたのだった。
「松舘さん」
わたしが声をかけると、松館はばつが悪そうに煙草を口から離し、携帯用灰皿の上でもみ消した。
「嫌なところを目撃するなあ」
「たしか、敷地内も禁煙じゃありません?」
「……そうだよ。不良医師ってことで」
松館は白衣のまま、にやりと笑って見せた。プロデューサーの松舘は刹幌を中心として活躍するミュージシャンであり、アレンジャーだが、本業は歯科医だ。主に休日を利用してライブやアルバム制作を行っているが、平日はメディカル・ビルの七階にあるデンタルクリニックに勤務している。
「松舘さん、わたし、どうしても聞きたいことがあるんですけど」
わたしは思いきって訊ねた。ほかのメンバー抜きで、さしで松館と話す機会はまれだ。
「なんだい、あらたまって」
「どうしてわたしがセンターなんですか?」
「どうしてって……プロデューサーとしての直感だよ。今さら嫌になったのかい」
「そうじゃなくて……どう考えても、センターっていうがらじゃないです、わたし。もっと納得できる答えを聞かないと自信を持ってステージに立てない気がするんです」
わたしはたたみかけた。松館はふう、と一つ息を吐くと宙を見上げた。
「困ったな。……できれば僕のアイディアということで納得してもらいたかったんだが」
松舘は眉を寄せ、しばし黙りこんだ。どうやら本当に困っているようだった。
「しょうがない。センターの重圧を軽くするため、特別に教えよう。その代わり、他のメンバーにはなるべく口外しないでもらいたい。いいね?」
はい、とわたしは頷いた。一体どんな由来を聞かされるのだろう。わたしは身構えた。
「実は『ヴィヴィアン・キングダム』のコンセプトは、公募でアイディアを募ったんだ」
「公募?」
「メディカル・ビルに勤務が予定されていた職員、約二百名に「どんなアイドルを見てみたいか」というアンケートを取ったんだ。僕が最もユニークだと感じたコンセプトが『ヴィヴィアン・キングダム』だった」
「そうだったんですか。……でも、そのこととわたしがセンターに選ばれたこととどういう関係があるんですか」
「うん、あまり難しく考えずに聞いてもらいたいんだが……コンセプトの説明文の最後に、気になる一文が付け加えられていたんだ。
「できればここに記した七人の女の子を使ってくれませんか。私が十年前、ある場所で出会った少女たちです。なかでも「深水理桜」は私が歌声を聴いて惚れ込んだ子です。この子をセンターにしてもらえませんか。今は『ファイブハンドレッツ』というアマチュアのグループで活動しているはずです」とね」
わたしは言葉を失った。十年前?そんな昔から私を知ってたなんて、いったい何者?
「気味が悪いかもしれないが、別に驚くような事でもない。……ここから二区画先に、古い教会があるのを知ってるかい?知ってるよね」
松館はそういうと、東の方角を指で示した。
「何でも応募者は、教会で歌っていた君を見たことがあるらしい。直接、会ったわけじゃないんでなぜ、君の近況を知っていたかまではわからないけどね」
わたしは混乱していた。十年前……古い記憶の中に、たしかに教会の風景があった。
「ええと……小学校低学年くらいの頃、学童保育をしていた教会に通っていたことはあります。歌を歌っていたかどうかまでは思い出せないですけど」
「そうかい。でも、その人はおぼえていたんだろうな。……で、僕が君の名前と、書いてあったグループ名で検索をかけたら、SNSがヒットしたってわけさ」
「じゃあ、スカウトした時にはもう、わたしに目をつけていたんですね」
わたしはあえて怖い顔を作って松館を見た。ストーカーっぽい行為に対する抵抗もあったが、それ以上に嘘をつかれていたことに対する嫌悪があった。
「そう。正直に謝らせてもらうよ。嘘をついてすまなかった。君のSNSには『ファイブハンドレッツ』の演奏スケジュールもアップされていたから、スカウトを兼ねて観に行ったというわけだ」
「その人……このビルのどこで働いるんですか」
わたしはもっとも聞きたかったことを聞いた。途端に、松館の表情が曇った。
「直接会おうっていうのかい。それはやめたほうがいいな。本人も表に出るのは望んでいないみたいだし」
「でも、そんな昔からわたしを知ってるなんて……聞いてみたいに決まってるじゃないですか」
「うーん、僕からは教えられないな。調べてみるのは自由だけど、かえってセンターとしての活動の妨げになるんじゃないのかな」
松館はいつになく厳しい口調で言った。そうかもしれない。……でも。
「わかりました。ライブでそれらしい人が来ていないか、それとなく探してみます」
わたしは自分の本音と裏腹の言葉を口にした。
「そう、それがいいよ。会いたくなったら、きっと向こうから声をかけてくるだろうし」
松館はどこかほっとしたような口調で言うと「じゃあまたリハで」と言って姿を消した。
わたしは松館が指で示した方角をあらためて見やった。十年前、両親が共働きだったため、六歳のわたしと二つ下の弟は夕方までの間、毎日教会で遊ばせてもらっていたのだ。
そこにはどんな人たちがいただろう。神父さんやボランティアの大人が数人、いたような気もする。わたしは視線をメディカル・ビルに戻した。
その中の一人で、わたしをセンターに推薦した何者かが今もこの中で働いているのだ。
〈第八話に続く〉
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