第6話 理桜(5)時に埋もれた物語


「まずはこれをみてごらん」


 和緒が液晶パッド上に表示させたのは、奇妙なイラストの画像だった。


「あっ、これ……あの時の背景」


 画像は、わたしたちのスチールに使用されたものとはほんの少し異なっていた。わたしたちが使った絵は奇妙な生物と地平線のみだったが、ディスプレイ上の画像では中央に着飾った少女の写真が配されていた。


「後ろの怪物はタスカホリアンとか、ドロテリアンとかいうらしい。写真の少女は誰かよくわからないが、やはりブレンゲンという怪物の一種らしい」


「ブレンゲン?」


「ダーガーの書いたお話の中で、少女たちを助ける怪物だよ。正しくはブレンギグ・ロメニアン・サーペンツというらしい」


「どうしてこの絵が使われたのかしら」


「さあ。そこまではわからないけど、君たちのコンセプトにヘンリー・ダーガーの影響があることは間違いない」


「だから、その人の事を聞きに来たんだってば」


 わたしは少しいらついた口調で言った。和緒の困ったところは熱が入れば入るほど、勿体をつけたがるところだった。


「まあ待ちなさい。まずはヘンリー・ダーガーその人と、彼が残した作品についてざっと説明しよう。ヘンリー・ダーガーというのは今から四十五年くらい前に亡くなった、一種のアーティストだ。

 アーティストと言っても正規の修行を積んだわけではなく、プロとして活躍した事実もない。清掃夫の仕事をしながら誰にも知られず書き続けた作品が死後、発見されて話題になったという、いわばカルト的な人物だ」


 和緒はまるで学生相手に講義をするように、すらすらとダーガーの解説を始めた。どうやらかなりマイナーな人物らしい。どうして松館はこの人物を選んだのだろう。


「ダーガーは十九世紀の終わりにシカゴで生まれ、十七歳から七十一歳まで掃除夫などで生計を立てていたらしい。人付き合いがほとんどなく、生前の彼を知るものはわずかだったという。そんな社会の片隅でひっそりと生きていた人物がなぜ、知られるようになったのか?それは死後、彼の部屋から一万五千ページもある物語が発見されたからだ」


「一万五千ページ?」


「タイトルは『非現実の王国で』。世界で最も長い小説だよ」


「そんな長さのお話を、誰にも見せなかったの?死ぬまで?」


「そう。そもそも見せる気があったのかどうか。僕はなかったと思うけどね。だってこれはダーガーが少年時代から死ぬまで六十年にわたって書き続けたものなんだぜ。見せる気があったらとっくに誰かが目にしていたはずだよ。

 事実、彼の死後、彼の部屋を片付けていた大家さんが発見していなかったら、この世界最長の物語は永遠に知られることなくゴミになってたところなんだ。偶然なんだよ、発見されたのは」


「でも、誰にも見せない物語をなぜ、書き続けたのかしら。日記代わり?」


「それはわからない。ただ、ダーガーは人付き合いが苦手で、現実の人生では多くを望まなかった。性格や障害のせいとも言われるが、とにかく彼は子供の頃から大人という物になかば憎悪に近い感情を持っていたらしい」


「自分自身が大人になっても?」


「そう。むしろ彼は大人になんかなりたくなかったんだ。……『非現実の王国で』の正式なタイトルは『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコーアンジェリニアン戦争の嵐の物語』というそうだ。つまり子供の奴隷をこき使う大人たちと、正義の少女たちが戦う話だ」


「ヴィヴィアン!……わたしたちのグループ名はそこからきたのね」


 わたしは知らず声を上げていた。初めて自分たちと繋がる事実が現れたと思った。


「つまりダーガーは自分だけの、永遠に大人にならない少女たちが悪しき大人たちと戦争を繰り広げる話を書くことでもう一つの人生を送っていたというわけだ。……いや、もしかしたら小説を書いているときこそがダーガーの真実の人生だったのかもしれない」


「その正義の少女たちにわたしたちを見立てているのね」


「どうもそのようだね。……で、この小説にはダーガー本人による挿絵が付いていてね、雑誌の写真なんかから切り抜いた好みの少女の写真を、自分で描いた絵に貼りつけたような物が多かったらしい。今で言う、コラージュみたいなもんだね」


「じゃあ、宣材スチールに使った背景の絵は……」


「ダーガーが自分の絵に写真を貼りつけて作ったものから、少女の写真だけを消した物だろう。使いたかったのは少女ではなく、おそらく怪物の絵だったんだろうね」


 わたしはめまいに似た感覚に襲われていた。何十年も前の、生前、全く知られていなかった人物のイラストがなぜ、アイドルのスチールに?それ以前に、このダーガーとか言う人の小説をコンセプトにしたのは誰?松館さん?


「ただなあ、ダーガーに目をつけたのは面白いと思うが、いかんせん、ダーガーの挿絵と言えば、よくも悪くもある変わった特徴で有名だからなあ」


「変わった特徴……って、何?」


 わたしはテーブルの上に身を乗り出した。と、和緒が突然、わたしの目から隠すようにさっとタブレットを遠ざけた。


「今、何か隠したでしょ。何を隠したの」


 わたしが問い詰めると、和緒は「まあ、落ち着けよ。今、見せてやるから。……ただし、驚くなよ」


 なにやら謎めいた言葉を口にすると、和緒はタブレットを操作した。やがて「あった」と短く漏らすと、わたしの前に画面をかざして見せた。


「これは正義の少女戦士、ヴィヴィアン・ガールズが戦っているところだ。見て、気になるところはないかい?あるとしたらそれがダーガーの最大の特徴だよ」


 画面を覗きこんだわたしは、思わず「えっ」と声を上げていた。それから「ん~」と顔をしかめてうなり声を上げた。それ以外にどうしようもなかったのだ。


「わかったろう?これを知っていてコンセプトに選んだんだとしたら、大した度胸だよな」


 わたしは頷いた。描かれていたのは、七人の全裸の少女だった。全裸と言うだけでも充分、ショッキングだったが、それ以上に衝撃的だったのは、稚拙なタッチで描かれた裸の少女たちの股間になんと「男性のシンボル」がはっきりと描かれていたのだ。


「どうしてこんな絵を……裸ってだけでも変態的なのに、よりによって、こんな」


「それは、ダーガーを研究している人たちの間でも、説がわかれるところらしい。もっとも一般的に言われているのが、ダーガーは一生、女性と関係を持たなかったため、女性の身体を知らなかったのだろうという説だ。僕はそれに関しては若干、異議を唱える立場なんだけどね。……まあ、こればっかりは本人に聞いてみないとわからない」


 わたしはスカウトされた時の、松館の熱っぽい口調を思い返した。こういう作風の人だと知って、松館はわたしに「ぴったりだ」などと言ったのだろうか。だとしたら、センターなど、ありとあらゆる理由をつけて断ったのに。


「まあいくらコンセプトとはいえ、こんなところまで『再現』するはずはないと思うけど」


 わたしは即座に頷いた。こんな異様な絵を再現されてたまるものか。


「とりあえずしばらくは様子を見たらどうだい。案外、普通のアイドル路線だったりするのかもしれないぜ」


 和緒のおざなりのようなフォローは、わたしの耳をむなしく通り過ぎて行った。


 何としてでも、松館さんを問い詰めねばならない。これはセンターとしての権利だ。


              〈第七話に続く〉

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