第5話 理桜(4)超在薬局の兄妹
「ふうん、腰に痛みねえ……そいつはちっとばかし気になるな」
薬の受け渡しカウンターに頬杖をついたまま、
「まあ、まだ若いし、深刻な病気ではないと思うがな。神経痛の一種じゃないか?」
「え――っ、神経痛?それって、お年寄りの病気じゃないの?」
わたしが待合室のソファから異を唱えると、和緒はふふんと鼻を鳴らした。
「神経痛ってのは、年齢に関係なく出るんだよ。特にストレスなんかがかかるとね」
ストレスか。わたしは浮かせかけた腰をソファに戻した。それなら思い当たる節がないわけでもない。
「まあ、
和緒はそう言うと、カウンターの上のポップに目をやった。「腰痛に効く」が謳い文句のサプリメントのポップだった。和緒によれば「○○に効く」という謳い文句の薬はほぼすべてに「~こともある」とつけなければならないのだそうだ。
「ところで、いつ頃帰ってくるの、真琴ちゃん」
わたしはぽつりと言った。わたしが待っているのは
この店がライブハウス「グランデニア」と同じメディカル・ビルにあることを母から聞かされた時は正直「嘘でしょ」と思った。
「そろそろだよ。三時からってことになってるからね。もう帰って来ないと」
「漢方薬局も三時からってなってるけど、のんびり雑談してて、いいの?」
「看板の時刻はあくまで目安。うちはお客さんが来た時が開店時刻だよ」
そういうと和緒は大きな欠伸を漏らした。母によると兄妹そろって優秀な頭脳の持ち主らしく、妹は大学を首席で卒業、兄も海外の大学を飛び級で卒業したらしい。妹の方はともかく、兄の方は経歴詐称ではないかとわたしは密かに疑っているのだが……
「しかしアイドルって奴も、実際はストレスがたまってたりして大変なんだろうなあ」
和緒が呑気な口調でそう、呟いた時だった。バッグの中の携帯が音を立てた。
取りだして表示を見ると、送信者はサコさんだった。どうやらメンバー全員へのメールらしい。開いてみると、昨日、撮影した宣伝スチールが添付されていた。
わたしは一番前でポーズを取っている自分を見て、げんなりした。この写真のせいで売れなかったどうしよう。
「うーん、わたしって、こんなんだったのかなあ」
思わず声を上げると「えっ、何?」と和緒が反応した。わたしは宣伝用に撮った写真が送られてきたことを簡潔に伝えた。すると、和緒はカウンターからわたしに向かって手招きをした。どうやら、見せろということらしい。
最初は無視していた私も、最後は執拗なリクエストに根負けする形で、カウンターの前に移動した。携帯を出し、しぶしぶ写真を見せると、和緒が「ほう」と声を上げた。
「みんな、なかなか可愛いじゃないか、うーむ。……ん?ちょっと待てよ」
画面に見入っていた和緒の表情が突然、訝るような硬い物に変わった。
「どうかしたの?」
「これ……ダーガーじゃないか?」
「ダーガー?ダーガーって、何?」
「ヘンリー・ダーガーだよ。……ええと、なんて言ったかな、この怪物」
和緒は携帯をわたしに返すと顎に手を当て、唸り始めた。問いを挟むチャンスをうかがっていると、ふいに背後でドアが開く音がした。
「あら、理桜ちゃんじゃない。どうしたの、風邪でもひいた?」
わたしは声のしたほうを振り返った。沓脱のところに、ロングヘアの若い女性が立っていた。砂原真琴だった。
「あの、ちょっと腰が痛くて……」
「腰?」
真琴が小首を傾げた。わたしはとりあえず、和緒とのやりとりを中断し、本来の目的を真琴に告げた。
「そう、若くてもそういう事ってあるわよね。……いいわ、じゃ、今日は特別にただで整骨一式、やってあげる。用意ができたら呼ぶから、ちょっと待ってて」
真琴は軽やかな動作でスタッフルームの前に移動した。ドアの中に消える直前、唸り続ける和緒をちらと見遣ると、「今回は何にはまったんだか」と小声で言った。
しばらくすると、カウンターの奥から「深水さん、施術室へどうぞ」と真琴の声がした。
わたしはバッグを手に薬局の奥にある整骨院の入り口へと向かった。カウンターの前を通り過ぎようとした瞬間、和緒が「ちょっと」とわたしを呼び止めた。
「骨の修理が終わったら、下の「ロハスカフェ」に来てくれないか。コーヒー代は出す」
そう言うと、和緒は腕組みをして再び唸り始めた。わたしは「うん、わかった」と言ってカウンターの前を離れた。「ロハスカフェ」とは、この店の一階下にある喫茶店だ。
どうも、さっきの写真を見てから和緒の様子がおかしいとわたしは思った。
ヘンリー・ダーガーというのは一体、何だろう?あの絵とどんな関係があるのだろう。
腰のどこが痛かったのか思い出そうとする一方で、わたしは無意識にヘンリー・ダーガーという謎の名前を口の中で転がしていた。
〈第六話に続く〉
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