第4話 理桜(3)レッスン
「はい、止めて」
振り付け担当の女性、
「『自分に嘘をついて~』のとこ、一人ターンが遅い。誰だか自分でわかってるよね?」
わたしはおずおずと手を上げた。他に該当者はいないし、なにより自覚があった。
「一拍の間で、次の移動まで意識しなくちゃいけない。わかるよね?」
わたしは頷いた。回りながら移動して、次の瞬間にはまた出てゆく。体に覚えさせないと、頭で考えていたら到底、まにあわない。
「すみません、もう一度やらせてください」
「そうだね。じゃ、行くよ。他にも危ないのいるから、油断しちゃだめだよ」
わたしたちは、最初の位置に戻った。サコさんが携帯プレーヤーを操作すると、曲が流れ始めた。わたしは頭を空っぽにして踊りだした。曲はあっという間に問題の部分を通りすぎ、終わりに近づいた。やった。意外と簡単だ。そう思った時だった。
「スト――ップっ」
男性の声が、わたしたちの動きを止めた。あと少しだったのに、今度は何?
「普通じゃん、それじゃあさ」
開け放たれたドアから、細身の男性が姿を現した。プロデューサーの松館だった。
「もっと刺激的じゃなきゃ。地下アイドルなんだから、攻めなきゃ意味ないだろ」
やっとなじんできた振り付けを否定するかのような口調に、サコさんの表情が強張った。
「いま、仕事中なんですけど」
あえて感情を抑えた言い方に、リハを潰された怒りがにじみ出ていた。
「四時から重要な話をするって言っただろ。今、何時かわかる?」
サコさんがはっとしたように時計を見た。少々、熱が入りすぎたことに気づいたのだ。
「とにかく事務所の方で待っていてもらえます?ここはダンスの場所なので」
サコさんは、ぴしゃりと言い放った。松館は肩をすくめると、ドアの外に姿を消した。
※
「ええと、結成式以来ってことになるのかな、君たちとは」
松館は緊張気味の少女たちを前に腕組みをした。わたしを含む七人全員が、ステージ用の衣装に身を包み、撮影用のステージに集まっていた。
フリルのついた一見、シンプルなワンピースだが、よく見ると胸当てや手首のところが甲冑風にぎらりと光っていたり、小さな棘が見られたりと微妙な悪趣味さが織り込まれていた。
「一応、グループ名は募集時と同じ『ヴィヴィアン・キングダム』。活動はこのライブハウスが中心だ。衣装コンセプトは、今回着用したものが基本になる。コンセプトは「わたしたちは戦う。大人になんかならない」というものだ。
これは架空の王国の貴族「ダーガー卿」という人物が作った私設少女軍団をイメージしている」
そういうと松館は、わたしたちの背後を覆っていた布を取り払った。下から現れたのは、はっきり言ってお世辞にもうまいとは言えない絵だった。水彩で描かれた簡単なお城や森、そして鳥だか蛇だかよくわからない生物が中心に大きく描かれていた。
「今日はこの絵を背景に、宣材用のスチールを撮る。中央の生き物の絵の前に並んでくれ」
松館が言い放つと、ステージの袖からカメラマンと照明担当の男性が中腰で姿を現した。
「全員、ドロテリアンの前に立って。フォーメーションはこの前、説明した通りフロントが三人、バックが四人だ。深水、わかるな?」
いきなり名を呼ばれ、わたしは曖昧に頷き返した。フロントがどうの、バックがどうのと言われても正直、まるでわからない。今できることはただ、真ん中に立つだけだ。
「ドロテリアンってこの、生き物ですか?」
メンバーの一人が問いを発した。松館は「そうだ。これからも時々、出てくるからよく覚えておいてくれ」と返した。これがしょっちゅう、出てくるのか……げんなりしていると、ふいにカメラマンから檄が飛んだ。
「センターの人、もう少し右前に立って。……そう。そこが全員の基準となるから」
基準と言われ、わたしはその場から動くことができなくなった。左右にメンバーが並び、さらにその後方にもぞろぞろと並ぶのが気配でわかった。
――本当にわたしが中心なんだ……どうしよう。
戸惑っているとやがて「ポーズ決めて。とりあえず何でもいいから」と指示が飛んだ。
「ポ、ポーズですか?」
普段、友人と写真を撮る時もあまりポーズをつけないのに……気後れしながら、指でチョキの形を作った、その時だった。
「ううっ!」
突然、背中に錐で刺すような鋭い痛みを覚え、わたしは声を上げてのけぞった。
「どうした?」
松館が声を上げ、わたしの周囲がざわついた。何か言おうと口を開けた途端、再度激痛が背中を貫いた。わたしは喉の奥で呻くと、身体を二つ折りにした。
「これはまずい。……撮影はいったん中止だ。深水、大丈夫か?」
松館が中止を命じると、それを合図にいくつもの不安げな顔がわたしを取り囲んだ。
「だ……いじょう……です」
かろうじて声を絞り出すと、わたしは立ち上がった。痛みは去っていたが、背骨を中心に痺れるような感覚が背中全体に広がっていた。
「無理するな。上の階に病院がいくつかあるから、診てもらったほうがいい」
松館が厳しい表情でそう勧めたが、わたしは気が付くと頭を横に振っていた。
「いえ、大丈夫です。痛みは治まりました。もし気になることがあれば、撮影が終わってから行きます」
松館はううむと唸り、腕組みをした。わたしが気丈にふるまっていると思ったのだろう。
「それじゃあ、集合してるこの一カットだけ終えてしまうか。具合が悪くなったらすぐ、言ってくれよ」
わたしは頷き、撮影が再開された。実際、痛みに襲われたことでスイッチが入ったような、不思議な感覚がわたしを包んでいた。
「よーし、じゃあ一枚目行きまーす」
カメラマンが片手を上げた。わたしはなぜか急にそれまでしていたチョキの形の手をやめ、両手を斜め下に向けて広げるポーズを取った。シャッターが切られた瞬間、わたしは「自分であって自分でない何か」に、一歩踏み出してしまったことを直感した。
そう、この時を境に『ヴィヴィアン・キングダム』としてのわたしが本格的にスタートしたのだった。
〈第五回に続く〉
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