第9話 さくら

三回目の夜の海には先客がいた。

「隣、いいですか?」

「……えっ」

驚くその人を横目に隣に座った。


「……なんで、君がここにいるの?」

その人は振り絞ったような声を出す。

「あなたに会うためです」

俺は横を見ずに海に向かって話した。


「もう何年も言えてないことがあって、それをいわないとな、って思いまして、それで。だけど、あなたの横に座るのって新鮮ですよね、いつもあなたはうしろにいるから」


その人は黙ったままだった。

俺が誰なのかわかっているんだろうか?

でも、そんなことはどうでもいい。

俺は自分の言いたいことを言うだけだ、無責任に、自由に、それでなんとかしてみせる。


その言葉は考えなくても自然に出てきた。

まるでずっと前から言うことが決まっていたかのように、いや、多分決まってたんだ、運命とか言うつもりはないけど、それでも、こうなることは決まっていた。

俺は彼女の、美咲さんの方を向いて、言った。


「十年前から好きでした」


「苗字だったんですね、『さくら』って。佐倉 美咲、知りませんでした」

考えてみれば、姓名どっちでもありえる名前だ。

「じゃあ、やっぱり君が……」

「気づいてたんですか?」


「なんとなくだけど……何回か会うたびに君が彼なんじゃないかなって、でも、言っちゃダメだって、それで……」

頬には涙がつたっていた。

何回も彼女の泣き声を聞いてきたけど、実際に泣いてる顔を見るのは初めてだ。


「だから名前で呼んでくれなかったんですね。ずっと『君』って。あなたにとって俺は、名前を知らない未来人だったから」

「そうだよ……ダメだってわかってても、それでもやっぱり君は私にとって……」


「ダメなんかじゃない! ダメなんかじゃ……ないです。たしかに、俺はあなたがこの十年間どう過ごしてきたのかしりません。それなのにあんなこと言うのは無責任なのかもしれません。でも、それでも俺はあなたのことが好きです。十年前からそれは変わりません」

「…………」

「一万年と千九百九十年足りませんけど」

「なんなの、それ。ずるいよ」

美咲さんの口は緩んでいた。

やっぱり感情豊かだな、十年たっても変わらない。


「やっと見れた、笑った顔。なんか初めて見た気がしますね。お店で何回も見てるはずなのに」

きっと初めてなんだろう、彼女の笑った顔を見るのは。


「いいの? 私、あなたより歳もとっちゃって」

「いいです」

「歌手にもなれなかった」

「いいです」

「十年も間があって」

「いいです、そんなの関係ない。俺があなたのこと好きな気持ちに、何にも」


「ずるいよ、そんなの。私だって、好きだよ、君の、渉くんのこと。大好きだよ」

「俺もです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る