第5話 小さな恋の歌

眠れない。

電話を切ってからかなり経ったけど一向に眠れる気がしなかった。

やっぱり不安なんだろうか?


気分転換に外の空気を吸いに出ることにした。

夜の街はとても静かで、今のぐちゃぐちゃした気持ちを全部受け入れてくれるような気分だ。

草木も眠る丑三つ時って言うけどさ、本当に幽霊でも出そうなくらい静かで真っ暗だよ。

まあ、今は幽霊でもいいから出てきて、話し相手になって欲しいけどな。

いや、本当に話したいのは……


俺の思考を遮るように、違うな、心を見透かすかのように携帯が鳴った。

彼女からだ。

俺はこの電話に出ていいんだろうか?

もし出たら……


結局出ることにした。

出るしかなかった。

そうだ、仕方がないんだ。

何を悩むことがある。

ただ電話に出るだけだ。

それだけだ……


「どうした? また幽霊でもでたの——」

茶化そうとして口を止める。

どうもおかしい。

電話の奥からすすり泣くような声が聞こえてききた。


「おい、どうした? 今どこにいるんだ?」

「……う……み」

彼女はこの夜の街に消え入ってしまうんじゃないかと思うほど、小さな声を出した。


ここら辺で海といったらあそこしかない。

俺はもう走っていた。

何も考えずにただ走っていた。


何をやってるんだろう、俺は。

たとえついたって彼女はそこにはいないんだ。

もっとずっと遠くにいる。

絶対に超えられない時間の壁の向こうにいる。

走る意味なんかないんだ。

それなのに、それなのに俺は走っている。

何をしてるんだ。


結局、俺は走るしかなかった。

夜の街に俺の足音だけが響いた。



夜の海もまた静かで、波の音だけが聞こえる。

その凛とした静けさは、心地よさと同時に恐怖も感じさせた。


「ついたよ、海。何してるんだろうな、ここに来たって君はいないのにさ。だけどさ、綺麗だね、海。それだけで、来て良かったかも」

「私の……お気に入りの場所です……」

彼女は涙交じりで、途切れ途切れの声を出した。


「俺、夜の海って初めてなんだ。なんかいいよな、上手く言えないけどさ。なんかいい」

「なんですか……それ」

彼女はクスッという小さい笑みをこぼした。


「……聞かないんですか?……何があったか」

少しの沈黙の後、彼女はまた、吐息のような声で聞いてきた。

「いいよ、別に。でも、話していいと思ったなら話して欲しい。無理だったらいいんだ。俺はいつまでも待つよ」

少しして彼女の泣く声がまた聞こえた。

さっきよりずっと大きく、隠す気は一切ないような泣き声が。

俺はその声が止むまでただ待った。

ひたすら待ち続けた。

なんて言ったらかっこいいかもしれないけどさ、本当は何もできなかったって言った方が正しいんだ。

待つことしかできなかった、ってさ。


「私、歌手になりたいんです」

「え?」

泣き止んだ彼女の言葉は、俺の予想を全部壊すほどの予想外の言葉だった。


「歌手って、歌手? 歌を歌う人?」

思わず意味のわからないことを言ってしまった。

「はい、知らないんですか? 歌手」

「知ってるけどさ、少し意外だなと思って」

本当はかなり意外だ。


「だけど、それがどうしたんだ?」

それが泣いてた理由なのか?

よくわからなかった。


「歌手になりたいってまだ誰にも言えてなかったんです。自分にできるかどうかわからないから秘密にしてました。でも、最近あなたと話しているうちに勇気がでてきて、それで、さっき電話を切った後、初めて親に言ったんです。歌手になりたいって。そしたら『現実を見ろ』って言われちゃいました。ありきたりな言葉ですよね。話も聞いてくれませんでした」


「それがすごい悲しくて、どうしていいかわからなくて、気づいたら家を飛び出してました。それでここに来て、それでも悲しいのは全然変わらなくて、今度はあなたに電話してました。本当に迷惑ですよね、ごめんなさい」


「でも、あなたに話したらスッキリしました。本当にありがとうございます。人に話すとキッパリ諦めがつくものなんですね。家、帰ります。本当にありがとうございました」

彼女は一人で話して、一人で完結しようとしていた。

そんなのは納得いかない。


「諦めるの?」

気づいたら声を出していた。

「ええ、結局、最初から無理だったんですよ」

どっかで聞いたようなことを彼女は言う。

「君はそれでいいの?」

「よくないですよ、でもしょうがないんです。好きな人と結ばれる何倍も難しいことなんですよ? 不可能なんですよ」


「たとえそれがどんなに難しくても諦める理由にはならないよ」

何偉そうに言ってるんだろうな。

でも俺にはわかる、彼女の本当の気持ちが聞こえる。

だから俺はこの言葉を使うんだ。


「君が言ったことだ。だけどさ、俺は別に諦める理由なんていくらでもあると思うんだ。難しい、不可能、時間、お金、年齢、それこそ掃いて捨てるほどある」

「だったら——」

「だけどさ、諦めたくない理由だっていっぱいあるんだ。たとえどんなに難しくたって、絶対に諦めたくない理由があるだろ? 俺は諦めなくて良かったと思ってるよ。そして俺が諦めなかったのは君のおかげだ。君はどうなの? あるんじゃないの? 絶対に諦めたくない理由がさ。そっちの方が諦める理由より大事なんじゃないの?」


「そんなの…… そんなのいくらだってありますよ。小さい頃からなりたかった。誰かに聴いて欲しかった。まだまだ、たくさんあります」

彼女は泣きながらもしっかりとした声でそう言った。

「だったらさ諦めない理由としては十分なんじゃないかな」

彼女はただ泣いていた。

その声は夜の海に吸い込まれていくようだった。


「ねぇ、歌ってよ」

「えっ」

「聴きたいんだ、君の歌」

「でも……」

「お願い」

「……わかりました」


スッと息を吸う音がして、聞こえてきたのは俺でも知っている曲だった。

かつて、日本中の高校生に愛された曲。



『広い宇宙の数ある一つ 青い地球の広い世界で

小さな恋の思いは届く 小さな島のあなたのもとへ

あなたと出会い 時は流れる 思いを込めた手紙もふえる

いつしか二人互いに響く 時に激しく 時に切なく

響くは遠く 遥か彼方へ やさしい歌は世界を変える


ほら あなたにとって大事な人ほど すぐそばにいるの

ただ あなたにだけ届いて欲しい 響け恋の歌

ほら ほら ほら 響け恋の歌


あなたは気づく 二人は歩く暗い道でも 日々照らす月

握りしめた手 離すことなく 思いは強く 永遠誓う

永遠の淵 きっと僕は言う 思い変わらず同じ言葉を

それでも足りず涙にかわり 喜びになり

言葉にできず ただ抱きしめる


ほら あなたにとって大事な人ほど すぐそばにいるの

ただ あなたにだけ届いて欲しい 響け恋の歌

ほら ほら ほら 響け恋の歌


夢ならば覚めないで 夢ならば覚めないで

あなたと過ごした時 永遠の星となる


ほら あなたにとって大事な人ほど すぐそばにいるの

ただ あなたにだけ届いて欲しい 響け恋の歌


ほら あなたにとって大事な人ほど すぐそばにいるの

ただ あなたにだけ届いて欲しい 響け恋の歌

ほら ほら ほら 響け恋の歌』


「ブラボー」

「やめてください。初めてだったんですよ、誰かに聴いてもらったの」

「すごい上手だったよ」

言葉の通り、彼女の歌はうまかった。

俺は専門的なことがわかるわけじゃないけど、それでもずっと聴いていたいと思うような歌だった。


「好きなの? モンパチ」

「昔、嫌なことがあった時、ラジオから『小さな恋の歌』が流れてきたんです。それを聴いてると不安とかがだんだんなくなって、その時思ったんです、私もこんな風に誰かに届く歌を歌いたいって」

「だったらそれは成功したな。今、俺の心に確かに届いた」


「ずるいですよ、なんでそんな嬉しいこと言ってくれるんですか」

「本心だよ。俺は思ったことを言っただけだ」

「そういうところがずるいんですよ。でも、ありがとうございます。なんか歌ったら、悩んでるのがバカらしくなっちゃいました。私は私のやりたいようにやることにします」

ここ何日かで彼女のいろんな声を聞いてきたけど、やっぱり今みたいな明るい声が一番好きだな。

悲しい声をこの声に変える手伝いが少しでもできたなら良かったんだけど。


「じゃあ明日、というより今日ですけど、お互い頑張りましょう。成功を祈ってます」

明日、そうだ明日……

ここまできたんだ、今更気持ちが揺らぐはずないんだ。そう、絶対ないんだ。

だから俺も同じことを言った。「お互い頑張ろう」と。


その後家に帰って布団に入ると、彼女の歌声が頭について離れなかった。

それが何を意味するのかを考える勇気は俺にはなく、そのうち意識がぼやけて眠りについた。

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