5

 十六時を回っていた。雑木林には数羽のカラスが、寝床に帰ってきたのか、うるさいほどに鳴き散らす。はじめたちは気にはとめなかった。

 あの後、洋館に行くことをはじめはコミヤに話した。コミヤは真実を知りたかったらしい。洋館についていくと言い出したのだ。よっぽど謎を知りたかったのだろう。彼は【シャーロックホームズ】のような謎解きや【ジュール・ヴェルヌ】の『海底二万マイル』、【ジョナサン・スウィフト】の『ガリバー旅行記』に興奮して読んでいた事を話し始める。そんな冒険を体験したいと思った。


 鬱蒼うっそうと生い茂り誰も手入れしないままの庭先に、洋館ニ階建ての建築物を斜めに見ながら、はじめは過去から自分を連れてきた。

 庭先に咲き誇るユリの花の近くで、幼少の頃の自分と赤毛の少女が嬉しそうに、走り回っている光景が浮かんできた。だが、幼少の彼といる彼女の顔は浮かんでこない。何を今更思い出しているんだと、我に返ったはじめは、柿谷、コミヤと共に洋風の玄関口から扉を開いた。

 ひんやりとした空気が館の奥から流れてきた。雑木林に入った時には気にも留めていなかったカラスの鳴き声が、無気味に耳に響いてくる。


 静かに扉を閉めたはじめは、

「コミヤ、あの時、どういうルートをとったんだ?」

「うん? まず、二階を探索して、そのあとで……」と彼は、当時のルートを自分のジェスチャーを混ぜながらはじめに説明した。

「それで、女の子はどこで?」

 はじめの問いに、横にいた柿谷が答える。

「一階にある隠し部屋の奥だ」

「隠し部屋? そんなところがあったのか?」


 記憶を手繰たぐり寄せたが、2年前には気づかなかった。まさか、この館にそんな部屋が存在していたなんて、とはじめの驚きの顔があった。


 柿谷が不安げな顔で言い放った。

「あの部屋は、オレは入りたくない! 空気から異質なんだ!」

 はじめもコミヤも首を傾げた。

「異質?」

「うん、なんていうのかな? 空気なのに、誰かに体をつかまれている様な、見張られているような感覚っていうのかな?」

「……?」


 ―――誰かにつかまれる? 見張られている感覚?


 はじめには体験したことのないことだった。

 がらんどうに荒れ果てた空間に、真新しい一際目立つ朱色しゅいろの西洋風の扉があった。左右の壁と異なって存在している。あきらかに不自然だったのだ。

 柿谷がはじめに向かって呟いた。

「地下だから真っ暗だよ!」

 LEDの懐中電灯を取り出し、【ON】【OFF】を確認すると、

「タカ、コミヤ、案内、ありがとうな。お前らどうする? 待ってるか?」

「オレは真実を知りたい。噂に躍らされたくないんだ!」

 意外な応答に、意見を出したのはコミヤである。柿谷も塾を放り出して来ている為か、同意見のように頷きを見せた。

 いざ、ドアノブを回そうとしたとき、柿谷がはじめの手を掴んだ。

「はじめ、気をつけろよ! すぐに下に降りる階段があって、中は迷路のようになっている。もしかすると、俺たちは運がよかったのかもしれない」

「どういう意味だ!」

 問いに応えたのはコミヤだった。

「迷路なんてありえない。誰でもそうおもったさ。だけど……」

 柿谷も答えた。

「たまたま、俺たちは『大きな箱』のある部屋にたどり着いて、少女の幽霊と会話し脱出できたが……」

 相槌あいづちを打つように柿谷がコミヤと何度も頷いている。

 はじめにはふたりの言葉が信じられなかった。柿谷がコミヤに振り向き、相槌を交わす。


―――何故なんだ!


「とにかく、正直に聞いてみる他ない」

 はじめの反応に、柿谷もコミヤも黙り続けた。

 再びドアノブに手をあて、はじめは心臓の鼓動と共にゆっくりとノブを回した。

 

 暗闇に覆われ漆黒だけがそこにあった。懐中電灯で足元を照らしながら、地下へ降り奥へと向かった。たしかに、この部屋の空気は、息苦しく感じた。

 周囲を確かめながら、入って右方向に空間が続いていた。

 ゲーム内の地下ダンジョンや、塔の暗闇もこんな感じなのだろうか、でもゲーム内は、たしか松明や明かりが周囲を照らしていた。素人がこんな漆黒の闇でふいうちを食らったら、即ゲームオーバーは、まぬがれないとゲーム内の主人公気取りではじめは歩を進めた。

 研究室は、更に奥へと続いていた。扉はなく扉枠だけが存在する場所もある。誤認してしまうほどの空間の広さがあった。

 主人あるじが使った机だろうか、悲しげに置かれた椅子が帰りを待ち望んでいるようにたたずむ。更に、壁一面に棚が置かれところどころに本がはじめたちを見つめている。本当に屋敷の中なのかと、困惑するほどであった。

 部屋をいくつか通り抜けたはずなのだが、はじめは不安が過ぎった。同じような研究室を何度も通ったように錯覚していた。

「なあ、この場所、さっき通らなかったか?」

「変だよな?」

 柿谷が部屋の微妙な配置に気がついた。

「でも、花瓶の位置やソファの位置が、若干変わっているけど違う部屋みたいだよ」

「……」

 はじめは、人一倍怖がりな柿谷が先頭になって進んでいることに驚いた。



 どのくらい歩き続けたのか、コミヤが少し休もうといいだした。はじめも歩き詰めで足が痛くなり始めた。しかし、不思議なことに柿谷は、座るどころか立ちっぱなしでうろうろしている。柿谷の妙な行動に、違和感を感じざるを得なかった。普段の柿谷とまるで別人に思えた。

 物珍しいのだろうか、壊れた棚に『赤いオルゴール箱』を柿谷は手に取った。

「これ、何かに役に立つかな?」

「そんなもん、どこにあったんだ?」

「そこの崩れた棚に置いてあったんだ!」

「……」

 はじめは、柿谷の行動の変化を見逃さなかった。拒み続けていた彼が嬉しそうに笑みをこぼす。

「タカ、すごいな。怖がってばかりいたお前が、赤い箱なんて見つけるとは……」

「……」

 コミヤもはじめの思惑に乗るように言葉を投げた。

「タカ、足は痛くないか? さっきから歩き詰めだし……」

「ああ、そうだ。柿谷、平気なのか? もう、 二時間は歩いていると思うんだけど……スゲェよな」

「うん、オレ、平気だよ! ふたりは辛いの?」

「もう、クタクタなんだ! 同じ部屋を行ったり来たりして」

 疲れの見える表情をはじめとコミヤがする。座れそうな場所に移動すると腰を下ろした。

「ところで、その箱になにか、『大きな箱』の部屋に繋がる手がかりでも入ってないか?」

 柿谷は、言われるがままに『赤いオルゴールの箱』の蓋をあけ、

「う~ん? なにも入ってないみたい。きっともう直ぐしたら着くよ!」

 と、楽しいように柿谷は言葉を弾ませた。

「マジか?」

 はじめは、コミヤの次の行動を手で制止した。柿谷の性格では絶対にあり得ないという自信があった。

「じゃあ先に行って、箱を確認してくれないか?」

「お、おい、はじ…」

 コミヤは表情をゆがめた。どういうつもりなんだと、しかめ面ではじめを睨んだ。

「うん、でもすぐ来てよ!」

 懐中電灯を片手に、ホイホイと朽ちた家具を飛び越え隣の部屋へと柿谷は行ってしまう。

「はじめ、一体どういうつもりなんだよ!」

「待てよ、コミヤ、この地下に入ってから、柿谷の様子が変わったと思わないか?」

「ちょっとはそんな気がしたけど、それがなんだっていうんだ!」

「オレからすれば、誰かが柿谷の体を乗っ取っている気がするんだ!」

「なんだ、そりゃ? そんなことが……」

「あり得ないって思うか? 柿谷が入る前になんて言ってたか覚えてるか?」

「『空気が異質』って聞いたけど……そんな?」

「あり得ない……まだ、そう思うか?」

「……」

 確信はなかったが、ありえない事ではないと、コミヤに鋭い顔を見せた。

「……」 

「まさか……」

 ここで起こっていることが非現実的なら、ちっとも不思議ではないと感じた。

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