第21話 正しいジェノワーズの作り方

 俺は部室に荷物を届け、そのままヘルプを続ける。

 堅実に一台ずつ仕込みたかったが、ある者は失敗を恐れ、ある者は反省と後悔でトラブル防止班は人手不足。

 仕方ないが、纏めてやるしかない。


「秋葉君がやったほうが……?」

 部長すら、自信を無くして弱音を吐く。


「あくまで、俺はヘルプですから。部外者がやるわけにはいきません」

 

 大きなボウルに卵が三〇個。そこに一キロの砂糖を加え、湯煎にかけながらホイッパーで混ぜ合わせる。

 

 卵液に指の付け根を当て、熱いと感じる温度――四〇度になると湯煎から外し、ブランシール。

 たっぷりと空気を含ませて、高速のハンドミキサーで泡立てていく。

 

 生地がトロトロと、リボン状に垂れる状態になったら、低速へと切り替え。

 続く粉がダマにならないようにゆっくりと混ぜ、気泡を小さく一定にする。

 

 生地のキメが整うと、俺はふるいにかけた薄力粉を少しずつボウルへと加える。


「底とふちに気をつけて。バター入れたあとも混ぜるんで、七~八割ぐらいでいいです」

 

 この量になると、小さなゴムベラでは間に合わない。

 部長は表面積の広いカードを手に、肘の辺りまで生地に浸けて混ぜていた。


「バターいれます。熱いんで気をつけてください」

 

 限りなく、一〇〇℃に近い液体を注ぎ入れる。


「バターは底にたまりますから、下からすくい上げるように……」

 

 部長は真剣な表情。

 中学の時と違って、俺を信頼してくれている。


「ここからはスピード勝負です。型に流し入れて……」 

 

 粉を入れてからの生地は、触れば触るだけ固くなっていく。

 とはいえ、空気をたっぷりと含んだ生地の目算は非常に難しいので、軽量をしないわけにはいかない。

 部長は慎重かつ、大胆に作業をこなしていた。

 それを他の部員が、それぞれのオーブンに投入……


「大丈夫かな?」

 

 部長はまだ入れたばっかりなのに、膨らみが心配のようだ。

 オーブンを覗き込んでいる。


「大丈夫です!」

 

 俺は断言する。

 彼女の心配を打ち消すよう、大きな声で。

 実際問題、生地の状態からして失敗はありえない。心配なのはオーブンの不備だが、そう何台もおかしくなってたまるか。


「秋葉君……大人になったね」

 

 とりあえずの山場が終わり、気が緩んだのか部長はそんなことを言い出した。


「昔はすごく偉そうで、一年生で部員でもないのに皆をアゴで使ってたのに……今じゃ、ちゃんと気遣うこともできている」 

 

 その微笑みは、俺が知っている中では誰よりも魅力的だった。


「……あの時は、間に合いはしましたけど、雰囲気は悪かったですから」

 

 でしゃばり過ぎた、俺のせいだ。

 けど、ガキだった俺はそれを認められなかった。むしろ、感謝しろと尊大な態度を取っていたんだ。

 そんな俺を、部長はしっかりと叱り、感謝してくれた。


「はは、あったねそんなこと。あの時は皆、子供だったから」

「部長は……大人っぽかったですよ」

 

 見た目だけでなく、性格も。

 お世辞だと思ったのか、部長は謙遜をしている。


「そんなことない。だって、吊り橋効果であっさりと……」


『全校朝礼を始めます。生徒の皆さんは……』


 部長の台詞を遮って、無慈悲な放送が鳴る。

 まだ、作業的には余裕がない。

 それでも真面目な部長はどうしようかと、悩んでいる。


「俺、説得に行ってきます」

「え?」

「大丈夫、こういうのは慣れているんで」

 

 逆にいえば、慣れていない部長では酷であろう。

 どの先生がここに来るかにもよるが、大抵融通が利かないものだ。

 

俺は担任か学年主任が来てくれるのを期待していたのだが、


「秋葉か。相変わらずお前は……さっさと体育館に行け!」

 

 来たのはよりにもよって、互いに嫌いな数学の先生だった。


「ちょっと待って下さい」

 

 言うべきことだけ言って、俺を素通りした先生の腕を掴む。


「なんだ? こっちは忙しくて、お前なんかに構っている時間はないんだ」


「いや、ちょっとお願いがありまして」

 俺は初めて、この先生に敬語を使う。


「料理部へ、行かれるんですよね?」

「あぁ、そうだ」

「ちょっとトラブルがあって、作業に遅れが出ていまして……。できれば、このまま作業を続けさせたいのですが……駄目でしょうか?」

 

 先生は品定めするようにジロジロと見てくる。

 込み上がる不快感を、グッと堪える。


「なんで貴様が料理部の心配をしているんだ?」

「ちょっとヘルプを頼まれまして」

「お前に? 料理部の部長は誰だ? ろくでもない……」

 

 熱くなるのがわかった。

 あ、やばい……必死に心を落ち着かせようとするも、無理だ。


「――お願いします!」

 

 だから、頭を下げた。

 無駄に口を交すとキレ出してしまいそうだったので、単純な言葉で勝負せざるを得なかった。


「な、駄目だ。皆に示しがつかんだろう」

 

 らしくないとわかってはいても、ためらっていられない。


「そこをなんとか! お願いします」

 

 先生の言い分も理解できなくはない。

 けど、俺は受け入れられなかった。

 いつも、皆の中に俺は含まれていないのだから。

 そんな皆のために……皆のせいで、邪魔されるのを受け入れるわけにはいかなかった。


「お願いします!」

 

 深く頭を下げる。

 部長のために……必死に頼み込む。

 高校最後の文化祭を、彼女には笑顔で終わらせてやりたかった。


「駄目だ、駄目だ。お前じゃ話にならん」

 

 先生は、頭を下げている俺すらも素通りしようとする。

 駄目だと思うも、言葉は出なかった。


「お願いします!」

 

 これだけしか出なかった。

 先生の足音が止まる。俺は期待を胸に顔を上げると、そこには芳野とジジがいた。


「なんだ? お前たちも早く体育館に行け!」

「んなかたいこと言うなって」

「そうですよ、先生。いい物がありますから」

 

 二人は、先生の前に立ち塞がっていた。

 話声は聞こえてこないけど、いい雰囲気じゃない。


「なっ! …… っ」

 大きい呻き声。

 なにを見せられたのか、先生は部室から遠ざかって行った。


「なに、らしくないことしてんだよ」

「だね。まさか勇者が頭を下げるなんて、ほんと驚いたよ」

「お前ら……なんで?」

「言ったろ? 勇者のピンチには必ず駆けつけるってよ」

 

 確かに……言っていたけど。

 まさか、本当に来るなんて……


「……なにをしたんだよ?」

 

 軽口を叩くも、嬉しくて頬がにやけてしまう。


「先生がペドだっていう証拠写真を付き付けただけだよ」

 

 しかし、明かされた事実に強張る。


「ロリとペドは似て非なるものだけど、行動範囲は近いものがあるからね。そこで偶然取った写真をちょっと」

 

 提示された携帯に映っていたのは、有名な幼女向けアニメのイベント会場? そこに先生を含む中年男が二人。いかにも危なそうな恰好と表情で、客である幼女を眺めている。


「これは……キツイ絵面だな」

 

 そう言って、俺は部室に戻る。


「……さんきゅな」

 

 小さく、それでも聞こえるように俺は感謝の言葉を吐き出した。


「で、お前はどうすんだ? アキト」

 

 後ろでなにか話声が聞こえてきたが、振り向かなかった。


「やるよ。やっぱりこの手はピアノを弾くためにあるみたいだ。あ、それと少女を守るためにね」

 

 運ばれた声は、笑い声だったから――

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