第22話 終わった恋

 様々なトラブルはあったものの、料理部のカフェは無事に開店された。

 俺は、忙しない部員たちの姿に胸を撫で下ろす。

 

 そして、部長の背中に頭を下げて、部室をあとにした。


 開始早々、賑やかな校内。

 息を洩らすように吐き出し、すれ違う人々をやり過ごす。


「あれ? もう、料理部のほうはいいのか?」

 

 ジジが現れた。

 焼き鳥やらなんやら串に刺さった食べ物を、抱えるほど手にしている。


「あぁ、無事に開けたからな」

「ふーん、なら暇ってことだよな?」

「そうなるな」

 

 肯定すると、

「そうか」

 とジジは串に刺さった唐揚げを頬張った。

 

 そして咀嚼し、飲み込むまでの時間を沈黙に使い、

「なら、アキトのとこ行くぞ」

 言い放った。


「別に構わないが……、何処にいんだ?」

「講堂」

「なんでまた?」

「お前、酷いな」

 

 いつもと違うジジに戸惑う。

 けど、具体的に指摘できないので、ただ口数が減る。


「お前が言ったんだろ? ピアノを弾いてくれって」

 

 素で忘れていたので、微妙な返事をしてしまった。

 

 ジジは俺みたいな溜息を吐いて、

「勇者は酷いなぁ」

 肩を竦めた。


「ねここなんて、開始と同時にいるってのに」

「知らなかったんだから、仕方ないだろう」

「知っていても、お前は来なかっただろう?」

 確信の満ちた眼差しに、


「あぁ」

 俺は頷くしかなかった。


「いったい料理部と、いやあの部長さんとどういう関係なのか興味はあるが……、今はアキトのピアノのほうが優先だから見逃してやる」

 

 本心なのか、ジジは歩き出した。

 俺は小走りで追いかける。


「一本貰うぞ」

 

 並ぶと、紙袋からはみ出ている串を抜き取る。

 タコさんウインナーが五匹突き刺さっていた。


「なんだ、これは?」

「剣道部がやってる、刺し物屋で買ったんだ」

「刺し物屋ってなんだよ」

「いろいろ刺して置いてあったぞ? さすがにハムを漫画肉みたいにして置いてあったのは驚いたが」

「そいつは何枚使ってんだ?」

「さぁ? ただ三〇〇〇円と高いから買うやつはいねぇだろ」

 

 俺はタコさんを一匹噛みちぎる。

 安っぽい味だが、何故か二匹目と止まらなかった。

 これが、お祭り効果という奴か。


「ぉ、やってるみたいだな」

 

 耳を澄ますと、ピアノの音が聴こえてきた。

 つまり、あれほど騒がしかった声が、前方からは聞こえてこない。


「久しぶりって割には相変わらず、すごいな」

 

 ジジは懐かしいと、頬を緩ませていた。

 足取りも軽くなっている。

 徐々に音が、旋律として耳に届く。

 聴いたことのない曲。

 だけど、いい曲だと思う。

 だから、耳をつい傾けてしまう。


「しかし、本末転倒だな」

 

 講堂に貼られた様々な展示物。

 俺たちを含め、誰もそんな物には目もくれずに芳野のピアノに集中していた。


「すげー……」

 

 手が、指が意思を持っているかのように動いている。

 あんな狭い鍵盤の上で飛んだり、跳ねたりと、様々な動作が行われていた。

 芳野が首を振る。

 それが合図だったのか、傍にいるねここが楽譜をめくる。

 俺が来てから三〇分間。鳴りやまぬピアノは様々なメロディーを奏で、多くの人々を魅了していた。


 「お疲れ」

 

 演奏を終えた芳野の元に、俺たちは近づく。

 未だに多くの喝采が、この空間を網羅していた。


「やぁ、勇者。ちゃんと来てくれたんだね」

「一応、俺が頼んだんだし」

「んなこと言ってるけど、こいつ忘れてたからな」

「勇者、それは酷いっすよ」

「いや、……悪い」

「ちゃんと来てくれたから、構わないさ」

「ところで、いったいなんの曲を弾いていたんだ? クラシックとも違う感じがしたけど」

「あぁ、エロゲーの曲だよ」

 

 さらりと出たエロゲー? えっとなんだ、つまりあれだ。いわゆる美少女ゲームって奴だろう? それくらい俺だって知っている。


「まじで? エロゲーて、あのエロゲー?」

 

 故に、先ほどの素晴らしいメロディーと結びつかずに再確認してしまう。


「勇者よ、甘いな。最近のエロゲーはシナリオも音楽もかなりのレベルを誇っている。なんだったらいくつか貸してやるぞ?」

 

 ジジがべた褒めをする。その隣では、ねここと芳野も力強く頷いていた。


「お前な……選曲間違ってないか?」

「そう? でもいい曲だったでしょ?」

「それは……」

「エロゲーの曲だからって敬遠するのは愚かだぞ。勇者ともあろう人間が、先入観で物を見るなんて嘆かわしい」

「やかましい」

 

 勇者なんて、てめーらが勝手に言っているだけだからな?


「さぁ、こちらの世界へ――早く、異世界へ踏み出してこい!」

 

 伝わらなかったようで、ジジは俺に向かって両手を伸ばしてきた。


「けど、ばれたら問題じゃないか?」

 

 このテンションには付き合いきれないと、俺は無視して芳野に話しかける。


「う~んどうだろ? でもわかるってことは、その人も同類ってことだし」

「大丈夫っすよ。エロゲー的には人気曲っすけど、普通の人は聴く機会すらないっすから」

「それはそうと、疲れたから休みたいんだけど?」

 

 延々とピアノを弾き続けていたんだ。どのくらいかは知らないが、やはり疲れるものなのだろう。


「けど、離れていいのか?」

「うん。好きな時に適当に弾けばいいだけだから」

「自由だな」


「自力で手に入れた自由だけどな」

 ジジの発言に引っ掛かりを覚えるも、


「さて、どうするか……」

 聞かなかったことにした。


「料理部なんてどうかな?」

「おぃ」

「別にいいっすよー」

「ちょいちょい!」

「民主主義の元、多数決で決めよう。うん、決定」

「……勝手にしろ」


 抗い切れなかった。俺も随分と諦めがよくなったというか、慣れてきたというか……


「へー、結構並んでるんだね」

「なら、他を当たるか?」

「いやいや、せっかくだし待とうぜ」

「うん。やはり部活主体のとこは、中等部の人気が高いね。目の保養、目の保養」

 

 芳野の言うとおり、行列には中等部の制服を着た女子ばかり。


「しかし、女子ばっかっすね」

 

 ものの見事に、行列は女子しかいなかった。

 ケーキだけじゃなくて食事も置いているのだが、やはり男子は屋台に走るのだろう。


「けど、どのぐらい待つんだ?」

 

 ジジが背伸びをして覗き込もうとする。この列では頭一つ分は飛び出ているので際立ち、


「すいません。あと、三〇分は待つかと……」

 

 すぐに接客係がやってきて、具体的な時間を提示した。

 もしかしなくとも、面倒な客と認識されてしまったのかもしれない。


「三〇分だってよ?」

 俺は諦めへ誘導しようとするも、


「あ! さっきの」

 嫌な予感。


「もしかして顔パス?」

 ジジが余計なことを言いだし、


「あー、ちょっと待ってね」

 

 俺がなにかを言う前に、接客係はスカートをひるがえす。

 咄嗟に手を伸ばすも、虚しく空を切り……呼び止めようにも、名前がわからなかった。


「からぶったとはいえ、ためらいなく手を掴もうとするなんて……やるな勇者」

「意味がわかんねーよ」

「そんなことよりも、今のスカートのひるがえり方……かなり、良くなかった?」

「それこそ、どうでもいいだろ……」

「そうっすよ。大事なのは絶対領域っす」

「お前らな……頼むから少し黙っていてくれ」

 

 自分たちが目立っているって気付いていないのか? 

 それとも、人の視線なんてどうでもいいと思っているのか、いつものノリで好き勝手に喋る芳野たち。

 いくら容姿がいいとはいえ、さすがに発言がヤバすぎる。集まっていた視線の種類が、瞬く間にマイナスへと転じた。


「具体的には?」

 

 相変わらず、芳野はああ言えばこう言う。

 周りの世界には無頓着だ。


「ここから立ち去るまで」

「無理」

「っすね」

 

 芳野とねここは即答したが、ジジはなにやら考え込んでいる。


「条件がある」

「あん?」

 

 整ったのか、ジジはにやりと口元を吊り上げた。

「部長さんとどういう関係なのかを話してくれ。それを聞いている間は黙っといてやる」


「却下だ、ボケ」

 つい反射的にツッコんでしまった。


「つまり、黙らなくていいってわけだな」

「はぁ……」

 

 お決まりの溜息一つ。諦め。


「あ、秋葉君」

 そうしていると部長がやってきた。


「……ども」

 俺は軽く頭を下げる。


「ごめんね、せっかく来てくれたのに……」

 

 詫びの言葉から入ったことで、俺は内心でガッツポーズ。


「ヘルプ頼める?」

「はい?」

 

 しかし、予想外の要請に崩れ落ちる。


「秋君が考案したメニューが大人気なの。あれって結構手間がかかるから、人手をとられちゃって……」

 

 オーダーを受けてから、卵液にくぐらせてフライパンでソテー。バナナも同様。変色を防ぐため、あらかじめ切っておくわけにはいかない。

 仕上げに添えるアイスも、女子の腕力では容易くはいかず、普通に出すだけのケーキよりは手間が多いのは明らか。


「勇者よ。オレたちが早く座れるように頑張ってくれたまえ」

 

 ジジが力強く、俺の背中を押す。


「ありがとう」

 

 一歩踏み出したのを承諾と勘違いしてか、部長は前のめりになりかけていた俺の腕を取った。


「結構重要なイベントだと思うよ? フラグがたつくらいのね」

「そうっすよ。文化祭だけでも強力なのに、その上トラブル、ヘルプのコンボはもう決まったも同然っす」

 

 芳野たちは意味不明な応援を浴びせ、見捨てやがった。


「あれ? 秋葉君?」

 

 部長に引っ張られるまま教室内に入ると、二つ縛りの黒髪、眼鏡、巨乳……確か、うちのクラスの委員長であろう人が、じぃぃぃ~と恨みがましい視線を送っていた。


「あ、どうも」

 

 確信が持てなかったので、曖昧な返事で逃げようとするも、


「どうして秋葉君がここに? というか朝礼の時、居なかったよね?」

 

 立ち上がり、ずかずかと接近してきた。


「あぁ……ちょっとばかしヘルプにな」

「へー……、そうなんだ」

 

 声のトーンが下がる。その目線は手に向けられていた。


「っと……で、今から注文か?」

 

 掴まれている以上、振りほどけはしない。言葉で煙に巻くしかないと、口を開く。


「あ、うん」

「ちなみに、これが俺の考案メニュー……で、今から俺が作る奴だ」

「――え?」

「良かったら頼んでくれ」

 

 俺はそれだけ告げて、調理室に歩き出す。


「ちょっ、秋葉君」

 

 手を放せばいいものの、部長はそうしなかったので俺に引っ張られる感じになった。


「お疲れ」

 

 俺は部員たちに軽い労いの言葉をかける。


「んで、エプロン借りていい?」

「あ、うん」

 

 俺がエプロンを着用すると、皆期待の視線と声で迎えてくれた。




 ランチタイムを終えると、落ち着いてきた。


「あ、秋葉君。もうヘルプいいから」

「そうですか」

「うん、適当に好きなの持って、ゆっくりしていって。お友達も注文終えているから」

 

 その気遣いに、感謝の言葉は出なかった。


「ほんと、色々とありがとね」

 

 部長は言ってくれた。あの時とは違う、満面の笑みで――


「どういたしまして」

 

 だから……かな。俺は惑わずに、返せた。

 あの時は、なにも言えなかった返答を――

 

 ――ほんと、色々とありがとね。


 最後の言葉。

 涙を溜め、必死で作った模造の笑顔。


 ――え? あ、はい……こちらこそありがとうございました。


 的外れな返答。よそよそしい言葉と態度は、彼女を傷つけるだけだった。

 あの時は結局、最後の最後まで……俺は〝彼女〟になにも返してやれなかったんだ。




「お勤め、ご苦労さんです」

 ヘルプを終えて、喫茶室に姿を現した俺に嫌味の混じった労い。ジジはわざわざ立ち上がり、勢いよく頭を下げやがった。


「あん?」

 

 あからさまな嫌悪感を前面に睨みつけ、集まっていた視線が霧散する。


「女の子相手に酷いよそれは」

「てめーらのせいだ」

 

 空けられていた席に座る。


「けど、女の園に男一人。羨ましいねー、ハーレムじゃん!」

「別に。全員が可愛いわけじゃないだろ?」

「勇者ってナチュラルに酷いよね」

「そうっすよ。そんな夢のないこと言わないで欲しいっす」


 間違っていないはずなのに、何故か全員に責められた。

 付き合いきれず、俺はケーキをむさぼる。


「へー、勇者はそれにしたんだ」

 

 芳野たちは皆、俺のメニューを食べていた。


「まぁ、な」

 

 俺は、部長が作った普通のケーキセットを選んだ。


「ん、甘い」

 

 一口食べ、当然の感想。


「うん、甘くて苦い」

 

 ジジも一口すくって感想を漏らす。


「まるで恋みたいだよな」

 

 陳腐な表現。


「温かいのと冷たいのが触れ合って、甘いのと苦いのが混ざり合う」

 

 いつもなら軽口でも叩いて、笑いに昇華させるんだが……


「そうだな」

 

 俺は柄にもなく頷いていた。

 結局、芳野たちはなにも質問してこなかった。

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