第23話 痛恨の一撃

 料理部をあとにした俺たちは、中等部の敷地を適当にぶらついていた。

 ちなみに、千代にはメールで高等部に誘導しているので、出会う心配はない。

 展示物を拝見しながら、三人が中学生の良さを語っていると放送がかかった。


『高等部一年六組、十文字マキナ。至急、演劇ホールまで来るように。繰り返す――』


 同じ敷地内にあるというだけで、中等部と高等部は完全に独立している。

 ゆえに、中等部の放送で高等部の生徒が呼ばれるのは、珍しい事態である。


「ジジ、呼ばれてるっすけど?」

 

 誰が呼ばれているのかと思ったら、ジジであった。

 女名だったのか。それが理由で今まで自己紹介をしなかったと考えると、親近感が湧いた。

 しかし、先ほどの放送が中等部だけに流れたとすれば、こいつの行動は先生に読まれていることになるな。


「……ん?」

 

 ってか、それ以前に先ほどの放送は不自然だった。

 クラス名で呼ばれたことから、ジジは演劇部ではない。それなのに、演劇ホールに来いと言っている。

 例え、クラスで劇をやっても演劇ホールは使えない。その場所を使えるのは、演劇部だけだ。


「どうすんだ……ジジ?」

「……誰だ……クソが……」

 

 ジジは……怒っていた? 

 よく、わからないが……感情的になっていた。今までの全ての振る舞いが演技だったかのように、声が違う。

 誰も口を開かない。

 ねここはおろおろと、芳野は真剣な面持ちでジジを見つめている。

 すると、また放送が鳴り響いた。


『高等部一年五組、芳野アキト。もしくは、高等部一年一組、秋葉――』


「あぁぁぁぁっ!!」


『至急、十文字マキナを演劇ホールまで連れてくるように。繰り返す――』


「繰り返すんじゃねぇよ! ボケがぁぁぁ!」

 

 俺の雄叫びが、放送の一部をかき消した。

 誰だ? 人の名前を放送で流しやがった奴は。

 せっかく、俺の名前は読めない奴が多くて助かってるってのに……名前がイジメに繋がる可能性を考慮しやがれ!


「ジジ、とりあえず演劇ホールに行くぞ!」

 

 現状、俺たちは目立っていた。

 理由は言わずもがな……今回に限っては、俺が悪い。


「はぁ、てめーなにを受信しやがった? 急に叫んだと思ったら、勝手に……」

「いいから行くぞ!」

 

 俺は有無を言わさずに、ジジの腕を掴む。

 こいつを演劇ホールに連れていかないと、もう一度俺の名前が放送される危険性があるからだ。


「ちょっ、放せ! 痛いっつーの! 誰かの手を掴んで走るのが好きなのはわかるが、勇者の趣味にオレを巻き込むんじゃねぇよっ!」

「うるせー! 早くしないと、また俺の名前が放送されるだろうが!」

「はぁ? なんだよ、その理由は? ふざけんじゃねぇよ!」


 走りながらもジジが抵抗を示すので、スタミナゼロの芳野に安々と追いつかれる始末。


「っていうか、勇者の名前ってそこまでキラキラしてたっけ?」

「知らないっすけど……確か、しーくんって呼ばれてたっすよね」

「おい、ジジ! 芳野とねここ如きに追いつかれてるぞ!」

「……勇者って、ナチュラルに酷いよね」

「そうっすね。やっぱ、おれよりも閣下とかジジに近いっす」

 

 聞き捨てならない一言があったが、今はそれどころではない。

 ジジが、俺の鳩尾に拳を伸ばしてきやがった。走行中のボディブローは、はっきりいって死ねる。手首を叩き、どうにか軌道を逸らさせると、左胸に衝撃――


「って、まんまじゃねぇかよ!」

 ジジが叫ぶ。


 手には……生徒手帳!?


「テメー、返しやがれ!」

 取り返そうとするも、ジジの手から芳野に渡る。


「えーと……最初の字、なんて読むの? この?」

「これ……、じゃないっすか?」

「返せ!」

 

 どうやら二人には読めなかったようだ。助かった。


「ジジ、絶対に言うなよ!」

「調べりゃ、すぐにわかることだろうがよ! クンクン!」

「っ!? テメー!」

「あ、やっぱ嫌な理由ってそれか?」

 

 ジジはヘラヘラと、俺のトラウマをあっさりと指摘しやがった。


「ガキの考えそうなことだ。融通の効かない教師がいりゃ、すぐに思いつくだろうよ」

 

 図星過ぎて、言い返せない。

 が、これ以上なにかを言わせる気はない。


「おぃ……勇者。洒落に……なってないぞ?」

 

 俺はジジの首根っこを掴んでいた。それはもう力の限り全力で……頚動脈に爪を立てていた。


「走れ。さもないと……す」

「だぁ! わかったわかった! 走るから、その手を放せ! つか、闇落ちにしても暴走にしても浅すぎるぞっ!」

 

 脅しに屈したジジは、あっというまに芳野とねここに差をつける。

 かく言う俺も、置いていかれないだけで精一杯だった。


「はぁ、はぁ……くそっ!」

 

 そろそろ、スタミナの限界だ。先ほど食べた安っぽい油物が胃にのしかかってくるも、急かした俺が根を上げるわけにはいかず、意地で食らいつく。


「おっ! もう、限界か? 勇者」

 

 それなのに、ジジはまだ余裕を見せている。

 いったい、どんな肺活量をしているんだか、甚だ疑問だ。これで帰宅部というのだから、勿体ない。


「はぁはぁ……着いた」

 

 人混みで助かった。

 もし、障害物のないコースだったら見失っていたに違いない。


「十文字君!」

 

 呼吸を整えていると、知らない女生徒がやってきた。

 こっちこっちと、死人に鞭を打つかの如く、俺たちを更に走らせる。

 その強引さからして、先輩だろう。顔つきも心なしか、同級生よりも大人びて見える。

 俺たちは急かされるまま、舞台裏へと連れていかれる。


「十文字! よく来てくれた!」

 

 こいつが放送をかけた先生か? 俺は睨みつけるも、先生の視線はジジに釘付けだった。

 けど、ジジは指で耳をほじっていて、あからさまに態度が悪い。


「で、なんの用すか?」

「代役を頼みたい」

 

 演劇部の顧問なのだろうか……体育教師にしか見えない筋肉質。

 ジジの態度に注意もせず、いきなり台本を突きつけてきた。


「……なんでオレに? 代わりなんて、幾らでもいるだろ?」

 

 ジジは受け取らず、質問する。

 詳しくは知らないが、うちの演劇部は全国大会常連だけあって、部員数は多いはず。

 ただ、見渡す限り男子生徒は数えるほどしかいない。こればかりは、文化部の定めと言うべきか。


「文化祭のお遊戯なら、女に男役をやらせてもいいし、役自体を女にしても問題ないだろ?」

 

 ジジも極端な男女比に気づいてか、機先を制す発言。


「文化祭のお遊戯だからこそ、だ」

 

 先生は、馬鹿にするようなジジとは違った強調の仕方をした。


「全員が舞台に出られるように、配役してある」

「知ってんよ。こいつは前座だろ? メインはオリジナルのファンタジー系。思い出作りのためか、無駄に役が多かったな」

「そうだ。小道具や衣装も凝っていて、とてもじゃないが着替えたりする時間はない」

 

 周囲を見渡してみると、ほとんどの部員が既に衣装に身を包んでいた。

 髪から化粧までびっしりと……確かに、これを一度崩して整えるのは時間がかかりそうだ。


「……前座の端役なら、誰でもいいんじゃないのか? それこそ、思い出作りに裏方の人間を立たせてやればいい」

「本当に、そう思っているのか? 十文字」

 

 俺は蚊帳の外だった。

 先生がジジに期待している理由も、ジジが尻込みしている事情もわからない。


「端役なら、誰でもいいって……お前はそう思っているのか?」

 

 演劇のことなんて知らない。なにをそこまで熱くなっているんだかと、冷めた気持ちでこの場にいる。

 

 だからこそ、ジジの不自然さが目に付く。

 

 馬鹿にするような口調でありながらも、発せられるのは至極真っ当な代案。少なくとも、素人の俺にはそう聞こえる。いつもの、ふざけた言い分とは全然違う。


「……オレの意見なんざ、関係ねぇだろ」

 

 絞り出すような声から、答えは明白だった。ジジはこの場に適応している。俺みたいに、拒絶されていない――いや、拒絶していない。

 この雰囲気に、空気に馴染めている。


「だったら、やれよ」

 

 それがちょっと羨ましかったから……俺は言ってやった。


「お前の意見が関係ないなら、やれよ」

 

 それが心地のいいものだと――求められ、応えるのは案外悪くないと、先ほど体験していたからこそ、俺はジジの背中を押してやる。


「そういう意味で言ったんじゃ……」

 

 やっぱり、らしくない。そんな揚げ足の取りやすい言葉を使うなんて。


「知ってるよ」

 

 俺はそう笑って、先生に問う。


「先生は、誰でもいいって思ってないんですよね?」

 

 先生は少しだけ面食らった様子でいたが、「あぁ」頷いた。


「ジジ……こいつじゃないと、駄目だって思っているんですよね?」

 

 続く問いには、「あぁ」即答した。


「だ、そうだが? どうするんだ、ジジ」

「どうって……」

「先生の意見を、否定する気はないんだろ? さっきはそういう意味で、関係ないって言ったんだよな?」

 

 ジジは言葉を詰まらせた。


「なら、二択だ。やるか、やらないか。それ以外は喋る必要ねぇだろ?」

 

 酷かもしれないが、俺は突きつけた。これで、ジジには言い訳も弁明も許されない。結果が全て、そこに至るまでの過程は必要ない。 

 沈黙が降りた。

 ジジは悩んでいる。揺れているから、言葉を紡げない。唇を噛み締めるだけで、一向に開く気配を見せない。

 

 ――もうひと押しか……。

 

 そう思って告げた次の一言は――


「自分じゃないと駄目だって場面は、そうないと思うぞ?」

 

 ――ジジを烈火の如く、怒らせた。


 言われなくても、わかる。胸ぐらを掴まれ、間近で射抜かれた。

 開かれた瞳孔、押し殺した荒い息、歯を噛み砕く音……俺は気圧されるだけで、なにもできなかった。

 いや、先生や他の部員も固唾を飲んでいる。


「はい、ストップ」

 

 そんな張り詰めた空気に、場違いな声――いつの間にか、芳野がいた。

 ジジの腕を掴み、下ろさせる。俺とジジの間に入って、緩衝材になる。


「勇者に悪気がなかったことくらい、わかるよね? マキナ」

 芳野はくるりと振り返り、

「悪気がなかったとはいえ、傷つけたことくらいはわかるよね?」

 

 俺は頷き、

「ごめん」

 素直に謝る。


「よろしい。どっちかという、マキナが悪いけどね」

 

 芳野は、先ほどのジジの怒りを八つ当たりだと切り捨てると、


「それじゃ、僕たちは観客席にいるから――」

 

 最後まで言わないで、俺を連れ、ジジを残していった。





 俺は自己嫌悪で一杯だった。

 思い返してみると、自分の罪に気づく。俺は調子に乗っていた。何様だ……! その気はなかったとはいえ、完全に上から物を言っていた。


「しかし、見事に地雷を踏み抜くなんて、さすがと言っておこうか」

 

 落ち込んでいる俺とは裏腹に、芳野は平常運転の様子。


「地雷って……?」

「――自分じゃないと駄目だって場面」

 

 狙わないでこんな言葉が出るなんて、と茶化してから芳野は教えてくれた。


「マキナはね、そこで逃げたことがあるんだ」

 

 だとすれば、俺の言葉は……?


「そのトラウマを、勇者は見事に抉った。正しく、痛恨の一撃だね」

 

 察してはいたが、指摘されると痛い。


「お互い様だから、そこまで気にする必要はないよ?」

「あん?」

「保健室での一件」

「……あぁ、そういやそうだな」

 

 あの時は、こいつらが俺に痛恨の一撃を与えた。 

 けど、そのあとの手当てもしてくれた。

 それに比べて俺は……なにもできなかった。こいつみたいに、気遣ってやれなかった。


「まぁ、僕たちはそこまで落ち込みはしなかったけど」

「っ! 別に落ち込んでねぇよっ!」

「ははは、勇者は優しいね」

「だから、違うって――」

「閣下! 勇者!」

 

 俺の反論を遮るように、ねここの呼び声。


「酷いっすよ、閣下。俺を囮にするなんて……あれ? ジジはどこっすか?」

 

 ねここの質問には答えられなかったので、芳野に投げかける。


「沸いて出たと思ったら、不法侵入だったのか」

「ナイスタイミングだったでしょ?」

「どうせ、見計らってたんだろが」

「あ? バレた?」

「ちょっ! おれだけ仲間外れにしないで欲しいっすよ」

 

 ねここはいつものお家芸と勘違いしたのか、ジジの消息には触れてこなかった。



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