第24話 旅立ちの日

「すごい人だな」

 

 ホールの収容人数はおよそ三〇〇人。

 これから始まるのは前座だというのに、既に半分以上が埋まっていた。


「本当にジジが出るんすか?」

「さぁ、な」

 

 俺には断言できない。

 けど、芳野は確信しているのか、いつもの澄まし顔で先導している、


「座れそうか?」

「問題ないよ。前方は予約席だから」

 

 そう言って、芳野はチケットを三枚取り出す。


「……いつの間に?」

「勇者と会う前からだね」

 

 となると、元はジジの分というわけか。

 やけに詳しいと思ったら、観る気満々だったのか。


「あら? 秋葉君」

 指定席に座ると、隣に委員長らしき人。


「あ、どうも」

 名前が出てこないのでまた、はぐらかす。


「でもどうしたの?」

 

 質問の意図がわからずに眉根を寄せる。


「ここの席って中々予約取れないんだよ? 私なんかは、演劇部に仲のいい先輩がいたからなんだけど」

 

 俺は言葉を濁しながら、芳野に助けを求める。


「入手経路は神〈マキナ)のみぞ知る」

 

 その台詞で俺も確信する。絶対にジジは舞台に上がる、と。


「友達からもらったんだ」

「へ~、そうなんだ」

 

 委員長はまだ、俺に顔を向けている。それで会話をするべきか悩んでいると、パンフレットが目にとまった。


「それ、今からやる劇の?」

「うん、そう」

 

 委員長が差し出したので、俺は手に取った。

 一言、礼を述べてから目に通す。


「幸福の王子?」

 

 知らないタイトルだった。

 そもそも演劇なんて観ないので、知らないのは当たり前なのだが。


「オスカーワイルドの短編小説ね」

 

 聞き覚えのない名前。

 どれだけ思い返してもかすらない。


「戯曲サロメが有名かな?」

「戯曲?」

「演劇用に書かれた作品のこと」

「へ~、詳しいんだな」

「うん、好きだからね」

 

 雑談していると、

「そうか!」

 いきなり芳野が喚きだした。


「何だよ?」

「オスカーワイルド。どうも覚えがあると思ったんだ」

「えーと、芳野君も知っているの?」

「うん、彼は確か有名な男色家だ」

「……うん、そういう事実もあるね……」

 

 詳しいには詳しいのだろうが、出てきた知識に委員長は軽くヒいている。


「他にもナイチンゲールとバラ。ドリアン・グレイの肖像。有名な言葉として『男は愛する女の最初の男になることを願い、女は愛する男の最後の女になることを願う』ってのがあるよね」

 

 ――先にそれを言えよ。

 

 そうツッコミたいのを必死で堪えた。

 なんでかって? そりゃ、始まりのブザーとアナウンスが入ったからだ。


 ――劇が始まった。


 とある街、自我を持った王子の像。

 街の人々の自慢で、宝石や金を纏った体。

 そこに一羽のツバメがやって来て、王子の知らない世界を語る。

 貧しい人々、哀しい世界を知った王子は自らの体を与えるようツバメに頼む。

 ツバメはそれを了承し、街中を飛び回る。


 そこにジジはいた。

 貧しい身なりで、若い劇作家を演じている。

 ナレーションが入る前から、飢えているとわかった。

 マイクを使わないで、よくそこまで大きな声が出るものだ。

 それも飢餓で今にも死にそうな弱々しい印象を残したまま――


 素直に凄いと、賞賛せざるを得ない。

 舞台裏で端役と言っていただけあって、ジジの出番はすぐに終わった


 冬の訪れ。

 渡り鳥であるツバメは寒さに耐えきれず、死を悟った。

 それでも、最期は王子の傍でと……力尽きた。

 そこで、鉛でできた王子の心臓も割れてしまった。

 美しかった体は全て街にいる貧しい人々に与えられ、残ったのはみすぼらしい身体のみ。

 

 だからだろう――街の人々は王子を柱から取り外した。

 

 そうして、ツバメはゴミ溜め。

 王子は溶鉱炉――


「――待ってくれ!」


 その台詞に会場がざわめきに包まれた。

 暗闇。スポットの故障? 

 演じているのに……


「え? 嘘」

 隣で委員長が洩らす。


「どうなってんの?」

「……シナリオと違う」

 

 パッと光が放たれた一筋の射線。

 暗闇には無残な王子と――


「ジジ?」


 既に出番を終えたはずの劇作家がいた。


「王子は俺たちの自慢だったはずだ! それなのにどうして!」

「……今の王子はみすぼらしい。サファイアの目もなく、金の体も失った。ただの鉛の塊。……そんなものを街に飾るわけにはいかないだろう」

「ふざけるな! 王子は、誰のためにそうなったと思っているんだ?」

「……そんなものを我々は頼んでいない。王子は綺麗なままでいれば良かったのだ。醜い像に飾る価値はない」

「お前たちがそれを言うか? お前たちが王子を作ったから、街の人々に貧困が訪れた。それを王子は救ってくれたんだ。いつまでも綺麗なままでいれたはずなのに……っ! それを犠牲にしてまで、俺たちを救ってくれたんだ!」

「自己犠牲など下らない。そもそも像の分際で、人間様を救おうなどという考え自体がおこがましい」

「貴様! それでもこの街の代表か?」

「あぁ、そうだ。だからこそ、私の決定は絶対だ。覆したければ神でもつれてくるんだな」

「神なんていやしない。神は、俺を救ってくれなかった。俺を救ってくれたのは王子だ……」

 

 ジジは項垂れる。

 膝をついて、手で顔を覆う。悔し涙を流す。


「ふんっ、下らない。せっかく裕福になれたというのに……中身は貧乏人のままか」

 

 ジジを置いて、歩き出す。

 背中を向ける。このまま元の筋書きに戻る――


「御待ちなさい!」

 

 そう思った矢先、また声がした。

 スポットライトよりも早く姿を現したのは……最後に出番を控えていた天使だった。


「御待ちなさい!」

 

 同じ言葉をもう一度。

 そこでやっと光が照らす。


「な、貴様は?」

「私は神の使いです」

「な!」

「貴方は言いましたよね? 神を連れてこいと」

「な! そ、それは……」

「尊い。この王子はなんて尊いんでしょう。こんな姿になってまで人々を救おうとするなんて……」

 

 天使はジジを見る。


「こんな姿になってまで人に想われるなんて……これほどに尊いモノはないでしょう」


 天使は王子とツバメを抱きしめた。

 そうして暗転、、幕が下りていく。


 

 幕間は、ざわめきで満ちていた。


「あれは、どうなんだ?」

 

 俺は演劇に詳しい委員長に意見を求める。


「きっかけはあの劇作家ね。そこから、完全なアドリブになっていたわ。本来なら、天使の出番は王子が捨てられたあとだもの」

 

 天使は悲劇を解決する機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ――ご都合的に、物語を収束させる役目らしい。


「ジジの奴……なにをやっているんだか」

 俺はなじったつもりだったが、


「すごいわ」

 委員長は興奮していた。


「アドリブは本当に実力のある人にしかできないの。しかも彼は、ぎりぎり破綻しないように気を配っていた素振りもみせていたし……ほんとすごいわ!」


 委員長はジジを絶賛していた。

 俺自身はオリジナルを知らないのでなんとも言えないのだが……


「勇者はどうだった?」

「すごかった」

 

 芳野の質問にそう答えていた。

 

 

 幕間が終わり、エピローグ。

 そこは筋書き通りだった。天使に連れられた王子とツバメは、天界で幸せに暮らしていた。と、思ったらアドリブのアナウンス。

 ただ王子は時々、思い出していた。みすぼらしい姿になった自分に手を差し伸べてくれた、一人の劇作家のことを――



 劇が終わり、喝采が降り注ぐホール。舞台には役者たちが勢ぞろいで、満面の笑みを浮かべていた。

 そこにジジもいた。

 俺たちに向かって大きく……楽しそうに手を振っていた。


「あの劇作家って、秋葉君の知り合いだったの?」

 

 それに気づいて、委員長が期待の眼差しで見上げてくる。


「あぁ、そうだ」

「名前、なんていうの?」

 

 つい先ほど聞いたばかりなのに、俺は忘れていた。


「……えーと、ジジの名前ってなんだっけ?」

「十文字マキナ」

 

 呆れた風にアキトが答え、知っているのか委員長が大きな声を上げる。


「十文字広見の息子だ……演劇、続けてたんだ」

 

 誰だ? という疑問符が伝わったのか、委員長は説明してくれた。


「確か、父親に〝当て書き〟された役を演じられなくて、辞めたって噂の天才子役」

「当て書き?」

「その人に合わせて脚本を書くの」


「その人に合わせた脚本?」

 理解が及ばずオウム返しをしてしまうも、


「先に役者を決めて、その人の個性に合わせたキャラクター、物語を作り上げていく手法って言えばわかるかな?」

 委員長は嫌な顔もせず、丁寧に教えてくれた。役者に当てて書く。それは脚本家からの恋文であり、挑戦状でもあると。


「そりゃ、怒るわな……」

 

 自分の失言を、今更ながら完璧に理解した。


「え、なにが?」

「いや、こっちの話しだ」

「だね」

 

 自分に向けただけなのに、芳野は応じた。


「でも、僕はいい機会だと思ったよ。やっぱりあいつは……ってどうしたの?」

 

 俺は含み笑いを隠し切れなかった。

 ――ジジと同じことを言ってやがる。


「いや、なんでも」


 お互いに恥ずかしいだろうから、黙っておいてやろう。

 俺は訝しがる芳野と委員長を放置して、次の演目を楽しみにしていた。






「お疲れ」

 

 ホールの外で待っていると、やっとジジが出てきた。芳野とねここが一声かけ、買っておいた飲み物を渡す。


「おっ、気がきくね~」

 ジジはすぐさま呷り、

「くっはー、この一杯のために生きているもんだぜ。五臓六腑に染み渡る!」

 決まり文句を口にした。


「しかし、お前すごかったんだな」

 

 あまりにジジがいつも通りだったので、俺も声をかける。 

 まるで、何事もなかったかのようだ。あの保健室での一件……その翌日のよう。

 だったら、俺から言うべき言葉はない。

 普通に接するべきだろう。


「ふっ、今更気付いたか」

「でも、なんでアドリブなんていれたんだ?」


 やる気なかったくせして、という嫌味は呑み込んだ。

 けど、伝わったのかジジは真面目な顔で答える


「ああいう王子はな。天使なんかじゃなく、人に救われるべきだって思ったからだよ」

「珍しく気が合うな」


 俺たちは互いに笑みを合わせる。


 「いや、ほんとすごかったっすよ! 悔し涙のシーンなんて、ほんとすごかったっす!」

「ちなみにあれって本物? 目薬?」

「あー、あれか……」

 

 そう言ってジジが取りだしたのは……ピンセット?


「これで鼻毛を思いっきり抜いた」

 

 ――全員の時間が止まった。


「ん? やったことねぇ? 毛抜きで鼻毛抜くと、まじで痛くて涙でるぜ?」

 

 あまり聞きたくないネタばらし。いや、確かにわからなくはないが……なぁ?


「ねここ、試してみるか?」

「いや……、遠慮するっす」

 

 四人で馬鹿をやっていると、校舎内の出し物が終了を告げる放送。


「もう、そんな時間か」

 

 同時に中等部の文化祭の終了。残りは高校の校舎外での出店と、お決まりのキャンプファイアー。


「どうする?」

 無意識に、俺は訊いていた。


「とりあえず、出店を回りながら考えようか」

 アキトが正論を吐き、


「フォークダンスは踊る相手いないっすもんね」

 ねここが自虐し、


「ねここだけな」

 ジジがオチを付ける。


「えっ!? マジっすか? みんなはいるんすか!? 」

 ねここが喚くも、


「料理部に行ったら、売れ残りをただで貰えないかな?」

 アキトは無視して話題を変えた。


「んな浅ましい真似できるか 」


「それこそ、勇者の特権だと思うけどな 」

 ジジが身も蓋もない台詞を吐く。


「ちょっ! どうなんすか! みんなして、おれを無視するんじゃないっすよ! 」

 ねここがムキになって問いただしてくる。

 

 俺たちはそれをあしらし、茶化し――

 迷惑にも、男四人は騒ぎながら道を闊歩する。

 

 ――賑やかな幕間。

 

 きっとここが俺たちの始まり。

 

 四人が仲間となり――

 

 ――俺が勇者になった日だ。

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