第15話 歪な恋
「……?」
裏口を通って店に向かう途中、聞き慣れない音。
硬いなにかを削る……裏口から工房を除いてみると、父さんが氷彫刻をしていた。
集中しているようなので、俺は声をかけずに隣接しているカフェへと足を運ぶ。
「いらっしゃい……ってしーくん?」
「はぁ、はぁ、どうも」
「どうしたの息切らせて? とりあえず、お客さんいないから座って」
お言葉に甘えてカウンターに座る。
和佳子さんは水出しの紅茶を置いてくれた。
「ありがとうございます」
「それで、しーくんはどうして息を切らしながら入ってきたの?」
「ちょっと、追われていたもので……」
「誤魔化すなら、もう少し言葉を選びなさい」
実際間違っていないのだが、和佳子さんは冗談だと思っているようだ。
「そういえば、つなは?」
時間的に学校は終わっているはず。
「ピアノのお稽古」
「ピアノ?」
「そう、一緒に登校している上級生の子が、すごくピアノが上手らしくてね。その子が、良かったら教えてあげるって言ってくれて」
「へ~、そうなんですか……」
名前までは思い出せないが、一昨日のあの子だろう。
長い指が印象に残っている。
「相変わらずね、しーくんは」
「なにがですか?」
「考え事している時は顔が怖い」
思案に耽っている自分の顔なんて見ようがないので、なんともいえない。
が、芳野の調査結果を信じるとすれば、その通りなのだろう。
「考えて喋るのも悪くはないけど、もう少しわからないようにしたほうがいいんじゃない?」
「う……、すいません」
見透かされていることに、居た堪れなくなってしまう。
「でも、ある程度は考えないと口が悪くなってしまうんで……」
「悪い癖ね」
以前よりはましになってはいるものの、どうしても出てしまう時がある。
それでつなを怖がらせることもあるので、治したいと思っている。
「そうね……つなは虐待を受けていたから」
あまりにあっさりと切り出された言葉に驚くも、和佳子さんはニヒルに笑っていた。
「ずっと、そのことが訊きたかったんでしょう? だから、私と二人きりになれる状況を探していた」
図星である。現にその状況になっても自分からは踏み出せなかったので、語ってくれる時を待っていた。
「さほど驚かないのね」
「予想の範囲ですので」
暴言や暴力に弱い。子供のくせに、やたら気遣いで丁寧な言葉。
そして時折、こちらの表情や機嫌を窺う態度。極めつけに、夏なのに常に長袖を着ていたこと……これで気付かない奴は、想像力が足りないか、平和ボケしている人間くらいである。
非常に残念だが、妹はその両方……いや、観察力の段階でアウトだ。
「私がキャリアウーマンだってのは話したっけ?」
「はい、既に八回ほど自慢話を聞かされました」
辛抱よく耐えたものだと思う。
和佳子さんは覚えてないのか、
「そうだっけ?」
首を傾げていた。
「それで、家のことを疎かにしちゃったわけなんだけど……」
語尾が弱くなるも、その眼差しは鋭さを増していく。
「どのくらいだと思う?」
俺は真剣に向き合う。
この場合はどのような単位、言葉で答えるべきなのかを探す。
「仕事が楽しかっただけじゃない。認められたかった。いや、見返してやりたかった、女だからって舐められたくなかった……そんなつまんない意地で仕事をしてた」
理由はともかく、そこまで必死になった経験のない俺には想像もつかない。
答えられない問い掛けだと諦める。
「そんな風にがむしゃらにやっている内に、旦那が職を失っててさ」
「――え?」
「そのことにも気付かずに、私はたまに帰る家で仕事の愚痴を言うわけ。そりゃぁ、ストレスも溜まるわ」
相槌を打つことも許されないと思った。
気易く分かる素振りをみせることさえ、ためらわれた。
「そのストレスが、つなにぶつけられているのにも気付かなかった。知ったのが、警察からかかってきた電話だったなんて……笑えるっしょ?」
和佳子さんは自嘲しきれていなかった。
未だに後悔して、自分を責めていた。
「警察に何度も訊かれた。本当に貴方は知らなかったのですか? 本当に貴方は無罪ですかってね」
知らなかったから、許されるわけではない。
けど、それで罪が変わるのが現実なのだろう。
「当時の私は馬鹿で、その言葉にキレてたわ」
そりゃぁ、共犯扱いされていい気分でいられるはずがない。
「けど、久しぶりにつなを見て思い知った。つなは体中痣だらけで、顔にまで傷があった。それでいてやせ細って、人形みたいに表情もなかった。そんな状態だったのに、気付かなかったなんて……自分を呪ったわ」
和佳子さんは紅茶をグラスに注ぎ喉を潤すも、俺はできなかった。
渇いているにもかかわらず、潤す行為を許せなかった。
興味本位で訊いた自分を、予想と答え合わせがしたかっただけの自分を呪った。
「それからは仕事を辞めて、旦那とは縁を切って……勝手だけど、つなの母親をやっていた。でも、貯金が底をつきかけていたから、先生に頼ろうと思ったの。ちょうどテレビで秋葉先生をみかけてね。お店を持ってるなら、私を雇って貰えないかなぁってね」
それが冬の話。
つまり、たった数年前にあった出来事を和佳子さんは話している。
「でもまさか、縁を切っていた実家と先輩が連絡をとっていて、私の状況を知られていたとは思わなかった」
それで、あの時の母さんは怒っていたのか。
「けど先輩に、最後に頼ってくれてありがとうって言われた時は一番堪えた……」
俺は後悔していた。これは訊いていいことじゃなかった。
この大人の事情は、漫画なんかとは全然違う。
とてもじゃないが、軽々しく一蹴できない。
しかし、だからこそ愛おしくも思う。
現実的にもさほど珍しくはないのかもしれないが、俺の世界では希少。深く傷ついた女の子なんて、いやしなかった。
俺はその、目に見える〝歪さ〟に強く惹かれたんだ。
つまり、究極のところ……初名じゃなくてもいい。
もし、彼女以上に歪な異性が現れたら、俺はそっちに流れるだろう。隠しきれない影。幼少期のトラウマや、複雑な家庭環境。
それでも、まともに生きていこうとしている強さ。
俺は……そういった『背景』が好きなだけだ。
そういった人を助けてやりたいって、助けになりたいと思っているだけなんだ。
自分が特別じゃないから、特別になれそうもないから……。
特別な誰かの傍にいれば、自分まで特別になれそうで――そう、まるで物語の主人公のように。
――自分が平凡でも、周囲が特別なら輝ける。
そんな理由で……俺は、つなを好きになった。
「とまぁ……、そういうわけなんだけど、ヒいた?」
俺の沈黙を勘違いして、和佳子さんはそんなことを訊いてきた。
とんでもない。むしろ、俺の気持ちのほうが、他人にヒかれる類のものだ。
「そんなことはないですよ」
かすれた声になったが、ちゃんと言えた。
けど、それだけだった。
沈黙が支配する。
和佳子さんも思うことがあるのか、破りはしない。
どうしようかと悩んでいると、
「暑いっ、死ぬ!」
聞きなれた声と共に、生温かい風が入り込んできた。
「いらっしゃいませ」
和佳子さんの声。
俺が入ってきた時と変わらなくて、ほっとする。
「だらしがないなぁ」
「お前はすぐに走るの諦めたからだ。オレはあのあと、勇者と激しい死闘を……!?」
そこで目が合った。俺は複雑な気持ちで、胸がいっぱいだった。
「あれ? 勇者じゃないか」
「てめー、さっきはよくもやったな!」
店の中なのに、人聞きの悪いことをほざいてくれる。
「ん? ……しーくんの友達?」
俺は感謝すべきなのだろうか?
確かに、気まずい雰囲気からは解放されたが……
「こんなとこでお茶なんて、オシャレだね~」
「水分!」
近づくなり、ジジは俺の飲みかけの紅茶を勝手に飲み干していく。
「ぷっはぁ、生き返った」
「お前ら、お店の人に迷惑だからな」
俺は和佳子さんにジェスチャーを送る。人差し指を立てて、お願いする。
「それではテーブル席に移動しますか?」
和佳子さんは察して、俺を普通のお客さん扱いしてくれた。
「ほら、他のお客さんに迷惑だから早く座るぞ」
「他にお客なんていないけど?」
「そういう問題じゃねぇんだよ。モラルの問題だ」
「確かに、早く座りたい気分だ」
二人は座ると、置いてあったメニューと睨めっこを始めた。
「お前らは、どうしてこの店に来たんだ?」
「いや、ジジが水分取らないと死ぬ死ぬ喚くからさ。けど、近くに自動販売機すらないし、しょうがなくって感じだけど」
「そうか、納得」
俺はテーブルに片肘をつく。
その間に、和佳子さんがやってきて水を置いてくれる。
「ご注文はお決まりですか?」
「ケーキセット三つ。飲み物は全部アイスティーで」
俺は二人の意見を訊かずに注文した。
「おい、勇者勝手に決めるなよ」
「俺のおごりだから我慢しろ」
「え? まじで! それならいいや」
「ほんとにいいの?」
俺は無言で頷いた。
その日は一緒に店を出たから何事もなかった。
が、次の日にはやっぱり、和佳子さんに色々と弄られた。
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