第16話 アルペジオ

 文化祭まで一ヶ月を切った、ある日。

 ちなみに今日までずっと、芳野たちは俺に付き纏っていた。

 少なくとも昼休み、下校の間は一緒にいた。


「秋葉君、ちょっといいかしら?」

 

 音楽の授業が終わったあと、何故か先生に呼び止められた。


「はい、なんでしょうか?」

「あなた、芳野君と仲がいいのよね?」

 

 その確認に「はい」、「いいえ」選択肢が二つ浮かぶも、振り払う。


「悪かないですが……」

 

 先生は少し迷っていたが、口を開いた。


「なら、秋葉君からも頼んで貰えないかしら?」

「なにをですか?」

「文化祭で、芳野君にピアノを弾いて貰うの」

「はい?」

「彼、天才なの! すごくピアノが上手なのよ」

 

 先生の喋る速度が上がっていく。授業中はおっとりとした口調なため、つい戸惑ってしまう。


「講堂を展示スペースに設けているんだけど、毎年人気がなくて……」

 

 そりゃそうだろ。勿論、口に出しやしない。

 わざわざ文化祭に来て、そんなレポートのようなものに目を向ける人なんて稀である。


「芳野君に、そこでピアノを弾いて欲しいのよ。そうすれば、お客さんも足を止めてくれるだろうし」

 

 つまり、芳野に客寄せになれといいたいのか。


「だからお願い。秋葉君からも頼んでみて」

 

 先生は、俺のことすらもお構いなしに勝手に喋って去っていった。


「くだらねぇ……」

 

 口に出た悪態と共に、チャイムが鳴った。


「別に俺は悪くないよな?」

 

 誰に言うわけでもなく呟いて保健室へ向かうと、


「やぁ、勇者。遅かったね」

 

 ドアを開けて、真っ先に目に入ったのが芳野。

 かけられる言葉が遅かったね。色々と間違ってないだろうか?


「お前もか、秋葉」

「音楽の先生に捕まって、解放されたと思ったらチャイムが鳴ったんで」

「だったら急いで教室に戻りなさい」

「授業の途中で入るのって結構勇気いるんですよね~、気まずいっていうか……」

「平気で授業の途中で出ていく奴が言う台詞じゃないな」

「今思いましたけど、先生もああ言えばこう言いますよね」

「あんたらにだけには言われたくない」

 

 保険医は俺のへ理屈に、素で怒ったみたいだ。


「勇者、僕まで巻き込まないでくれ」

「いや、そもそもお前も悪いからな」

 

 だからといって、改めるつもりは毛頭ない。



「まったくあんたらは毎度毎度……」

「担任が許容していますからね」

「それは……、問題だよ。ほんとうに」


 授業態度が悪いにもかかわらず、さほど注意を受けない理由はこれである。


「まったく、あんたの性格の悪さとやり方にはほんと呆れるわ」

 

 俺は担任や学年主任の授業には真面目に参加し、優秀な成績を収めている。要は、さぼる授業をうまく選んでいる。



「勇者はえぐいよね」

「そういうお前はどうなんだよ?」

「う~ん、どうなんですかね?」

「私に訊くなよ……」

 

 保険医はあからさまに目を逸らした。

 それどころか俺たちの注意を手放して、自分の仕事に戻っていった。


「なにか知ってそうだけど、いっか」

「同感だ。快適に過ごせるなら問題ない」

 

 俺は慣れた手つきで緑茶を淹れて、芳野と保険医に渡す。

 保険医はなにか言いたそうな顔をするも、溜息一つで諦めた。


「そいや、お前。ピアノやんだな?」

 

 つい先ほどの話を思い出し、俺は問い掛けた。


 芳野の表情が一瞬引きつるも、

「そうだよ」

 すぐに軽い笑顔を張り付けて耐えた。


「上手いのか?」

「う~ん、人並みよりは」

「へ~、今度弾いてみせてくれよ」

「え? あぁ、うん。機会があればね」

 

 待っていたら、その機会は一生来ない気がした。

 俺は踏み込むかどうか逡巡する。

 こいつからしたら、踏み込んで欲しくない問題なのは一目瞭然。


「なら、文化祭で弾いてくれ」


 けどこいつは、俺の問題にずげずげと踏み込んできた。

 だから、お返しってわけじゃないけど、あえて突きつけてやった。


「文化祭で弾いてくれ。なんか頼まれてんだろ?」

「うん、まぁ……そうだけど」

「ならよろしく」

 

 先生の言うことを真に受けたみたいになるのは癪だったが、俺自身こいつのピアノに興味があった。


「う~ん、まぁ気分が乗ればね」

 

 芳野はらしくもなく、俯いていた。

 期待はできないなと思った。

 久しぶりに俺は、保健室のベッドで静かに眠った。

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